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17.フレイム

   
         
(28)魔導師(魔導機-2)

  

 「クラウド」から放出された金属腐蝕ガスは始め、厚さ二千二百ミリの鋼板の一部を微かに変色させただけだった。

 素点となる「キューブ」で囲まれた円の内側に、ぽつりぽつりと小さな染みのようなものが穿たれ、いつの間にかそれがじわじわと広がる様は、舞い上がる熱風に酷くもどかしく焦がされていく薄紙の表面に似ていると、無数の電脳陣が吐く色取り取りの光に炙られた光景を見つめ、ミナミは思った。

 始めは激しく吐き出されていた黒色ガスが徐々に弱くなり、いつしか噴出が停まっても、鋼板に取り付いた染みの拡散は止まらない。「クラウド」がだらだらガスを吐き続けていては掘削する魔導機が対象へ接触する時間を引き延ばす事になるだろうと、今回の計画を説明された当初から気付いていたイムデ少年は、事前に分厚い鋼板の素材を分析し、分子の配列を確認し、最も浸透率の良いガスを選択していたのだ。

 ガス噴出をやめ待機状態に入った「クラウド」が、ふらりと後退する。筒状に配列した「キューブ」のトンネルを水平に移動し最奥に据わった歪な球体の出番は、とりあえず、これでお終いのようだった。

 床から高さ四十センチの所から、円の直径二メートルほどの荒れた表面を晒す、鋼板。内部の残留ガスは、隔離空間内の圧力操作によって鋼板側に蟠っていた。

 歪な染みがゆっくりと広がり、隣り合ったもの同士が癒着して大きな影を作り始める。光沢を失いささくれ立つようにざらざらとした表面が、超高速で錆びているのだ。

「…「クラウド」、「キューブ」、臨界に帰還準備。カウントゼロで帰還。ベッカー、「キューブ」消失と同時に残留ガスを拡散させろ。ガス拡散後、「ヴリトラ」「スペクター」のアタック開始。「サラマンダー」の参加は百秒後」

 これもまた独り言のようにイムデ少年が呟くのと同時、中空にカウンターがぼうと現われる。

 カウントは七十だった。後一分と少しで鋼板は突き崩され、その内に抱えた「母」を見守る誰もの目前に晒すだろう。

 最早身じろぎさえ許されない、飽和した緊張感。

 ミナミは、見ている。

 あの、観察者のダークブルーで。

 ミナミは、感じている。

 無数の陣が忙しく稼動する「騒音」。

 そしてミナミは、判っている。

「全て」を食い潰すほど巨大な陣影が、目に見えない「世界」を振り切り現実に顕現しようとしている、胸騒ぎを。

 血液が沸騰する。

 意識は錯乱している。

 冷静な部分が頭上から自分を眺めている。

 足が震え。

 指先は血の気を失い。

 喉に痞えた…声…が。

        

 悲鳴。

          

 あのひとの名前を。

        

「呼びたい」

        

 カウント、ゼロ。

「キューブ」がばらりと解けて螺旋を描きながら天井に焼き付いた白い陣に吸い込まれるのと前後して、「クラウド」が急落し床に描かれた藤色の陣に沈む。その二つに気を取られている刹那に、壁付近に蟠っていた黒色ガスが内部から放射状に放たれた衝撃に吹き飛ばされて霧散し、デリラにじゃれついていたはずの「スペクター」が白い残影を刷いて腐蝕した鋼板に取り付く。

「あわっ!」

 中空に描かれた臨界接触陣ごと移動して来た「ヴリトラ」が、壁面間近に陣取っていたアンとイムデ少年の脇を掠めるのと同時、ベッカーは小柄なふたりの首根っこを掴んで引っ張り寄せ、慌てて後ろへ逃げた。何せ二機の魔導機たちはそこに人が居る事などお構いなしで、脆くなった壁面に爪を立ててガツガツと掘り始めたのだ。焼き菓子の滓みたいな金属片が飛び散って、すぐ後ろになどいたら危なくて仕方がない。

「落ち着こうぜ…マジで」

 床に座り込んだイムデの髪に絡んだ鉄片を払いつつ飄々とした口調を崩さないベッカーが溜め息混じりに言った途端、その頭上を「サラマンダー」が行き過ぎる。それで三人はまた慌てて頭を低くし、這うようにして壁から距離を取った。

