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17.フレイム

   
         
(25)胎動-2(魔導師)

  

 中空に留まった「クラウド」の周囲でくるくると回転しながら位置を確定しようする「キューブ」。その二機の位置関係は、球体を囲みパイプを眼前の壁面に向かって伸ばしたトンネルのように見えた。

 浅いでこぼこのある球形の「クラウド」が「キューブ」の作る筒状の最奥(さいおう)にぴたりと据わるのとほぼ同時、今度は、だらけた姿勢で佇むベッカーの足元に暗い青色の陣が立ち上がる。急速に稼動した何かのプログラムが眼前に浮かび上がったモニターに投影され、やや俯き加減の彼の顔を照らした。

 その間も、狭い空間の端に位置を取った少年たちと、その向かいでじっと少年たちの顔を睨んでいるタマリの間に立ち上がっていたモニターの内部では、なんらかのプログラムが忙しく働いている。下から現われて上へ流れ去っていく文字列は、最早投影する時間さえ確保出来ないのだろう、ただの点滅にしか見えなかった。

「「クラウド」、主砲待機終了」

「「キューブ」、素点処理及び「クラウド」の位置固定処理終了」

「エリア系プラグインによる空間制圧プログラム構築終了」

 イムデ少年、アン、ベッカーが順に告げる。

「「キューブ」。素点周囲にガス漏洩防止の対流プログラムは差し込めるか?」

 腕を組んで瞬きもせず、佇むアンたちを眺めていたドレイクがやや重い口調で言い放つと、言われたアンがきっぱりと首を横に振る。

「元より、軽量で、大気の流れを利用して移動、進路を不確定に設定している「クラウド」を強引に固定してます。内部で対流なんか起こしたら、矛盾するプログラムが吹っ飛びますよ」

 ひとりで「動かさない」のと「動かす」のを同時に実行は出来ないと、アンは言う。

「対流じゃなく、奥から壁面に向かって圧掛けりゃいいんだろ? そのくらいならおれに任せなよ」

 アンの発言を受けてちょっと難しい顔をしたドレイクに、ベッカーが事も無げに声を掛ける。

「いやぁ、子供の頃の空気鉄砲とか思い出すねー。理科の実験だ」

 ははは、と緊張感なく笑ったベッカーの正面に、もう一つ小さなモニターが立ち上がった。瞬く間に構築される、プログラム。言われて、ドレイクもああそうかと妙に納得する。

 それならばベッカーは、素点である「キューブ」の囲んだ空間に外圧を掛ければいい。始めから空間制圧系のプログラムは準備されているのだから無用な構築式は必要なく、内側に溜まった腐蝕ガスは、出口を求めて壁側へ殺到するだろう。

 壁面攻略チームが暢気にそんな話をしているのも耳に入らないほど、第七小隊の少年たちとタマリの意識は、人工子宮を囲む分厚い外板の内側に向けられていた。崩れては再度構築されて行く水色の蝶。繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し。タマリは機械的に、もしかしたら無限ループに嵌ってしまったかのように、アゲハの顕現プログラムだけを実行し続けた。

 アゲハの取り付いたエネルギー供給設備。淡く水色に縁取られたそれに、微か、黄色い光が混じり始める。

「ふむふむ、なるほど。サーンスの物質変換プログラムが構築され、しかし稼動待機を命じられて、臨界側から残影が漏れ始めているようだ」

 直前のモニターを眺めていたローエンスが、新作のお茶を評価するみたいに言う。

 イルシュとブルースの作業に伴い現実面ではっきりと観測出来る現象は、多分、微かなデータの乱れだけだろうとローエンスは付け足した。ふたりの作業が正常に終了し、初めて人工子宮の周囲を渦巻くエネルギーが本体に供給されるのだ。

「順序だよ、諸君。順番を守りたまえ。我らは凡人なのだ、あの臨界の悪魔に比べたら。鈎爪の足元にも及ばない善人だ。だからズルなどしてはいけないよ、若い者たち。正しく、順序よく、根気よく。始まってすぐ結果を出そうなどという力技など、考える事すらならない」

 順序。

 それまで眉間に浅い皺を寄せて何らかのプログラムを構築していたブルースが、ふと顔を上げた。

「人工子宮へのエネルギー供給プログラム書き換え作業開始と同時に、カウントダウンを始める」

「おーよ」

 背後からでは判らなかったが、どうやらあの赤銅色に見つめられていたのだろうタマリがちょっと不思議そうな顔で答えるなり、ブルースが小さく頷く。

「サーンスは、カウント「2」でプログラムのエラーチェックを開始」

「え…と、うん」

「タマリさんは、カウント「1」で「アゲハ」を解除」

「はぁ?」

 どうやら土壇場で何か別の手順を言い出したらしいブルースを、タマリのペパーミントがきょとんと見つめた。

「ぼくは、カウント「1」で作業終了」

「…カウントが「1」残んじゃん、それじゃ」

 ええ、残りますよ。とブルースは、人を食ったような事を言ってから、暗闇にぼうと浮かんだ「クラウド」に視線を流した。

「ずっと考えてたんですよ、どのタイミングで隔壁攻略班にこっちの作業終了を報せるか。エスト小隊長が内部計測してますが、一度は観測値が乱れると思うんで」

 だから、順序よく。

 ゼロで、引き渡す。

 肩に掛かる煉瓦色の髪が微かに揺れて、ミナミは、少年は今笑っているのだと思う。

「や、まぁ、単純な話、カウントダウンってタイミングを合わせるものだけど、何も、「ゼロ」でこっちが合う必要もないのかな…と」

 全てを「0」で。

 正しく順序良く根気よくと言った途端にこれだ。果たしてこの若い者らは、わたしの助言を真面目に聞いているのか? とローエンスだけが、満足そうにぶつぶつと文句を言った。

