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17.フレイム

   
         
(33)王城(結末-1)

  

 日も暮れて、宵の口は過ぎたが深夜というにはいささか早い時間、目に見えない緊張に満ちていた王城地下車両庫が俄かに活気付く。しかしそこで忙しく停車準備に追われているのは総動員された衛視であり、通常ならば居るはずの職員は一切見当たらなかった。

 開放されたゲートを潜り抜けて次々現われるモビールとキャリアーの群れ。漆黒の長上着を翻した衛視に先行し、キャリアー停止を待たずに飛び降りた警備部隊の兵士たちが待機の衛視に混じって停車措置を取る中、ウォルは近付いて来たジリアンにモビールのハンドルを預けて地面に降り立ち、ゴーグルを外してからひとつ息を吐いた。

「お帰りなさいませ、陛下」

「ルニとクラバインは?」

 忙しなくライダースーツのジャケットから袖を抜きつつ早足でエレベータに向かいながら問うた王に、別の衛視が執務室ですと答える。窮屈な衣装を脱ぎゆったりしたジャケットを羽織る頃には、背後にヒュー・スレイサーがぴたりと寄り添っていた。

「王女殿下とフェロウ室長、並びに数名の技師が陛下執務室にてお帰りをお待ちだそうです」

 既にクラバインから連絡が入っていたのだろう、ウォルの背後を固めた銀色が携帯端末を見つめながら呟くように報告すると、王はひとつ頷いてから、何か思い出したように背後を振り返った。

 混在するキャリアーとモビールの隙間に滑り込んで来た、一台の装甲車輌。佇み、睨むように見つめるウォルの黒瞳に映るのは、頑強な移動する牢獄か。運転台から飛び降りた警備部隊の兵士たちは硬い表情で頷き合ってから、重苦しい動作で装甲車のハッチを開放した。

「これは一体どういう事ですか? 陛下…。なぜわたしは…こんな場所に居るのですかな!?」

 両脇を兵士に確保された状態でしきりに喚く、見知った男が半ば引き摺られるようにして姿を見せる。アドオル・ウイン。全ての元凶…? 果たしてそうなのか。例えばこの男がグロスタンにそそのかされていたとしても、しかし、彼の罪は無くならない。

 裁きを。

 連行されつつも必死になって首を伸ばし、王に向けて何かを言い募るウインが目前を通り過ぎるのを無言で見送り、ウォルは呆れたように息を吐いた。今更自分に何を訴えようというのか、あの男は。とうんざり気味に思う。

 やれやれと肩を竦めたウォルは、装甲車から連れ出されて来たもう一人の男を目にして、表情を引き締めた。

 酷く顔色の悪い男だった。顎が細くて額が広く、いかにも神経質そうな顔をしている。

 グロスタン・メドホラ・エラ・ティング。

 臨界からこの世に連れ出された亡霊は、まったく艶のない死んだ白髪が身の丈よりも長くざんばらに伸び切っていて、顔も判然としない。その、流れ落ちる白の間から覗く、暗く濁った紫色の目はどこか夢見るように亡羊としており、まるで生気がなかった。

 男は、特殊防電機能付きの手錠で拘束されていた。これは、万が一彼が臨界へ接触しようとすれば手錠が反応し、ジャミングが発生するようになっている、対魔導師用の特殊器具だ。

 臨界への接触という奥の手が封じられているからか、グロスタンはウインと違って気味悪いほど大人しかった。隔壁区画から装甲車輌に移された時も、今も、抵抗どころか喚き声一つ発しない。

 幽鬼のようにふらふらとした足取りで目前を過ぎたグロスタンを見送り、ウォルが再度息を吐く。あの男は、今までただ見ているだけだった「世界」に突如放り出されて、どこか壊れてしまったのだろうか…。

 余計な杞憂と微妙な空気を含む静寂を振り払うように首を振り、ウォルが表情を引き締める。まだ、終わっていない。そう、ウインでもグロスタンでもない「問題」も、この都市には復活しているのだ。

