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18.インターミッション デイズ

   
         
6)インターミッション デイズ-5

  

 ミナミが議事堂で倒れた翌日から、彼もハルヴァイトも無期限休養に入った。

 元より碌な仕事をしていなかったハルヴァイトはまだよかったが、ミナミの方には色々と不都合があった。ミナミが居なくても、仕事は滞りなく進行しなくてはならないのだ。

 結局、次長代行として突如デスクワークを押し付けられたヒューが、指示、連絡系統の変更に丸一日以上かけ、溜まっていた休暇の内数日を消化して登城した日の事。

「…電脳班の任務内容は、上官への報告義務がないのか? 今だに」

 ノックもなしに執務室に顔を出したヒューを、一人居残りのデリラが迎える。

「ねぇんじゃねぇかね。つうか、この前までミナミさんが殆ど仕切ってて、こっち(電脳班)の指示も自分で出してるような状態だったからね、報告どうこうってレベルじゃねぇよね」

 ああ、そうか。と失念していた事柄を再確認したヒューが、金属的な銀髪をがしがし掻きながら溜め息みたいに漏らした。

「一応、所在とシフトだけ報告して貰えると助かるんだが、と、ひめさまに伝えておいてくれないか」

 少し考えて、ミナミもハルヴァイトも居ない野放し状態ではさすがにマズいだろうと思ったヒューが言い終わるのと同時、その背中に、ばすん! と誰かが体当たりする。

「…廊下よりはマシかもしれないんだがな、ひめさま…」

 背中に当るふくよかな感触に、ヒューはうんざり天井を仰いだ。

「だって、アンとかタマリじゃ小さい子っぽくて楽しくないけど、班長だとこう…意外に厚みがあって抱き心地いいというか、結構ツボだったんだもの」

 どんなツボだと内心突っ込みつつ、背後から胴体に回されたアリスの腕をひっぺがす、ヒュー。

「コルソンでやれ!」

「ダメ。デリだとシャレなんないし、スゥが怖いわ」

「…俺ぁ十分、班長でもシャレなってねぇと思うんだけどね、ひめ」

 ミナミとハルヴァイト不在で突如暇になったのか、ここ数日の電脳班の連中と来たら目に余るサボりっぷりで、さすがのヒューも呆れた。なんでもいいから仕事してくれと思う。せめて、自分に抱き着く暇が取れない程度には、だ。

 振り払われたアリスが笑いながらヒューの傍らを通り過ぎ、自分のデスクではなく応接セットのソファに腰を下ろす。

「それでえーと、所在とシフトだっけ? 毎朝その日の分の報告入れればいい?」

 真っ赤な髪を腕で払った彼女が小首を傾げると、ヒューは腕を組み直して頷いた。

「ああ。今日は?」

「ドレイクは、さっき寝に屋敷帰ったわ。明日は登城予定。デリは、20:00時まで執務室でサーカスの資料整理。あたしは13:00時で下城。機械式の組み立て作業中のアンだけ下城時刻の指定ないけど、多分夕方にはこっち戻って来るんじゃないかしら」

 ああ、そう…。と、何やら奇妙な具合に目を逸らしたヒューを、赤い髪の美女がじっと見つめる。

「班長、一昨日あたりから、ちょっとおかしいわよ?」

 一昨日、と言われてヒューは、思わず口元に浮かびそうになった苦笑を無理矢理飲み下し、いつもと同じ涼しい顔を作って大仰に溜め息を吐いてやった。

「どこぞのひめさまが朝の廊下の真ん中で抱き着いてくれたおかげで、風当たりが強いんだよ」

 そんな風当たりなどどうでもいいくせにと思いつつ、アリスが喉の奥でくすりと笑う。

 それでこの話題はお終いだというように、ヒューは軽く手を挙げて電脳班執務室を出て行った。ミナミ不在で仕事が増えた彼には、今日も一日慣れないデスクワークが待っている。

