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18.インターミッション デイズ |
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5)インターミッション デイズ-4-2 | |||
ハルヴァイトたちを室長室に残したステラは、ミナミの私室へ向かう薄暗くて短い廊下を歩きながら苦笑ともなんともつかない笑みを浮かべたまま、内心嘆息していた。 結局ハルヴァイトが口を割ったのは、室内に降りた探るような空気を払拭したかったからなのか、誰かに「それはお前が間違っている」と断言され、何かを諦めたかったからなのかは判らない。もしかしたら、ステラが考える一般論としての進路ではないもっと別の理由なのかもしれないが、とにかく、あの悪魔は結果的に、言い渋っていたそれを淡々と言い放って、ドレイク、タマリ、ウォルの呆れた視線を浴び、ステラには爆笑された。
「わたしがミナミを探して医療院に彼の所在を問い合わせた際、対応に出て来たのが当時ドクター・ヴォルの助手だったラオでした。患者を行方不明にするという失態を犯した医療院は、総力を挙げてミナミを探していた。しかし幾ら捜索の範囲を広げても発見出来ない事に業を煮やした医療院側は、何度か問い合わせたわたしに、内々にですが、こちらでミナミを発見した場合は公言せず医療院に連絡するようにと言って来たんですよ。 その窓口として指定されていたラオと連絡を取り合ううちにわたしは、では、ミナミを発見した時医療院側がどういった対応を取るつもりなのか尋ねました。それに対するラオの返答は、ありきたりであり当然でした。 ラオを含む医療院側は、ミナミの「治療」を再開し、完治しないまでも、彼が平穏に日常生活を送れるよう努力を惜しまないと言いました。時間が掛かるのは覚悟の上で、メンタル・ケア専門のスタッフを集め、ミナミのために特別医療チームを組織するとね。その際にはちゃんと面会出来る様にするとも、わたしに言いましたが…。 わたしは別に、ミナミが…いわゆる精神的に不安定な状態のままで構わなかったんですよ。完治するとかしないとか、そういうのは一切考えていなくて、逆に、彼が「嫌だ」と言うなら世間から隔離してもいいとさえ思っていました。 わたしは、ミナミに「どうして欲しい」と考えた事はありません。 何が不都合で何が不都合でないのかなんて、どうでもいい。 ただ、彼が納得して彼自身が一番いいように暮らせればよかった。 だから、約束は有効だったにも関わらず、わたしは、ミナミがわたしの傍で暮らすようになっても、医療院側…ラオには一切報告しなかったんです。結果として、彼が特務室に入る下りで向こうに知られる事になりましたけどね」
判られていると知っていながら、それでもハルヴァイトは医療院側には何ら連絡も取らず、ミナミはミナミで医療院とは必要最小限の接触しかせず、医療院には陛下直々にミナミ・アイリーの処遇を預かるので一切の口出し無用、特務室からの依頼がなければ彼とは接触するなと通達が来る。 「…だからこれはラオにとって…というか、医療院か…、千載一遇のチャンスという訳だな。ここで精神的なものを克服したいとアイリー次長が言えば、こちらは喜んで彼をガリュー衛視から引き離すだろう」 固く閉じたミナミ私室のドアの前で足を停め、ステラがひとりごちる。 おかしな所で気の弱い男だと彼女は、込み上げて来る笑いに翡翠の双眸を眇めて思った。悪名高き臨界の悪魔、ハルヴァイト・ガリュー。傍若無人な発言と傲岸不遜を振り翳すあのスティールは、しかし、なんでも判っているような顔をして、判らないから、恋人に訊く事も出来ずにいるのか。 なるほど。こんな情けない男では…あれが黙っていられる訳もない。 ステラは呆れ半分諦め半分の失笑を漏らし、深呼吸してから、ドアをノックした。 