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17.フレイム

   
         
(31)都市-3(同時進行-7)

  

<本丸最上階:展望室中央>

 本来ならば王族…ファイラン家のうちでも「惑星の女王」との謁見を認められた者しか立ち入る事の出来ないその場所、円形の浮遊都市ファイランの中央に聳える尖塔群の更に上空、ファイラン家私邸さえも突破した分厚い天蓋の頂点に位置する展望室をぐるりと眺め、ヘイゼンは込み上げて来る笑いのままに酷薄な唇を歪めた。

 確かに彼は、王城地下に位置する運行管理院のシステム室と、駆動部、機関部からなるだけ直線上にある、ある程度広い場所を確保してくれと希望はした。希望はしたが…。

「まさか、我ら電脳魔導師でさえ近寄る事も許されていなかったこの場所をあっさり提供されるとは、さすがのわたしも予想していなかった」

 薄蒼と赤の交じり合う空をなんとなく見上げ、ゆっくり視界を横切って行く桃色の雲を無言のままで遣り過ごし、再度嘆息。空が綺麗だななどと考えて、邪魔なもののない空はこんなに眩しいのかとも考えて、つい、吐き出すように笑ってしまった。

「よい、よい。なんとも思い切りのいい姫君だ。機械が壊れたら機械屋を呼ぶ。判らないものは判る者に訊く。広い場所が必要なら在る場所を使う」

 さすがに、ルニがこの場所をヘイゼンに提供しようと言い出した時だけは、クラバインも慌てた。せめて陛下に相談をだとか連絡をだとか言っていた衛視団の最高責任者を黙らせたのもまた、姫君の短い一言だったが。

          

「兄上に訊いた所で、ないものはないじゃない」

        

 まったくもってその通りだとヘイゼンは思った。感心したしばかばかしくなったし笑いたくもなったが、それ以上に、この姫君の潔さに敬意を表すべきだと思う。

 少女は重ねて言った。

       

「大丈夫。責任は、わたしが取ります」

        

 もしかしてあの麗しい兄君に叱責される想像でもしたのか、ルニはその時蒼褪めた顔を強張らせ、それでも、当惑するクラバインと無表情に見つめるヘイゼンに笑って見せたものだ。

「姫君の覚悟に感謝と尊敬を。ただ一言と共にたかが技師ごときに頭を下げた未来の女王陛下に、全身全霊を持って報いるか」

 暮れ行く空を見上げたまま呟いたヘイゼンは、円形の展望室の中央佇み、見えない緋色のマントを翻すかのように軽く腕を振るった。

 途端、ヘイゼンを中心にして放射状に奔り出す、淡い金色の光。佇むクリーム色の長上着から前後左右に伸びたそれを追って難解な幾何学模様が広がる様は、出来のいい特殊映像でも見ているかのようだった。

「「オロチ」のモデリング領域を開放。AI「クズ」を不可侵領域に一時退去させ、アクセス制限による保護を実行。エンター。クリア。不可侵領域内に形成した擬似人格にAI「クズ」をインサート。エンター。…不可侵領域内に正常人格形成後、応答せよ」

『…応答せよ、ってねぇ、君? ボクはある意味君なワケだし、もうちょっとフレンドリーに行こうよ』

 奔り続ける陣を無視して一個のモニターがヘイゼンの目の前に現われ、そこに、なんとも人を食ったようなメッセージが表示される。今は一介の技師でありながら過去電脳魔導師隊小隊長を努めた男は、その文字列を酷く懐かしそうに目を細めて見つめた。

 ないはずの音声まで伝わりそうな、慣れた「口調」。

「…では、なんと言えば満足だ?」

『ヒサシブリだな、じゃない?』

「言って」、ヘイゼンの持つ不可侵領域内に設置された自己判断・思考学習型AI「クズノオロチ」は、その基礎になったクリスー・ケラーそっくりにとぼけた調子で笑った。

「さて、君とは初対面のはずだが?」

『そんなワケないでしょー。ボクと君は、生まれてから死ぬまで、表と裏とに存在し関係してるってコトくらい、君だって知ってるじゃない』

「ならば、オロチ。わたしが何を求めて君を「呼び出した」のか、判るな?」

 ヘイゼンの足元から派生した淡い金色が、複雑な文様を描き直径数メートルにも及ぶ巨大な陣影を床に焼き付けて、停まる。同時に、剃刀色の瞳が見つめる先のモニターに、一言、「oui」と表示された。

「では、オロチ。君には、駆動部と機関部の監視を全て任せる。システム復旧時、一時的に過剰エネルギーの逆流が予想されるが」

『oui、oui。臨界式に圧縮して一時収納するから大丈夫。それよりヘイゼン? 水平機構のリアルタイム操作の方こそ、大丈夫なの?』

 懐かしく思い出すその問い掛けに、ヘイゼンは思わず酷薄な唇を苦笑の形に歪めていた。

 クリスもそうだった。判っているくせに、あの青年はいつも言ったものだ。

          

