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17.フレイム

   
         
(13)絶対時間(同時進行)

  

 <電脳魔導師隊地下演習室>

「…消え…た?」

 瞬きの合間を縫って綺麗に消失した光。一瞬の出来事に、それまで顔の前に腕を翳して硬く目を閉じていたドレイクが瞼を開き、腕を下ろしながら天井を睨み、唸る。

 まさか、失敗…?

「タマリ!」

 ローエンスの切迫した悲鳴に慌ててフィールドの中央に視線を戻したドレイクたちが見たのは、床に倒れたタマリの小さな身体に駆け寄る二人の背中だった。誰よりも先にその場に到着したローエンスが抱き起こした黄緑色は額に脂汗を浮かべてぐったりとしており、意識がないように見える。

「すぐ医療院に運べ、ローエンス。ドクターは既に待機させてある」

 床に投げ出されていた華奢な手を握ったグランが言い、うろたえるローエンスに力強く頷きかける。ほとんど一昼夜かけて法外な占有率を使用するプログラムを構築したのだ、さすがのタマリでも立ってはいられなかったのだろう。死人のように蒼褪めた小さな顔、細かく痙攣する瞼をローエンスは、まるで誰にも見られてはいけない大切なもののように、胸に抱きかかえて立ち上がった。

 彼らは、家族を亡くしたタマリの「親たち」だった。枯れ行く笑顔で全てを覆ってしまったタマリ・タマリという魔導師の変遷を、ただ、何も出来ずに見守るだけの。

 そうではないと、ずっとタマリを見つめて動かずに居たミナミは思った。

 彼らは、枯れ行く彼をただ見ていたのではない。拒絶する彼に拒絶され。偽ろうとする彼に騙されたような顔をして。彼が目を閉じ、本当に誰かの手が必要になった時こそ、彼らは。

 誰よりも先に彼を抱き締め、例えばそれが間違った方向だったとしても、彼が望む通り生きて行けるようにと、笑みを、あの終わって行く笑みを、枯れ果てて疲れ果てた笑みを取り戻すまで、ずっとああしているのだろう。

 タマリを抱き締めた、笑う事を忘れたローエンスの横顔と、細い手を握ったまま傍らに寄り添ったグランの背中に、ミナミは…ふわと微笑んで見せた。

          

       

 世界は、データ、なんかじゃない。

 世界は、文字列、なんかじゃない。

        

 世界は、善悪も好きも嫌いも正も負も抱えた、真円の描くひとつの「球」。

          

        

全てのひとよ、うらむなかれ。

       

          

「…………」

 す、と肩まで腕を上げたミナミが何か指差して呟くように唇を動かす。それとほぼ同時、タマリを医療院に運んで行きかけたグランとローエンスのうち、一歩踏み出したグランがその場にがくりと膝を折ってしまった。

「大隊長!」

「おじさま!」

 意識を失くしたのではなく、軽い眩暈のようなものだったのだろう、グランはしきりに瞬きしながら頭を振り、駆け寄ったドレイクとアリスの差し出した手をやんわりと断って、自身の足で立ち上がった。

「……ミナミくん…」

 そして、旋回した深緑が、佇む青年を睨む。

        

        

<同時刻、電脳魔導師隊第七小隊執務室>

 つい今しがたまで大気に混じっていた奇妙な電圧が刹那で消え去り、執務室のソファで落ち着かない気持ちを持て余していたスーシェが、色の薄い瞳で向かいに座るブルースを見つめた。

「…感じる?」

「切れたというよりは、吹っ飛んだ感じです。強制的に切断された?」

 もしかして失敗したのだろうか。見た事も聞いた事もない複雑なプログラムを稼動させたタマリも気になるが、同時に、失敗した時のミナミの落胆も気に掛かるのだろうスーシェは、細い指を顎に当て、難しい顔で眉を寄せた。

「……演習室の傍まで行ったらだめかな?」

 今朝から何度も執務室のドアに近付いては溜め息を漏らしていたイルシュが、ぽつりと呟く。少年は、何もないドアの表面をじっと琥珀の瞳で睨み、らしくない、妙に大人びた顔を見せていた。

「待ってるだけって、辛いよ」

 弱々しく掠れた声。

 自分のデスクに着いて緊急通達に備えていたウロスが目を閉じ、ソファの肘掛に腰を下ろして腕を組んでいたケインが顔を上げた、瞬間。

 ドアの前に佇むイルシュが。

 ソファに座して眉間に皺を寄せていたスーシェが。

 部屋の片隅の床に膝を立てて座り込んでいたジュメールが。

        

 同時に瞬きした。

        

「スゥ小隊長!」

 弾かれたように顔を上げたジュメールと振り返ったイルシュに強い視線を送られたスーシェが、颯爽と立ち上がりながら叫ぶ。

「ウロス! 大隊長及び特務室に通達!」

          

        

<同時刻、電脳魔導師隊第九小隊執務室>

 今日はひとりで居たいと告げて小隊長室に篭ってしまったイムデ少年を心配してなのだろう、メリル・ルー・ダイ事務官は何度も椅子から腰を浮かせては、きゅと眉を寄せまたぽとりとそれに座り込む。暫く黙ってその様子を窺っていたベッカーは、ついに大仰な溜め息を吐いて、デスクに両肘を置いたまま短い癖毛を両手で掻き毟った。

