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18.インターミッション デイズ

   
         
4)インターミッション デイズ-4

  

 室内には相変わらず意味不明の緊張と、少々呆れた空気が蔓延していた。

「一応病人の疑いが晴れないうちは病人らしく扱ってやる。それで…、診察したいんだが、いいか? アイリー次長」

 頭痛を堪えるようにこめかみを押さえたステラの渋い表情を当惑気味の無表情で見つめたミナミが、もそもそと身を起こしながら乱れた金髪を手で撫で付けつつ、あーとかうーとか唸る。

「出来れば…今日は勘弁して欲しい…です」

 少し考えてみたがダメだと思ったのか、それとも考えてみたというスタイルだったのか、とにかくミナミはソファの座面に座り直して俯くと、申し訳なさそうな声で呟いてから小さく頭を下げた。

「なら、自己申告と問診だけにしておいてやるから、わたしに感謝しろ、アイリー次長」

 っていうか偉そう過ぎ。と内心恐々突っ込みつつ、無表情にステラを見つめて頷く、ミナミ。

「倒れる直前の状況を覚えてるか?」

 ミナミに対して繰り出すには明らかな愚問をステラが口にすると、青年が、まるで支度された嘘か報告書でも読み上げるようにすらすらと話し始める。

「質疑応答中に、なんか、急にさ、すぐ傍に居るはずの陛下が椅子に座ったまますーって、滑るみたいに離れてって、すぐまた戻って来て…。それが三回続いて変だなと思ってたら、今度は見てる風景が白地に灰色の線画になって、瞬きしてみたら黒地に白い…、ネガ映像みてぇに引っくり返って、それで、ダメかもって…なんとなくそう思ったら、ぷつんて映像が途切れた」

 本当に意識が落ちる直前までの鮮明な記憶。相変わらず難儀な事だとウォルが内心嘆息するのと同時に、ステラが「そうか」と小さく答えた。

「その時、気分は悪くなかったか? 急に頭痛がしたとか、吐き気がしたとか」

「それはねぇ」

「今も?」

「今も別に、どこもおかしくねぇ…けど?」

 状況は貧血に似ているが、気分の悪さを伴わないのが不思議だと、ステラが首を捻る。

「他に何か自覚症状はあるか?」

「自覚症状って…言われても、どっか痛ぇとか?」

「そうだ」

 眉間に皺を寄せて小首を傾げたミナミに問い返されると、鮮やかなオレンジが上下に揺れた。

「痛ぇトコとかも、別に…ねぇかな。―――ちょっとダルいけど」

 ぷっつりと意識を飛ばしたくせに何もないと言うのは忍びなかったのか、ミナミがしきりに自分の身体を見回したり腕を上げてみたり、あちこち叩いてみたりしてから、正面で偉そうにしている女医に言う。

 それにはなんの反応も示さなかったステラが、少し考えてから、何か思い出したかのようにテーブルに身を乗り出した。

「ハラは減ってないか?」

「ハラ?」

 腹部の辺りを指差されて反射的にさすりつつ、ミナミが聞き返す。

「そう、ハラだ。空腹は感じないか?」

「別に…減ってねぇ…よ?」

 その当惑気味の答えを受け取ってすぐ、彼女はミナミを指差したまま、今度こそ傍らのラオに顔を向けた。

「自律神経か?」

「タマリ魔導師の診察通りなら、今のミナミくんは空腹を訴えて当然でしょうから、そうかもしれません。さっきガリュー班長にも確かめたんだけど、ミナミくん? 朝食は摂った?」

 一度も笑わなかった派手な色合いのステラから、柔和な微笑を絶やさないラオに視線を移したミナミが、少々気まずい思いをしながら頷く。

 もしかして、謝った方がいいのだろうか…。

「ちゃんと食ったよ」

 ハルヴァイトの証言通り答えたミナミはそこで、自分に都合の悪い質問が出る前に前回の暴挙を謝り、この…微妙な空気を含む問診を切り上げてしまおうと思った。

「そ…」

「吐いたでしょう」

「………」

 それよりもさ、と言いかけたミナミを遮ったラオが笑顔を崩さないまま断定すると、青年は不覚にも黙り込んでしまった。タマリめ、余計な事を。と…原因は自分にあるのになんだか不当な八つ当たりも思い浮かべてみる。

