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16.全ての人よ うらむなかれ

   
         
(16)

  

 結局、「なんかかいーんだな」、というタマリの猛烈に的外れっぽい締め括りでオチが付いた朝のミーティング後。

「散々自分で振っておいて、かいーはないでしょう、タマリさん」

「んんー? いいじゃん。なんか、イルちゃんとかじゅーくんとかすーちゃんとか、ウケてたし」

 ウケてたとかウケてないとかいう問題じゃねぇ! とブルースは思ったが、口に出すのはぐっと堪えた。タマリに付き合っていちいち突っ込んでいたら、はかどる仕事もはかどらない。というか、手につかない。

「突っ込んで、そこ。…さみしーじゃんよ」

「ぼくの上着に洟をなするな!」

 うるる、とウソ泣きしながら長上着に縋り付いたタマリが鼻を鳴らして、ブルースがその小さな頭を押し遣ろうと格闘しているのを笑いながら見ていたスーシェに、停めてくださいよ! と牙を剥く少年。

「ブルースくんて、意外と振り回されるタイプだよね」

 なんとかかんとかひっぺがしたタマリを無理矢理椅子に捻じ込んだブルースにスーシェがほんのりと笑いかけると、少年はげんなりと肩を落として自分のデスクに両手を突いた。

「どわっはっはっは!」

「…ほっといて下さい…。あとそこで笑わない、タマリ「魔導師」」

「んなんじゃぁ、そりゃぁ!」

 いやだからそこで言い返すのもやめなよ、とスーシェは思ったが、ふたりが楽しそうなのであえて突っ込まない。

「……ウチって、緊張感ないねー」

「ないな」

「あって然るべき状況だとは思うけれど?」

「……………」

 などと他の隊員はぎゃあぎゃあ喚くタマリとブルースを無視して、なぜか、ばたばたと机の整理をし始めた。

「? つか、みんななんでおそーじ?」

 そこで、ブルースと取っ組み合っていたタマリがきょとんと周囲を見回した。

「しばらく落ち着いて掃除する暇もなかったんで、急ぎの任務もないし、今日は全員で掃除しようって一昨日の帰りに言ったじゃないか、タマリ」

 ついでに、執務室に置いているスーシェのデスクから小隊長室に私物を移して、ジュメールのデスクを作るのだ、と一昨日の分かれ際にスーシェが言っていたのをようやく思い出したタマリが、ぽりぽりと指で頬を掻く。

「めんどくせー」

 不満一杯に唇を尖らせたタマリの頭上に、どすん! と一抱えもある箱を載せたブルースが、身を屈めて上官の顔を覗き込む。

「いってー!」

「面倒でもなんでも、これだけはきちんと分別して棚に入れてください、タマリさん」

「なんだよーこれー。タマリさん知らないもん!」

「二十七にもなってかわいいフリしてもダメです。それに、その箱の中身は、あなたがぶっ散らかし放題に散らかしたデスクの上からぼくのデスクに雪崩れ落ちて来た、あなたのディスクです!」

「うわお! ていうか、なんであんたアタシの歳知ってんのよ!」

「ヘイゼンに教えて貰いました。色々と!」

 ふぎゃにゃーーーー! と頭の上に箱を載せたままのタマリが、意味不明の悲鳴を発する。

「い、いろいろって、い…いろいろってなによぉ!」

「第七エリアであなたがいかな素行不良っぷりを発揮してたかとか」

「ほぎゃーーーーっ!」

「それをここでバラされたくなかったら、黙って掃除してください」

 ふふん、と冷笑を浮かべて勝ち誇ったようにタマリを見下ろすブルース少年の顔を恐々見つめるスーシェとイルシュが、思わず手を握り合う…。

「聞きたいような」

「いや…、ぼくは聞きたくないよ、イルくん。それがその…」

 ヒュー・スレイサー曰く。

         

「まぁ、「仲の悪い恋人」と言っても、本人たちは死に物狂いで否定するだろうがな」

      

 に、バレたらと思うと、怖くて特務室に行けなくなる。

 背中に冷や汗を掻いたイルシュとスーシェに助けを求めるような視線を送りつつも、タマリは頭上からデスクに移った箱の中を覗き込んで、いやいやながら中身をひっくり返し始めた。