「…原因不明の睡眠障害と、自律神経失調症だっけか…、ミナミ。今回はハルが居るから随分安心だけど、やっぱり――疲れてたのかしらね」

 ソファの背凭れに身体を預けて溜め息みたいに呟いたアリスに、右から左に資料を移動していたデリラも同意するよう頷く。

「そりゃ、あんだけ派手に色々あったんだから、疲れて当然だろうね。普段と同じに見えても、結局ね、内側の色んなモンが一番変わったのは、ミナミさんだしね」

 たたみかけるように起こる様々なイレギュラーを一つずつ、平静を装って必死に捌き、あのハルヴァイトをこの世に呼び戻した青年なのだ、少しの不調しか訴えていないのは、正直奇跡的だなとデリラは思った。

「そうね…。嫌な機会の取り方だけど、特務室に入ってから随分減ってたみたいだし、ミナミにも、ハルとゆっくり過ごす時間があってもいいわよね」

 確かに、嫌なタイミングの取り方だと、またもアリスに同意したデリラが失笑する。

「でも、ま、あれはあれで落ち着くトコに落ち着いたつうかね…。ところで、坊やの方はどうなってんだろね」

 一時停止していた機械式の組み立て作業に今朝から戻ったアン少年を思い出し、デリラは、モニターに展開した新型機械式の設計図を眺めて呟いた。

 二度目のサーカス探索で回収して来た機械式は、二体。ひとつはヒューの叩き壊したピエロで、もうひとつはそのピエロと同じ大きさの、演舞を見せるダンサーだと報告にはあった。

「やっと部品の仕分けが終わったところらしいわよ? 班長が殆どの機械式の手足引き千切ったおかげでバーツが散乱しちゃってて、選別したけど随分関係ないものまで混じってたらしいから」

 機械式展示天幕の惨状を直接見ていないアリスとデリラが、気軽に言う。しかし、もしここにギイルでも居ようものなら、彼は盛大に顔を顰めて愚痴を零しただろう。

 空一面に薄い雲を散らした一万ピースくらいのジグソーパズルを見本なしで仕上げろ。しかも時間制限ありで。と言われたようなものだったのだから、そのくらいの文句は出ても当然か。証拠にギイルは機械式回収後、偶然擦れ違ったヒューを捕まえて、せめて一体くらい壊さずにいようとは思わなかったのかと、うんざり言っていたし。

 それに対して当のヒューは、一切言い訳も反論もしなかった。ただ肩を竦め、ひとつ重苦しい溜め息を吐いただけで答えに変え、さっさとどこかへ逃げ去ってしまったらしいが。

「ま、大将も暫くこっちにゃ顔出さねぇだろうしね、坊やも、休み休みゆっくりやったらいいよね」

 デリラは幾ら見てもさっぱり意味不明の設計図を閉じて、暇潰しに第七小隊のちびどもにでも地下施設の詳細を訊きに行こうかと、なんとなく、考えた。

          

        

 だだっ広い地下演習室で一人機械式の組み立て作業をしているはずのアン少年は、その時なぜか、千切れたピエロの手を顔の前に翳し、力なく折れ曲がった指先をじっと睨んでいた。

「…えーと…、仕事しませんか? ぼく…」

 などと他人事のように呟いてみるが、どうにも気分が乗らない。それでまた浅い溜め息を吐き、意味もなくピエロの腕を左右に振り回してみたりして、かちゃかちゃ言いながら伸びたり折れ曲がったりする白い指先を目で追う。

 それは、つるりとした表面で弱い光を反射する、いかにも作り物の指先。節も傷も爪もなく、絵に書いた怜悧な手をそのままそっくり実体化させたような、そんな指。

 へし折れたのだろう肘の辺り、壊れた開口部からごとりと何かの螺子が膝に落ち、少年は慌てて腕を振り回すのをやめた。組み立てるはずが余計壊してどうする、と内心自分で突っ込む。

