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14.機械式曲技団

   
         
(27)都市-2(少女-2)

  

 駆動部責任者アウロラ・オーリンと機関部責任者サーフ・ベルモンドが出頭命令を受けて持ち場を飛び出し、息を切らせて陛下執務室前に到着した時、そこにはなぜか、数名の貴族院議員が険しい表情で立ち塞がっていた。

「技術職員が都市中枢に何用か」

 汚れた作業服姿の二人を見下した物言いにアウロラは色めき立ったが、サーフの方は深呼吸して気持ちを落ち着け、丁重に一礼した。

「王下特務衛視団衛視長より出頭命令を頂きました。衛視長の命令であれば、それは即ち陛下のご命令と同じ事。失礼いたします」

 早口でそう言い放ったサーフは平然と貴族たちを躱し、顔を真っ赤にしているアウロラの腕を掴んで、陛下執務室をノックしようとした。

「陛下はただ今ご不在だそうだ。中に居るのは、あの…どこからか突如現われた姫君だけだぞ、技師ども」

 一瞬、サーフの手が止まる。

 しかし、機関部責任者を仰せつかってから早七年、都市推進機関を預かってからこちら、故障らしい故障を起こした試しのないサーフ・ベルモンドは、もう一度深呼吸してドアをノックした。

 この都市には、彼の伴侶が居る。つい数年前に授かったばかりの、可愛い一人息子も居る。現状を打破する妙案をくれるというなら、それが王であろうがぽっと出の姫であろうが、例えば悪魔であっても従う覚悟が、彼にはあった。

 利己的に。

 死にたくないし死なせたくないのだ。

 人間であればこそ。

 まだ何か言い募ろうとする貴族を無視し、内からの応えも待たずに、サーフは陛下執務室のドアを開け放った。もしかしたら非礼を咎められるかもしれない行動だったが、果たして、この非常時にそんな些事に目くじらを立てるバカがどこに居るのか。

「失礼だぞ! 技師」

 あ、居た。という…、失笑交じりの内情を胸に押し込み、サーフはアウロラを引き摺って執務室に踏み込んだ。

「失礼いたします、機関部責任技術者サー…」

「挨拶なんか抜きよ、すぐこっちに来て!」

 甲高い声で怒鳴りつけられたサーフとアウロラが思わず顔を見合わせた、刹那を突いて、彼らの背後に居た貴族どもがふたりを押し退け執務室内に侵入する。

「フェロウ室長! 一体何事が起こっているのか、すぐ説明して頂きたいのだが!」

「先程の、あの揺れはなんだったのだ!」

「陛下はどちらに! 陛下にお目通りを!」

「何か都合の悪い事でも!」

「ならばすぐに議会を召集し、緊急事態に備えねばならん!」

 陛下執務卓に詰め寄る議員ども。

 その人垣の向こうになってサーフとアウロラからは見えなかったが、その中心にはクラバインと、ルニがいた。

「黙りなさいっ!」

 バン! と何かで机を叩いたような音の後、またもやあの甲高い声が叫ぶ。

 一瞬、室内が静まった。

「貴族院議員の皆様方には、陛下不在につき入室をご遠慮くださいと申し上げておりましたが?」

 執務卓を回り込んで姿を現したクラバインが、静かに言いつつアウロラとサーフに目配せし、そっと頷く。それは暫し待というサインで、ふたりは無言で頷き、部屋の隅に退去した。

 地味な男。黒を真紅で飾った厳しい制服を纏っていながら、酷く印象の薄い男。しかし彼こそが、先王時代から特務室に在りありとあらゆる事象に迅速且つ的確、且つ…陛下のためであれば非情にも振る舞って来た、特務室の最高責任者なのだ。

「姫様は現在議会招集を希望なされておりません。お引き取りください」

 取り付く島もなく平坦に言いつつ部屋を突っ切ったクラバインは、自らドアを開け放った。

 貴族どもの視線が、自然に、ドアの横に退去したクラバインから執務卓に着いているルニに流れる。白に蒼いラインも美しい清楚なドレスを纏った少女は、まるで睨むようにして居並ぶ中年どもを見つめていた。

 気概に満ちた少女の顔は。

           

 あの、傍若無人で居丈高な「女王陛下」と良く似ていた。

           

「…ならば、陛下代理であらせられます姫様に、お尋ねしてもよろしいか?」

 親しみを込めているようでいてどこか蔑んだ色を含む声で、ひとりの貴族が静かに問う。

 男は、ルニを囲む貴族たちの丁度中央に堂々と立っていた。年の頃なら六十に手が届こうかという壮年で、やたら姿勢が良く偉そうに胸を逸らしているところを見ると、この議員たちの中ではリーダー的存在なのかもしれない。が、全体にくすんだ灰色を基調とした髪と目が、地味な感じだった。