「体調は悪くないんだよね?」

「…悪くねぇ」

 半ば不貞腐れたように小さく呟いて、ミナミは毛先の跳ね上がった金髪をがしがし掻き回した。

 青年の奇妙な反応にウォルが首を捻り、ハルヴァイトが眉を吊り上げる。

「まさか、意識を失って倒れるとは思ってなかった?」

 あくまでも笑顔のまま、ラオは優しげな声で質問を続けた。しかしミナミはもう口を開こうという努力さえ見せず、あらぬ方に視線を向けている。

 前回、青年が私室からドクターを蹴り出して来た一部始終を知っているドレイクは、苦笑ともなんともつかない微妙な表情で口の端を歪めた。どうやらミナミはこのドクターが、嫌いというほどあからさまではないが、苦手らしい。

「原因、判ってるんだ」

「判ってたら…、俺だってこんな苦労してねぇって」

 すっきりと表情を殺ぎ落としたミナミがぶっきらぼうに答える。

「んー、じゃぁちょっと、もう少し詳しく話を聞こうか。その前に…」

 手元の端末をぱたりと閉じたラオは何かを確かめるように周囲を見回してから、傍らのステラに「主任」と声を掛けた。

「ミナミくんに一旦私室に戻って貰いましょう。多分これは身体的なものではなく、精神的な要因の引き起こすもののようですから、リラックスして話をすれば、原因が判るかもしれません」

 暗に周囲のギャラリーが邪魔だと言われたような気がして、ハルヴァイトがますます不愉快そうに眉根を寄せる。背後から覆い被さってくる不穏な空気に気付いたステラは失笑を漏らし、やれやれと肩を竦めた。

「それでいいか? アイリー次長」

「…ヤだつったらそんで終わる?」

「ああ。事ある毎に周囲に迷惑を掛けたいなら、断わってくれて構わない」

 ダメ押しだった。

 ステラ、恐るべし。

 ミナミはなぜかうんざりと肩を落とし、ウォルのかけてくれたブランケットを抱えて「これ、借りてっていい?」と、なんとなく情けない無表情で陛下に小首を傾げて見せた。

          

         

 渋々私室に引き上げたミナミを追って立ち上がったラオを、ハルヴァイトは暫く黙って睨んでいた。その、圧して来る気配が煩くなったのか、最初の会話以降彼の悪魔などここに存在していないもののように無視を決め込んでいたラオが、大仰に嘆息しくるりと振り返る。

「何かわたくしにご用でしょうか? ガリュー衛視」

 臨戦態勢で吐きつけられた台詞にハルヴァイトが頬を引き攣らせ、ドレイクは吹き出しそうになるのを必死で堪えた。何があったのかあるのか知らないが、確実にこの二人にはミナミを発端とする「何か」がある。漠然とながらもそれを知っているからこそ込み上げて来る笑いは、意外に凶悪だった。

「ミナミに、余計な事は言うなよ」

「あなたは、必要な事も言ってくれなかったようですが?」

 ぴしゃりと言い返されて言葉に詰まる、ハルヴァイト。

「余計な事を言うつもりはないです。しかし、ミナミくんの希望を確認するのは大事だ」

 だからラオは、ハルヴァイトがミナミに聞かせたくないと思っているその質問をすると、優しげな印象の瞳に強い意志を持って、ハルヴァイトを睨み返した。

 それきり口を閉ざした悪魔を一瞥し、ラオは呆気に取られる陛下とドレイク、タマリ、ステラに会釈しさっさとミナミ私室へ向かって行った。その後ろ姿に漲る妙な気迫を苛立たしげに見送ったハルヴァイトは、そこでようやく、室内に残されたドレイクたちが興味津々といった表情で自分を凝視しているのに気付く。

「…なんですか」

 不機嫌全開で問われ、しかし、タマリは少女っぽい顔ににやにや笑いを貼り付けて、ハルヴァイトの腕に縋った。

「白状しよ? ね? ハルちゃん。言ってすっきりしちゃお? ね、ね。ドクター・ラオと何があったん」

 にゃはー。と意味なく笑顔を大盤振る舞いしたタマリの足を払って床に転がしたハルヴァイトが、苛々と鋼色の髪を掻き毟る。それがやはりどこかおかしいような気がして、ずっと無言でその様子を見ていたウォルは…つい、ドアの傍に突っ立ったままのドレイクに視線を送ってしまった。