「ボクの方はいいんだよ! それより、君は大丈夫なの?」

        

 これは、懐古の情から来る戯言ではない。技師としての仕事の傍ら、暇潰しに開発し続けた擬似人格の形成模式にクリスの思考パターンを使ったのは、つまり、「こういう事だったのか」とヘイゼンは初めて納得した。

 足元で輝きながら停止している陣を広範囲に見つめ、ヘイゼンは薄く笑んだ。

「誰に問うている? オロチ。わたしは、君なのだろうが」

 いつも、そうだった。

 飽きもせず毎回大丈夫かと問うクリスに、ヘイゼンも毎回同じ答えを返していたのだ。

          

「クリス。わたしを誰の相棒だと思っている」

        

 無くした片割れを求めたのではない。

 ヘイゼンは、ふ、と上空に視線を投げて、短く息を吐いた。

「クリス、無駄な生などないように、無駄な死もまたこの世にはない。

 だからこそ、死して尚君は、あれを救う事が出来るのだろう」

 確かにこれはクリスという青年の代替品でしかないかもしれないが、きっとあの悪魔は判ってくれるだろうとヘイゼンは思った。

 クリス・ケラーは、誰も恨まなかった。

 ウイニー・リッチーも、誰も恨まなかった。

 そして、ヘイゼン・モロウ・ベリシティもまた、誰も恨まなかった。

 遺族や他外の関係者は彼を怨み、怖れたかもしれないが、当事者である彼らは誰も…。

「…自分の許し方さえ知らぬあれを、どうして恨めようか」

 ヘイゼンの呟きに答えるかのように、モニターに一個の文字列。

『oui』

 短過ぎる肯定のメッセージを色の薄い瞳に映し、ヘイゼンは頷いた。

「全てが終わった暁には、是非とも威張り腐って言ってやろうじゃないか、オロチ。貴様の不始末は、わたし「たち」が請け負ってやったぞとな」

 意地悪く吊り上げた薄い唇で、ヘイゼンはさも偉そうに嘯いた。

     

       

<同時刻:本丸地下運行管理部>

 蔓延する、息苦しい程の緊張。

 駆動部と機関部を監視しているシステムは現在、運行管理部中枢に集積され、監視されていた。

 薄暗い室内を埋める機材。元よりそう広い場所ではないのだが、通常の三倍という莫大な情報を超高速で遣り取りするため、数機の端末が床に直に置かれ、大人の腕程もあるケーブルが縦横に張り巡らされているものだから、ますます持って狭く感じられる。

 運行管理システムメイン端末に着いて居るのは、王下特務衛視団衛視長、クラバイン・フェロウ。相も変わらず地味な風貌に、まるで似合わない漆黒の長上着という出で立ちながら彼は、ヘイゼンの要求には即座に答え、且つ、運行管理部から速やかに職員を退去させ…というか、有無を言わせず追い立てたのだが…、駆動部責任者アウロラ・オーリンと機関部責任者サーフ・ベルモンドは各持ち場に戻らせて、それぞれモニターを設置し、リアルタイムで相互の状況を確認出来る様にした。そう、ほんの十数分で、だ。

 だから、離れた場所に在りながら、彼らはその緊張も当惑も気概も共有している。固唾を飲み、目前のモニターに表示される数値を睨んで、ヘイゼン言う所の「その瞬間」を待つ。

 瞬きも忘れて食い入るようにモニターを睨んでいたアウロラが、ふと首を捻った。そういやぁモロウ技師は「その瞬間」を待てとかなんとか言ってたが、「その瞬間」ってのはそもそもいつだ? と。

 それと同時、薄気味悪いくらい安定している出力を見つめていたサーフも、はたと気付いた。正常なのか異常なのか判らない常態でフル生産されているエネルギーが、もし、瞬間的に出口を失ったら、大爆発を起こしてしまうのではないだろうか。例えば緊急停止措置が間に合ったとしても、想定外の機関停止は装置に多大な負荷を返すのだ。

 不安。

 不安。

 アウロラとサーフは、どちらからともなくモニターの片隅に映るクラバインに視線を移し、それぞれがそれぞれの持ち場で、小さく、声を発した。

『あのー』

『フェロウ室長…』

 瞬間、覆い被さるような機材と床を縦横に走るケーブルに囲まれたクラバインの懐で、携帯端末が微かに震えた。

          

        

<第0エリア:地下隔離施設>

 美しく微笑んだ国王陛下に、ハルヴァイトが会釈する。腕に抱きかかえたミナミがそのままなので妙な感じはしたが、誰もそれを指摘するには至らなかった。

 佇む悪魔の背後に見えていた淡い青緑に燃える人工子宮の表面が徐々に暗くなりはじめ、あの炎が消えようとしているのだとウォルはなんとなく思った。少し、惜しい気がする。

 ちかちかと純白の粒子を撒き散らしていた青緑が、暗闇に浸蝕されて行く。いつの間にか、自分の隣に居る誰かの顔も見えない、初めてこの空間を目にした時と同じ闇が全てを包むだろう。

