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17.フレイム |
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(37)継続(結末-5) | |||
展望室から戻ったハルヴァイトは憎らしいほどいつもと同じに、探るような空気を完全無視して執務室のソファに腰を落ち着けた。 「…おめぇ、ミナミは?」 誰よりも先に口を開いたドレイクの台詞を耳にして、待たされていたヘイゼンが薄く笑う。今はまだ職務中だろうと言って遣りたい気持ちをなんとか堪えて元・部下を眺めれば、片やお節介な兄貴の表情で世間を騒がせた弟を睨み、片や横柄な衛視の顔で緩慢に室内を睥睨する。 「姫様に着いて陛下執務室に戻りました」 どちらかと言えば不真面目さばかり目立つハルヴァイトがいかにも平凡な答えを返したのに、やっぱりヘイゼンは笑いそうになった。ドレイクを含む部下たちは人としてミナミへの気遣いを優先したのにも関わらず、当事者たちは…何か意図あって…職務を優先したのだろう。 そういうところ、ハルヴァイトもハルヴァイトならあの恋人も恋人だと、似合わない技師の制服に身を包んだ元・魔導師は思った。決して職務と私情の線引きが上手く行っているとは思い難い、ヘイゼンにしてみればハルヴァイトに輪をかけて周囲にも自分の立場にも、もしかしたら自分自身にも気を回していないミナミがあっさり王女殿下と一緒に陛下執務室へ上がったのは、つまり、まだこの悪魔の「目的」が達成されていないと判っているからではないだろうか。 電脳班執務室内。一人思いを巡らせるヘイゼンは応接用のソファに居座り、ハルヴァイトと向かい合っている。それを咎めたドレイクは、ヘイゼンから見て左手に配されたデスクの群れのソファ側…どうやらここは本来デリラのものらしく、追い出された砲撃手は偉そうに腕を組んで上座に据えられたハルヴァイトのデスクに着いていた…に寄り掛かっており、アリスはその真向かいに、色の薄い金髪の少年…アン…は自分のデスク、アリスの左隣にきちんと着座していた。 「ヘイゼン小隊長」 「残念ながら今はモロウ技師だが、ガリュー班長」 すかさず言い返されて、ハルヴァイトは苦笑を漏らした。 「失礼しました。では、モロウ技師」 「何だ」 言い直させておきながら上官みたいな口調で答えたヘイゼンを、アン少年が苦笑いで見つめる。ミナミが同席していたら、いや、それ、言い直した意味ねぇし、と突っ込んでくれそうな場面だ。 「本件に関するご協力に感謝します」 ハルヴァイトが神妙な顔で軽く目礼すると、ヘイゼンは肩を竦めてドレイクに視線を流した。 「さて、私は何かガリュー班長に感謝されるような事をしたか?」 「さぁ」 こちらも肩を竦めて薄く笑ったドレイクが、わざとのように首を横に振る。 「ガリュー班長不在の折、都市を襲った不測の事態解決のためにと乞われて王女殿下をお助けしたが、班長に協力を要請された記憶はない。しかしながら、だ…」 鼻筋の細い、神経質そうな顔に作り笑顔を貼り付けたヘイゼンがハルヴァイトを見つめ冷淡に言い放つ。 「…まぁ、今後の事もありますのでここだけは白状しますが…」 意地悪く尚も何かを言い募ろうとヘイゼンが居住まいを正したタイミングを狙って、ハルヴァイトは溜め息混じりに呟いた。 「都市に「何事か」が起こる事は、始めから予測されていました」 それを聞いても、誰も驚きはしなかった。今更か。室内を占めた奇妙な空気を数呼吸分肺に溜め込み、それから、ヘイゼンは横柄に足を組んで肘掛に腕を載せ、身体を預けた。 「それがなんだ、ハルヴァイト。まさかお前、私たちをそこまで見くびっていたのか? お前は全てを予測する。誰がどう行動しそれに伴って「事象」がどう推移し新たな選択が生まれるのか。そしてまた、誰がどう関わるのか。お前には、判っていたはずだろうに」 つまらない言い訳などするなと言われたような気になって、ハルヴァイトはまた苦笑を漏らした。しかし、ここで一つだけ訂正しなければならないと、面倒臭がりの悪魔はなけなしのやる気を振り絞る。 「いいえ、モロウ技師。今回に限りわたしに予測出来たのは、わたしの引き起こした原因と目指す結果の間に「数多の不測の事態」が横たわっているという事だけですよ」 「それはそれは随分と謙虚になったものだな、ハルヴァイト」 皮肉げに言って薄い唇を歪めたヘイゼンの声を聞きつつ、ドレイクとアリスは顔を見合わせて苦笑し合った。ヘイゼンの言う事も最もなのだろうが、ハルヴァイトの言葉が含むものも、判らないでもない。 