後悔はしていない。ハルヴァイトを恨む気持ちもない。否。それどころか、目の前で腐って行く「あの男」を見せられなかった僥倖を考えるなら、感謝はしないが、まぁ、友好的に振る舞ってもいい。「あの事故」は切っ掛けに過ぎなかった。そして「あの事故」も切っ掛けだったのだろう。悪い事が重なった、とも、ステラは考えなかった。 所詮、自分は「傷物の芸術品」だ。今更、二束三文の価値もない。 と、果たして何の話なのか、彼女は自分の中でだけそれを完結させ、内からの応えを待って、ドアを開けた。 真正面に置かれた肘掛け椅子に座るラオから、ベッドに腰を下ろしているミナミに視線を流したステラが、艶やかなオレンジ色の髪にも負けない笑みを浮かべる。さて、話しはどこまで進んだのか、天使の無表情からは何も窺い知れなかったが。 「どうだ、ラオ。何か判りそうか?」 微妙に咎めるような表情のラオに口を開かせず、ステラはぞんざいに言いつつ勝手に部屋に入り込んだ。切った張ったが専門の外科医には用事がないと非難して来るカウンセラーの視線を綺麗に無視した彼女の所業に、ミナミが肩を竦める。 「さすが、「女スレイサー」って呼ばれてるだけの事はあるよな…」 「誰が呼んでるんだ? そんな失礼な名前で。それに、アイリー次長、わたしはあんなに偉そうじゃないだろう」 またもや勝手にミナミの座るベッドの端に腰を下ろしたステラを追う、ダークブルー。 「…いい勝負だろ」 力なく突っ込んだところをわざと咎めるような顔で睨まれて、ミナミは慌てて正面に向き直り額に冷や汗を滲ませた。 「何か? アイリー次長」 「いえ、なんでもないです」 それまでの微妙に非友好的空気が和らいだのに、置き去りにされたラオが内心舌打ちする。 「問診を再開してもいいかな、ミナミくん」 気合いで保った笑顔をミナミに向ける、ラオ。それに青年は明らかにうんざり気味の声で、「いいよ」と答えた。 「最近あまりよく眠れないって、言ったよね? それって、寝つきが悪いとか、うつらうつらするうちに朝が来てるとか、そういう感じなの?」 問いに対して、ミナミが迷わず首を横に振る。 「毎日忙しくて、すっげー疲れてる。夕方あの人と一緒に家戻ってさ、夕飯の支度しながら、もう寝そうだって話するくらい。それで、やっとシャワー浴びて、やっとベッドに入って…、うとうとなんかする暇もなく寝るよ」 「…でも、眠れないの?」 「すぐ、目ぇ覚めんだよ。急に」 急激に覚醒する。 突然意識がはっきりする。 「それを一晩に何回も繰り返すから、結局眠れてねぇ感じ」 「………」 視線を逸らした状態で話すミナミの俯き加減な顔を見つめ、ラオは眉を寄せた。 「…さっき」 ふとそこで、ステラが口を挟んだ。 「さっきソファの上で目を覚ました時のように、目が覚めるのか? アイリー次長」 組んだ足の上に頬杖を突いたステラが傍らのミナミを横目で見ながら質問すると、ラオも微かに頷いたようだった。 「さっき、俺、どんなだった?」 意識がはっきりしたのはハルヴァイトに声を掛けられてからだったのだろうミナミが、逆にステラを振り向き問い返す。 「どんなと言われてもな…。目を閉じていたと思っていたのに、気がついたら天井を睨んでいた。こう、ソファの背凭れをがっちり掴んで、…そうだな…、酷く緊張した状態に見えた」 「―――…、何か、記憶に残らないまでも、夢でも見てたのかもしれないね。急に覚醒したせいで、夢と現実の区別が付いてない状態が数秒間あったんじゃないかな…」 「…夢…?」 夢。記憶に残らない、夢。 ミナミは何か確かめるように口の中で呟き、無表情にラオを見つめた。 「―――――――――…夢、か」 記憶。記録。再現される。夢と…現実。 ふと、ミナミの薄い唇の端を、意味不明の淡い笑みが掠める。 それはどきりとするような、暗い感情に塗れた微笑だった。