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17.フレイム

   
         
(2)幕を、引く(開始-2)

  

 明日の事は明日考えて、とりあえず今日の事を片付けようと溜め息ひとつで気分を戻したブルースが、細長い廊下から元居た真白い空間へ舞い戻る。

 と?

「んにゃぁ。やっぱダルちーのベーグルサンドはんまいわぁ」

「っていうかなんであんたがここに居んですか、タマリさん!」

「ん? だって、お仕事終わったんだもん。上の」

 と、床に広げた質の悪い絨毯に正座したタマリが、暢気に楕円形のベーグルサンドをぱくついていた。ちなみに今日のランチは、特別官舎料理番ダルビン・トウスのお手製弁当で、サラダ・ベーグルとハム・ベーグルに冷めても美味しい冷製スープ、アプリコットジャムをふんだんに使ったタルトとミント・ティーというデザートまで付いた、なかなか豪華なものだった。

 まふ。と絶妙な食感のベーグルにかぶりついたタマリの黄緑色をブルースの背中越しに眺め遣り、わざとのように大袈裟な溜め息を吐く、ヒュー。ただでさえ今日は完全武装で装備が重いものだから、この平和な昼食風景を目の当たりにして感じる疲労が普段の三割増しだと思う。

 どう考えたって最初(はな)から昼前に合流するつもりだっただろう事は想像に難くない。というか、それに気付かないほどヒューは自分を馬鹿だと思っていない。何せ、未だ準備中のランチが、ちゃんと人数分バスケットから出て来る。

 突発的に現れたはずのタマリと…。

「…君は、あれだ。迷惑な事は迷惑だとはっきり言った方がいいと思うがな」

 イルシュの隣でにこにこしながら冷えたスープを啜っている、アンの分まで。

「てへへ」

 白い光に溶け込みそうな色の薄い金髪と、小さな顔。隣のタマリも肌の色だけ見れば似たようなものだが、毛先の派手に跳ねた黄緑色のショートボブと色褪せたペパーミントグリーンの瞳で飾られた少女のような風貌が、微妙に煩い。

 いや、中身の問題か。とヒューは再度溜め息を吐き、車座になったタマリたちの脇を通り過ぎた。

 その、奇妙に重たい靴音にアン少年の水色がきょろりと動いて、背後を行き過ぎる漆黒を窺うように右から左へと動く。

 その訝しそうな気配に気付いた訳でもないだろうが、タマリも奇妙な顔でヒューを振り返った。注がれる視線の放つ疑問符を無視した男は、イルシュの差し出した食事を断って、タルトを一切れだけくれと言う。

 分厚い黒革の手袋を腕にがっちりと固定したベルトの金具を指で弾いて、いかにも重々しい金属音を響かせながら。

「じゅーそーびだねん、ヒューちゃん」

「特注の篭手と長靴だ。金属繊維製でバカ重い」

 最初の会議で武装許可をくれるなら自ら第七小隊の護衛に着くと言ったのだから、誰もがその、いつもと少々違う銀色の装束に何か理由があるのだろうとは、思った。しかしちょっと見では、金具で固定された肘まである長手袋と普段のものより相当分厚い底の編み上げブーツという、武器を携帯した痕跡のない姿に拍子抜けしたものだが。

 簡易機材を詰め込んで来たボックスに寄り掛かったヒューは、頭の後ろで綺麗に括られた長い銀髪を軽く手で払った。これまた、いつもならぞんざいに流しっぱなしのそれをきっちり纏めてある理由はなんだろう、とアンは、イルシュの用意したタルトとミントティーを小さなトレイに載せながら首を捻る。

「そっか。ヒューちゃんなら、別に武器とかさ、そゆのなくってもへーきなんだもんね」

 打撃が重い、または防御(ガード)が硬いだけで凶器なのだ、この男の場合…。

 ずずーーっ、とはしたなくも(?)盛大に音を立ててスープを啜るタマリの小さな背中に、ヒューが溜め息を吐きつけた。

「攻撃する事だけを考えるならな」

「ヒューさん、でも護衛なんですよね?」

 勢いなのか、床にあぐらをかいたヒューの膝元にトレイを置いて、ついでにちょこんとその場に座ったアンが不思議そうに水色を瞬く。

「今回は、護衛というよりも前衛だよ。もしここで例の機械式なり魔導機なりが出て来た時、俺に出来るのはせいぜい第七小隊の皆様方が無事距離を取るまでの時間を稼ぐ事くらいだ」