「あー、もー。落ち着かねぇなぁ!」

「……、すみません…」

 突如上がった苛立ちを含む声に、メリルが薄い紫の双眸を伏せて頭を下げる。

「いや…、お前じゃなくて、オレが落ち着かないんだって。なんかこう、頭の後ろの方がもやもやしてて、どうも居心地悪いんだよ。まぁ、足元から妙な空気がガンガン来てたんだからしょうがないんだけどな? それも途切れちゃってさ…」

 突如、さっきまで大気に満ちていた電圧がふつりと消失し、ベッカーは急に不安になった。

 果たして特務室は何をしているのか。ここ十日ばかりの間、第七小隊の連中は執務棟を駆け回り、衛視が頻繁に地下演習室に出入りし、小隊長であるイムデ少年は塞ぎ込んだきりで、全魔導師には待機が言い渡されていた。それで、今朝になって強制登城命令が出て何事かとすっ飛んで来てみれば、臨界への完全接触禁止の通達だ。これで落ち着いていられる訳がない。

 ヤケクソになってがしがし頭を掻きながら、ベッカーはなんとなく立ち上がった。本当に、なんとなくだ。正直、なんで立ち上がった? と問われても、答えはない。

 しかし彼は立ち上がり。

 小隊長室に爪先を向け。

 刹那、沈黙していたドアが内圧に負けて弾けてしまったかのように開け放たれ、蒼褪めたイムデ少年が転がり出て来たではないか。

「っとおっ!」

 前のめりに転びそうになったイムデを危うい所で抱き止めたベッカーの腕に、少年がすがり付く。

「って? 一体…」

「メリ!」

 少年は、普段の気弱そうな気配など微塵も感じさせない力強い声で部下の名を呼びながら、支えるベッカーの腕を突き放して、メリルを睨んだ。

「大隊長及び特務室に通達!」

           

        

<同時刻第七エリアシステム制御室>

 纏まらない思考。覆い被さるように取り囲む機械装置の只中で、ヘイゼン・モロウ・ベリシティは深く嘆息する。

 何を持って解決とすればいいのか判らない事象。

 問題は問題を呼び集め、最早身動きが取れない。

 苛立ちを隠さない冷たい剃刀色の瞳を隠すように、ヘイゼンはゆっくりと瞼を下ろそうとした。

 が、しかし。

 ふ。と「感覚が戻る」。

 無意識に、自分の胸の辺りを触ってみる。見下ろしても何もないと判っているのに、つい、指先を凝視した。

 纏まらない思考。

 意味不明の苛立ち。

 刹那で消えたそれに返った答え。

 ヘイゼンは、胸に置いていた手を下ろして薄く微笑むと、回転椅子から腰を浮かせた。

 技師を現すクリーム色の長上着。似合わないそれのポケットに手を入れて携帯端末を取り出しながら、足早にシステム室を後にする。

「? ヘイゼン技師、どちらへ?」

 廊下で待機していた作業員に問われ、彼は軽く手を挙げた。

「暫し留守にする。管理システムに異常が発生したら端末に連絡を入れ給え。一時収監命令を実行し、本丸特務室へ行く」

 ヘイゼンは常と同様に笑顔もなく、淀みない歩みのまま細長い廊下の先を目指した。

           

       

<同時刻王都警備軍特別防電施設>

「……あ…」

 決まり事になっている健康状態の聞き取りに訪れていたステラ・ノーキアス女医は、脈拍を取ろうとして伸ばした手を、反射的に引っ込めた。

「なんだ? おかしな声を出すな」

 本気で驚いてしまったのを隠すようにますます不機嫌に言い放ち、再度、目前に座る青年の細い腕を乱暴に掴む。

 一度は中空に投げられた青が垂直に下がり、明るい橙色の短髪を見つめる。

「…始まった…」

 言われて、ステラは顔を上げた。

「始まった?」

 怪訝そうに聞き返した彼女の正面に座る、青年は。

「違うか。戻った? つうのかな」

 当初に比べて随分打ち解けたように短く言い、薄い唇を皮肉に歪めて見せた。

 アリア・クルス。天使への妄執が産んだ「人」。

「何が戻ったんだ?」

「あんたには判らないもの」

 自分の腕を取るステラの手を見ながら、アリアが小さく呟く。

「お前は、わたしと会話したいのかわたしを怒らせたいのか、どっちなんだ?」

 ぶつぶつ文句を言いながらシャツの袖を捲り上げたステラの俯いた顔に視線を移したアリアが、小さく息を吐く。

「…今は、あんたが居てくれてよかったかもって、そう思ってる」

 言われて、ステラがさも驚いたような顔を上げ、アリアを見つめた。

 掴んだ腕が、震えている。これは、恐怖だ。耐え難い恐怖。ステラが無言で青年の手を握ってやると、彼は綺麗な金髪を揺らして俯いた。

「もし、今、ひとりだったら、俺は、………」

          

       

<同時刻…臨界>

 再来する最凶最悪。

 降臨する悪魔。

 燃え盛る炎は。

         

「ごきげんよう、グロスタン・メドホラ・エラ・ティング。次は、現実面でお会いしましょう」

       

 全てを「全て」の始まりへと導くために、全てを、燃やし尽くす。

 終わりと。

 始まりと。

 継続を。

        

 始まる。

  

   
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