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17.フレイム

   
         
(23)胎動(フレイム-4)

  

全ての準備は整った。

わたしに出来る事はもうなくなった。

後は、ただ待ち続けるだけだ。

恋人がわたしを待つように。

わたしもまた。

全ての人が全ての要素を正しく行使するのを。

           

わたしは。

          

恋人「だけ」にわたしを委ねたのではない。

          

        

 同行の兵士と警備部隊は、第二閉鎖ゲート直前まで下がらせた。その時、指揮官であるギイルにも後方待機が指示されたが、陛下とミナミの後ろに仁王立ちした彼はガンとしてそれを拒んだ。

 二千二百ミリの鋼板前に点在する、魔導師たち。その内側にあるという、ハルヴァイト。何も出来なくても、どうしようもないと判っていてもその場を離れないウォルとミナミを置いて、なぜ自分が後方待機を甘んじて受ける必要があるのかとギイルは言った。

「さすがに、こんだけ密集して陣なんか稼動させんだからよ、全員、エラーの覚悟はしとけ」

「まー、比較的通常と同じ使い方のアンとウチの小隊長はいいけどさぁ、第七小隊のチビども、だいじょぶなのかね」

 ミナミに近い場所を確保したドレイクが言うと、さも面倒そうな顔をしたベッカーががしがしと頭を掻きつつ答えて顎をしゃくる。その先には、壁の隅に背中を預けてちょこんと座り込んだタマリと、そのタマリとやや距離を取って向かい合うイルシュとブルースが居た。

「……大丈夫だろうよ…」

 ベッカーと一緒にその光景を眺めつつ、ドレイクが低く呟く。

 どこにも不安がない訳ではなかった。手馴れた作業を行う者も、慣れないプログラムを正確に構築しなければならない者も、全員が、極端に狭い範囲に密集して陣を稼動させ、且つ、二千二百ミリの壁の向こうでは桁外れにデカい陣が稼動しようとしているのだから。

 失敗するかもしれないし、しないかもしれない。

 成功するかもしれないし、しないかもしれない。

 どちらにしても、やると言ったらやるのだ。

「アリス」

「はい」

 タマリたちに向けていた顔を正面に戻しながらドレイクは、やや後方で観測機材を睨んでいた赤い髪の美女を、いつもより幾分硬い声で呼んだ。

「観測機材を全て停めろ、漏れてる電波が煩ぇ。他の連中もだ。全員、携帯端末の主電源を落とせ。投光機を消せ」

 すぐさまあちこちで上がる、衣擦れ。例えそれが王であろうとも、彼ら「魔導師」の命令には、必要とあらば、従わねばならない。

 ヴン。と低く篭った音と共に、後方から隔壁を照らしていた投光機も消えた。だから、そこにあるのは闇だけだ。隣に立つ人の顔どころか、顔の前に広げた手の輪郭さえも見て取れない、完全に光のない世界。

 一分か二分で気が狂ってしまいそうな。

 静寂と騒音。

 その完全な暗闇の中で目を凝らしたミナミの鼻先を、ふっと何かが行き過ぎる。衣擦れと微かな靴音。なんだろう? 何か思いついた誰かが土壇場で立ち位置を変えたような感覚に青年が首を捻るなり、傍らに立っていたはずのウォルが微かに身じろぎした。…ような気がした。

「!」

 何も見えないと判っていながら青い目を動かしてウォルの居る辺りを探ったミナミの眼前を、すうとまた人の気配が過ぎる。

 なんだろう…。

 再度青年が首を傾げるのと同時、ミナミとウォルの背後に立っているヒューが、なぜなのか、小さく吹き出したではないか。

「…す……スレイサー…」

「何か、陛下」

「お前には、こんな真っ暗闇の中でも何か見えるのか」

 極小さな声で咎めるように言ったウォルに、銀色は朗らかに答えた。

「いいえ。ただ、歩幅と歩数で距離を測る事が出来て、耳がいいだけです」

 だからなんだというのだろう、と一瞬思ったが、ミナミはすぐに、ヒューが何を言っているのか気付いた。

 だから、ヒューには衣擦れと足音だけで「誰がどこからどう移動し元の位置に戻ったのか」判ったのだ。

 それが刹那の抱擁だったのか、それとも触れるだけのくちづけだったのかまでは詮索しないまでも、か。

「…準備かんりょーっと! んじゃ、ま、とりあえず行ってみるぅ?」

 最終作業の終了したらしいタマリの腑抜けた声とは裏腹に、場にははち切れそうな緊張が満ちる。暗闇のあちこちから幾つかの衣擦れが上がったが、それは例えば落ち着きなく身体を動かしたせいで発生したものではなく、つまり、「彼ら」がそれぞれの定位置に据わったという合図みたいにミナミには思えた。

