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17.フレイム

   
         
(16)覚醒(フレイム-2)

  

 何か取り返しのつかない決心をしそうになっていたウォルの説得をルニに任せ、ミナミとヒューは再度目配せして今度こそ演習室を飛び出した。普段ならば非常階段を使うのが常のミナミがそこで迷わずエレベータに乗り込んだのを目にして、ヒューが背後を振り返る。

「0エリア閉鎖区画に行く。事情の説明はそれからだ」

 二人を追いかけてエレベータに乗り込もうとしたドレイクをやんわりと押し返し、後から来い、と申し訳程度に言い足したヒューの身体がボックスに滑り込むなり、ミナミは開閉ボタンを押し込んだ。ドレイクたちには悪いが、駆動部と機関部の異常を含めて情報を交換するには、彼らは少々邪魔だった。

「それで? 結局何がどうなってるんだ?」

 問いながら携帯端末を取り出したヒューに頷きかけつつ、ミナミが「応える」。もしかしてそれがただの強情ならそろそろ普通に喋る気はないのかと銀色は眉を寄せたが、そこでふと、物凄く今更な事に思い当たった。

『0エリア 地下 閉鎖された 人工子宮』

「もしかしてお前…、本当に声が出ないのか?」

 言われて、反射的に天井から射す人工の白い光を散らした銀髪を見上げたミナミのきょとんとした顔を、ヒューがあの冷たいサファイヤで覗き込んでいる。つうか本当にってなんだよ、本当にって…。と青年が内心突っ込みつつ、無意識に小さな端末へ送り付けていたのは。

『あほ!』

 という、素晴らしく捻りのない罵倒だった。

 それに苦笑を漏らしながら視線を逸らすヒューの端正な横顔を見上げたまま、ミナミの意識は既にそこから離れていた。考える事が沢山ある。あり過ぎて何をしていいのか戸惑うほどに。だからこそ冷静に、ひとつずつ順序良くクリアしなければならないと青年に教えたのは、間違いなく目の前の銀色だ。

 ハルヴァイトが消えて。

 ミナミが声を放棄して。

 それでもマイペースを崩さなかった、強固な意志は。

 そうかとミナミは思った。これも今更かもしれないが。

『ヒュー』

 個人宛の文字通信で名前を呼ぶ必要はないのに、ミナミはまるで常と同じにヒューの「名を呼び」、呼ばれた男は青年に視線だけを戻して、微かに片眉を吊り上げ小首を傾げた。

『動くなよ』

 小さなモニターに、文字列。これはデータだなとヒューは思う。口には出さないけれど。そしてミナミも、今の自分の言葉がデータでしかないと判っている。

 だから、彼には、データでない感謝の気持ちを。

 居てくれてありがとう。

 在ってくれてありがとう。

 恋人だけでなく、あなたの居る、あなたの想うこの都市を、必ず助けてみせるから。

 瞬きをやめたミナミのダークブルーに何やら不穏な(?)色を感じて、ヒューはそれをじっと見つめ返した。

 記憶する時間。

 ミナミは不意に、携帯端末を片手に握ったまま細い両腕を伸ばし、小さなボックスの中央辺りに佇んでいたヒューの首に回すと、なんの躊躇いもなく、ぎゅ、と抱き着いた。

 それには、さすがのヒューでも思考が停止する。頬に触れた金髪の先端がくすぐったいとか、予想以上に腕が細いとか、そういえば一番下の弟も何か嬉しい事があるとこうやってすぐ飛び付いて来るななどというまともな考えが浮かんだのは、軽いショックと共にエレベータが停止しミナミの腕が解かれてからだったけれど。

 ようやくヒューから一歩離れた青年が、どこか面白そうな無表情で、見開かれたヒューのサファイヤを覗き込む。大抵の事には動じない、本気で驚いても瞬きするだけの銀色が見せた無防備な表情に、つい、ミナミの面にも笑みが浮かんだ。