 逃がすだけだと、ヒューは言う。

「無茶苦茶じゃね。なんつか、死んでこーい、みたいな感じ」

「だがしかし、考えようによっては上層部がスレイサー衛視の実力を適正に買っているとも言える。あなたなら、我々を安全に逃がし尚且つご自分の身も守れると」

「それも…微妙だがな」

 ヒューは、苦笑を漏らしつつ外した手袋をアンと自分の間に投げ出した。ばさ、とか、どさ、みたいな重量感のある落下音に、アンがきょとんと目を見開く。

 今何か、物凄い音が…したような。

「でも、おれたちだって自分の身くらい守ろうとするもん、一から十までヒューさんに守って貰わなくちゃーってワケでもないよね」

 ケインの傍らにちょんと座ってベーグルサンドをぱくついていたイルシュが小首を傾げ、しかし、ヒューはそれにも苦笑を漏らした。

「申し訳ないが、有事の際はそういう「余計」な事を考えずにさっさと尻尾を巻いて逃げてくれ。俺の寿命が縮む」

 言われて。まるっきり迷惑そうに吐き付けられて。実は口に出さないまでも危険には自己防衛で対処しようとしていたウロスとケインが、微か、不快そうに眉を寄せる。

 その、俄かに漂い始めた不穏な空気を汲み取って、ヒューの傍らに座り込んでいたアン少年が困ったように肩を竦めた。

「うーん。まぁ、ヒューさんの言いたい事は判るんですけど。いや、ぼくは実際そういう事態に遭遇した訳ですし、その時、ヒューさんがどういう行動を取ったのか知ってますからね? でも、ウチの班長じゃないんですからもうちょっと人当たり良くしましょうよ」

 ベーグルを包んでいたナプキンをかさかさと開きながら溜め息混じりに言われて、ヒューがいかにも渋い顔をする。

「申し訳ないと言ったぞ、俺は」

「取って付けたみたいに言ってもダメです。言い飽きましたが、誠意が全く感じられません」

「じゃぁ何か? いかにも切実に訴えればいいのか?」

「そういうヒューさんも見てみたいですけど、結果の違いがあるとは思えませんね。だからそれもダメです」

 清々しいほどばっさり言い返されて、思わず、ヒューは唸った。

「…つかよ」

 で、なぜか、食事の手を休めて言い争うふたりを見ていたタマリが、柄悪く、溜め息のついでみたいに呟く。

「ヒューちゃんて、アンちゃんに頭上がらないのん?」

「………」

 一瞬、場が水を打ったように静まり返る。

 注がれる最高に居心地の悪い視線に、アンの肩が威嚇されて怯える猫みたいに跳ね上がり、ヒューまで少年の引き攣った横顔を見つめてしまった。

「そそそそそ、そんな訳ないじゃないですか! ヒューさん、誰に対しても同じに偉そうなんですよ!?」

 いや、それはこの場合関係ないだろう。

 そして少年、なぜかプチパニック状態。

 手にしたベーグルサンドを潰してしまうほど握り締めたアンがあたふたと言い訳するのをちょっと面白そうに見遣っていたタマリが、にやり、といやーな笑いを少女っぽい顔に浮かべる。

「ヒューちゃんは何か弁明ないの? アタシにさ」

「ない」

 うわ、それって男らしいのかなんなのか微妙。とイルシュとブルースが顔を見合わせ、ジュメールが俯いて吹き出す。

「…ないというか…」

「ヒューさんはもう余計な事言わないでくださいっ!」

 それでヒューはわざとのように「はい」と神妙に答えて押し黙り、ついに、ケインとウロスも相好を崩して笑った。

            

        

 笑い疲れたタマリと笑われ疲れたアンは結局、小一時間程周囲を騒がせてから、重い腰を上げ王城エリアに帰る支度を始めた。

 どうせ先に戻るのだから空になったバスケットを持ち帰ると少年が言い、第七小隊の少年たちと供にきゃぁきゃぁ言いながら片付けする姿を、タマリが少し離れた場所から目を眇めて眺めている。その横顔をいっとき見つめ、ヒューはまたあの手袋を嵌めながら黄緑色の傍らに移動した。

「それで? 安心したか?」

「んにゃ? ああ…、まぁね。つうか、ヒューちゃん、気付いてたんだ」

 小さく肩を竦めながら舌を出したタマリのつむじをちらりと見下ろしたヒューが、答える代わりにわざと吐き出すように笑って見せる。

 それきりなんの反応もないのに顔を上げた黄緑色が不満そうに鼻を鳴らし、いけ好かねぇヤツと呟いて、すぐ、戻る視線の先には少年たち。

「自分の仕事を放り出して来るほど、あの子たちは頼りなくないと思うがな、俺は」

「そゆ問題じゃないでしょ。アタシは、単にあのコらが上手くやってるのかなーって、ちょびっとだけ気にしてただけだしぃ。それに、自分のお仕事はちゃんと終わらして来たもん」

