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17.フレイム

   
         
(24)都市(同時進行-6)

  

 <本丸最上階-展望室前>

 ぴたりと口を閉じたスライドドアの前、がちがちに緊張して全身を強張らせながらもなんとか左右の足を動かしそこまでやって来たところで、ファイラン浮遊都市王女、ルニ=ルニーニ・アリエッタ・ファイランW世は、ついにへなへなと座り込んでしまった。

「ルニ様!」

 待機所になっている小部屋から転がり出て来た女官、マーリィ・フェロウは、膝から床に座り込んでしまった王女の手を取ってしっかり握り締めると、何も問わず何も言わず、ただふかふかと微笑んで、頼りない笑顔を見せた少女に頷き掛けた。

 惑星の女王との交渉は上手く行ったのか。都市は無事空に留まるのか。気にならない訳ではなかったが、マーリィは答えを急かすような真似をしない。それは、なるようにしかならない、などという投げ遣りな思いではなく、真白い少女は、目の前の未来の女王を信じて疑わないだけなのだ。

 ルニは俯いたまま深く息を吸い、天井に顔を向けて長く息を吐き、握り締めたマーリィの白くて柔らかい手を胸に抱いて、「うん!」と力強くもう一度頷いた。

「まだ、終わってない。うん。でも、ちゃんと…始まった。

 惑星の女王様は約束してくださったもの。

 ファイランが正しく、女王様の手を離れて空に戻るまで、その手を離さないでいてくれるって!」

 力のある光を湛えた黒い瞳に見つめられたマーリィが、「はい!」と答える。

「でも、女王様は仰ったわ、マーリィ。待っているだけじゃダメって。頼りない「あたしたち」と手を繋いで一人歩き出来るようになるまで支えていてあげるけど、手を離した瞬間から「あたしたち」は自分の足で立たなくちゃダメだって。

 だから…」

 少女は言ってそっとマーリィの手を離し、広げた両手を一旦床に置いてから、勢いよく立ち上がった。

「クラバイン!」

 純白に蒼いラインも美しいスカートの裾を払って背筋を伸ばした王女は、展望室から国王執務室に向かう直通エレベータの前に直立している陛下側近を呼ばわった。

「都市駆動部、機関部責任者と連絡を取って。都市機能復旧時の対策を協議します」

「承知しました」

 と、そこまでは立派な「女王陛下」だったルニが、ふと、表情を曇らせる。

「あ…あの、ね? でも、クラバイン…。本当はそれ、兄上のするお仕事で、その…」

 実のところ、勢いでそう言ってみたものの、まだ幼い王女にはその先どうすればいいのか判らなかった。惑星の女王曰く「外的作用」により都市は高度を保ち停滞なく進行するとの事だったが、その「外的作用」が外れた瞬間何が起こるのか、ルニには見当も付かない。

 急に気弱な、それこそ歳相応の少女みたいになってしまったルニに、クラバインが薄い笑みを向ける。

「それではルニ様。この場でひとつだけ、このクラバインと約束なさってくださいますか?」

 誰も。否。ルニと、マーリィと、クラバインだけしか居ないこの場所で。

 言われた意味が判らなかったのだろう、ルニは戸惑うような視線を背後のマーリィに向けた。しかし、真白い少女には何か思うところがあるのか、それとも家族であるクラバインを余程信じているのか、彼女はふかふかと微笑んだまま小さく頷いただけだった。

 それに背を圧される恰好でクラバインに向き直った王女が、表情を引き締める。

 出来る事は出来る。やらなければならない事はやる。でも、判らない事を無理にする必要はないし、クラバインは少女の敬愛する兄の側近なのだ。

 拒否する理由も必要もない。

「約束、する」

「では。わたくしが「いかがなされますか」と申し上げましたなら、「任せる」と胸を張ってお答えください」

 どんな難解な条件を出されるものかと内心どきどきしていたルニが、言われた途端、虚を突かれたような顔でクラバインを見つめる。

「それだけ?」

「はい」

「…うん、判った…」

 少女が頷いて、すぐ、クラバインは懐から携帯端末を取り出し、特務室を呼び出した。

「ホーネット、駆動部責任者アウロラ・オーリン、及び、機関部責任者サーフ・ベルモンドに、至急本丸陛下執務室へ出頭するよう通達」

『了解しました』

 きびきびした指示とは別に、クラバインはしかしその場から一歩も動こうとしなかった。普段なら話しながらガンガン移動して、気が付けば目の前に現われているような人なのにとルニが内心訝しんでいると、一旦特務室との通信を切断した男が、今度は先より神妙な顔で小さな端末に頭を下げたではないか。