「ガリュー!」

 その、威厳ある鋭い声がエンジン音の途切れた地下車両庫に響き渡るなり、ハルヴァイト帰還を知らされていなかった衛視たちの顔に緊張が走る。

「何か」

 答えは、最後尾のキャリアーから漏れた。

 開け放たれた開口部から薄暗い室内に滑り出す、鉄色。

 漆黒の長上着、艶消しの長靴。不思議な光沢を纏う鋼色の長い髪と、光のない鉛色の瞳…。

 その、誰の記憶とも寸分違わぬ悪魔を目にして、衛視たちは表情を強張らせた。

 消えて。

 臨界へ。

 生き返った。

 あの、悪魔は。

          

 その傍らに、全てを記憶する事で全てを停滞なく取り戻した……最強最悪の天使を寄り添わせている。

          

 しん、と水を打ったような静寂に沈んだ空間を、ミナミはあの観察者の瞳で見回した。そうだ、と青年は思う。誰も彼もがそういう風に恐怖すればいい。それで問題など何もない。知らぬ者は知らぬまま、気付かぬままにいればいい。

 ただ、怖れればいい。

 でも、ミナミは判っている。

 ウォルも、ドレイクも、あの場に居合わせた不運な者たちは知っている。

 この悪魔こそが、自分を忌避する「世界」を誰より正しく理解しているという事を。

「電脳班、第七小隊、警備部隊代表を連れて僕の執務室に出頭しろ。…アイリー」

 ハルヴァイトの傍らに佇む青年の無表情に視線を移し、ウォルは一瞬だけ戸惑った。相変わらず何を考えているのか判らない綺麗な青年を見つめ、思わず口を噤む。

 停滞する瞬間。

 ミナミの唇が、淡い孤を描いた。

「…しょうがねぇから、仕事すっか」

 うんざりと呟いた青年が、立つハルヴァイトの背を躱して颯爽と歩き出す。翻る長上着の裾。暗がりにも映える金色の髪。硬直した衛視の間を危なげなく進んだミナミは、ヒューと並んでウォルの背後に控えた。

「出来れば、帰ってとっとと寝てぇトコなんだけどな、実は」

「…僕は今すぐ寝込みたい気分だ、アイリー」

 これまたいつものように気軽に言い合って、ついでに肩を竦め合ったウォルとミナミを、ハルヴァイトが背後で笑っていた。

「つか、そこ笑ってる場合じゃねぇ。全部あんたのせいだっての…」

 と、ミナミはげんなりと無表情に振り返り、突っ込むのを忘れなかったけれど。

              

           

 陛下執務室に飛び込んだウォルとミナミを待ち構えていたのは、ぐったりとソファーに沈んだルニ、どこかで見た覚えのある技師…ウォルは先に緊急通信してきた相手の顔を、殆ど覚えていなかった…が二人、それから、涼しい顔で紅茶を頂いているヘイゼン・モロウ・ベリシティだった。ちなみに、クラバインとマーリィは当然居るものだから、陛下も青年もあえて意識していない。

 息を切らせて転がり込んで来たウォルを目にするなり、アウロラとサーフは慌ててソファから腰を浮かせ頭を垂れようとした。その、技師ならば取って当然の行動を薄笑みで見遣るヘイゼンは手にしたカップをテーブルに戻そうともしなかったが、敬われて当然の陛下も王女殿下も、偉そうな「モロウ技師」を別に咎めはしなかった。

「いい、構わないから座っていろ。詳細な報告はまだだけど、今この都市がこうして無事に航行しているのはお前たちの働きがあったからこそだろう? えーと…」

 思わず部屋の隅に退去しようとした二人の技師に華やかな笑みを向けたウォルはそこまで言うと、何かを確かめるようにミナミを振り返った。

「駆動部主席技術者アウロラ・オーリン氏と、浮遊機関部主席技術者サーフ・ベルモンド氏です、陛下」

 当然のように各機関の名簿を完璧に記憶しているミナミがすらすら述べると、ウォルがそうかと頷いて再度二人に笑みを向け直す。その、目前で拝む機会などないだろう、賞賛を込めた麗しい笑顔に、技師たちは目を潤ませて感激した。

