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17.フレイム

   
         
(35)悪魔(結末-3)

  

 全てが中途半端なまま、会議室に新たな困惑が生まれる。

「だからこれも可能性の問題ですよ。今までウインの行って来た事や、サーカスのからくりをちゃんと考慮していれば、こうはならなかったかもしれませんね」

 ギイルとタマリ、タマリのサポートとしてブルースが会議室を飛び出して行き、暫し、それまでただ黙って室内を睥睨していたハルヴァイトが言う。

 でも今までこっちも大変だったんだからしょうがないじゃないか! と言いそうになって思い止まり、陛下は改めて椅子に沈んだ。

 だからこそ、警戒しなければならなかったのだ。この混乱とタイミング。サーカスから逃げた魔導師、違法に生成され市民に紛れ込んでいるだろう者たち。虎視眈々とウイン奪還なのかなんなのかを狙っていたとしたら、これほどまで警備が手薄になる機会を逃す訳はない。

「ではその可能性とやらを教えろ、ガリュー。グロスタン・メドホラ・エラ・ティングは、どこに消えたんだ」

 投げ遣りに問うた陛下に顔も向けず、ハルヴァイトが呟く。

「警備部隊の誰か…複数かもしれません…と入れ替わったか、最初から紛れ込んでいたグロスタンの手の者が、連行途中のグロスタンを連れて逃げた、という、それだけですよ」

 だから「消えた」訳ではないと、臨界の悪魔はつまらなそうに付け足した。

「もしかしたら、他の誰かはその光景を見ていたかもしれない。しかし、勝手に他人の記憶領域を弄り回すような連中ですからね、下手に証言を取って混乱させるよりも、タマリに臨界式で診察させた方がいいでしょう」

「…でも、そんな乱暴働いて来る連中相手に、どう対処すれば良かったのよ…」

 疲れたように呟いたアリスに視線だけを移したハルヴァイトが、また唇の端を歪める。

 それは、なぜ気付かないのかと、哀れむような笑い方だった。

「ミナミを傍に置くだけで良かったんですよ。グロスタンを完全に「外」と隔離するまで」

「……、あ、ああ、そうか…」

 言われて、ミナミにも判った。

「もし向こうの魔導師が、今回も前にスゥさんやデリさんの引っ掛かったみてぇなさ、幻視系の魔法で周囲を騙そうつっても、俺だったらすぐにおかしいって気付くからな」

「見る角度で顔の印象が変わるなんて不自然に、ミナミが気付かない訳ないでしょう?」

 今回ミナミに割り当てられた役目は、最初から最後まで「見ている」事だったのかと、今更ながら青年は内心で嘆息した。騒ぎの中心にあって正しい道筋を描き、しかし無責任に見ていろとは、判っていたがとんでもない我侭だなと思って、ふと、不思議になる。

 イコールの先に書き込まれている解答。方程式が正しく構築されなければ辿り着けないそれに到達するため、点在するフラグを掻き集めて並べ替えよと指示するだけの青年。しかしその内青年自らが関わらなければならぬものもあったはずだ。

 あの悪魔の駆使する言葉を描き、あの悪魔のために身を賭した兄と王の手を携え、あの悪魔の−−−。

 そうか、とミナミの中ですっきりとした答えが出る。

 全てを配置し、世界を真円で描き、この世に激変を望んだにも関わらず、結局、ハルヴァイトがミナミに「許した」のは。

「……あんたにだけ構ってろって、そういうコト…なのな…」

 それが解答かどうかは判らなかったが、ミナミはそう思った。

 一人何かに納得する青年とは別に、室内の緊張は途切れるを知らない。野に解き放たれたグロスタン・メドホラ・エラ・ティングの捜索を、一般警備部動員で行うべきかどうか王とクラバインが小声で囁き合っていた。

 その様子を、ハルヴァイトは退屈そうな顔で見ている。そのハルヴァイトに暫し視線を当てていたグランが、ややあって、諦め混じりに嘆息した。

「ガリュー班長」

 今や部下でないハルヴァイトを、グランはわざとのように硬い声で呼んだ。しかし、電脳魔導師隊の王者は腕を組んだまま正面を見据えていて、悪魔には視線さえ向けていなかったが。

