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17.フレイム

   
         
(26)胎動-3(魔導機)

  

 予想外の事が起こっていない訳ではなかったが、その時、イルシュとブルースは不思議と落ち着いていた。

 二千二百ミリの外殻に守られた人工子宮。その周囲に渦巻く高圧のエネルギー。当初、エネルギーの供給元から人工子宮に至る機械装置の耐性を上げるため、それを構成している物質をイルシュが強引に書き換え…つまりは少々柔な金属をもっと頑丈なものにそっくり切り替えてしまおうという乱暴な方法なのだが…、供給システムの操作上限をブルースが摩り替え…これは見た通り、機械的強化に合わせてシステムの許容範囲を広げる目的で行われた…、正常稼動確認後陣を消す予定だった。

 しかし、予想と実際には隔たりがあるもので、多分その隔たりまで一瞬でクリアするような完璧且つ凶悪なプログラムを構築し実行出来るのはファイラン洛中探してもあの悪魔だけで、だから少年たちは、蓋を開けた所で直面した「問題」解決のために、リアルタイムでプログラムを補強する事をあっさりと決めたのだ。

『予想よりも、機関部から流入して来るエネルギー量が不安定』『上限が振り切ってんの?』『いいや、逆。低出力時のエネルギー係数が、本来の人工子宮稼動に必要な数値を下回ってる』『? どゆこと?』『手放しじゃ、安定稼動させられないってコト』『ふーん。それで、どうすんの、ブルース』『どうするって、全部の作業が終了するまで係数監視しながら、下限を割り込まないようにするしかないだろ』『あぁ、均すのか』『そんなトコ』『じゃぁ、予備領域開放するから、こっちも使えば?』

 高速で遣り取りされた通信。

 赤銅色の、若草色の光に炙られた少年たちは、ふと視線を交わして肩を竦めた。

「こういう、傍迷惑な大人にはなりたくないな」

「今更、なっちゃった人に言う文句はないけどね」

 つうかそんな恐ろしい事出来ねぇ…。とブルースは内心苦笑しつつ、無数に立ち上がって稼動している臨界式モニターのうち、「余白」という文字が中央に点滅していた極小さなものに、新緑色の文字を打ち込んだ。

 OPEN SESAMI.

 文字列がぽっと燃え、途端、小さかったモニターが他のどれより大きく膨張し、予備領域の解除プログラムを赤銅色の文字が描く。時折確認するように表示される「OK?」に新緑色で「ENTER」を打ち込み、ローエンスの監視しているエネルギー係数を勝手に引き込んで人工子宮に導入される数値を安定させるためのプログラムを組みながらブルースは、隔壁攻略班の動きを確かめるように、佇むアンたちへと視線を流した。

「キューブ」を空間制圧用の素点として現実面に顕現させているアン少年には、正直、今出来る事は他にない。ただ、内側で不安定に移動する「クラウド」の位置を固定するためのプログラムも稼動している状態なので、暇なのではなかったが。

 白い正方形に囲まれた「クラウド」の吐き出す黒い靄が、奥から押し出されるようにざわりと動いて隔壁表面に到達する。こちらも数種類のプログラムを駆使して「キューブ」の囲んだ空間を操作しているのだろうベッカーの目前に、ぽんと一個、また新しいモニターが立ち上がった。

「腐蝕ガスの浸透率が上がってるぜ。数値が百分の三十過ぎたらガス噴出停止、「クラウド」、「キューブ」はそのまま待機。掘削班は?」

「「スペクター」と「ヴリトラ」を顕現待機させる。「サラマンダー」はどうだ? ハウナス」

 それまで険しい表情で「クラウド」を睨んでいたグランに低く問われて、ジュメールは一旦無言で頷いてから、ふと考え直して「はい」と答えた。

 ジュメールから見て斜め前方に立っているグランは、青年を振り返らなかったのだ。だから頷いただけでは意志が伝わらないと思ったのだろう。

「モデリング変更済み。掘削用の「腕」を付けてあります」

 そこでようやく、グランが背後の青年を振り返る。

「器用な事だ」

 に、と口の端を歪めた大隊長に、青年が薄い笑みを見せた。

「頭を使ってもだめなら、手足を使えと覚えたので」

 いつどこで何を見て覚えたのか。

 微か問うように吊り上ったグランの眉を目にして、ジュメールは少し考えた。

 ここは、答える場所?

「…歪んだ空間を歩き回って、それを証明した人が居たから」

 ぽつりと漏れた返答。

 不意に、イルシュとブルース、ケイン、ウロスまでもが小さく吹き出す。

「あらやだ。うちのコたちと年寄り連中が何やら判り合っちゃって、アタシとスゥちゃんは仲間はずれかい」

 わざとのように唇を尖らせてぶーぶー言うタマリの少女っぽい顔を見つめたまま、ミナミとウォルの後ろに立っていたヒューが苦笑を漏らす。

 それじゃお前、俺は頭を使ってないみたいじゃないか。と銀色は思ったが、自分でバラすのがなんだかくやしかったので、黙っていた。

 ミナミは。

 それを全て見ていた。そして記憶する。彼らは今、プログラムという文字列だけではなく、同じ時間を共有し、同じ空間に存在し、共に考え解決して来た全てを駆使して、繋がっている。

         

世界が正しく世界であるように。

人が正しく人であるように。

全てのひとよ、うらむなかれ。

          