 陛下不在の間に王城で起きた一連の…つまりは駆動部、機関部停止における経緯と顛末は、簡単なタイムテーブルと事後報告で簡潔に纏められ、執務卓のメモリに蓄積されていた。ウォルはそのデータに目を通すのではなく、簡単な臨界式リーダーでアクセスして直接脳内に収納し、一瞬でほぼ全ての報告を理解する。

「つか、そういうの見ると、魔導師って便利だなとか思う」

 ぱ、とウォルの眼前で小さなモニターが明滅したのを目にしてミナミが呟いた途端、それまでソファの背凭れに頭を載せてあーとかうーとか唸っていたルニが、バネ仕掛けみたいに跳ね起きた。

「アイリー!」

「…何?」

 室内にルニの悲鳴が木霊すると、ミナミは無表情に小首を傾げ姫君に顔を向けた。その途中、瞬きを止めて凝視して来るクラバインと、驚いたように真紅の目を瞠ったマーリィの表情を見てしまって、内心「しまった」と思ったが。

…もうちょっと、黙っていればよかった?

「声が!」

 参ったな、などと暢気に苦笑する青年を、陛下が笑う。

「ルニ、その辺りのことは訊いてやるな。まぁ、あえていうなら、喉に引っ掛かっていた何かが取れたから、元に戻ったんだ」

「何かって、何?」

 ルニがなぜかマーリィに問えば、真白い少女がふかりと微笑む。

「さぁ、なんでしょう。なんなんですか? ミナミさん」

 迫力満点の笑顔に晒された青年は、すかさず傍らに立っていたヒューの背中に隠れた。

 銀髪の流れる背を包む黒い長上着の端が微かに引き攣れて、つい口の端を吊り上げたヒューを、ルニが剣呑な顔で睨む。

「スレイサー、アイリーを甘やかさないで!」

「とはいえ、まさかミナミの腕を掴んで引っ張り出す訳にも行きませんので」

 飄々と答えてわざと肩を竦めた銀色を、陛下とクラバインは小さく笑った。ルニとマーリィの位置からでは見えないのだが、実は、ミナミはヒューの長上着の端をしっかり握っていたのだ。

 例えばそれはまだ体温を伝えてしまう距離ではないけれど、つい昨日まではその距離さえ詰められずにいた青年にとっては、大進歩といえるだろう。

 ミナミの内面に何があり彼が声を発する気持ちになったのか問う事は一生ないだろうが、ヒューにはなんとなく、青年の喉に痞えていたという「何か」がなんなのか、判る気がした。

 青緑色の炎を振り切って現われたハルヴァイトに抱きついたミナミが何を…囁いたのか。

 あの悪魔にあんな困った顔をさせる台詞はそう多くないだろうな、と思ってみて急にばかばかしくなり、いい加減出て来いなどと首を巡らせた銀色が意地悪を言うと、ミナミは無表情にいやだと答えて譲らず、意味不明の睨み合いに発展する。その間も陛下はアウロラとサーフを労い、ヘイゼンに礼を述べ、ルニを抱き締めて褒めたりしていた。

 その後陛下は、アウロラとサーフに今回の騒動の内容も顛末も他言無用だと、そこだけは厳しい口調で言い置いた。職員にも再度緘口令を敷き、決して世間に明かしてはならないと付け足す。

「…事実を捻じ曲げる事はない。ただし、今はまだ明かしてはならない。この閉鎖された空間で我らが縋るものは鉄製の「地面」しかなく、しかしそれさえ絶対でないと「気付いて」しまったらどうなるか…。判って欲しい」