 少女はそれが誰なのか知らなかったが、微か、クラバインの表情は曇った。タイミングの悪い事だと思ったのか…。

「なんでしょう」

 鋭く見下げられても、ルニは引く事など微塵も考えていなかった。ここで言い包められて、議会召集などという手間ばかり掛かって実を結ばない、つまりは無駄な話し合いなど開かされる訳には行かない。

「何故、我ら貴族院議員は所払いで、技師ならよろしいのか」

「………」

 問われて、瞬間、ルニは壁際で凍り付いたアウロラとサーフをきょとんと見つめ、それから、もう一度正面の男に視線を戻した。

 何故? なぜって…。

「あなたたちに、機械の面倒は見られないでしょう? だからよ!」

 もっと凄い事を訊かれるのかと思っていたルニは、本当に拍子抜けして、素っ頓狂な声を上げてしまった。

 だがしかし。

 はぁ? と思ったのは、言われた貴族たちの方だったが。

「だって、ドアノブが壊れたら普通修理屋さんを呼ぶじゃない。トイレの水が止まらなくなったら応急処置くらいするけど、結局、直してくれる人を呼ぶわ、誰だって」

 クラバインはそれを、尤もだと思った。それから、なぜか笑いたくなった。

 これは、都市の一大事! 生きるか死ぬかの瀬戸際! だから!

 本当に必要な人を呼んで何が悪いと、少女は言っているのだ。

 一瞬ぽかんとした貴族どもの顔に、見る見る血が上る。顔を真っ赤にした男たちが何事か吐き出そうと唇を震わせ、肩を大きく上下させて息を吸い込んだのと同時、今度は、ドアの外から…大爆笑が聞こえたではないか。

 それに、誰もがはっとして振り返る。まだ何が悪いのか判らないのだろうルニだけがきょとんと目を見開いたまま背伸びして、人垣の向こうにあって見えないドアを探ろうとした。

「いや、いや、お見事。全くもってその通りですと申し上げる他ございませんな、姫様。そうなのですよ、貴族院にご在籍の皆様方。つまり、そういう事。

 今都市で起きているのは政(まつりごと)で解決出来る腹の探り合いなどではなく、壊れた時計を貴金属店に持ち込むくらい単純な事柄なのですよ。ふっ……、ふっふっふ、ははは」

 本気で可笑しいのか、突如姿を見せたヘイゼン・モロウ・ベリシティは目尻に涙まで溜めて笑い転げながら、似合わないクリーム色の長上着を閃かせて勝手に室内へ入って来た。

「…ヘイゼン…」

 先頭に立ってルニと睨み合っていた男が忌々しげに呟くと、ヘイゼンがくすくす笑いつつ肩を竦める。

「なんですかな? モロウ卿」

 そう、男は、ジェラルド・モロウ・ベリシティ。ヘイゼンの父だったのだ。

「何しに現われた! この…!」

「職務ですよ。貴方様には全く関係のない、技師としての」

 気安く答えたヘイゼンは、ジェラルドを無視してサーフとアウロラに近くへ来るように指示し、これまた勝手に応接セットを占拠した。悠々と足を組み、顎に指先を当てて何事か思案するヘイゼンを睨む、貴族たち。戸惑う技師たち。ルニは控えたマーリィと顔を見合わせ、クラバインが…小さく嘆息する。

 ヘイゼンの引責退役によって…と世間的には思われている…魔導師系貴族としての地位を下げたモロウ・ベリシティ家は、勝手に技師になり第七エリアに移住した彼と、半ば絶縁状態だった。しかしクラバインの知る限り、この親子関係はそれよりも以前から崩壊していたのだが。

 とにかく、今はそれが問題ではないと自分に言い聞かせ、クラバインは通路に待たせていた部下に議員たちを室外に連れ出すよう目配せした。

「フェロウ室長」

 足音もなく入室して来る衛視を肩越しに睨んだジェラルドが、殊更低い声で絞り出すように言い放つ。

「都市運行になんらかの支障をきたしているというのであれば、貴族院にはその報告を受ける権利がある。即時、陛下への謁見を申し出る」

 正当な権利を翳して来たジェラルドの顔色に、クラバインは内心嘆息した。これは最早権利如何の問題ではなく、意地の張り合いみたいなものなのだろう。たかが技師に「落ちぶれた」息子の手前、貴族院議員である自分が輪の外に弾かれては困るのか。