 と、この場の誰もが忘れている「重大問題」について、ハルヴァイトは…。

 痩せても枯れても、腐ってもハルヴァイト・ガリューである。一旦完全に分解されて臨界に在り、再構築されても結局は悪魔だ。

「ところで、今、再構築プログラムを放棄して臨界との同期を切りましたので、ちょっと揺れますよ?」

 こう暗くちゃ足元も見えねぇな、などとぶつくさ言いながら投光機に火を入れたギイルが、妙な顔でハルヴァイトを振り返る。

「…揺れる?」

 でも、質問したのはヒューだった。怪訝そうな顔で小首を傾げつつ、さりげなく移動して佇むウォルの傍らに位置を取る辺りが、さすが警護班か。

「機関稼働率160%前後で生産していたエネルギーの使用を中止しました。だからといってそのまま普通に機関部に処理を任せては装置が爆発してしまうでしょうから、とりあえず余剰エネルギーは臨界側で処理しつつ、機関は一旦停止させます」

 ハルヴァイトが余りにも涼しい顔で淀みなくすらすら言うものだから、誰もが事の重大さに気付けない。またまぁ、この世に居ても居なくても好き放題やったものだと、ドレイクなどは失笑さえ漏らす始末だ。

「で、結果的に、ちょっと揺れますよ? という話しです」

          

「…つうか待て。それはただ揺れるんじゃなくて、機関停止で都市が落っこちるから揺れるつうんじゃねぇのか?」

       

 その、久しぶりに耳にした平坦な口調と温度の低い声が誰のものだったか、ウォルは柳眉を寄せて考え込んだ。

「そうとも言いますね」

「…じゃねぇだろって。そんな落ち着いてていいのかよ」

「ルニ姫様が上手くやってますよ。今のわたしたちの役目は、結果を待つことです」

 投光機の描く真円の中央で、ハルヴァイトが軽く肩を竦める。

 そしてミナミは。

 一秒前まで、言葉を忘れてしまったかのようにただ緩く微笑んで見せるだけだった青年は。

 盛大に嘆息してうな垂れ、ついでに肩まで落として見せた。

「アンタ…何、どれだけ仕掛けたんだよ…マジで」

 それが実に十数日ぶりに聞いたミナミの声だったと思い出してから、陛下は本丸の状況はどうなっているのかと問い合わせるために、懐から携帯端末を取り出しクラバインの呼び出し番号を押した。

          

          

<刹那:臨界>

 久しく使われず、つまりは荒れ果てた荒野のようにデータの屑さえ見当たらなかった黒色の基底領域に、青緑色の炎が燃える。

 その炎が爆発的に拡がって、奔る先端に構築されて行くプログラムを読み取りながら、冥王=プルートゥはやれやれと肩を竦めた。

「…プログラム自体は完全待機で、列挙されたアカウントが実行する式が異常を返すかエラーを起こして崩壊するかした場合にだけ、次点で稼動するようにしてあるようですね。つまり、これは全て『保険』であり、実際現実面で観測出来る事象は、アカウント保有者の構築したプログラムによるものと…偽装される」

 燃える文字列の影響など受けていないのか、その「人」は忙しく立ち上がっては待機するプログラムの間をゆるゆると移動しながら、独り言みたいに呟いた。記されたアカウント…個人の識別コード自体は多くないが、使用電素数は通常考えられる「一人分」の占有領域を遥かに超えている。

「………。エル/ディアブロとジン/グァイの占有領域の全部を使えば、確かに、余裕はあるでしょうが…」

 ふむ、と納得したように呟いてから、冥王は苦笑を漏らした。血の気の薄い唇に上ったその笑みは酷く皮肉な印象で、もし、彼を見咎めるものがあったとしたら、その不自然さに首を捻っただろう。

 臨界というデータを統べる王の、余りにも人間臭い表情に。

「最初からこの「領域」が使えると知っていたのか、それとも、「この世」を覗き見て知ったのか。前者であれば、彼は…」

 一瞬で全ての準備を終えたのだろうプログラムが待機すると、元は荒野の様相だった領域を瑞々しい若草の流れが埋める。微風になびく草原…正常に「あの世」と繋がった未使用領域をぐるりと眺め、冥王は口を噤んだ。

 彼は最初から全て承知していたのではないか。という疑念を「臨界」の王は抱いたが、問うものもおらず、問うつもりもなく、ただ、「この世」がその役目を終えるまで彼が口を閉ざしてくれればいいとだけ思った。

           

 全ての人よ―――

          

―――フレイム。

  

   
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