 言って、傍らに寄せたルニと共に深く頭を下げた王を目にして、二人の技師は大いに慌てた。平服でありながら壮麗な空気を纏う国王と、質素で清潔な正装に身を包んだ王女殿下に揃って頭を下げられるなど、夢にも思っていなかったのだから仕方あるまい。

 アウロラとサーフが蒼褪めて必死に首を横に振りながら、しかし何を答えていいのかあわあわと唇を震わせてばかりいるのを横目で見ていたヘイゼンが、やれやれと肩を竦める。その時彼はソファの肘掛に片腕を預けて寄り掛かり横柄に足を組んでいるという、技師どころか貴族でも王様相手にやらないような、極めて失礼な態度を取っていた。

「あなた様方はそれこそ、その閉鎖された都市を預かる最高責任者なのですが? 国王陛下。たかだか平民、地下層で人知れず働き誰にも感謝されない技師ごときに低頭するなど、そちらの方面に緘口令を敷いた方がよろしいのではありませんかな」

 抑揚の少ない皮肉たっぷりの台詞を聞いてすぐにミナミは、これはアウロラとサーフに対する助け舟ではなく、ウォルとルニに対する軽い説教なのではないかと思った。小難しい顔で他人に説教するのがこの男の趣味だと、ヘイゼンを知る誰もが証言しているし。

「自分では何も出来ず、ふんぞり返ってあれをしろこれをしろと口やかましく言っているだけの僕の使い道など、これくらいしかないと思わない? モロウ。平伏するだけで誰もが汗だくで働いてくれて都市が助かるのならば、僕は誰にだって頭を下げる」

 矜持の問題ではないとウォルは、笑いさえ含んだ声でさらりと言って退けた。

「ただし、必要でない者には死んでも頭なんか下げないけどね」

 美女顔負けの白皙に柔らかな笑みを浮かべたウォルを、アウロラとサーフが涙ぐんで見つめている。つうか大袈裟過ぎ。などとミナミは内心思い切り突っ込んでいたが、さすがにこの場の空気を乱すのはどうかと思ったので、声に出すのはやめた。

「…我らは、都市を助けたのではありませんよ、国王陛下」

 しかし、ヘイゼンは食い下がる。退屈そうに頬杖を突き、正面のウォルとルニに顔を向けもしない。

「―――――機械を、直しただけで」

 なんでもない一言だった。

 誰に同意を求めるのでもなく、独り言みたいに漏れた台詞。しかし、先からの流れでヘイゼンの言葉の真意に気付いたのだろうアウロラとサーフが、ふと表情を緩めて目配せし合う。

「その通りですよ、陛下。わたしたちは壊れた機械を直しただけです」

「そうそう、王女様もそう仰いましたし、ね?」

 アウロラが四角い顔に笑みを浮かべて言ったのを受け取ってから、サーフが軽くルニにウインクして見せる。

「機械が壊れたら機械屋を呼ぶ。判らないものは判る者に訊く。広い場所が必要なら在る場所を使う。我らは王女殿下の仰る通り、壊れた機械を直して見せただけですからな」

 ようやく肘掛から腕を下ろしたヘイゼンが、剃刀色の双眸で正面に座す少女を見つめた。

「これは、嘘ではない。偽りでもない。我らは王女殿下のご期待に沿えた事を生涯誇りに思うでしょう。他言無用と言われれば、我らが敬愛する王女殿下に誓って他言無用を貫きましょう。

 技師に技師たる誇りと活躍の場を与えて下さった王女殿下には、我らが感謝したいくらいですな」

 ふと、その酷薄な唇に浮かんだ薄笑み。

 ミナミは、そこでようやく溜め息を吐き、肩を竦めて…突っ込んだ。

「つかさ、姫様どうもありがとうって、つまりそれだけ言うのに、陛下言い負かす必要ねぇだろって…」

 それで一瞬室内を静寂が舐め、直後、ヒューとクラバインは肩を震わせ、笑った。

  

   
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