動かない無表情、瞬きの少ないダークブルー。まるで感情の死んでしまったように見える青年の内から滲んだ正体の知れないそれを目にして、ラオはボード型端末の端を握り締めた。 「…どうだろう、ミナミくんさえよければ、夜間、就寝時の脳の動きを調べさせてくれないかな?」 「…それで、何が判んの?」 興味を示しているのかどうかも判らない無表情を保ったまま、ミナミはラオから視線を外さずに訊き返した。 「ある程度ではあるけど、脳が何を「考えているか」判るよ。興奮状態にあるとか、酷く緊張してるとか、怖がってるとか」 「便利、…つっていいのかな…」 それまで床に下ろしていた片足をベッドに引き上げて抱えたミナミが、折り曲げた膝に顎を載せて背を丸める。それを逐一目で追っていたステラにはその横顔が、思案しているようには見えなかった。 だから彼女はミナミの内面を探るべく、ラオがいつ言い出そうか迷っているだろう事柄をさらりと提示してやった。 「どうだ、アイリー次長。これを機会に、医療院で少し養生するつもりはないか? 例えば今日倒れたのは軽い睡眠障害が原因で、疲労が蓄積し自律神経に失調が見られたせいかもしれないが、そもそも次長には…色々不都合が多いようだからな」 ラオが一瞬慌てたような顔でステラを見たが、彼女はやっぱりそれを綺麗に無視した。どうせいつか出すつもりの話題なのだろうから、いつ言っても同じだろうと思う。 その、ラオとは違って落ち着き払ったステラに視線を移し、ミナミはまた少し笑った。 「仕事、忙しいんだって」 「君が療養を希望すれば、陛下にはわたしが話を通してやるぞ。確かに特務室の仕事も大切だが、君が一番大切にすべきは君自身だろう?」 「―――…。ドクター・ウィナンも、そう思う?」 今度は何かを考えるような顔をしたミナミが、ステラに置いていた視線をラオに戻す。その質問をどう取ったのか、カウンセリング医は水を得た魚のように弾んだ声で答えた。 「もちろんだよ! そもそも君には、治療を受けて症状を改善させ、安心して暮らす権利があるんだし」 言われたミナミが、膝を抱えていた腕を解き、ぴ、とラオを指差す。 「地雷」 「え?」 「………。ぶっ、はははは!」 ベッドに座ったままのミナミが漏らした一言に、ラオは惚けた顔をし、ステラは腹を抱えて笑い出した。 「今のは笑うトコだろ、ドクター・ウィナン。つうか、やっぱドクター・ノーキアスは女スレイサー決定な」 「ここでのその評価は光栄だな。わたしも、スレイサー並みに君と仲良くなれるという意味だろう?」 ラオを差していた指を下すのと同時に、ミナミはベッドに上げていた足も床に下ろした。身体の脇、やや後ろに突いた腕に体重を預けて、爪先で絨毯を擦るように足をばたつかせながら俯いた青年は、明らかに面白がっている。 「もしかして君は、善人が嫌いなのか?」 「別に嫌った覚えねぇよ。でも、判り難いなって…思ってっかもしんねぇけど」 「判り難い、か…。明らかな見返りを要求して来るヤツの方が信用出来るとでも?」 「例えばな? 助けてやるからこうして欲しいとか、ああしてくれとかさ、言って来る奴の方が判り易いだろ? それ無理とか、やりたくねぇとか、俺は俺の都合で、じゃぁ助けてくんなくていいよって言えんじゃん」 「無償の親切も世の中にはあるだろう」 「まず貰っちゃったら、返せそうなモン返せばいいし」 「それは随分迷惑な話だな。世の中、返して欲しくないものもあるし、返して欲しくないヤツも居る」 「それは、無視」 物凄く自分勝手な事を平然と言って退けたミナミを、ステラが笑う。 そんな横暴を口にするミナミだが、ステラの知る限り、青年を悪く言うものはいない。だとすれば彼は誤らずに周囲の欲しているものを返しているのだろう。 付き合いの浅いステラにはこの時まだ判らないのだが、ミナミに関わる誰もが青年に望む「見返り」は、ハルヴァイトの足が地に着いている事でありミナミ自身の安寧だった。