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16.全ての人よ うらむなかれ

   
         
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 それまでどことなくだらけていた空気がぴしりと引き締まったのは、ミナミが会議室に戻り定位置に据わってすぐだった。

 傍らの銀色に目配せで再開を促がせば、勘よく頷いたヒューが「さて」と溜め息みたいに呟く。

「で? ディスクの解析手順は決まった。それで何が起こるかは判らないが、もう俺は何があっても驚かないぞ、ミナミ」

 確かめるように首を傾げたヒューに頷き返してから、ミナミは忙しくキーボードを叩き始めた。

『サーカス地下施設 詳細検証 同時進行で』

 表示されたメッセージに対してなのだろう、今度はクラバインが「はい」と答え、発言するために立ち上がる。

「そちらの指揮は特務室で執りましょう。タマリ魔導師にはディスク解析班に参加して頂くようになりますので、実際サーカスへ派遣するのは、サーンス魔導師やアントラッド魔導師になると思いますが」

 銀縁眼鏡の奥から注がれる視線に、小隊長であるスーシェが答えて頷く。

「タマリを解析班に残して、第七小隊は検証班に参加。サーカスへ向かうのに異論はないけれど、きちんとした護衛を付けて下さる事を希望します、室長」

 実際、サーカスにどんな危険が待っているのか現時点では全く判らない。アリア・クルスが拘束されたとはいえ、向こうにあとどれだけ魔導師が残っているのか。

 しかも、現在ファイランの攻撃系魔導師は殆どが使い物にならず、となれば、第七小隊といえども、実質的に働けるのはブルースひとりだけだ。

「電脳班警備部隊を全隊同行させりゃいいだろ。他には…」

 ふむ。とやや難しい顔で頷いたドレイクの視線が、クラバインではなくヒューに流れる。

「武装許可が下りるなら、俺が責任持って第七小隊の護衛に当たる。さすがに、もう素手で機械式だとかと組み手するのはごめんだからな」

 涼しい顔で言ってのけたヒューのセリフを、クラバインが首肯する。

「すげぇ。警護班班長御自らお出ましかい」

 うわあ、と大袈裟に驚いたタマリに、クラバインがにこりと微笑んで見せる。

「ミナミさんが特務室に篭ってしまうと、ヒューなど用なしですので」

 用なしかよ。と突っ込みたい気持ちでヒューを盗み見る、ミナミ。その視線を頬に受けながら、当の銀色も苦笑している。

「よかったわね、班長。リサイクル先があって」

「…シャレにならないから、これ以上その話題を突付かないでくれ」

 テーブルに両肘を置いたアリスがにこやかに言い、ヒューはますます渋い顔で溜め息を吐いた。

 持続しない緊張感。否。誰もが、わざといつも通り振る舞おうとする。

「それぞれの班についてのシフトと配備は今日中に特務室で詰め、明日の朝から即時行動開始出来るようにしましょう、ミナミさん」

 仄かな笑顔を消さないクラバインに言われて、ミナミも頷く。

「それでは…」

『待って』

 早速小班会議に移ろうと言いかけた室長を、ミナミが遮った。

『その前に ひとつだけ 確かめたい』

 表示された文字列に集中する視線。

『アリア・クルスに 会いに行く』

 瞬間、ドレイクがミナミを睨んだ。

「事情聴取は後回しにしろ、ミナミ。今はそんな……………余計な事に構ってる暇じゃねぇだろ」

 顰められた白い眉と、逸らされない灰色の瞳を見つめ返し、ミナミは首を横に振る。

「あいつに会ってどうするってんだ? 何を訊くんだ? ハルは、お前をあいつに…」

「会わせたくなかったのではないと、ミナミは俺に言ったぞ、ミラキ。

 正直、一度言い出せば止めるのは無理だろうし、遅かれ早かれ出るんだろうと思っていた話題だから俺も諦めた。ミナミが言うには、ガリューがサーカスにミナミを近付かせなかったのは、アリア・クルスを「見せたくなかった」んじゃなく、ミナミに、ガリューが邪魔されたくなかったからだろうとな」

 ミナミならばきっと、あの巨大な電脳陣が出現した時点で、ハルヴァイトの意図に気付いたかもしれない。何せ青年は、人間では読み取れないはずの電脳陣が何を表しているのか、その記憶の鮮明さで瞬時に判断する事も可能なのだから。