「都市運行には如何なる問題も存在しておりません、モロウ卿。もしお疑いなら、今この場で運行管理院機関部、駆動部に都市の状態をお問い合わせくださっても構いませんよ。高度も速度も順調順調。ただ、少々、浮遊機関の出力が不安定でしてね。この機会に大掛かりなメンテナンスを実行してはいかがかと、ご提案させていただいたのですよ、この…私が」

 再三の陛下謁見拒否を口にしようとしたクラバインを遮って、ヘイゼンはジェラルドもルニも見ずに、中空の一点を剃刀色の双眸で睨んだまま言った。

「駆動装置と浮遊機関を、停めて」

 告げて、瞬間、あの冷たい刃物のような瞳が、無言で佇むルニの黒い瞳を見つめる。

 それで、サーフとアウロラは固く口を噤んだ。何も言ってはいけない。余計な事など悟られてはならない。この駆け引きに、「ただの技師」は参加してならないのだ。

「それでは、都市が墜落してしまうではないか!」

 ジェラルドの怒声に、ルニが思わず首を竦める。

「それでは困りますねぇ」

「貴様…っ! 一体何を!」

「落ちますかな? 王女殿下」

 今にも掴みかかりそうな表情で睨んで来るジェラルドと対照的に、ヘイゼンは涼しい顔を崩さなかった。組んだ足の上に肘を置き、頬杖まで突いて、ルニににこりと微笑んでみせる。

「落とさないわ」

 その、気安くも自信たっぷりな返答に、貴族たちは唖然とした。

「落ちたらわたしも困るもの」

「全くもってその通り」

 ははは、とこれまた軽く笑ってからヘイゼンは、腕を下ろし、足を解き、立ち上がって、嫌に神妙な顔を作ってルニに頭を下げた。

「ならば、未来永劫に続く平穏を望みますれば、王女殿下、刹那全ての機関が沈黙したその瞬間、都市が正に空の迷い子とならぬためにお力をお貸し頂きたい」

 機関は停まる、とヘイゼンは言う。だからその少しの時間だけ、ルニの力を借りて都市を空に留めて欲しいと。

 真実。

 そこまでは、とうに終わっているのに、だ。

 クラバインは考えた。足音を忍ばせてドアを離れ、まるで空気のように移動しルニの傍らに寄ると、身を屈めて、少女に耳打ちするようにして問う。

「いかがなされますか? 姫様」

 サイン。

 少女は目前の貴族どもを睨んでいた黒い双眸を動かしてクラバインの横顔を見つめ、それから、涼しい顔のヘイゼンに視線を流した。

「任せるわ、モロウに」

 暫し、沈黙。

 ふ、と、ヘイゼンの剃刀色が微かに緩む。

「ドアノブや蛇口より大掛かりではありますが、所詮、同じようなものですからな。…壊れたら専門家が直すもの、などというのは」

 本当は。

 完全に何かのスイッチが入って「壊れた」悪魔を、天使が「治す」のかもしれないが、と、ヘイゼンは内心で嘆息した。

           

        

 結局、ジェラルド・モロウ・ベリシティを筆頭とした貴族院議員たちは、唖然としている間にやって来た衛視に追い払われた。その時ジェラルドは、貴族に対してなんたる扱いかと口角の泡を飛ばさんばかりに抗議したが、クラバインはいっかな動じる風もなく、そのお話は陛下がお戻りになられましてから受け付けますと涼しい顔で言って退け、ますます貴族たちの不興を買った。

 目前で固く閉じたドアの表面を険しい顔で睨んだクラバインが、短く息を吐く。貴族院に対していらぬ火種を抱えたと思う反面、果たして、どこから駆動部と機関部の不調が漏れたのか早急に調査しなければならないとも思った。

 政と都市の運行は、全く関わりのない別次元でありながら、都市を継続させるためにそれぞれが独立した状態で「必要不可欠」というのが浮遊都市の決まりだ。だからこそ、都市を空中に留めるための「女王」は政に一切口を出さない。

 脈々と続く「彼女」らは、都市を空に置くためだけに神経をすり減らし、そして、子孫を残す。

 いらぬ仕事が増えたと内心うんざりしつつ、クラバインは平素と同じ涼しい顔で室内に向き直った。とにかく今は、都市をどうにかしなければならない。

「オーリン氏とベルモンド氏に述べておくのは、今都市で発生している事象を口外するべからずと言う事のみだが、果たして、元より重要機密扱いで緘口令が敷かれたはずの情報が、どこから漏れたのやら」