「……脅かすなよ、俺を…」

 ふうと嘆息しつつ広げた掌で顔を覆ったヒューがうな垂れ、ミナミは笑みを消さないままボックスから飛び出した。

 やっぱり恐怖だなとその時ヒューは思った。生き返った(?)ハルヴァイトが知ったら、半殺しくらいでは済まないかもしれない。

 その時どんな言い訳をすべきかうんざりと考えつつエントランスに踏み出したヒューの端末に、ミナミからの通信。

『閉鎖区画 人工子宮 莫大なエネルギー 必要としている』

「それは、ガリューの件と関係があるんだな?」

『再構築 出口』

 端的過ぎて判り難かったのだろう、ミナミに追い付いたヒューが小首を傾げる。

『臨界 データ の 人体 再構築

 超重筒 と 同様 の 働き 必要』

「…始まったばかりでいきなり最終段階という訳か。機関部の暴走稼動は、ガリューの仕業なのか? その…グロスタン・メドホラでなく」

 危惧すべき疑念をやや遠慮がちに告げたヒューを、ミナミが足早に歩きながら振り仰ぐ。

『それは ない

 グロスタン・メドホラ・エラ・ティング 現実面 干渉可能 しかし 自身 再構築 成功していない』

 ミナミが向かっているのは、なぜかエントランスのインフォメーションカウンターだった。半ば駆け込むようにカウンターに飛びついた青年に目で訴えられたヒューが、きょとんとしている事務官に場所を空けろと命令する。

 無理矢理カウンターから引っ張り出した事務官にどこかへ行けとヒューが言い終えるよりも前に、壁に設えられている告知版の内容が消去された。勤務状況や魔導機の稼働状況が点滅していたモニターに、先の続きなのだろう文字列が猛烈な速さで表示される。

『人体時計の示す「絶対時間」を臨界側で確認出来ないグロスタンは 理論を知っていても その「時間」という要素不足のために自身を現実面で構築する事が出来ない

 多分あの人は最初からそれを知っていて だから 俺の「記憶」を臨界側から観測する事で「絶対時間」の正確な進行を計り 且つ 俺の記憶に倣って自分の身体に「絶対時間」の経過を書き込み 再構築しようとしている』

 そんな事が可能なのか、という無駄な質問を、ヒューはしなかった。

『人体の再構築には莫大なエネルギーが必要 だから 今 機関部が暴走状態でそれを造っている

 臨界でグロスタンと接触しているだろうあの人が 自分の計画に沿わない他者の行動や抵抗を許すとは 思えない』

 だからこれはハルヴァイトの計画のうちであって、グロスタンの計略ではないだろうとミナミは言う。

「…なら、機関部はガリューが「戻る」まで暴走し続ける?」

『と 思う』

 それでは、結局都市が落ちる。

『正直 ファイランの行く末自体は ルニ様にお任せするしかない

 俺たちに出来るのは 一刻も早く機関部を正常に復帰させて 駆動部にエネルギーを供給させる事』

 ではそのために何をすればいいのか。ヒューは無言で頷き、目だけでミナミに続きを促した。

『0エリア閉鎖区画の構造を再確認 人工子宮を開放する』

 言えばたったそれだけかもしれない。

「…厚さが二千ミリ以上もある鋼鉄の箱を取り払ってか? しかも、内側は高圧だぞ…」

 グロスタン・メドホラ・エラ・ティングが成長しないまま眠り、幽閉されている人工子宮は、それそのものが厚さ二千二百ミリもある継ぎ目のない鋼鉄製の箱に閉じ込められ、グロスタンの発する臨界エネルギーの爆発を抑えるために、同等の重力を掛け続けられているのだ。

『確かに 俺一人では無理

 ヒューとふたりでも無理

 でも俺たちは 俺とヒューだけではない』

 告げて、ミナミはカウンターに肘を置いたヒューを見据えた。

 その不穏な睨み合いを遠くから響いて来る無数の靴音が遮り、続いた喧しい話し声がなかったものにする。そう、これは無駄な争い。悪魔がやるというのだ、天使もまたやるだろう。

