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15.赤イ、毒ニ濡レタ月

   
         
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 二機のキャリアーと数台のフローターが運び出された地下格納庫の空白に、ギイル率いる電脳班直属警備部隊が全員整列する。いつにない緊張した顔つきの部下に、隊長であるギイルは平素のどこか府抜けた気配を全く感じさせない威圧的な声で指示を出し、彼らの士気を奮い立たせた。

「本日、当部隊は電脳班のサポートとしてキャリアー運行に当たる。機材搬入並びに設置が主な任務であるが、任務地には正体不明の魔導師が待ち構えている可能性が高い。

 全隊員、装備の再確認後キャリアーに搭乗し、出立の号令を待て!」

 天井の低い、薄暗い空間に張り詰めた空気をびりびりと震わせるギイルの声が途切れるのと同時に、ざっ、と長靴(ちょうか)の踵を踏み鳴らす音。時置かず、規則正しい駆け足の音と伴に、警備部隊はそれぞれキャリアーや大型フローターへと散っていく。

「気合入ってんねー、ぎーちゃんてばさ」

「タマリが腑抜け過ぎなんじゃねぇ?」

「にゃ? ああ、んにゃぁーーー。ここでそんな緊張してたら、向こう着いてぐったりしちゃうじゃん、だから」

 出動しない整備中キャリアーのステップにちょこんと座ったタマリが、素っ気無く突っ込んだミナミにあの枯れ果てた笑顔を向けながら、慣れない緋色のマントをしきりに気にする。あの、ジョイエリア・サーカスブロックでの一件から二週間。ついに二次調査が敢行される今日になってもスーシェの体調は優れず、結果的に、タマリが第七小隊長代行として任務に赴く事になったのだ。

「スゥさん、大丈夫なの?」

 タマリの傍らに佇むミナミが、少し離れた場所に停車しているキャリアーの荷台から飛び降りてどこかへ走り去ったデリラの背中を目で追いながら、黄緑色の頭に小声で囁きかける。

「うん。別にね、どっか悪いつうんじゃないのよね、すーちゃんの場合」

 ステップから外に投げ出している両足をぶらぶらさせながら、タマリは何気無く答えた。

「あっちとこっちの脳が微調整してる時期なのよ、すーちゃん。みーちゃんたらアタシらよか臨界詳しいみたいだから教えるけどさ、臨界脳の自由領域が拡大してAIの自己判断能力が高くなると、どーしても、今まで通りってワケに行かないでしょ?」

 今までは命令を受諾し従順に実行するだけだった魔導機が勝手に物を考えて行動しようというのだ、当然、既存のシステムにも「自由」を与えなければ、いわゆるバッティング現象が起こり得る。

「ま、いわばすーちゃんと「バロン」がたっくさんお話してぇ、信頼関係築き中みたいなモンなんだからさ、外野がちゃちゃ入れちゃダメじゃん?」

 にぱ。と満面の笑みをミナミに向ける、タマリ。

「…下手したら、最初に魔導機顕現さすよかデリケートな作業らしいしな、それって」

「ま、ね。最初ン時はさー、真っ白けのAI自分の領域に置くだけなんだから、構築式さえ間違ってなきゃなんてこたぁないけど、「解放」が起こるくらいのAIってのは相当自我発達してるからね、そういう意味で、結構大変みたいよ」

「タマリは…そういうのないんだっけか?」

 ふと思い出したように問いかけられて、タマリが片眉を吊り上げる。

「それはアレかい? みーちゃん、暗にタマリの「アゲハ」はのーみそ弱いとでも言いていのん?」

 いや、そういう意味じゃねぇけど…、と口篭もるミナミをわざとのようにじろりと睨んでから、タマリはまたも破顔した。

「なーんてね。「アゲハ」にだって一応自我みたいなモンあるけど、自由を望まないってのかなー、そういうタイプなんだよね、完全補助系って」

 にゃはは、と声を立てて笑うタマリの、色褪せた緑の瞳。

「…でも、さ。正直、「アゲハ」に自我なんかなくって良かった、って、時々思うよー。「これで」、グランぱぱの「ヴリトラ」とかイルちゃんの「サラマンドラ」みたいに懐かれちゃったら、………………辛いよね、きっと」