 床に長上着の裾を広げて足を崩していた少年は、膝の上にピエロの腕を横たえて置き、今度は正面に佇む半壊した本体を見上げた。あの日表情のないマスケラに感じた薄ら寒い恐怖はすでになく、それは、ただの人形にしか見えない。

 動かない作り物。

 だから、この手にも現実味がない。そう、それは人の考える「理想的バランス」で創造された「物」だった。冷たく硬い手触りの、無機物。

 でも、あの…手と指先はどうだっただろう。と、アンは、なるべく考えないようにしていた「ある事」を思い出して、急に耳まで赤くなりうな垂れた。一昨日の深夜、常夜灯の描く滲んだ楕円だけが整然と並んだ廊下で触れた、あの、…乾いた指先は。

         

 さらりと、唇を撫で過ぎた、あの、―――。

          

「うーわー」

 作り物の腕を膝の上に転がしたアンは、頭を抱え天井に顔を向けたままおかしな声を上げた。忘れよう忘れようとすればするほど、くすぐったいようなちりりと痛いような、複雑過ぎて言葉にならない指の感触が唇の表面にこびり付いている気がする。

 だから、同じだと思うと妙な気分になった。今目の前にある機械式を半壊させたのも、戯れのようにアンの唇をなぞったのも、同じ…あの銀色の手であり、指だ。

 あんなのは、困る。物凄く。

 距離を取って見ているのは好きだと、アンは銀色…ヒューについて思う。最初にそう感じたのは、特別官舎に引っ越して来た日の午前中、衣装部で警護班の新しい制服を試着するヒューの姿をまじまじと見た時だっただろうか。それ以前から何度も顔を合わせ、転属前には相当親しくなっていて、あの…ミラキ邸での晩餐…悪夢のような、かもしれない…があった日には自室に上げて、リビングのソファで二時間半寝かせたりもしたのに、改めてそう思ったのは転属直前のあの日だった。

 全てに神経が行き届いている「綺麗さ」。

 目を奪われるような。

 気持ちを、惹き付けられるような。

 だから、見ている、眺めているのは好きだった。手が届きそうで届かない位置までそっと近付き、どきどきしながら、ありきたりに振る舞いながら、じっと見ている。

 アンはその時酷く動揺していたのかもしれない。確かにあの銀色に構うのとか、構って貰うのとか、そういう他愛もない会話は楽しいし、なんだかんだと言いつつしっかり相手してくれるし。しかし、それが果たして「恋愛」かと問われれば、少年は判らないと答えただろう。

 いや。

 判らないと「答えていた」だろう。

 少し前まで。

 一瞬前と言ってしまっても差し支えない、つい数日前まで。

 厳冬の晴天を思わせる水色の瞳を潤ませて、アンはがくりとうな垂れた。

 少年は、気付いてしまう。

 甘いケーキ。

 品の良さそうな大人の男性。

 どんな風景にも際立つ銀髪。

 小さくて頼りない、自分。

 何かを厭うように誤魔化された。

        

 あの、接吻。

         

「…もー、ヤだ」

 こんなんじゃ仕事にもならないし、まともにヒューさんの顔も見られないじゃないかぁ! と腹立ち紛れに小さく、極小さく口の中で呟き、アンは握り締めた両の拳を天井にというか、斜め前方上空? に向かって、にゃっ! と突き出した。

「―――…。つうかさー、いつ頃になったらば、アンはおれらに気付いてくれんだろーねー…」

「っ! いたっ!!」

 広い演習室のど真ん中に直立した二体の機械式。その前に座り込んで一人赤くなったり腑抜けたり憤慨したりしていたアンを暫し、しばーし眺めていた電脳魔導師隊第九小隊副長ベッカー・ラドは、相も変わらずやる気なさげに眠たい声でそう呟くと、悲鳴を上げて振り返った拍子に自分の長上着の裾を踏み付けてひっくり返った少年を、やれやれと見下ろした。

  

   
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