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17.フレイム

   
         
(15)女王(少女)

  

 刹那の睨み合いを経て薄く微笑んだミナミが、モニターの向こうで頷く。それに緊張した笑顔を返してからルニは、表情を引き締めて気概を漲らせ、唖然としているクラバインに向き直った。

「クラバイン、本システムの登録順位を今すぐ変更。天蓋を開ける準備に入って」

 つい数分前に見せた驚きも不安も綺麗に拭い去った少女が、鋭く言い放つ。

「マーリィ、礼装の支度を。兄上への報告が済んだら、すぐ本システムに入る」

 告げられてではなく命令されて、しかしマーリィはいつもと同じにふかりと微笑み、小首を傾げるようにして一礼するとすぐ踵を返して、奥へ続くドアへ吸い込まれて行った。

「姫様!」

 そこでようやく意識が正常に戻ったのだろうクラバインが、慌てて椅子から腰を浮かせ、マーリィに続いて退室しようとしたルニに駆け寄る。

「クラバイン」

 少女は、ノブに手を置いたままドアの一点を睨んで呟いた。

「レジーを愛してる? マーリィとアリスを、大切だと思う?」

 問われて、クラバインは言葉に詰まった。

「ジルには、好きな人は居る? 友達を失くしたくないと思う?」

 黒い癖毛と、小さな顔。つい数ヶ月前まで「普通の少女」だったルニは、しかし、この都市を継続させるために産まれた、正真正銘の「女王」だった。

「マーリィに聞いたの、アイリーは、ガリューが居るこの都市を愛してるって。母上の言う難しいお話は少ししか理解出来なかったけど、アイリーの事を聞いて、それならわたしもこの都市を守ろうって、全てを守ってあげようって」

 家族、友人、知人…。そういう判り易いものだけではなく、都市の全てを守るための「大前提」は理解出来ないと、少女は始め思っていた。

 しかし。

「好きな人や大切な人が好きで大切だから、「今」を守りたいって、そう思うって、わたしね? 心が広いからじゃないんだって、アイリーを見てて思う」

 天使は。

「アイリーは我侭なの。ガリューにだけ居て欲しいの。結局自分がしあわせになりたいの。そのために、ガリューを今取り囲んでるものが欠けて何かのバランスが崩れたらダメだから、全部を、守りたいだけ」

 最強最悪。

「それでいいわ、判り易くて。だからわたしも、そうする」

 好きな人や大切な人が好きで大切でなくなって欲しくないから、少女は都市を継続させようとする。

「惑星の女王だかなんだか知らないけど、喧嘩してでも、助けて貰うんだから!」

 わざとのように明るい声で言って、少女は、いつもの気の強そうな笑顔を、呆然とするクラバインとジリアンに向けた。

           

        

 険しい表情で私室に訪れたルニの発言が脳に行き渡るまで、無駄に出来ないはずの時間をどれだけ消費したのか…。

 少女は、今日もまるで少年のように白いシャツと黒いスラックスを合わせ、底の薄い室内履きで足元を飾っていたはずだった。つい、今しがたまで。それが、話があるからと王の応えも待たず勝手に入室して来たのを咎めるためにドアに顔を向け、そこで王は、凍り付いてしまったのだ。

 高い襟と袖の折り返しを鮮やかな蒼い縁取りで飾った、白いドレス。ドレスとはいえレースなどの壮麗な装飾があるでもなく、所々に縁取りと同じ蒼いラインの走ったそれは、間違いなく「礼装」と呼ばれるものだった。

「兄上」

 少女がさきまでの幼い口調を棄てて言い、ようやく黒い瞳を瞬く、王。

「本システムにはわたしが入ります。兄上は、アイリーのところへ行ってあげてください」

 十四歳の癖っ毛の姫君は、見えない宝冠を頂いた頭部を少しだけ傾げるようにした。

「…それは出来ない」

「兄上!」

 ルニが私室を訪れるまでの短い時間に、王はクラバインから、ミナミが全て解決出来ると言ったという報告を受けている。だからこそ「全て」を青年に任せ、青年が「全て」を解決するまでの時間を確保しなければならないと王は、クラバインに前女王、キャレ・アリチェチェリ・ファイランV世を本丸システム待機室にお呼びするようにと命令しておいたはずなのだが。

 そのクラバインは、私室のドアを塞ぐようにして立っていた。傍らには、淡い紫色の質素なドレスを纏ったマーリィも控えている。

「ルニ、これは訓練でもなければ遊びでもない。今この瞬間も都市は少しずつ降下し、機関部と駆動部では異常事態が継続している。判るだろう? ぐずぐずしていては、都市が地表に叩き付けられてしまうんだぞ!」

 細い眉を吊り上げた王に叱責されても、少女は頑なに首を横に振った。

「だからわたしが行きます! だから、兄上にはアイリーの所に行ってあげて欲しいんです! 兄上こそ、どうして判らないの?