 スーシェは、執務室の模様替えもしようか、とか、タマリとデスクを離してくれと訴えるブルースを適当にあしらったりとか、今更ながらジュメールにデスク備え付けの端末操作を教えたりしながら、それから暫しの間過ごした。そうしてみると、本当に自分たちにはミナミのために出来る事がないのだなどと思って、ちょっと憂鬱な気持ちになる。

 ウロスは、溜め込んでいたディスクにせっせとラベルを貼っている。ケインはデスクを散らかしたままソファに移動して、ロッカーから取り出したマシンガンの整備を始めている。ブルースは几帳面なのか、腕まくりをしてテーブルやらドアノブやらをせっせと雑巾で拭いて歩いている。慣れない端末の操作を憶えようとあちこち触ってみては首を傾げているジュメールの手元を、イルシュが覗いている。

 応答のない「スペクター」。

 不安定な自分たち。

 それなのにこんなにも日常は穏やかで。

 少し、気分が…………悪い。

 突然、それまで椅子にふんぞり返り、目前の箱に手を突っ込んではディスクを取り出して指先でくるくると回しながら読み込み作業をしていたタマリが、椅子を蹴倒して立ち上がった。

 その音に一瞬室内がぎくりと凍り付き、一呼吸、ふと肩の力を抜いたスーシェが、タマリの横顔を覗き込む。

「…? どうかした? タマリ」

「…………………………」

 問われても答えないタマリは、なぜなのか、取り出したディスクの中央に開いた穴に人差し指を突っ込み、顔の前に翳して睨んでいた。

 蒼褪めた顔で。

 真っ青な顔で。

 タマリ・タマリという彼のデフォルトにはない、驚愕の表情で。

「やべい…」

 倒れた椅子を起こそうとしゃがんだブルースさえも驚いて顔を上げてしまうような低い声で呟いたタマリが、いかにも緩慢な動作で腕を上げ片手で顔を覆う。

「アタシ…殺されっかも」

「ちょ…タマリ。何物騒な事言ってるんだい!」

 言って、スーシェは気付いた。

 タマリの細い指が貫通しているように見えるそのディスクは、表面が真っ黒で裏面がエメラルドグリーンの、いわゆる、臨界式ディスクだった。

「つうか、自害?」

 自滅かよ。と、ミナミならば突っ込むタイミングか?

 ひひひ…、と腕を垂らして脱力し、引き攣った笑顔をスーシェに向けたタマリが、指を突っ込んだままのディスクを彼の方へと突き出す。

「あのね、これ…」

 少女っぽい顔で、甲高い声で、その喋り方はやめなさいとスーシェは、思った。

「ハルちゃんからの預かり物なん。しかも、みーちゃんにもレイちゃんにも、ヒミツの」

「ブルース。ぼくが許す、タマリを一発ひっぱたけ。それからウロス…」

 バシ、と小気味よい音に続いて、タマリの唸る声。

「特務室電脳班のデリラ・コルソン衛視に、ぼくがどんなに間抜けでもこの先変わらず愛してくれるかい? と入電しろ!」

 わお、熱烈。とその時誰もが思ったが、それくらい汚い手を打ってからでないと恐ろしくて真実が開かせないと判っていたので、誰もスーシェを責めたりはしなかった。

     

     

 場所は変わって、特務室電脳班執務室内。

 突然「緊急」というタイトルで送られてきたスーシェからの電信を睨み、デリラは唸っていた。

「どーかしたの? デリ」

 顎に手を当てて眉間に皺を寄せているデリラの前を歩き過ぎながら、アンがなんとなく声をかける。

「いや。スゥがね…。「ぼくがどんなに間抜けでもこの先変わらず愛してくれるかい?」って電信をだね…」

 で、思わず、アンとアリスが吹き出す。

 しかし、それ以上笑うのも不謹慎だと思ったのか、ふたりは声を殺して肩を震わせながら、ちらりと、執務室奥の仮眠室に繋がるドアを横目で窺った。

 昨日の朝アンとアリスが登城した時点で、ドレイクは眠っていた。それから、昼近くになって目を覚まし、リインに着替えを届けさせる間は起きていて、とにかく、サーカス主天幕で取ったあらゆるデータを解析するのだというアリスやアンを眺めていたのだが、荷物を受け取ってすぐ、体調がよくないからとまた仮眠室に戻り、それきり、姿を現さない。