そして双方はイコールの左右にあって、その関係が壊れないようにと、いかに振り回されようが掻き回されようが、希望している。 彼は、ミナミ・アイリー。そこに居て、ハルヴァイトの傍で無表情に、時折溶けそうな笑みを零し、苛烈に突っ込んでいれば、それいい。 ささやかで当たり前。しかし、平凡な幸福というものこそ、難しいのだ。 ステラとミナミの的を射ない会話に、ラオは苛立ったような溜め息を漏らした。それでしょうがないと思ったのだろう青年が、素晴らしい金髪を揺らして正面のカウンセリング医に向き直る。 「ドクター・ウィナンの言う事は、さ、別に、間違ってねぇって、俺は思うよ。でもさ、それは大抵の人に適用されるかもしんねぇけど、俺には…なんつうか…」 そこでミナミはちょっと考え込んだ。 「俺は、自分が安心して暮らしてねぇって、一回も言ってねぇし、思った事もねぇよ」 だから、それは、地雷。 「今日までの自分を顧みてそう思えるアイリー次長は、今、しあわせだな…」 「…水平からマイナス分取り返したら、ちょっとだけ頭がプラスに出た程度だけどな」 肩を竦めるようにしてステラに言い返したミナミを見つめていたラオが、ふっと息を吐く。 「じゃぁ、医療院での治療は希望しないんだね…、ミナミくん」 「うん。でも、目先の睡眠障害はどうにかしてぇ」 潔くもきっぱりと医療院での療養を蹴っておきながら、また突如倒れるのは頂けないと言ったミナミを、ステラは呆れて眺めた。迷惑な患者だと言いそうな彼女の剣呑な表情に、またラオの方が慌てる。 「睡眠導入剤でも出してみましょうか? 主任」 ステラはなぜか、それにも難色を示した。 「無理矢理寝かせるのはどうかな…。それこそ一般の患者になら当て嵌められるだろうが、アイリー次長となるとなぁ」 果たして彼女が何を危惧しているのか判らないミナミが、首を傾げる。 「――もしかして、夢、ですか?」 「そうだ。夢がただの夢ならいいが、アイリー次長の場合、その夢が果たしてわたしたちの思う「夢」の定義に当て嵌まるかどうか、定かでないだろう」 夢、夢、と言い合う二人の医師を交互に見遣り、ミナミがまたもや首を捻った。 「…ミナミくんの見る夢が「記憶の再現」だった場合、それは無理に抑え付けず、逆にね、表に出してしまった方がいいのかもしれないんだよ…」 言われて、ミナミはラオを見つめた。 あの、観察者のダークブルーで。 「その時表面に現われなかった感情が、今になって君のこころを…蝕んでいるのかもしれないから」
その後室長室に戻ったラオは不機嫌な顔を隠そうともせず、ミナミが医療院での治療行為を断わったと告げた。それから今彼に軽い自律神経失調の疑いがある事と、原因不明の睡眠障害を起こしている事も。 その上でラオは、診察状況を確認しに来たクラバインに、ミナミと…ハルヴァイトの休養を認めるよう申し出る。 「無期限休養? ミナミさんだけでなく、ガリュー班長にも、ですか?」 グロスタンの件で仕事が立て込んでいるからだろう、クラバインは明らかに難色を示したが、それは続くステラの台詞で明後日まで蹴り飛ばされるハメになった。 「別にガリュー衛視が休養する必要はない。在宅で仕事でもなんでもいいからやらせろ。ただし、暫くはアイリー次長から目を離すなと言っている。 というか…」 と、そこで、呆気に取られる周囲を見回してから彼女は、褐色の肌に映える翡翠の双眸をこれ以上なく楽しげに眇め、ぴんと立てた人差し指を唇の前に翳して、囁いた。 「本当のところは、わたしとアイリー次長との、秘密だ」 果たしてそれがどんな約束? だったのか、実は、その時廊下に追い出されていたラオにも、さっぱり判らなかった。
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