 だとしたら、彼はハルヴァイトを停めただろう。

 しかしハルヴァイトには、停められるつもりなど微塵もなかったのだ。

 だから、あの悪魔は、ミナミを遠ざけた。

 しん、とまたも痛い静寂が室内を縛り上げる。

「それにこれはお願いとかいう、かわいいものじゃないしな」

 溜め息も混じらない平坦な声で言い捨て、ヒューはミナミの横顔に視線を移した。

 会いたいのではない、会うつもりなのだ、ミナミは。

 何かを知るために。

 訊くためではない。

 確かめるために、会う。

 同じ顔をし、同じ声で話す、全く別の、あの青年。

「停める事は許されない。これは、命令だ」

 それまでぴたりとドレイクに据わっていたダークブルーがゆっくりと室内を旋廻し、緊張し切った空気を水平に引き裂いて、固く唇を引き結んだドレイクからクラバインに移る。何かを質すように注がれる飴色の目をしっかりと見つめ返してから青年が小さく頭を下げると、王下特務衛視団長官は短く諦めの溜め息を吐き、すっと椅子を押して立ち上がった。

「特別防電室への入室許可を、至急陛下に申請しましょう」

「クラバイン!」

 苛立つように叫んだドレイクを冷たく見下ろしたクラバインが、無言で卓を離れる。

「ね、みーちゃん。それって、どうしても必要なの?」

 ようやくアンの膝から降りたタマリが、目の前に置かれていたあの、ハルヴァイトから預かった臨界式ディスクを手に取りながら呟く。

「アタシはさ、正直、会って欲しくねーなと思う。なんでか知らないけど、会ったら…みーちゃんが、またどっか壊れちゃうんじゃねーかなって、すっげー怖いワケ」

 言いながらタマリは、蒼褪めて俯いたアンと、引き攣った表情で助けを求めるようにドレイクを見つめるアリスと、無言で正面を睨んでいるデリラを見回し、それから、眉を寄せたままミナミを凝視しているドレイクを見た。

「でも、あのアリアってのが存在すんのも、現実なんだよね」

 溜め息と、失笑。

「アタシは、とめねー」

 過去、自らの食らった三十二人の命を返せと泣き叫ぶ遺族と対面した男は、その時から枯れて行こうとする笑みを室内の全てに向けた。

「そういう風にさ、逃げないって決めたみーちゃんを、アタシは停めないよ」

 消え入るようなか細い声に、ドレイクが奥歯を噛み締める。

「…………それなら、ミナミさん。ぼくも、連れてってください」

 不意に、それまで顔を伏せていたアンが顎を上げ、ミナミを見つめる。

「いえ、ぼくも行きます。ミナミさんがあの人に会って、もしかして、タマリさんが心配するみたいにどうにかなったとして、その時ぼくは何もしてあげられないけど、でも、そこに居る事だけは出来るから、だから、ぼくも行きます」

 何をしなければならないのかではない。

 少年は、自分が何をしたいのか、もう迷わない。

「………………………」

 タマリとアンの確かめるような視線に晒されて、それでもドレイクは渋い顔でミナミを見つめたままだった。

 こちらは答えを迷っているのか、それとも、全力でミナミを停めたいのか、顰められた眉と冷たい表情からは、その複雑な胸の内を窺い知る事は出来なかったけれど。

「参考にもならねぇ意見だとは思うんですがね…」

 探り合う不穏な空気に、デリラの独り言みたいな呟きが被る。

「おれぁ、ミナミさんがアリア・クルスに会うっての、必要なんじゃねぇかと思うんですよね」

 椅子の背凭れに身体を預け、伸ばした片腕をテーブルに置いたデリラは、自分の指先を据わった目付きでじっと見つめ溜め息のように続けた。

「タマリじゃねぇけど…現実だしね、どれもこれも。だったら、今避けて通ったって、いつかは対決しなきゃなんねぇでしょ。目の前に実際居るモンだしね」

 彼は、存在している。

 ミナミは、存在している。

 この、閉鎖された空間で。

「あの女医さんにも色々言われたけどね…。

 ね、ダンナ。

 おれたちこそ、アリア・クルスに会って確かめなきゃなんねぇんじゃねぇかね」

 指先に据えられていたデリラの視線がすっと持ち上がり、ドレイクの横顔を射る。

「ミナミさんとあの若いモンは、別人なんだよね」

 即答しないドレイクの心情も、判らない訳ではない。もしまたここでミナミに何かあったならと思うと、ぞっとする。救う事さえままならず、距離を取ってただ見ているだけしか出来なくなった時、果たして周囲は、それに耐えられるのか。

 だが…。

「正直言わせて貰えれば、俺には、どうしてこうもミラキがごねてるのか、さっぱり判らないんだがな」

…しかし。

 ヒューはわざとのように溜め息を吐いてから、ばさばさと金属質な銀髪を掻き回した。

「ミナミは会うと言う。なら、好きにさせてやればいい。それでもし何か不都合が起こったとしても、…………そうだな…、誰もガリューにはなれないが、ガリューが戻るまでミナミの手を握っててやれるヤツは居るだろう?」

 居たはずだ。

 ミナミが、その手の暖かさを覚えた人が。

 それっきり室内には重苦しい静けさが戻り、クラバインが再度現れるで、誰も口を開こうとしなかった。

  

   
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