 そこだけ疲れたように呟いて、タマリはステップから跳ね降りた。

「これで」。

 三十ニ人の犠牲を出した魔導機に。

「タマリは、「アゲハ」すっげー好きなんだけどさ」

 崩壊しそうな、笑顔。

 粉砕されそうな、こころ。

 誰か。

「アイリー次長、出立前のブリーフィングだそうです」

 俯いて薄っすらと微笑むタマリの横顔をじっと見つめていたミナミに、キャリアーを廻り込んで来たルードリッヒが声をかける。

「うん、判った。んじゃ、タマリも行こう」

「ん? おーー! 出来ればここでみーちゃんとラブい感じに腕なんか組んじゃって、ハルちゃんに睨まれるくらいのお茶目をぶっかましたい気持ちではあるけど、それ無理だよねぇ」

 言って、いつも以上に陽気な笑顔を見せたタマリから佇むルードリッヒに視線を移し、ミナミは無表情に言い放った。

「じゃぁ、俺の代役はルードな」

「了解しました」

「つか勝手に了解しあってんじゃねぇってんだよ、てめーらぁ!」

 結局タマリは、相変わらず掴み所のない笑顔のルードリッヒにラブい感じ? に担がれて、最終ブリーフィングの場に登場した。

             

           

 出発前に行われた短い打ち合わせは、本当にただの確認作業でしかなかった。

 隔壁エリア内に隠匿されている施設の構造調査は、タマリ・タマリ魔導師を小隊長代理に据えた電脳魔導師隊第七小隊と、ミナミ・アイリー次長率いる特務室調査班が行う事になっていた。

 構成は、魔導師に、タマリ・タマリ、イルシュ・サーンス、ブルース・アントラッド・ベリシティ、ジュメール・ハウナス、砲撃手ケイン・マックスウェル、事務官ウロス・ウィリー、特務室からは、ミナミ・アイリー、ルードリッヒ・エスコー、クインズ・モルノドール他、総勢六名。当該施設に匿われており、前回の立ち入りで救出されジュメールの案内によって、施設の正確なマップを取得ないし構築する事が調査班の目的とされ、万が一アドオル・ウインに組みする違法魔導師と接触した場合は、班隊の安全を確保しつつ即時撤退という命令になっている。

 一方、サーカス主天幕の詳細調査は特務室電脳班が単独で行うが、一分の隙もなく武装した電脳班の設備、装備の運搬には、ギイル・キースを筆頭とする電脳班直属警備部隊総勢三十六名があたる事となった。

 一体何をどう設置し主天幕地下(だとドレイクとアンは言った)に潜む魔導師たちを包囲するつもりなのか、電脳班と同行する二機のキャリアーには、見た事もない厳しい機械群が満載されている。

「特別防電室の機材を外して行ったのか? …ガリューはこんなもので、何をするつもりなんだ…」

 その、持ち出し設備一式の難解な名前を睨んで、ヒューがぽつりと呟く。あのサーカスの一件以来医療院に縛り付けられていたはずの彼は今日、室長、クラバイン・フェロウの命令で、手薄になった王城、陛下護衛の穴を埋めるため、強制的に退院させられて特務室に戻っていたのだ。

 特別調査班出立の報告を受けて了解を返信し、いっとき静寂の戻った特務室。通常の任務と調査班が出払った室内には、ヒューと情報管制官のジリアン・ホーネットだけが残っていた。

「詳細な使用目的の報告を何度もお願いしたんですが、結局、ガリュー班長は提出されないままお出かけになったようです。ただ、予想出来る全ての危機を回避するため、とか仰られていたようですが?」

 ハス向かいで黙々とキーボードを叩いていたジリアンが手を止め、答えながら立ち上がる。お茶でも差し上げましょうか? と小首を傾げた神経質そうな部下に顔も向けず、ヒューは頷いた。

「予想出来る全ての危機ね…。あいつの「予想」がどれだけあるのか、俺にはそれさえ判らないがな」

 ハルヴァイトが何をどれだけ「予想」したのか。

 多分それは、誰にも、判らない。

 莫大な情報を一瞬で処理し、ありとあらゆる「答え」を刹那で弾き出す、絶対電脳。その全てに最も効率的に対処する術さえお茶を飲みながら思い浮かべるのだろうあの人外の考えが判りたいとは、ヒューさえ思わなかった。