「陛下より、駆動部、機関部の監視を委譲されましたモロウ技師にお願いがございます」

 通信の相手はどうやら、内部観測機能停止に伴って所属エリアから呼び出され、現在本丸地下推進施設に赴いているヘイゼン・モロウ・ベリシティのようだが。

『室長殿より「お願い」とはまた物騒な事だ。…先に一言申し上げてもよろしいか?』

「はい」

『元・部下の不始末以外なら大歓迎』

「そのような、モロウ「技師」の与り知らぬ厄介を押し付けるものではございません」

 あえてクラバインはそこで「間接的にはそうかもしれないけれど」とは言わなかった。

『それならば、まぁ、言ってしまった手前、大歓迎するしかあるまいな』

 ありがとうございます。と少しもありがたくなさそうに言ってから、クラバインはもう一度頭を下げた。

「では至急本丸陛下執務室へ出頭願います。都市はたった今、高度推進共に「外的作用」なる特異事態によって正常に運行される旨を約束されました。しかしながらその「外的作用」から都市運行権が返還される折、いかなる不測事態が発生するものか、予想だにし得ない状態です」

『ははぁ。それで? 駆動機関監視中のわたしに、知恵を貸せとでも?』

「滅相もございません」

『? では、何を?』

 小さなモニターの中で微かに眉を寄せたヘイゼンにクソ真面目な顔で頷いて見せてから、クラバインは「はい」ときっぱり答えた。

「現在陛下ご不在に付き、こちらで決断を下されますのは姫様でございます。よってモロウ技師におきましては、推進部機関部両責任者を納得させる案件を提出し、都市運行権返還後安全且つ確実に都市を軌道上に維持する最善の方法を実行して頂きたいと」

『………』

 ヘイゼン沈黙。

 マーリィとルニはクラバインの台詞のどこがおかしかったのか判らず、顔を見合わせた。

『…フェロウ室長』

「何か」

『貴方は、自己犠牲が美徳だと思っておられるのか?』

「いいえ」

『ではなぜ、つまり、全て計画し確実にそれを行え王女殿下の許可の下で、などと言うのか』

「さて、わたくしがいつそのようなお話を?」

 知恵を貸せどころではない。クラバインは、姫君がOKするから全部上手くやってくれと、ヘイゼンに言い渡したのだ。

 内々に?

 真摯な顔付きで首を捻ったクラバインの地味な顔に、ヘイゼンは盛大な溜め息を吐き付けた。

『本気なのだから始末に負えない。だがしかし、現在直面している都市の危機を考慮するならばごねる時間も惜しいのは事実。本来であれば姫君にお考え頂き、それに対してオブザーバーとして意見を述べるのが道理だろうが、よろしい、今回ばかりは目を瞑ろう。

 しかしながらフェロウ室長。甘い事を言って庇ってばかりでは、育つ次世代も栄養過多で枯れてしまわれ兼ねない』

「ごもっともでございます」

 本当に判っているのか、貴方は。などとぶつくさ言いつつもヘイゼンは、すぐに本丸に出頭すると言い置き、通信を切断しようとした。

「あ、それで、モロウ技師」

『…今度はなんだ』

「ただ今の通信記録は消去なさってくださいますように、お願い申し上げます。

 貴方様の、記憶からも」

 言ってクラバインは携帯端末に深々と頭を下げた。

          

          

<同時刻-ファイラン浮遊都市地下推進施設一画>

「………。なんと扱い難い男だ…、おおよその見当は付くが…」

 きっとこれで、突如現われたおかげで貴族院二分の騒ぎに発展しかけている「王女殿下」の絶対地位を確立し、あの少女でも都市を預かる能力があるのだというアピールでもするつもりなのだろうと、ヘイゼンはうんざり肩を竦めた。

 床だけでは足らず壁面にまで描き出していた機関部と駆動部の内部観測プログラムの一部を書き換えたり停止したりしながら、しかし男は、ふと剃刀色の目を眇める。

「この非常時にそこまで考えるとは、見上げた根性だ」

 少し、楽しくなった。

 自分が去った時よりも、王城エリアは面白くなっていると、本気で思った。

「誰か、電脳技師を一人、至急調達して来たまえ。それから通常の大容量通信端末とケーブルを機関室と駆動制御室の前に支度してくれないか。この忙しいのに本丸でお茶をご馳走するから来いなどと無茶を言われてね、ちょっとあちらに行かねばならんが、機械は待ってくれそうもない」

 だから遠隔地で観測出来るようなシステムを「今」構築するから、さっさとやれ。とヘイゼンは、蒼くなって走り回る作業員たちに背を向けて、口の端を吊り上げた。

  

   
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