「ハルの割りにゃぁよ、えらく歯切れの悪ぃ物言いだったじゃねぇか」

 ウォルに縋られたからでもあるまいが、ドレイクは言いつつ空いたソファに移動して来た。事の成り行きを見守っているのか、それとも部外者だから黙っているのか、ラオ一人をミナミのところに行かせたステラはしかし、退室する素振りを見せない。

「ミナミとドクター・ラオの接点はどうなんですかね、ドクター・ノーキアス」

 丁度ステラの正面に座ったドレイクが尋問するみたいな口調で言いつつ自分の膝に左右の腕を預けると、女スレイサーとタマリにいわしめた女医は即座に首を横に振った。

「アイリー次長が医療院に運び込まれて治療を受けていた間、当時のカウンセリング医だったドクター・ヴォルに着いて病室を訪れていた以外には、ないはずだ」

 白衣の裾からすらりと伸びた足を組む、ステラ。さっきまで仲悪そうだったくせにどうしてこういう時だけ協力的なんだ、とハルヴァイトは、眉間の縦皺を深くして嘆息する。

「んー、俺の知る限り不肖の弟とドクター・ラオには過去に接点はない。ってー事はだ」

「ひみつにゃーっ!」

 それまで床に転がっていたタマリがぴょんと跳ね起きて陛下をびびらせ、ハルヴァイトの機嫌を益々損ねた。

「な、い、しょー。うふふふふ、やーだ、ハルちゃんたらやらしー」

 と、言いつつさり気なくハルヴァイトから遠ざかり呆気に取られるウォルの後ろに隠れるあたり、タマリも相当判っていると見える。とりあえず、陛下を楯にしていればいきなり殴られる心配はない。

 それでもがんとして口を閉ざしたままの、ハルヴァイト。

 ウォルはいっときその渋い表情を眺め、肩を竦めて一言、こう漏らした。

「白状しろ、ガリュー。内容によっては、僕がドクター・ウィナンからアイリーを取り返して来てやってもいいぞ」

 さすが陛下。言う事が微妙に横暴だ。

 何か負けたような気分で苦笑するステラと、呆れて肩を竦めるドレイク。タマリは陛下の背後に隠れたまま「さすが陛下、かっこいー」と感心し、ついに、ハルヴァイトががっくり肩を落とす。

「…他人の不幸がそんなに楽しいのか…」

「アイリーの不幸は頂けないが、お前が苦労しているのはちょっといい気味だと思う複雑な心情を、判れ」

 陛下、即答した。しかも命令形で。

 それで結局、というか当初から孤立無援のハルヴァイトは諦めて嘆息し、次長ブースを区切る衝立に背中を預けて、ギャラリーを見回した。

「ラオとは意見の相違がありまして、それが長年歩みよりも見せないものですから、少々関係が悪くなってるだけです」

 必要以上に硬い声音を作って繰り出された返答に、ドレイクが言い返す。

「んな事ぁ判ってんだよ。つうかおめぇ、そんなに言いたくねぇような理由なのか? 前に俺との話しん時も、あからさまに怪しいのに「何もねぇ」の一点張りだったし」

 最早呆れ気味のドレイクが肩を竦め、ステラが微笑する。それを目端に捉えてしまったドレイクは、内心首を捻った。

 ステラの俯いた面を飾る、意味不明の…クリアな笑み。その意味が判らない。

「言いたくないですと正直に言ったら、それでいいんですか?」

 さっきのミナミみたいな事を言うハルヴァイトを眺め、ウォルは苦笑を噛み殺した。

「そうなったら、言いたくねー理由が重要かもなんて、タマリさんは思うけども?」

 ウォルの背後からもそもそと出て来てドレイクの傍らにぽとんと座ったタマリが小首を傾げつつ、陛下にも座れとステラの隣を手で示す。それを見てオレンジ色の女医などは、陛下より先に座った自分も偉そうには言えないが、この魔導師の態度はどうだろうかと先とは違う苦い笑みで口元を歪めた。

「わたしが間違っているからですよ」

 ハルヴァイトは、それまでの抵抗とは打って変わって、あっさりとそう言った。

「間違っている…、とは少し、そもそも考え方の違いがあるとは思いますが、わたしは、ラオとわたしの主張ではわたしの分が悪いと判っているので」

 だから言いたくないのだと、悪魔はうんざりと肩を竦めた。

  

   
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