「………まだ訪れもしない「結果」を予想し行動するというのは、どういう気持ちなんだろうな」

 差し出されたハーブティーに顔を顰めつつ、ヒューがジリアンに問う。その意味が判らなかったのか、黒いセルフレームの奥にある濃い茶色の瞳が戸惑うようにヒューを見つめ返した。

「素っ気無い人生かもしれないな、もしかしたら」

 全て、判っている。

 朝起きてベッドから下ろす足が右か左かでその日の全てが決まるとして、その第一歩を踏み出す前に、今日という一日を全て予想出来たとしたら。

 無味乾燥な味気ない生活。

 全てに、「やはりそうだった」という冷えた感想しか抱けない日常。

 判らないという不安が、本当は安堵なのかもしれないとヒューは思った。

「なんというか、本当に、俺は凡人でよか…」

 よかった、というセリフのお終いを待たずに特務室のドアが控えめにノックされ、ジリアンとヒューは同時にそちらへ顔を向けた。

「どなたか在室ですか?」

「……? ゴッヘル卿か?」

 別に敬意を表する必要などなかったが、ヒューはスーシェをゴッヘル卿と呼んだ。同僚であるドレイクやアンには敬称など必要ないし、しょっちゅう顔を会わせるグランは年長者でもあるのでガン大隊長と呼んだりするものの、その他の魔導師に気を使った覚えはない。しかしなぜか、穏やかな笑顔と細やかな気遣いのスーシェだけは、なんとなく別枠のような気がして、ついつい貴族的に扱ってしまう。

 慌てて立ち上がろうとしたヒューをジリアンが手で制し、ドアに近付きそれを引き開けると、私服に深紅の腕章を付けたスーシェが、やや固い笑みを浮かべて佇んでいた。

「医療院から自宅療養になったと聴いたが、何か問題でも? タイミング悪い事に、コルソンはもうリゾートに出たところだぞ」

 ジリアンに招き入れられて会釈したスーシェが、ヒューに勧められるまま応接セットのソファに向かいつつ、小さく首を横に振る。その落ち着いた雰囲気と柔らかな美貌を間近で見たジリアンは、正直、唖然と目を見開いていた。

 これがデリさんの伴侶なんですか? つうか嘘! とでも言いそうな間抜け面を睨んだヒューに手で追い払われて、ジリアンが慌ててお茶の支度に消える。

 と、その後ろ姿を見送ってからソファに腰を下ろしたスーシェがなぜか、微かに震える自身の腕を抱き締め、「すみません」とヒューに小さく謝ったではないか。

「………何があった?」

 まだ痛々しくも真白い包帯に所々を巻かれ、顔にもいくつか傷跡の残るヒューが押し殺した声で問いつつ、スーシェの傍らに腰を下ろす。その時彼が向かいではなくあえて隣りに座った意図は、とりあえず、何かに怯えているらしいスーシェを落ち着かせるためだ。

「お邪魔でしたら…」

「いや。どうせここも今日は報告待ちだし、俺自身身動き取れないままだ。別に気に病む事はないさ」

 だから居ても構わないという意味なのだろう、素っ気無いながら気遣いの滲む言葉に、スーシェが薄い笑みを零す。

「…何かあったという訳ではないんです。ただ…、ひとりで居るのが、なんだか不安で」

 俯いたまま弱々しく呟いたスーシェの横顔を見るともなく見ながら、ヒューも言い知れない不安か焦りのようなものを、俄かに、感じた。張り詰めた緊張のようなもの。飽和状態で息苦しいような気配。

 ヒューに合わせてなのか、ジリアンはスーシェにも涼しい香りのハーブティーを出した。

「ゴッヘル卿は、ハーブティーはお好きですか? これ、官舎の食堂でよく出されるもので、気持ちをリラックスさせる作用のあるハーブを使ってるそうです」

 穏やかな声でそう言って微笑んだジリアンは、顔を上げたスーシェの白皙に会釈してからふたりの傍を離れ、そのまま特務室を出て行ってしまった。

「…スレイサー衛視」

 華奢な白いカップを握り締め、スーシェが重い口を開く。

 静寂という騒音を、ヒューが感じた瞬間だった。

「何か、良くない事が……………起こります」

 言ってスーシェは、固く瞼を閉じた。

  

   
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