 立派なソファの中央に陣取ったヘイゼンは、まるでこの部屋の主のように偉そうに足を組み、細い指を組み、肩を寄せて小さくなっているアウロラとサーフを睥睨している。

 最悪に居心地の悪い静寂が刹那室内を凍らせると、陛下執務卓に着いていたルニが当惑の表情でクラバインに助けを求めた。しかし、頼りになるはずの衛視長は無言で頷いただけで、心優しい姫君の望みをかなえてくれそうになかったが。

「まぁ、いい。それは後々、フェロウ室長がお調べになるのだろうから」

 吐き出すような笑いを含んだ声で言い捨て、ヘイゼンはゆっくりと瞬きした。

「わたしはわたしの仕事を遂行し、目先の問題を解決しようではありませんか、アリエッタ王女」

 言われて、ルニはなぜかぽかんと口を開けてヘイゼンを見つめてから、ああ! と妙な声を発した。

「…アリエッタ王女なんて呼ばれたの、初めて。なんか、びっくりしちゃった」

 緊張感なく言って肩を竦めつつ、ルニは大きな制御卓から離れて技師たちが額を寄せ合った応接セットに近付くなり、ヘイゼンの隣にぴょんと飛び込んだ。

 十四歳の癖っ毛の姫君。

 しかし少女は。

「とりあえず、聞いて?

 今、都市は完全に「自航機関」を完全に切り離した状態で空に浮いています」

 ルニが言って、瞬間、アウロラとサーフが目を剥いた。

           

 その小さな双肩で、都市に住まう全ての人の運命を担っている。

          

 驚きの余り声も出ないのだろう二人の技師たち。その、色を無くした間抜け面を見たまま、ヘイゼンは皮肉げに口の端を歪めた。

 事も無げに告げられた事実。しかしながらそれは、この都市が空に舞い上がってからの数百年で始めての「災害」だったのだ。

「でも、それはもう問題じゃない。都市は、今の状態でなら絶対に落ちないわ」

 その自信はどこから来るのかと技師たちは思った。しかしその疑問は本当にたったの一瞬で、彼らはすぐに思いを改める。

 未来の女王陛下。

 否。

 彼女は既に見えない宝冠をその頭上に頂き、都市を守る「何か」に守られている。

 神妙な顔付きで背筋を伸ばしソファに座り直したアウロラとサーフを、ヘイゼンは肘掛に頬杖を突いてにやにやしながら眺めていた。それはなんとも技師らしからぬ尊大な態度だったが、ルニは彼を咎めようともしない。

「問題は…、クラバイン」

 事前に打ち合わせておいたのだろう、ルニはそこまで言ってソファの背凭れに身体を預け、執務卓の傍らに佇んでいるクラバインに顔だけを向けた。続きは任せるというその態度に、衛視長が小さく頷く。

 クラバインがコンソールを叩くと、ふたりの技師と、テーブルを挟んだ向かいのヘイゼンとルニの間に空間投影式のモニターが立ち上がり、都市のグラフィックが表示される。バードビューで示された都市は完全な円形で、平面第一層を境に、上半分は透明なドームで覆われており、下半分は長方形や正方形、三角錐、四角錘を組み合わせた骨格に、直径が数メートルもあるパイプやワイヤーがぐねぐねと絡み付いていた。

「現在都市は「外的作用」による浮遊航行を継続しています。高度、速度共に、異常はありません」

 中空に留まった都市の映像に次々被る、様々な数値。外気温に始まって、風向、風速、湿度などの屋外情報に続き、都市の運行状況が表示されると、機関部、駆動部の暴走を目の辺りにしているアウロラとサーフは難しい顔で唸った。

 数値的には異常ないのだ、高度も速度も進路も…。

 だからこれは、異常過ぎる。

 何せ、二つの推進機関は今、完全に「どこか」と繋がっていて正常に稼動していないのだから。

「ですが、この「外的作用」による正常航行は永久に続くものではありません。都市推進機関が正常に復旧した暁、「外的作用」の影響はなくなります」

 そして、その時が問題なのだとクラバインは言った。

「切り替えか…」

 据わった目付きでモニターを眺めていたヘイゼンが、細長い指の先でこめかみをたたきながらぽつりと漏らす。

「切り替え? とは…、モロウ技師、一体…」

「単純な話しだ。我らに手出し出来ん「外的作用」とやらを、都市を支えた大きな手と考えたまえ、諸君。今都市は二つの手に包まれて空に在るが、自力で航行出来るとなった暁、その手は…こう、都市を離すのだよ」

 一旦ソファに座り直したヘイゼンは、モニターに映るファイランを両手で包むようにしてから、その手を、ぱ、と大きく左右に逃がしてしまった。

「この瞬間、都市は支えを失う。自力で航行出来るのだから大層な問題はないようにも見えるがね、諸君? 切り替え誤差ゼロで巨大な都市を中空に留める事は、事実上不可能なのだよ」