 傲岸に腕を組み。胸の前で手を組み合わせ。ただ何事もないように佇み。

「彼ら」は。

           

「さぁ、臨界の悪魔のお帰りだ」

         

 軽い笑いを含んだタマリが宣言するなり、鮮やかな色合いの光が暗闇にカッと描き出された。

       

    

 それは、干渉するぎりぎりに立ち位置を取ったイルシュとブルースの背後、無機質な床を走った二本のラインから始まった。長さ千五百ミリの直線は、ぴったりと寄り添った赤銅色と新緑色。弱々しく発光するそれらがまったく同じ速さで、片や時計回り、片や反時計回りに回転しまたもぴたりと重なった時には暗闇に描き出されている、赤と緑の混在した鮮やかな光の模様。

 四重構造のそれに含まれる臨界式文字を読み取って、ミナミはこくりと喉を鳴らした。閉鎖された人工子宮周囲で荒れ狂っているエネルギーを正しい経路に乗せて転嫁しようという二種類のプログラムは平凡だったが、設定されている開始時間の誤差許容範囲や稼動開始順位が極めて複雑だった。

「…シンクロ陣には優先順位による誤作動率の変化という、ややこしい法則があるのですよ、アイリー次長。単体で稼動させた場合にはなんの問題も起こさないプログラムが、シンクロ陣で立ち上げられた場合のみ異常を返すなどというのは、常識中の常識でしてね」

 物言わぬミナミの緊張が伝わったのか、青年の傍に居合わせたローエンスが、小声で呟く。そう。いかにミナミが陣の内容を解読出来るとしても彼は魔導師ではなく、だから、どんなに「判って」いても、臨界への接触が開始されれば後は黙って見ているしかない。

「しかしながらアイリー次長。安心なさい。第七小隊…ガリューの跡を継いだ若い者たちは、指導するはずのわたしとゴッヘルよりも、シンクロ陣のクセを熟知していたのですから」

 安堵のような。

 仄かに優しげな声でそう締め括ってからローエンスは、ぱちん、と派手に指を鳴らし、そこだけいつも通りの笑いを含んだ声で言い足した。

「閉鎖された空間を見るに叶わない平凡な市民の皆様のために、モニターを一つ立ち上げて差し上げますかな? ミラキ副長」

「おう。邪魔なんねぇ程度にな」

「それはまた随分と見くびられたものだな、このわたしも。お前らの邪魔をする程の「雑音」など立てるようでは、制御系システムの座から転落だろうに」

 ごもっともで。などとふざけて返したドレイクの言葉尻に被って、ヴン、と微かに空気が揺れる。まるで何もない空間に隠れていたテレビモニターに火が入ったかのように、忽然と空に映し出された光景は。

 ドーム型の人工子宮を捕らえたケーブルの束と、ぐねぐねと歪む背景。

「ローパパ、ついでに、内部のエネルギー係数測定値、こっち、直に送ってくんない?」

 さすがにこれだけ内部が荒くなっていると、自分で計測しながら「アゲハ」を稼動させるのは無理なのだろう。

「了解した」

 ローエンスが答えて、一瞬後、背後からの光に照らされたイルシュとブルースの正面に、透明な水色の電脳陣が垂直にゆっくりと描き出される。一体どうなっているのかと眩しさに目を細めたミナミはすぐに、それが、少年たちと向かい合うようにして壁に寄りかかっているタマリの背後、二千二百ミリの鋼板に焼き付いているのだと気付いた。

 陣の展開領域が厳しいのは始めから判っている。しかも、タマリが「アゲハ」を顕現させるのは鋼板の「あちら側」なのだから、つまり彼は、普段は足元に描くはずの陣を背中に背負い、閉鎖空間の内側へそれを伸ばしていた。

 中空を睨むタマリの目前に立ち上がった、小さなモニター。その中央に表示された文字がめまぐるしく書き換わるのをペパーミントグリーンの瞳に移した、少女のような風貌の男が、きゅ、とその愛らしい唇を笑みの形に吊り上げる。