 暢気とも取れる遣り取りの後、不意に「クラウド」本体に口を開けた噴出孔から漏れていた腐蝕ガスが停止した。

「「クラウド」後退。「キューブ」、腐蝕ガス消滅まで現状を維持。ベッカー、制圧空間の内圧を上げろ。「ヴリトラ」「スペクター」「サラマンダー」、構成する金属物質の分子式を報告後、壁面近くで待機。ガス濃度がそれぞれの魔導機に影響ないレベルまで下がり次第、掘削開始のサインを送る」

 と、平面陣の中央に立ったイムデ少年が独り言のように呟いたのを耳にして、ミナミはちょっと驚いた。

 少年は少し俯き、何か考え込むような顔をして、顎に手を当てている。しかし、その発言は的確に次の行動を指示していて、いつものようにおどおどとした空気もなくて、だから、臆病で普段は誰かの陰に隠れている少年でさえ。

 臨界におわす片割れを得た、魔導師なのだと知る。

 彼らは「不完全」。魔導師という出来損ない。魔導機という物言わぬ無機物。それとそれとが引き合って、符合して、裏と表が合わさってようやく「ひとり」になるように、「人」もまた、生涯誰とも関わらず孤独に生きて行く事は出来ない。

 探している。

 判っている。

 あの最凶最悪の悪魔は。

          

「他人なんか自分の世界には存在しねぇみてぇな、そういう顔してるくせに、ホントはさ、自分が今ここに立ってるって、それだけの「事実」にどれだけ「他人」が関わって、「他人」と関わってんのか、あの人は…、もう、ずっと前から、誰よりちゃんと判ってたんだよな」

       

 あれこそが、最凶最悪。

 何もかも判っているのに。

 全て判っているから。

 姿も見せずに、存在さえ掻き消えて、それなのに。

          

        

全てのひとよ、うらむなかれ。

赦し赦される者を得よ。

愛し愛される者を得よ。

時に。

恨み怨まれる事になっても。

支え合うだけでなく、

助け合うだけでなく、

寄り添い穏やかな気持ちを想うだけでいい。

わたしたちは。

         

孤独に産まれ孤独に死んで行く「完全」には、ならないのだから。

        

 ミナミは無意識に詰めていた息をゆっくりと吐き、ゆっくりと、あのダークブルーを瞬いた。

 瞬間、様々な色合いの電脳陣が忙しく稼動する狭い空間を、一際激しい光が炙る。時置かず、天井に、壁に張り付くよう描き出された臨界接触陣。最早中空に顕現領域を取れないのだろう、並み居る魔導機のうちでも大型に分類された、純白を黄金で飾った獅子、真紅の龍が「あの世」を振り切って危なげなく現われると、背後で待機している一般兵卒から感嘆の溜め息が漏れた。

 しかし、色取り取りの光を受けた雄々しい獅子は、下半身を陣に突っ込んだまま居心地悪そうに首を振っていた。場所が狭いからなのか、身体を半分向こう側に置いたままらしい。

 ジュメールの「サラマンダー」は、天井に描かれた陣からするりと抜け出した直後、「キューブ」の圧し付けられている壁に貼り付き、新たに加えられたモデリングなのだろう、以前よりも頑強そうで、且つ人間臭くて気持ち悪い五指を蓄えた腕を胴体の真横から生やし、それで何か確かめるように鋼鉄の壁面を引っ掻いていた。どうやら、腕の動作を確認しているらしい。

 なんというか緊張感のない二機の魔導機に気を取られていたミナミ以下ギャラリーの眼前を、仄かに白い靄の塊がすうと行き過ぎて、ウォルはそれを目で追いながら首を捻った。はて、あんな魔導機などあっただろうかと一瞬思い、あれが「スペクター」の影かとすぐに納得する。

「ヴリトラ」や「サラマンダー」に比べれば格段に小さい「スペクター=バロン」という四足歩行式の魔導機は、相も変わらず突如顕現し、佇む人の間をするすると歩き回っていた。何をしているのか。と、ウォルの視線を追って「バロン」に行き着いたミナミも小首を傾げた、刹那、薄ぼんやりとした靄の塊が身軽に床を蹴り、事もあろうに…。

「でっ!」

 スーシェの後方に立っていたデリラに、タックルした。

「………」

 五メートル近い白豹の(とは、デリラや第七小隊の年長組しか知らないのだが)体当たりを食らったデリラは、当然、その場にひっくり返った。唖然とする周囲。それまでうごうごと蠢いていた「ヴリトラ」と「サラマンダー」までもが、ぴたりと動きを停めて「バロン」の奇行に目を瞠っているようだ。

「なっ! いてっ!! お前…はっ、何…をっ、してんだね!」

 多分。

「バロン」にじゃれつかれているのだろうデリラは、床に座り込んだというか、倒れた恰好から上半身だけを起こし、しきりに何かに抵抗していた。床に広がった黒い長上着の裾があちこち引っ張られ、顔の前に翳した腕が力負けして振り払われるなり、「あわっ!」と間抜けな悲鳴を上げて、また仰向けに倒れる。

 ミナミは、それも見ていた。

 極端に自我が発達した「スペクター」は今、スーシェの指示なしで自由に行動していた。それで、サーカスの一件後始めて「この世」に現われた白豹は、なぜデリラにこうも懐いているのか。

 こら、やめなさい。などと苦笑交じりに注意しているスーシェの横顔に視線を移したミナミが、ふと、淡く微笑む。

 単純な話。

 彼らは。

          

 好きと嫌いを知っていて。

 大切なものを大切だと伝える行為を厭わない。

        

 そう、あの、悪魔でさえも。

        

「…それにしたって、緊張感無さ過ぎじゃねぇか? おい…」

 と、ドレイクは、床を転げ回るデリラとそれに纏い付く白い靄を眺めつつ、うんざりと呟いた。

  

   
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