 アイリーが不安じゃないなんて、本気でそう思ってるの!」

 感情的ながら悲痛さの感じられない、つまりは強い意志を漲らせて発せられた言葉に、ウォルだけでなく、クラバインとマーリィもはっとする。

 語らない青年。全て解決出来ると告げた無表情。少女に都市を任せると、微笑んでくれた天使。誰もがそれを疑わないが、果たして、ミナミは…自分を疑っていないのか?

 不吉な話。都市が終わる時、全ての人の命も終わる。しかし、都市が終わろうとするならば、ミナミは、永久に、彼を。

              

 あの、悪魔。

           

 取り戻せないまま、終わる。

「アイリーはみんなを助けてくれるってわたしと約束したの。だからわたしも、都市を守るって約束した。でも、それじゃぁ、誰がアイリーを助けてあげるの? ガリューが戻るまでの間、誰が傍に居てあげるの? スレイサーや…ドレイクだって確かに傍に居るけど、そうじゃないでしょう? 判ってあげて、お兄様。

 本当に不安なのは、ずっと…不安で泣きたくて叫びたくて、でも、それが出来なかったのは、アイリーでしょう?」

 全て封じ。

 周囲の不安も焦燥も苦しみも悲しみも全て引き受けて、言葉を閉ざすために、青年は。

 自らの全てを、封じた。

 だからこそのあの一日目だったのだろうと、今更ながらウォルもクラバインも思う。ひとり私室に引き篭もり、残された緋色のマントを抱いて、ミナミは何を想っていたのか。

 平然と振る舞う努力を必死になってしたのではないか? 自分が何かをしなくてはならないと判っていたから、周囲を不安にさせてはならないと考えたのでは? 途中でドクター・ラオを蹴り出した時ミナミは、つまり、酷く苛立っていたのではないのか?

 無理をするなと、ドクターは青年に言ったはずだ。

 それが、無理を承知で無表情を取り戻そうと躍起になっていたミナミの気に触ったのは、あまりにも当然だったのか。

 愕然とした表情で口を噤んだウォルから背後のクラバインに向き直ろうとして、ルニはふとマーリィの頭上で視線を停めた。

「……マーリィも、アリスのところに行ってあげるといいわ」

 ふかふかと微笑み続ける真白い少女にルニが向けた、どこか弱々しい笑み。それをマーリィは、目を伏せて首を横に振り、拒否する。

「お供いたします、ルニ様。断っても聞きませんよ? ミナミさんの傍に陛下が付いて差し上げるように、わたしが、ルニ様の傍に付いていて差し上げます」

 一度下りた瞼がすと持ち上がり、その下から、鮮やかな紅が覗いた。

「わたし、少しだけハルにいさまに感謝しています。「人」は一人では生きて行けなくて、必ず誰かに支えられて、誰かを支えているのに、時々判らなくなる。

 それを、ハルにいさまが、みんなに無理矢理思い出せと仰っているようで」

 恐ろしく、滅茶苦茶に、救いようなく、乱暴だけれど。

「…なんでも一人で出来るような顔してる癖に、アイリーがいないと全然ダメだものね、ガリューは」

 緊張感のないマーリィの台詞に誘われたのか、応えたルニの口元にも本物の笑みが戻った。

「クラバインは、兄上…」

 ようやく少女の黒瞳がドアを塞ぐクラバインに据わった途端、短いノックの音。まさかまた何か不都合でも起こったのかと俄かに緊張した室内を無視して、クラバインが無造作にドアを引き開ける。

「陛下をミナミさんの所へ送り届けなさい、エスコー。わたしは、姫様とご一緒に本丸展望室へ上がります」

 元より呼んであったのだろうルードリッヒが顔を出すなり、クラバインは何の説明もなくそう言い放った。しかしそれに驚くでもなく会釈したルードリッヒがドアの傍らに退去して、すぐ、クラバインがルニに向き直り頭を下げる。

「本システム接触順位の変更は既に通達済みです、姫様」

 それを見て、ルニは硬い表情で頷き、再度、呆然と佇むウォルを振り返った。

「行って参ります、兄上」

 颯爽とドレスの裾を翻して歩き出した少女の背中を、王は瞬きもせずに見つめていた。結局そうだ、自分は何も出来ない。ではない。王には、今だから王にしか出来ない事が、ある。

 行って、天使のあの白い手を握ってやろう。

 もしも全てが失敗し、最期の瞬間、最悪の結果が出たならば、思う存分泣かせてやろう。

 そして。

 全てが上手く行き、全てが在るべきように解決したなら、あの悪魔をこっぴどく叱り付けてやろう。

 それが、都市を守れぬ王の役目。

「ルニ」

 きゅ、と細い眉根を寄せた王は、今まさにドアから廊下へ出て行きかけた少女…未来の女王陛下…を呼び止めた。

「都市を、頼む」

 深々と頭を下げた兄を一瞬だけ驚いた顔で見つめてからルニは、黒い目を眇めて、晴れやかに微笑んだ。

「都市を、お願いいたします」

 そうしてふたりは、それぞれ進むべき方向へと一歩踏み出した。

  

   
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