 ならば。

 ヒューはミナミから視線を逸らして天井を振り仰ぎ、わざとらしく大仰に嘆息して見せてから一度は懐に仕舞い込んだ端末を再度取り出して、特務室で詰めているジリアンを呼び出した。

「全地下非常通路を開放しろ。いいか、全エリアだ。同時に0エリア収監の囚人を一旦全員どこかへ避難させ、エリアを無人にしておけ。

 それと、一般警備部にありったけのモビールを地下通路に運び込んでおけと通達。魔導師隊への指示が済んだら、車両庫に向かう」

『モビールですか?』

「フロート式より足が速い」

『……急いでるのは判りますけど、それではミナミさんが…』

 運転出来ないだろうと、モニターの向こうのジリアンが難しい顔をする。

「俺が乗せて行く」

 部下にはいかにも険しい表情で告げたにも関わらずヒューは、カウンターの中で硬直したミナミの、切羽詰った、ではなく、単純にびっくりしたような顔を窺ってから、なぜか、にーと意地悪く口の端を吊り上げた。

「アレがなかったら、俺だってこんな暴挙には出ない。ただ驚かされただけじゃなくて良かったよ、本当に」

 息を切らせたドレイクたちがエントランスに到着した時、こんな状況だと言うのに、なぜか、ヒューはやたら機嫌よくにやにやしていて、逆にミナミが赤い顔で必死に何かを訴えようとしているという、なんとも緊張感のない場面に出くわした。

           

           

 駆動部と機関部の暴走について、王はヒューとミナミ意外にその事実が漏れるのを拒否したが、結局、ミナミはそれをドレイクたちに打ち明けた。だから一刻もはやく人工子宮を開放し、全てを正常に復旧させなくてはならないと青年が言った時、一瞬蒼褪めたアンやアリスも、眉間に皺を寄せたドレイクも、難しい顔で黙り込んだデリラも、真摯な顔付きで頷いた青年を見つめ、硬い表情で頷き返す。

「なら膳は急げだな。0エリア閉鎖区画に移動して、分厚い鉄の箱をどうにかしねぇ事にゃ、何も始まらねぇ」

 確かにドレイクの言う通りだが…。

「ここの端末じゃ閉鎖区画の詳細は調べられないわ。執務室に戻ってる暇もないし、スゥのところの端末を使わせて貰っていい? ミナミ」

 言いながら既に踵を返して行動を開始しているアリスに頷きかけたミナミも、椅子から腰を浮かせる。

「でも、高圧なんですよね? そこ。いきなり箱をぶち壊したりしたら、爆発しますよ?」

 いかにもな疑問を口にしたアンを、ドレイクが振り返る。

「一旦エネルギーの供給を止めりゃいいだろ。そんで…」

 前方で交わされる会話。ミナミは反射的に傍らのヒューを見上げ、首を横に振った。

「ミラキ、それは出来ない。…のか? ミナミ」

 言われて、ドレイクから戻ったサファイヤに頷きかけたミナミが、苛立たしげに眉を寄せる。

 説明したいのだが、階段を駆け上がりつつ小さな携帯端末のキーを押すのは無理だった。どうすればいいものかと、仕方無しに足を停めようとした青年を、アン少年が振り返る。

「もしかして、そのエネルギーって、機関部から強制的に流入してるんですか?」

 うん、とミナミが頷く。

「ガリュー班長のプログラム?」

 また、うん、と首肯。

「…ったく面倒臭ぇ事しやがんな、あいつも…。じゃぁ、相殺重力でもぶつけて孔を開ける部分を保護、その状態で人工子宮を剥き出しにすりゃいいのか? つうかそんな無茶したら、実行した魔導師死ぬぞ」