「らくしょーらくしょー、…ってワケにはいかないけどさ、約束の時間だけはこのタマリさんが保証してやっから、ちびどもは自分の心配だけしてろよ」

「別におれら誰の心配とかもしてないし」

「何の心配もしてないですよ」

 言われて、タマリは嬉しそうに、本当に嬉しそうに、あの枯れ行く悲壮な笑みでない綺麗な笑顔を、仄かに照る臨界式モニターを通して少年たちに向けた。

            

「エンター」

           

 笑みの消えない可憐な唇が甘く囁いて、瞬間、ミナミとウォルの前に展開されていたモニターの中を、水色の稲妻が水平に奔る。顕現しては潰されて行く蝶たち。密集し、分散し、逃げ惑うように、翻弄されるように、荒れ狂うエネルギーの狭間で乱れ飛ぶそれを、誰もが固唾を呑んで見守る。

            

 それしか出来ないから。

           

それしか出来ないのなら。

          

「…カウントダウン始めろ! 「アゲハ」整列まで残り八!」

 タマリがモニターを睨んだまま鋭く一喝するなり、ブルースとイルシュの頭上にシンクロカウンター顕現。無愛想なデジタル文字がほぼ同時に数を減らすのに合わせ、閉鎖空間内でぐちゃぐちゃと掻き回されていた水色の蝶たちが、ひとつ、またひとつと羽ばたいては、陽炎の合間を縫ってふわりと飛び天井部分にひたりと吸い付く。

 潰されても潰されても顕現し、落とされても落とされても上昇する、水色。それが折り重なって折り重なって、天井から伸びドーム天井に突き刺さる野太いコードの束を覆い尽くし、コード群を這うようにして人工子宮の上方に到達した、直後、タマリを見つめる少年たちの頭上にあったシンクロカウンターが、「ゼロ」を返した。

        

「「エンター」」

        

 彼らは迷わなかった。約束の時間は保証すると言われたのだから迷う必要などなかったし、迷ったり怖気付いたりして自分の能力を制約するような愚行も犯さなかった。それは奇しくも、アン・ルー・ダイという少年が「キューブ」と初めて遭遇した時に知った、ハルヴァイトやドレイクの纏う奇妙な落ち着きにも似ていただろう。

 少年たちの実行命令を受けて急速に回転し始めたシンクロ陣が正常に稼動しているのを確認するのと同時、彼らとはやや離れた位置にひとり佇んでいたアン少年の周囲を、相も変わらず美しく隙のない真円がゆっくりと取り囲む。淡い黄色を纏った白い光が俯いたアンを暗闇に浮かび上がらせる様は、ひどく幻想的だった。

 静かに宙を舞った五つの臨界接触陣から、連結した状態で引き抜かれるように「キューブ」が現われるのと前後して、もうひとつ、淡い藤色の陣が床を舐めるように描かれた。速度は決して早くはないがこれもきれいな真円で、しかし、直径千二百ミリほどのそれが完成した直後、爆音と紫色の濃密な煙が頭上に上がったのには、さすがのミナミも目を瞠った。

「悪ぃ悪ぃ。どこぞの電脳班と違ってさぁ、顕現時から完全制御なんつう芸当は、うちの小隊長にゃ出来ないワケよ」

 蟠る紫色の…それをミナミは、ぜってー毒。吸ったら倒れる。と思った…煙を振り切って飛び出して来た「クラウド」を指差し、ベッカーが苦笑する。

「つうかアンよぉ、お前さぁ、いい加減自分の事三流とかなんとか言うの、止めようぜぇ」

「…? なんでですか?」

 きょと、とこの期に及んで緊張感なく目を見開いた少年を遠くから睨む、第九小隊副長。

「三流魔導師は、衛視になんかなんねぇの」

 ほんっと判ってねぇよなぁ。と呆れたように言いつつ、自分も何かの陣を立ち上げたベッカーは、内心苦笑しつつも納得した。

 結局、少年だって只者ではなかったのだ。二年間ハルヴァイトとドレイクに仕込まれたからと言っても、魔導機顕現時にあれだけ「静か」なのには正直舌を巻く。

「つうかよ、ごちゃごちゃ言ってねぇで「クラウド」と「キューブ」定位置に据えろよ、おめーら」

 いやだなやってますって。と稼動する色取り取りの陣から漏れた光に炙られて暗闇に浮かんだドレイクのいかにも不愉快そうな顔を恐々振り返りつつ、アン少年が、常がそうだから今も変わりなく、平然と言い返した。

「…マジお前大物だって…」

 溜め息混じりに呟いたベッカーの背中に、ミナミも、俺もそう思う、と心の中で賛同した。

  

   
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