 許可された時間よりも少し早く、赤い龍は待ち切れないように壁に取り付いて腕を伸ばした。その先端、蠢く五指の爪が腐蝕した鋼板を引っ掻き、酷く耳障りな、悲鳴のような甲高い音が狭い空間内に放たれると、誰もが顔を顰める。

 それでも、目は逸らさない。

 見届けるのだ。

 あの、悪魔が、この世に戻る瞬間を。

「開口部出現により、隔離外板の強度低下を確認しました」

「内圧は」

「平常値だ。多少のエネルギー漏れがあるようだが」

 床に座り込んだままバックボーンで鋼板の強度を確かめていたアンがドレイクを振り仰ぐと、彼は内部計測中のローエンスに視線を流し、答えて、退屈そうに佇んでいた第六小隊長が壁際に立つイルシュとブルースの背に問い掛けともつかない台詞を投げる。

「魔導機の掘削作業には影響ないレベルだが、孔が開けば衝撃波が来るぞ」

 言い足されるのを待ってなのか、それとも考える時間だったのか、イルシュとブルースはちらりと視線を交わして頷き合い、それから、少年たちの前から動こうとしないタマリに顔を向けた。

「逃がせる? タマリさん」

「おー。よゆーよゆー」

 にこりと微笑んだタマリが背を預けていた壁からようやく離れ、内部観測中のローエンスに近付く。

「漏洩エネルギー計測してる陣、こっちと繋げるよ?」

 タマリは気楽にそう言いながら、なぜか懐を探って携帯端末を取り出した。

「何をする気だ?」

 きっと、あまり無茶をするなと言いたいのだろうローエンスは眉を寄せたが、タマリは意識的にそれを無視したように見える。

「うん。うちのちびどもがけっこーがんばっちゃってっからさー、アタシももうちょっとがんばろうかなって」

 耳障りな金属音の合間に、タマリの軽やかな笑い声が混じる。

「ヘイゼンが、今、駆動部と機関部の内部計測してんのよ、運行管理院のど真ん中で。だから、漏れたエネルギーそっちに突っ返してやっからって連絡すんの」

 手早くどこかの番号を入力したタマリは、何も言わずに携帯端末を床に置いた。通信中を示すように小さなモニターは弱々しい光を吐いていたが、応答する気配もないのにウォルが訝しそうな顔をする。

「なんかさ」

 と、タマリが、床で沈黙する携帯端末を見つめて呟いた。

「アタシらすげぇよね」

 伏せた睫の先に纏い付く、白い光。

「無茶苦茶にあっちもこっちも繋がってんだよ? だって」

 誰と誰が、ではなく、誰もが、繋がっている。

 ただ見守るだけの人間も。

 一心不乱に外壁を掘り進む魔導機も。

 この場に居ないルニやヘイゼンも。

「だからアタシらすげぇしさ」

 呟いて、タマリは顔を上げた。

 その、ペパーミントグリーンが見つめる先には。

「そうなんだって言い逃げのハルちゃんは、もっとすげぇよ」

           

 ミナミが居た。

           

『こちらは運行管理院中枢「出張所」。

 タマリからの通達を受け、出力機関監視システムを切り離し臨界式に変更。接触許可後、出力監視は臨界内において行われる。後はそちらで好きにやってくれたまえ、諸君。何せわたしはこう見えても忙しくてね、姫君の従順な下僕として身を粉にして働かねばならんのだよ』

 突如天井付近に立ち上がったモニター。そこに映し出されたヘイゼンはいつものように冷たい表情だったが、なぜかその背景は、暮れかけた茜色の空と桃色の雲だった。

 それに、誰もが不審を抱く。王城で何が起こっているのか。それでなぜ、ヘイゼンが天蓋に近い場所に居るのかと思ったが質問する隙も与えず、彼は一方的に通信を切断してしまった。

 天井から水平に視線を戻し、それから、壁の穴に頭を突っ込んでいる魔導機たちを見、佇む魔導師たちを見回したヒューは、旋回したサファイヤをミナミの背中に据え、やれやれとさも大袈裟に肩を竦めた。

           

「もう、凡人の俺には何がなんだかさっぱりだよ」

          

 理解出来なくても、進行し始めた事象は最早停まらない。

 不可解な「力」で漂い続ける都市。

 悪魔を抱いた「母」の外殻。

 鉄片を撒き散らしながら突き進む魔導機たち。

 秩序なく揺れ続ける数値を必死に抑えようとする少年たち。

「その瞬間」を見逃すまいと息を詰める技師たち。

 祈る少女と。

 待つ青年。

 すべての人よ、うらむなかれ。

  

   
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