 都市を運行する膨大なエネルギーが渦を巻いた空間。

 それをどうやって攻略すべきか、ドレイクは必死に考えた。

「………。ドレイク副長…」

 懐かしい第七小隊執務室へ向かう階段を駆け上がりながら、アンが沈んだ声で前方を走るドレイクを呼び止める。

「相手は、人体を再構築しようとするエネルギーですよね? それを必要としてるのは、人工子宮だけですよね? なら、逆にですよ? 周囲に漏れてるエネルギーを抑えるんじゃなくて、それも、人工子宮に供給したらいいんじゃないですか?」

 言われて、ドレイクは足を停めた。

「何だって?」

 高速で振り返り、且つ頭上から睨まれたアンが、心底慌てる。

「だって、その、ガリュー班長はエネルギーを必要としてる訳じゃないですか? それって、つまり人工子宮ですよ? なら、どうせなら、人工子宮から漏れるグロスタンの臨界エネルギーを抑えるために周囲に掛かってるエネルギーも、転嫁しちゃったらどうかなーって…そう思っただけですけど…」

 小さくなって、ミナミの、というか、その傍らに在るヒューの背後に隠れつつアンが言い訳する。

「おめーの言いてぇ事は判るがな、アンちゃんよ。実測したエネルギー率が、もし、実行する魔導師の稼動可能率上回ってたら、死ぬつってんだよ!」

 白い眉を吊り上げて怒鳴ったドレイクの横顔を見ていて、ミナミは気付いた。

 なんて遅いのか。どうしてこう自分はバカなのか。地下演習室のドアに打ち据えて血の滲んだままの拳を硬く握り締め、青年は前方のドレイクを追い越して第七小隊執務室に転がり込んだ。

「ミ…」

 先に通信を受けて待機していたスーシェたちが何か言うよりも早く青年がウロスのデスクに飛びつき、モニターを立ち上げる。執務室の壁に埋め込まれた大型のものに火が入ると、室内に居た全員がそれに注視した。

『だから機関部だった あの人には 臨界側から現存魔導師のエネルギーを搾取する事も可能 しかしそれでは 現実面の魔導師に被害が出る それを防止するためにあの人は わざと機関部からのエネルギーを正規のルートで人工子宮に供給した 発想は単純 制御系魔導師が人工子宮のエネルギー供給プログラム上限を書き換え 機械的問題は攻撃系魔導師が補う 内部観測出来れば それは あの箱をこじ開けなくても可能』

 人工子宮を囲む鉄の箱。その内部に渦巻くエネルギーを元通り機関部からの供給路に乗せろと、ミナミは言う。

「確かに、それが出来れば箱の内部は落ち着くな」

「でも今度は、人工子宮の方が耐えられなくて爆発すんぜ、班長」

「…ミラキ」

 睨んで来る曇天の瞳に朗らかな笑顔を向け、ヒューは小首を傾げた。

「中身は、全部予想済みだよ」

 中身。人工子宮の中身。中身は…。

          

 悪魔を身篭った鉄の子宮。

 悪魔は「母」を食い潰し、この世に舞い戻ろうとしているのか。

           

『もうあの内部は 設計書通りの人工子宮ではない あれは 臨界とこの世を繋ぐ経路(ルート)』

 ヒューの言葉を肯定するミナミの一言に、ドレイクが渋い表情で溜め息を吐く。

「それが出来るとして、んじゃ、俺たちはどうすりゃいいんだ?」

 諦め半分で腕を組んだドレイクが投げ遣りに吐き捨てると、なぜかミナミが薄く笑った。

『それを考えるのは ミラキ卿の仕事』

「…都合のいい時ばっか頼んじゃねぇよ…」

 方針が決まれば当然内容は配備に移る。

「0エリア閉鎖区画の詳細をモニターに表示するわよ、ドレイク」

 別の端末を使って0エリアを検索していたアリスが言うなり、ミナミの発言が左下に移動して、扇状のエリア図が中央に展開される。ドレイクは腕を組み、流れる文字列と回転する構造図を睨んで口を噤んだ。