 疲れているのだろうと思う。それは…判る。

 だからそっとしておいてあげようという事になって、部下たちは交代で仮眠を取ったり一旦自宅に戻ったりしながら今日になったのだが…。

 またもやモニターを睨んで唸り始めたデリラを置き去って、アリスは隣室にお茶を取りに向かった。

 ドレイクが疲れているのは、判る。…いいや…。この場合、判る、というのは残酷で無責任なセリフでしかないだろうが。

 判る訳がないのだ、本当は。

 ハルヴァイトが「消えて」からのドレイクは、常にどこか苛立って見えた。その理由を理解しているつもりのアリスにしても、本当に、彼が何を考えているのかは判らない。

 きっとそれは、誰にも判らない。

 ハルヴァイトのために「全て」を棄てようとしていたドレイクの心情は、誰にも。

 全てを「ハルヴァイト」ひとりで抑えていたのだろうあの兄の気持ちは、誰にも、判らない。

 顔を出したアリスに、居残りのジリアンが笑顔を向ける。君はいつも居るけど、いつ休んでるの? と問えば、暇があればですよ、といつものようにのらりくらりと躱された。

 お茶を取りに来たとアリスが独り言みたいに呟くと、ジリアンはローズヒップティーがあると教えてくれた。あら、美容に気を使ってるひとなんかいた? あの酸味が眠気覚ましに丁度なんです。誰の? みんな、ですよ、ひめさま。

 だからそれでアリスも気付く。

 誰も彼も、あまり休んでいないのだろう。いつ何時何かあってもいいように。

 ミナミが、いつ、何を言い出しても、いいように…。

 衝立を廻り込んでお茶を煎れながら、アリスはぼんやりと立ち昇る湯気を見ていた。

 もしかしたら、ミナミだけはドレイクの気持ちを理解しているのかもしれないと思う。

 せめて、そうであったらいいと、望む。

     

               

今回に限り、わたしはドレイクにはなんの配役もしなかった。

ただ、確かめたい事がひとつだけある。

しかし、「それ」を無理に暴き出すのは、少し酷だろうとも思った。

これは、図版を炙り出すために必ずしも必要な要素ではない。

判らないのならば判らないままでもいいだろう。

「それ」を確かめるために、また他の方法を考えるだけの事だ。

だが。とも、思う。

謀らずも「それ」…その姿、かもしれない…、が、

わたしの、恋人の、この件に関わった人の中で朧にではなく明確になったなら、

わたしたちはきっと、これから先迷わずに済む。

……。まぁ、実際は。

最小限の手間で最大の効果と見返りを、わたしが要求しているだけかもしれないが。

       

       

 ドレイクは姿を現しそうにないからと三人分のお茶を仕度し執務室に戻る、アリス。ところが、トレイを持ったアリスに気付いてジリアンが席を立ち、わざわざドアを開けようとしてくれた途端、それが内側から盛大に蹴り開けられたのだ。

「……ちょっと出て来るけどね、すぐ戻るから、ひめ、あとふたつお茶頼むね」

 ただでさえ悪い目付きを更に悪くして前方を睨んでいたデリラが、ぽつりと低く呟いてから、大股で特務室を出て行く。それを唖然と見送ったアリスとジリアンは一度だけ顔を見合わせたが、すぐ苦笑を交わして、それぞれ自分のデスクへと爪先を向けた。

「どうしちゃったの? デリは…」

「さー。あの後すぐスゥさんに電信して、何かこー二言三言話し合ってすぐ急に眉間に皺寄せてうんうん唸り出しちゃって、それから一旦仮眠室の前に行くのかな? って素振り見せてまた唸って、やっぱりやめて、閉じた携帯端末睨んでまた難しい顔して、今、出て行ったトコです」

 アリスの差し出したお茶を受け取りながらあまり要領を得ない説明をしたアンが、カップから立ち昇る甘酸っぱい香りに目を細める。

 あらそう、と溜め息混じりに答えてから、アリスはデリラに言われた通りもうふたつお茶を仕度しに特務室へ戻り、そこで、数日振りにあの無表情と対面する事になった。

  

   
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