「はい、何か」

 こちらは、相手が陛下でも基本的に態度を変えないハルヴァイトが気安く答えると、グランがようやく顔を動かし悪魔を見た。

「全魔導師を王城エリアに散開させ、グロスタン・メドホラ・エラ・ティングに対する警戒を?」

「…一般警備部の哨戒班に、索敵陣の中継機を持たせる程度でいいんじゃないですか?」

 思慮深い緑の瞳で睨まれても動じない悪魔が、不透明な鉛色でまたも室内を見回す。

「相手は純然たる「愉快犯」のようなものです。グロスタンは、例えばその時出来るとしても、都市を墜落させたりはしないでしょう。それに…まぁ、これは完全にわたしの予想なのでアテにはなりませんが、別に王政の転覆を狙っている訳でも、王を暗殺し内部に混乱を招きたい訳でも、ましてや、旧ティング王家を追放した都市を怨んでいる訳でもない。

 多分…、グロスタンの目的は、「臨界」の方ではないかと」

「臨界?」

 室内を代表する形で聞き返したドレイクに、ハルヴァイトは頷いて見せた。

「確証はないですが、どうせそんな所でしょう。それで、えーと、お忙しいところ申し訳ないのですが、陛下」

 死ぬほどマイペースというよりも、全く周囲の空気を読んでいないハルヴァイトはそこで、何か思い出したような顔をウォルに向け小さく挙手した。

「急用を思い出したので、退室して構いませんか? 出来ればその時、ミナミとルニ様をお借りしたいのですが」

「つうか、あんたが出てったらこの会議の意味ねぇし」

 最早言葉もなく唖然とする室内。がくりと肩を落としたミナミが突っ込むと、ハルヴァイトが椅子から腰を浮かせて、緩く微笑んだ。

「では、解散で」

 出て行ってもいいか、などと殊勝な口を利いておきながら、ハルヴァイトは既にこの会議とやら…彼の悪魔にしてみれば、無駄な話し合いなのかもしれないが…を打ち切って退室する気満々のようだった。さっきまでこの世にもいなかった貴様に何の急用だと言うか否か王は酷く真剣に悩んだが、言っても荒れてもあの涼しい横っ面をぶっ飛ばしてやってもハルヴァイトは平然と部屋を出て行くだろうし、ミナミもルニも連れ出されるのだろうからそれは最早無駄な労力と諦めて、ウォルは最後の抵抗とばかりに白皙を極めて不快げに歪め大きく溜め息を吐いた。

「激変…。激変か。どうせなら、お前も変わってくれれば良かったのにな、ガリュー」

 げっそりと肩を落として呟いた王の白い顔を、ハルヴァイトは卓の前に立ったまま見つめる。

「――――――そうですね」

 また、意味不明の笑みがハルヴァイトの面に浮かんだ。

 その不吉としか言いようのない上辺だけの笑みを視界の中心に納めたまま、ミナミは無表情に背筋を震わせた。

 悪魔は、まだ何かやる気なのだ、きっと。絶対にそうだ。都市の基盤を引っくり返す勢いで周囲の者に激変を押し付け、それでも足りないと…無言で責める。

 しかし、と青年は重ねて思う。

 ウォルの言ったのは、ある意味思い違いだろう。確かに表面上ハルヴァイトは全く…どころか、臨界に赴く以前より極端に辺りの状況を読んでいないしマイペースに見えるが、ミナミに言わせれば、ハルヴァイトは…誰よりも「変わって」しまったのだ。