 高速回転する頭脳。

「…イルシュ、ブルース…、おめーら、シンクロ陣立ち上げ状態で、他のプログラムは実行出来んのか?」

 顔も向けず唐突に問われて、イルシュとブルースが顔を見合わせる。

「シンクロ陣の立ち上げ訓練時には、簡単な索敵プログラムをイルシュ経由で稼動させたりはしました。ただ、何がどれだけ出来るかは…」

 当惑する赤銅色を振り返り、ドレイクは廊下を指差した。

「今すぐ大会議室行って、シンクロ状態で物質の変換プログラムと通常回路の変更プログラムを同時に稼動させる練習して来い、四十分だ。いいか? 待機時間を合わせて、同時にエンター。稼動開始誤差コンマ三以下、稼動に失敗したら死ぬと思え」

 その滅茶苦茶な言い分にブルースは抗議しようと眉を吊り上げたが、続いたドレイクの一言に、完敗する。

「俺ぁよ、出来ねぇヤツに無茶言わねぇんだぜ?」

 それまでの険しい表情を消し、肩を竦めて気楽に言い放ったドレイクの、鷹揚な笑顔。

「…行こう、ブルース。反省は、失敗してから!」

 いやそんじゃ反省する間もなく身体が吹っ飛ぶ。とうんざり突っ込みながらも、イルシュに腕を取られたブルースが執務室から飛び出して行く。それを見送る間もなく、ドレイクは赤い髪の美女を振り返った。

「アリス、エスト卿を医療院から呼び戻せ。会議室でちびどもの指示だ。スゥはイルシュの方、見てやってくれねぇか?」

 アリスの頭上から流れた曇天に頷きつつも、スーシェが首を捻る。

「最初から、ぼくとエスト小隊長でシンクロ陣を書く方法ではだめなのかい? ミラキ」

「シンクロ率の許容範囲が極端に厳しい。さっきミナミの行った通りにエネルギーを処理しようとする時問題になんのは、機械的強化と高エネルギーの供給開始が同時でなくちゃなんねぇって事だ。当然、高内圧下で作業するようになんだからよ、作業する魔導師に戻る負荷を最小限に抑えなくちゃなんねぇしな。だとしたら、無茶して慣れねぇシンクロ陣をスゥたちが書くよりも、元々そういう方向で訓練してたイルシュたちに任せるのが得策だろ」

 構築するプログラム自体はそう難しいものではないから、少年たちでも十分に足りる。

「イルシュとブルースが正常に空間を制圧出来れば、あとは二千二百ミリの鉄板か…。単純に考えるなら攻撃系魔導師に分解させりゃ済むんだろうが、さすがに、ものがデカ過ぎるな」

 少年たちが失敗するなど微塵も思っていないドレイクの口調に、ミナミは薄く笑みを零した。

 全てが高速で回転し始める。真円。信じる者は信じ、信じられた者はその信用に報いようとする。今都市は非常事態で、本当ならばうろたえて泣き叫んで不安を露にしてもいいはずなのに、誰も取り乱したりしないのは、なぜか。