 引力がある。重力がある。機関部の出力も、推進装置の稼動率も不安定。そもそも、復旧時にそれらが正しく稼動しているのかどうかも定かでない。だからだ、とヘイゼンは、淡々とした口調で言い放った。

「ほんの数秒のズレで、都市が数メートル落下したとしよう。都市の規模で言うならそれは大した数値ではない、しかし、内部では果たしてどうかな?」

 言われて、アウロラとサーフは蒼くなった。

 刹那の無重力。か。

 全ての物が浮く。そして、刹那で、落ちる。

 都市の内側で。

「大惨事だ!」

 悲壮な悲鳴を上げたアウロラの顔付きに、ルニもようやくそれがどんな非常事態なのか悟った。

 俄かに緊張して蒼褪め、小さな唇をきゅっと噛んだ少女の横顔をちらりと見遣ってから、ヘイゼンは大袈裟に肩を竦めて天井を仰いだ。

「打つ手なしと捨て鉢に言い放つのは簡単だが、わたしは…わたしに課せられた期待を裏切れるほど諦めの良い方ではないのですよ、王女殿下」

 似合わないクリーム色の制服を纏った電脳魔導師は、重ねて言う。

「それに、アレは、出来ない者に出来ない事を期待するような、愚か者でもない」

 どこか呆れた色を含むヘイゼンの口調に、ふたりの技師とルニが首を捻った。

 彼は、天井を見上げて笑っていたのだ。何かとんでもなく面白いものを見つけたような、そんな顔で。

「…「あの時」、アレはわたしに「人手不足なので」と言った。確かに、そうだっただろう。しかし、なぜあのタイミングで「わたし」なのかと悩まない訳でもなかった…。最早過去に成り果てたはずのわたしを、何故「現在(いま)」に関わらせようとするのか、とね」

 ルニやアウロラ、サーフはヘイゼンが何を言っているのか判らないようだったが、クラバインだけはすぐにそれが誰を指しているのか判った。

 アレは、ハルヴァイト・ガリュー。

 全ての元凶。

 全てを解決する者。

 ハルヴァイトは、独りで過去を抱え込み隠遁生活を決め込んだヘイゼンを、現在というステージに呼び戻したのだ。

 誰のためでもなく。

 自分のためでもなく。

 世界を構築するべきひとつの点として。

        

真円を。

         

「いや、いや。これは期待ですらないのか」

 ふと何か思い出したように呟いて、ヘイゼンは天井に向けていた視線を正面に戻した。

 モニターの中で、心許なく浮いている都市。

「アレは、誰にも何も、期待などしないのですよ、王女殿下…」

 ただ、全て正しく理解しているだけだ。

 それならば、とヘイゼンは、ソファの背凭れに預けていた背を引き離し、アウロラとサーフに剃刀色の目を向けて、小さく頷いて見せた。

「機関部、駆動部は徹底的に水も漏らさず、自らの使命を果たしたまえ。息を詰め、瞬きを止め、「その瞬間」を見極めるのだ。王女殿下に敬意を払い、誠心誠意を持って応えよ。

 都市が「外的作用」から開放され正常に運行を再開するまで、死に物狂いで職務を全うせよ」

 脇目も振らずに技師としての手腕を発揮せよとヘイゼンは、優しくもなく冷たくもなく、常と同じに淡々と告げる。

「その時、都市に掛かる「幾ばくか」の衝撃は、全て…わたしが引き受けた」

 言ってしまってからヘイゼンは、なんとも奇妙な顔をした。

「…なるほど、これもまたアレの計画のうちだったというなら腹が立つので、再会の暁には遠慮なく一発殴らせて貰うとするか…」

「あ…えっと…、モロウ? その、引き受けたって、一体どうするつもり?」

 ルニにひょこりと脇から顔を覗き込まれたヘイゼンが、肩を竦めて溜め息を吐きながら、未来の女王陛下に気安く応える。

「「水平機構」の集中システムに割り込み、内部の引力値と水平値をリアルタイムで書き換え続けるのですよ、アリエッタ王女」

 聞いてもさっぱり意味が判らなかったのだろうルニが縋るような目でクラバインを振り返ると、彼は珍しく困惑したような顔でヘイゼンに視線を送った。

「そんなものか、程度の認識があればよろしいかと」

 十割作り笑顔で言い放ったヘイゼンを、ルニはなんとなく不満げな顔で見据え唇を尖らせたが、食えない電脳魔導師はそれ以上口を開こうとはしなかった。

  

   
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