 ハルヴァイト・ガリューという人の根底を覆すほどに。

 彼は。

「それで、陛下」

 腕を組んだハルヴァイトが、視線を下げて軽く俯く。

「アドオル・ウイン事件に伴う事項として、グロスタン・メドホラ・エラ・ティングの捜索も、電脳班一任で構いません?」

「当然だ。そしてお前には、一連の「事件」について僕の満足する結果を出せと命令する」

「判りました。では、大隊長」

「…なんだ」

「第七小隊を魔導師隊のシフトから外して、命令権を無期限で電脳班に移譲する書面にサインを。

 第七小隊には、明日にでも改めて詳細な指示を通達しますので、定時に全員登城、執務室待機。

 ナイ・ゴッヘル小隊長とラド副長には、今回の第0エリア地下閉鎖区画における任務を秘匿する旨の書面へ署名を求めます。と、当然、この「事件」に関わる一切の事柄について他言無用という意味なので、お忘れなく」

 不透明な鉛色の双眸で卓の一点を胡乱に睨んだまま、ハルヴァイトは淡々と言い放った。

 だから、彼は。

「それから、ドレイク、…すぐに戻りますので、ヘイゼン小隊長を含め、執務室待機。

―――最後に、陛下」

 唖然と見つめる数多の視線などお構いなしにさっさと言い置いてから、悪魔はやっと顔を上げた。

「「例の本」について、後日必ずご報告に上がります。そして、その内容の一部を聞いた皆様方に一つだけご忠告差し上げますが」

 だから、この、悪魔は。

「…先人の「犠牲」を尊いものであり、今わたしたちがこうして空に在る事を感謝するならば、忘れてしまいなさい」

 笑わない鉛色が、真っ直ぐに見据えて来るダークブルーとかち合う。

 ハルヴァイト・ガリューは。

 支度された舞台。描かれた真円。善という善。悪という悪。悪意なき悪。無関係な市民。そういうものが入り組んで、入り組んで、複雑に構築された三次元という「世界」を文字列に変換しただ眺めるだけというスタンスを覆し、攻撃的に、関わろうとし始めたのではないか?

 言い終えて気が済んだのか、ハルヴァイトはミナミからウォルに視線を移していかにも取って付けたようににこりと微笑むと、軽く会釈した。

 それでこの話はお終いというつもりなのだろう、何か言いかけたクラバインもドレイクもヘイゼンも無視して、今度はルニに顔を向ける。

「姫様にお願いがあるんですが、いいですか?」

 軽く問われて、少女が頷く。

「惑星の女王? というと…えーと、猫じゃないですよね?」

 苦笑交じりに訊かれて、ルニは首を捻った。

「…猫? って…なんで?」

「…猫じゃないならいいんです…。で、その女王様とやらにお会いしたいんですが…」

 その一言で、室内に驚きの空気に満ちる。

「惑星の女王は魔導師と会見しない」

 眉を吊り上げたウォルがすかさず言うなり、ハルヴァイトが肩を竦める。

「そのようですね。ですが…、向こうがミナミを連れて会いに来いと言って来たんですよ」

 だから大丈夫だろうと暗に言い含められて、王は言葉を無くした。

「言って来た? って…お前、彼女にどこで会った!」

「臨界で。と言っても、わたしがお会いしたのは、変な猫でしたが」

 妙に緊張感の欠けた悪魔の発言に、誰もがぐったりと椅子に沈む。一体この男は「臨界」で何をして来たのかと思わなくもないが、最早質問を繰り出す気力もないというところか。

 呆れた。

「つうか、なんで俺?」

 こちらも余り緊張感のない声音で問いかけたミナミに、ハルヴァイトが首を横に振って見せる。

「さぁ」

 困惑、当惑、疑問だらけ。見た目こんがり焼けたトーストを口に含んでみたら生肉だったというか、待ち侘びた恋人の来訪時間に呼び鈴が鳴って慌てて出てみたら借金取りだったというか、録画して後で観ようと楽しみにしていた映画を再生してみたら全く興味のないB級ホラーだったというか…、とりあえず、在り得ない状況と紙一重で起こりそうな落胆と大して意味のない失望がいっぺんに遣って来たような、そんな気分を誰もが味わう。

 結果、さっぱり訳の判らない周囲を見回し、ミナミは肩を竦めて突っ込んだ。

「さぁじゃねぇよ…」

 とりあえず今自分に出来るのはそれくらいだなと青年は、それで、さっさと事態の打開を放棄した。

  

   
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