 ではない。

 誰も、誰をも、疑っていないだけだ。

「ミラキ副長、その鉄の箱なんですけど、別に、全部を壊す必要はないんですよね?」

 ここでもまた、しんと黙り込んで何かを考えていたアン少年が顔を上げてドレイクの背中を見つめ、呟いた。

「どうなんだ、ミナミ」

 問いかけに一瞬首を捻ったものの、ミナミはすぐにキーボードを叩く。

『出口 あればいい 人が通れるくらい』

「? 箱はそんでもいいんだけどよ、人工子宮の出口も用意しなくちゃなんねぇんじゃねぇのか? だったら」

 あっちも壊すのか、というドレイクの呆れた溜め息を、ミナミは否定した。

『人工子宮からの出口は ミラキ卿に描いて貰う』

「…俺?」

 うん、と妙に子供っぽい仕草で頷いたミナミは、ポケットから一枚の紙片を取り出し、広げて顔の前に翳した。

 それに描かれていたのは、あの、燃える青緑色の炎。

『再構築が終われば あの人は自力で出口を作る その時必要になる 出口 というサイン 図版 どこかに焼き付けておけばいい』

 どこで見たのかドレイクたちにはさっぱり理解出来なかったのだろうその斑紋を見つめていたジュメールの紅玉色が、ふと細められた。

「……地下施設に在ったのと、同じ?」

 言いながらバックボーンでデータ領域にアクセスしたジュメールが、確信するように頷く。

「む ある うつろ ゲートウェイ 臨界面から現実面にアクセス 空間を繋ぐプログラム 出口の記号」

 全てはヒントだ。これほど多数のフラグを散りばめて、それが余りにも多過ぎて、最早どれがどのヒントなのか判らないほどの。

 それを正しく、どこでどう使うのか瞬時に判断出来るのは、ミナミだけ。

「んじゃぁ、人工子宮の方は置いといていいんだな。それで、何かいい事思いついたのか? アンちゃん」

 ミナミに手渡された紙片をドレイクの手に渡すヒューを目で追いながら、アンが頷く。今日はなんかこればっかりだな、と少年は暢気に思った。

「だったら、範囲を限定した金属表面を腐蝕させて、魔導機に掘削させたらいいんじゃないですか? ほら、ナイ小隊長の「クラウド」が、金属腐蝕ガスを使えるでしょう」

「他に被害を出さずに穴掘らせようって魂胆か。悪かねぇが、範囲を限定するつっても、ありゃ全方向に拡散すんだろ」

 さすがに、今からモデリングの変更を強制するには、イムデ少年の力量に不安がある。

「えーと、なんて言ったらいいのかな…、「クラウド」には一切触らず、放出方向だけを変えるんですよ。こう、「クラウド」を袋に入れて、一箇所だけ出口を作ってやって、その出口を直接壁に押し付けるような感じで」

 手で中空に丸を描いて、それを、ぎゅうう、と絞るような仕草をするアンに、ドレイクが何か薄気味悪いようなものを見る顔を向けた。

「対腐蝕ガスプログラムと空間限定プログラムを同時に立ち上げて、ふらふら移動する「クラウド」をその内側にとっ捕まえてか? タマリが潰れちまって、俺は出口を書くタイミング計ってんじゃ、人手が足りねぇよ」

「ナイ小隊長に事情を説明するなら、ラド副長にも協力要請出来ますよね? ぼくが「クラウド」を囲む素点を打てば、空間限定プログラムの面倒な下準備は殆ど省略出来ますから時間的短縮も可能ですし、そもそも、複数人でいっこの作業に取り掛かる際の競合調節もいりませんよ?」

 確かに、アンの言い分は正論だろうとドレイクも思う。

 ひとつの事柄を複数で解決しようとする時、競合するプログラムが誤作動を起こさないようにする準備が必要になる。しかし今アンの言った方法ならば、イムデ少年は勝手に「クラウド」を稼動させ、アンは勝手に任意の点を打ち、ベッカーは勝手にその点を繋いだ空間を外部から隔離すればいい。

「つかおめー、その素点はどうやって打つつもりだ?」

 問いながら、次の台詞を用意する、ドレイク…。

「そりゃ、「キューブ」に素点記号を発信させるんです」

「そんじゃ「キューブ」が腐んだろうがよ」

 片眉を吊り上げたドレイクの台詞が終わるのと同時、それまで0エリアの地図が回っていたモニターにでかでかと、こう、表示された。

<「キューブ」は硬質発泡ゴム製だけど? ミラキ卿>

「………」

 言われてドレイクがぽかんと口を開け、舌を出して肩を竦めたミナミは、ウロスのモニターの陰に隠れた。

  

   
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