 頬を膨らませてぷりぷり怒ったフリをするタマリにげんなりしつつも、ヒューは締め終えたベルトの具合を確かめるように何度も手を握ったり開いたりしてみる。

「今はお付の者どもが天幕の内部調査してるトコだよ。つっかさ、さっきのヒューちゃんじゃねーけど、ルードだけでなくくーちゃんにまで、どっか遊びに行っててくださいとか言われたんだけど、アタシら」

 くーちゃん? と片眉を吊り上げて一瞬妙な顔をしたヒューが、すぐ納得したように小さく吹き出す。ヒューを護衛に付けた第七小隊本体は当該施設の詳細測量と内部調査が今日、明日の仕事だが、頭の上にでんと鎮座しているサーカス天幕は、測量と索敵をタマリとアン少年が、内部の捜索は特務室精鋭に任せられており、制御系魔導師おふたりにはそれぞれルードリッヒとクインズを貼り付けておいた…はずが…。

「というか、あいつらは任務を放り出して何をやってるんだ」

 その貼り付けに追い払われたとは、どういう事なのか。

 渋い顔でぼそりと呟いたヒューを、タマリの枯れたペパーミントグリーンが振り仰ぐ。

「本隊忙しそうだからさ、そっち手伝いなよって言ったの、アタシとアンちゃんが。ざっと見あぶなそーな形跡なかったし」

「俺が連中だったら、二回も踏み込まれた場所にいつまでもぐずぐずしてない。だとしたら、向こうも既にここを放棄してとこかへ潜んだだろうからな」

「実際アタシらが調べんのは、捨てられたアジトから連中の足跡探す事だからね」

 と、タマリは暢気に言ったが、ヒューはそれだって疑わしいと内心苦笑を漏らした。正直、今自分たちのやっている事は…。

          

 あの悪魔がこの世にましまし、いきなり「それでですね」と言い出した時、「ああ、それは判っている」と答えるための、ただの確認作業に過ぎない。

           

        

ご苦労お察しします。

        

          

「別に、お前とアンくんを好きにやらせても問題ないんだろうしな」

 というか。

「下手に上で騒ぎがあったとしても、傍にいなければ被害は拡大しないか…」

「だからさ」

 ヒューの漏らした失礼な呟きに、タマリは黄緑色の眉を殊更険しく吊り上げた。

「しつこいよ、ヒューちゃん。それ、なんでなのさ」

 守るべき人は、傍に居ないで下さい。…?

「お前たちが、「守られる」のに慣れてないからだよ」

「はにゃ?」

「そのくせ「正しく護身が出来ない」から、やり難い」

「にゃにゃ??」

 きょと、と見開かれたペパーミントが見上げるのは、いつ何時でも涼しい表情の崩れない、銀色。

「…守る者に守ろうとする心構えがあるように、守られる者にもその心構えが必要だ。なのにお前たち…魔導師ときたら、無防備なくせに大人しく守られようとしない。確かに、陣を張り魔導機を呼び出せば俺たち…守ろうとするもの以上に「強い」かもしれないが、それまでの一瞬は酷く脆弱だ」

 何もせず、たた立ち尽くすだけの、魔導師たちは。

「せめて身を守ってくれればいいものを、それさえしない」

 だからどうせならちょっと離れた場所に居てくれた方がいいとは相当乱暴な話だが、正直、ヒューでさえそう思う。

「身を守れないなら離れていてくれ。そうすれば、騒ぎに気付いて戻る前にカタは付ける。例えば今サーカスで何らかの攻撃行為を受けた場合、お前とアンくんがそれに気付いて戻るまでに、ルードたちは綺麗に危険を片付けて、「おかえりなさい、お怪我はありませんか?」と言うだろう」

 例えば自分が、立ち上がれないほど傷ついても。

「保身と護身は別だ。保身は時に浅ましいが、護身は、正しく自らの身を護る事で守ろうとする者を助ける意味を持つ」

 それもまた、方程式。イコールで繋がれた、右と、左。

 頬に注がれる唖然とした視線に苦笑をだけを返したヒューは、空のバスケットを下げて近付いて来たアン少年に軽く手を振り、その場を離れて行ってしまった。

「? どうしたんです? タマリさん。そんなびっくりしたような顔しちゃって」

 タマリのぱちぱちと瞬く密集した睫が、本当に微風を巻き起こしそうな気がする。

「説教されちゃったん」

「ヒューさんに?」

「うん。あ、いや、でも…、ありゃ説教ってよりは…」

 もしかしたら。とそこでタマリは、遠ざかって行くヒューの背中をきょとんと見送るアンの横顔を見て、ふと口の端を綻ばせた。

「いかにも切実に訴えられたのかも、ね」

 さ、帰ろ、と軽く背中を叩かれて、アンはしきりに首を捻りながらも、踵を返して歩き出したタマリを追いかけ、小走りにその真白い空間から廊下へと引き返した。

  

   
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