そう、ハルヴァイトの居ないこの世にはしかし、ミナミが存在していた。 全てをすっきりとクリアに、やり直すための機会を与えてくれる、あの、天使。 「それでもわたしは、わたしの「思い通り」にこの事象を閉じ、グロスタンをこの世に呼び戻さなければならかった」 否定も肯定もなく続いた言葉に、ヘイゼンは無言で耳を傾ける。 「だからわたしは、先んじて…そうですね…、爆弾を抱えた不確定要素にも惑わされないフラグを、立てて行った」 神妙ながら妙に間の抜けたハルヴァイトの台詞に、デリラは思わず吹き出しそうになった。確かに「彼」は、爆弾を抱えた不確定要素と呼ぶにふさわしいかもしれない。 無くてはならない絶対要素。 しかし、いつ何をしでかすか判らない危険物。 「そのフラグが、私だったと?」 眉を吊り上げて小首を傾げたヘイゼンに、ハルヴァイトはあっさりと頷いて見せた。 「フラグはふたつでした。ひとつは、ミナミに関わる、班長」 こちらも偉そうに足を組んだ姿勢で背凭れに身体を預けたハルヴァイトが、独白する。 「班長は常に「第三者」としてこの事象を捉えられる立場にありました。発端に関わる関係者でありながら、彼は惑わされる…簡単に言えば、流される事が出来ないだろうと、わたしは予測した」 いくらハルヴァイトでも、ヒュー・スレイサーという男が周囲に無関心だとは思わない。しかし彼は志の高さが邪魔をして、攻撃的絶対防御の体勢を崩せないのだとは判る。 淡々と話すハルヴァイトの横顔を見つめ、アン少年はなんとなく納得した。 ヒューは、守る者だった。だから、物事の全体を一歩離れた場所から眺め、絶対に目を逸らさず、自らが守ると決めたものに危害を加える「敵」が現われた時、誰よりも先に防御のための攻撃を繰り出す。 だからこそ彼は気付いたのだろう。 誰しもの内に溜まった悲しみや辛さ。 ミナミが声を封じた理由。 今回、最初から最後まである意味平常心を失わなかったのは、ヒュー・スレイサーただ一人だったのかもしれない。 「そしてもうひとつが、ミナミ「以外」に関わる、ヘイゼン小隊長でした」 言われてみれば、この件に関してヘイゼンが実際ミナミと顔を合わせたのは、ハルヴァイトが消えた直後だけだった。その後彼の関わったものは都市の危機であって、ミナミにもハルヴァイトにも直接関係はない。 「―――お前、そのためにわざわざ、あの…サーカスの手入れの時分、私を呼び付けたのか…」 驚いたというよりも呆れた風に呟いたヘイゼンに、ハルヴァイトが薄い笑みを見せる。 「実際、手は足りていなかったんですよ。でも、あの時サーカスで電力供給を臨界式で再開するのは、他の誰かでも良かったんです。それをあえてヘイゼン小隊長にしたのは、つまり」 「しつこいようだが、私は小隊長ではないのだが…ガリュー班長」 ああ、すみません。と全く誠意無く言われて、ヘイゼンは説教の虫が疼くのを感じた。 「つまりですね」 「つまりお前は、楽隠居を決め込んだこの私をわざわざ呼び出して、世間に「思い出させた」というのか?」 「ヘイゼン小隊長は話が早くて助かります」 不愉快を隠しもしないヘイゼンに、悪魔は微笑みかけた。 表舞台から退場し、この先ずっと薄暗い機械装置の只中に居座って後悔しながら錆び付いて行こうとしていたヘイゼンを、ハルヴァイトは強引に表舞台へと引き戻したのだ。しかも、生涯出番などないと高を括っていた「オロチ」と共に。 その遣り取りを漏らさず聞いていたドレイクたちは、なんだか申し訳ないような、しかしながらヘイゼンでなければここまでの無茶を押し付けられなかっただろうと言いたいような、非常に複雑な表情で顔を見合わせ頷きあった。 確かに、サーカス手入れの際ヘイゼンが関わらなければ、誰もが彼をそっとしておいただろう。下手な制御系魔導師よりも器用になんでもこなす攻撃系魔導師が、技師になってもその資質に衰えなしと再確認されたのは、あの一件があってこそだ。 「それで、ここからが本題なんですが」 奇妙に張り詰めた空気などお構いなしに、ハルヴァイトは続ける。 「ヘイゼン小隊長には、第七エリアシステム管理室から本丸運行管理院に転属していただきます。詳しい職務内容は追って通達という形に…」 「待て、ハルヴァイト」 「はい、何か?」 背凭れに身体を預けたまま薄く微笑んだハルヴァイトを、ヘイゼンは険しい表情で睨み据えた。 「王城エリアに戻るつもりはない」 「そうですか、残念ですね。では、協力要請ではなく、命令で」 剃刀色の瞳に零下の剣を滲ませて重く呟いた元・上官に、悪魔があっさり言い放つ。 実のところ、この展開はハルヴァイトにも判っていた。ヘイゼンは「ディアボロ」暴走だけでない様々な事情を抱えて、多くを語らず、勝手に魔導師を返上し技師になってこの円形都市中枢から…。 …逃げ出したのか、見限ったのか…。 それとも、見限られたのか。 「わたしは誰にも「変わるべき時が来た、さぁ、変わろう」とは言いませんでしたよ? モロウ技師」 悪魔は、激変を望む。 「黒幕も、見えた」 集中する部下の視線を受け流し、悪魔は、組んだ長い足の上に置いた指をゆっくりと組み替えた。 「アドオル・ウインは、「純粋に」芸術を求めるだけの者だった。彼の持つ地位だとか名声だとか、資産だとか、そういうものを利用したのはグロスタンの方だ。甘い言葉でウインを誘い込み、彼は彼に必要な要素、陛下の抱えるわたしたちのような…」 「私設の、魔導師隊か――」 聞くものなどなくても構わない、独り言のようなハルヴァイトの言葉を受けてドレイクが苦々しく呟くと、悪魔はゆっくりと顎を引くように頷いた。 「「ヴリトラ」「アルバトロス」「アンジェラ」「フィンチ」。臨界にあっても現実に干渉可能な彼はそれらを手に入れ、退屈凌ぎに、ウインに協力するフリをして、この世にちゃちゃを入れようとでもしていたんでしょう」 しかし、邪魔が入る。 「ウインの求めた「天使」はあっさりとそちら側を見限り、こちらの悪魔は…グロスタンを臨界から引きずり出した。状況は一変。即ち、グロスタン・メドホラ・エラ・ティングという滅亡王室の亡霊が描いた道筋は、綺麗に粉砕された…と?」 微かに小首を傾げたヘイゼンを見つめていたアリスが、煉瓦色の眉を寄せる。 「でも、グロスタンは「何にも復讐しない」のよね? ハル」 「復讐などする必要がないんですよ。それよりも、今彼は…自分の成し得なかった事象を引き起こした、わたしの手口を知りたがっているはずです」 臨界へ赴き。 寸分違わぬ「自分」のまま現実に戻る手口。 これもまたハルヴァイトの思惑だったとしたらどうだろう。悪魔は悪魔然と、亡霊の視線の先を強引に「自分」に書き換えたのか。 恋人のあるこの世が平穏であるように。 過去の亡霊は、悪魔が引き受けた。 と、したら? 「でも、アリア・クルス…「アンジェラ」はまだお城に繋がれた状態ですよ? 班長」 暫し無言で何か考え込んでいたアンが口を挟むと、ハルヴァイトは少年に視線だけを向けここでも軽く頷いた。 「仮定の話しなんですが、もしも、アリア・クルスたち…グロスタン以外の魔導師が彼の目的を全く知らず、純粋に、アドオルに従う者だったとしたらどうでしょう。「アンジェラ」と「ウイン」がこちら側に拘束されているんですから、このタイミングで下手に騒ぎを起こして残党まで逮捕拘束されるよりも、確実に事態を打破してくれるだろう指揮官としてのグロスタンだけを先に救出し、体勢を立て直すのでは?」 確かに、それもないとは言い切れない。 正直、ここで事態の推移を理解していないアドオルを救出したところで、すぐに彼らは逃げ道も進む先も見失い捕縛されるだろう。だとすれば、確実な戦力であり頭脳でもあるグロスタンを手に入れ万全を喫した上で、ウイン奪還の機を待つ方がいい。 「大将、もしかして、ヤツら…グロスタンを含む「向こう」は、準備が整えば、こっち…ウイン救出に乗り込んで来ると思ってんスか?」 「いつかは」 確信的なハルヴァイトの答えに、誰もがうんざりと肩を落とした。 「だから、ヘイゼン小隊長の王城エリア不在は非常に「痛い」んですよ。いくらわたしたちと第七小隊が居るといっても、個別ながら能力は分析されてますからね。ですので、ここでもひとつイレギュラーというフラグを立てておこうと思いまして」 ハルヴァイトの過去と関わる者でありながら今は接点のない「ヘイゼン・モロウ・ベリシティ」を組み込み、この先起こるだろう事象を雑然と複雑に難解に、思い通りの解答で閉じるつもりなのだ、ハルヴァイトは。 「そういう訳ですので、よろしく」 言って――都市ファイランの悪魔はにこにこと微笑み、呆気に取られるヘイゼンを真っ向から見据えた。
「こちら(王城エリア)に来てさえ頂ければ、後はお好きなように振る舞ってくださって構いませんので」
だからお前職務ではないその他で色々と都合が悪いと言っているのだこの我侭め。とヘイゼンはその後、笑顔と生返事しか寄越さないハルヴァイト相手に話し疲れるまで二時間たっぷり説教をくれて、落胆のまま下城するに至る。それに二時間きっちり付き合っていたアン少年はヘイゼンを、オーヴァアクションで皮肉屋っぽいけれど実は喜怒哀楽のはっきりした人なのだろうなと判断した。 まぁ、そういうものが外から見え難い人だなとも、思ったけれど。
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