           

          

 並んだイルシュとブルース。その正面に佇むタマリの頭上に、またもカウンターが表示される。その文字が一つずつ減るに従って、周囲に「無音」の騒音が漏れ始めた。

「noise」ほど決定的ではないし攻撃性もないその雑音に、しかし、佇むドレイクの表情が険しいものになる。

 近接して稼動するプログラム同士が起こす共鳴現象。シンクロ陣やら複合する事象やらがこの狭い空間内に犇いているのだから仕方がないかと真白い眉を緩めかけた、瞬間、ミナミたちの前に投影されていた映像が、ぐしゃりと潰れて消えてしまった。

「…内部観測用の陣が吹き飛ばされてしまったな。さて、あの少年たちは…何をしているのやら」

 イルシュは、減り続けるカウンターの数字を見上げている。しかしその落ち着いた表情とは裏腹に、少年の深緑色の陣は文字列の残影がストライプに見える程高速で回転していた。

 傍らのブルースは、やや俯き加減で腕を組み、何かを考え込むように片手を顎に当てている。こちらの陣の回転は酷くゆっくりだったが、眼前に立ち上がった自由領域モニターの中では文字列がひっきりなしに明滅していた。

 カウントダウンは進む。

 進む。

 進む。

 進み。

 進む。

「1」で終わり。

「0」で始まる。

 最早人工子宮隔壁内部を見るに叶わない人たちは、ただその場に立ち尽くし、忙しく作業する少年たちと顕現待機している魔導機を何度も見比べた。そのうち、表示されたカウンターの文字はいつの間にか「16」まで進んでおり、スーシェはそわそわと周囲を確かめたりした。

 カウンターが「0」で行動を開始する予定の隔壁攻略チームもそれぞれが最終チェックに入ったのは、カウンターが正に一桁になった、その時。「キューブ」の相互間通信正常を確認し、空間制圧系プログラム構築式に書き落としがないか確かめ、待機させていた主砲「金属腐蝕ガス生成排出プロセス」が正しく組み立てられている事に安堵する。

 そしてカウンターは進み。

 カウントが「2」を現すのと同時。

 それは始まった。

 イルシュをすっぽりと覆っていた文字列が激しく発光し、タマリの小さな影を壁に焼き付ける。

「エラーチェック終了稼動許可」

「一時停止解除書き換え開始」

「「アゲハ」緊急帰還爆散命令」

 三つの宣言がコンマ数秒の誤差で重なり。

          

「「「エンター」」」

          

 みっつの命令がカウント「1」で実行される。

        

 タマリの背後に描かれていた陣の残影が吹っ飛ぶ。しかし、あの枯れた笑みで正面の少年たちを見つめる少女の風貌は、よろめきも倒れもしなかった。そんなのは当たり前だ。元よりこれは予定の行動なのだから、魔導師タマリ・タマリになんの影響もある訳がない。

 タマリの陣が吹き飛んだ直後ミナミは、分厚い鋼板の向こうで悲鳴のような金属音が上がったのを「感じた」。だからこれは音ではない。

 これはサイン。サインと言うデータ。

 これは、臨界からの報せ。

 内部でいなかるプログラムが稼動しているのか、誰もそれを問いはしないし、説明しようともしない。ただ、並み居る魔導師たちが一瞬顔を顰めるのと同時、ミナミがぱちりと瞬きし、ヒューが上空に視線を投げる。

     

 カウント「0」。

        

「「「エンター」」」

        

 待機中だった「キューブ」の内部通信再開命令と、「クラウド」の主砲稼動命令と、空間制圧系プログラムの稼動命令が同時に出されるのと前後して、イルシュとブルースの陣の回転速度が正常に近い所まで戻る。それで、こちらの少年たちの作業は無事終わったのかとスーシェがほっと息を漏らし、ケインとウロスは無言で頷き合った。

 それから二呼吸もしないうちに、一度は消えたローエンスのモニターが復旧した。再度立ち上がったそれを誰もが食い入るように見つめる中、ミナミだけは、青年に背を向けているドレイクの白髪をじっと見据えていたけれど。

 モニターの映像は、先までの乱れが嘘のようにすっきりとクリアだった。それ以外に目立った変化はなく、時々弱い黄緑色の火花が人工子宮の円形天井を舐めたりするが、エネルギーの流出や装置の誤作動と言った問題から生じる現象ではないのだろう、魔導師たちは何も言いはしなかった。

 何がどうなっているのか。

 それでどうして、少年たちは陣を解体しないのか。

 誰も問わず。

 誰も語らず。

 行動を開始した「クラウド」の吐く黒いガスが隔壁を圧す様だけを、誰もが注視していた。

  

   
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