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18.インターミッション デイズ

   
         
(12)インテーミッション デイズ-7-2

  

 一人執務室に居残っていたデリラがいい加減昼食にしようかと思い始めた頃、非番のはずだったドレイクが突然現れた。

「どうしたんスか? 旦那」

 制服姿ではなく、カーキ色のハイネックに黒いジャケット、やや細身のデニムパンツというラフな出で立ちに不似合いな真紅の腕章を見つつ、デリラが首を傾げる。

「ハルに用事あって来たんだよ。電信だと、なんだかんだ言って逃げやがるからな」

 となるとその用事は午前にハルヴァイトがドレイクに電信したミナミの件だろうと、苦笑を漏らしつつ自分のデスクに着いて通信端末を起動したデリラは、あえて当人のハルヴァイトではなくアンを呼び出した。

『どうかした? デリ』

「どうって事でもねぇけどね。大将、そっちにまだ居んのかね」

 ドレイクが来ているとは明かさずに、いつもと同じようにやる気のない声で問うた同僚に、アン少年が『いるよ』とあっさり答える。

『ていうか、今、そっちに戻る所』

 デリラの端末から漏れた少年の台詞に、ドレイクは首を傾げた。確か今日は組み上げた機械式の稼動実験をしているはずだが、また何か不具合でも起こったのだろうか。

「また失敗したんかね」

 ドレイクの不審そうな表情に目で頷き返したデリラが、わざとのようにからかう声で重ねて問いかけると、モニターの中の少年が首を横に振る。

『台座に備え付けたままだけど動くのは確認したし、簡単な稼動データも取ったよ。それを回収して来た資料と照合する作業があるから、今日はこっちお終い』

 ああそう。と適当に答えつつ、デリラは短く嘆息した。

 アリスが居ないと言うのに、資料照合などという仕事を持って帰って来ないで欲しいと内心思う。とにかく、ハルヴァイトとアン少年が戻る前にデータボックスを開いて中を検め、機械式関連の資料を取り出しておかなければならない。

 その、短い嘆息に含まれた憂鬱を汲み取ったらしいアン少年が、不意にはははと笑う。

「何が可笑しいんだね、ボウヤ」

『うん? ああ。大丈夫だよ、デリ。班長、執務室戻って今取ったデータのチェックだけしたら家に帰るって言うから、照合作業は明日アリス事務官が戻ってからやる』

 だから、事務官紛いの作業はないと暗に示されて、デリラはほっと息を吐いた。

「そりゃ助かるね」

 大仰に肩を落として安堵して見せるデリラを笑った少年が、じゃぁもう少しで戻るよと言い置いて通信を切断する。

「だそうで」

「そりゃ助かるね」

 モニターから顔を上げたデリラがソファにふんぞり返るドレイクに言うなり、上官はわざと彼を真似て言い返してから、肩を竦めて笑った。

 それから暫しして、アン少年と連れ立ったハルヴァイトが電脳班執務室に戻って来た。

「あれ? ミラキ副長、なんで居るんですか?」

 ドアから顔を覗かせた途端にアンが言い、その後ろに立っていたハルヴァイトも不思議そうに首を捻る。

「なんでっておめぇ…。確かにそうなんだけどよ、他に言い方ねぇのか?」

 苦笑いで迎えたドレイクとデリラに邪気のない笑顔を見せたアンが、一旦入って来た部屋からまた出て行った。この面子では幾ら待ってもお茶など出ない…場合によっては、アリスが居た所でアン少年の当番なのだが…と判っているから、自分で支度しに行ったのだろう。

「それで、どうかしたんですか? ドレイク」

「どうかじゃねぇよ。おめーに用事があって、わざわざ臨時許可まで取って登城したんだよ、俺は」

「はぁ」

 果たして、ハルヴァイトは午前中にドレイクを騒がせた電信などなかったかのような顔でますます首を捻る。

 仕事中なのだから私事は遠慮しようとか、そもそもそんな謙虚な気持ちなどこれっぽっちもないのだろうドレイクは、ソファの空き、自分の正面を指差して、ハルヴァイトに座れと無言で圧力を掛けた。

「ミナミから、何か連絡あったか?」

「別に」

 ドレイクの気概空しく平素と変わらぬ気軽さでソファに腰を下ろしたハルヴァイトが、組んだ足の上に肘を置き、素っ気無く答える。

 まぁ、そこまでは概ね予想通りだったのだろう、ドレイクは弟の失礼な態度も発言も気にした風なく、やはりなという意味合いを込めて浅く息を吐いた。今回の「これ」を仕掛けたのは確かにハルヴァイトだが、無関係…そう、今日だけは何もしていないと断言出来る…なのにも関わらず自分も一緒くたにされたのは、ちょっと不愉快だ。

「折れたらしいぜ、ミナミ」

 一瞬の沈黙の後、ドレイクがやや沈んだ声で呟く。それと前後してカップを乗せたトレイを抱えたアンが入室し、入れ替わりに、今からランチを摂るのだと言ってデリラが部屋を出て行った。

「さすがに、あのリインの独断には強く出られなかったんでしょうね」

 大した驚きでもないとでも言いそうなハルヴァイトの台詞に、ドレイクが渋い表情で頷く。その上官たちの前にそれぞれコーヒーを置いたアン少年は、無言で自分のデスクに戻った。

 ハルヴァイトが午前の電信でドレイクの個人端末でなくミラキ邸の回線を使ったのは、八割方この展開を予想しての事だった。ミナミの不調は明らかなのに、当の恋人は少しも落ち着いて休もうとしない。それを案じて、少しは気持ちに余裕を持たせてやりたいと…それをハルヴァイトが考えたというのはそもそも驚くべき事なのだが…ドレイクに相談を持ちかけた時、悪魔は、あえて禁じ手を使ったのだ。

 そう、いつ何時でも、どんな状況であってもドレイクに逆らった試しのないリインを間接的に動かし、ミナミの拒否を封じた。

 そう考えると、やはりミナミの「調子」は余りよくないのかもしれない。普段の彼ならばドレイクの許可なく行動を起こしたリインにも、ある程度の抵抗を見せるだろう。しかし青年は結局、主人の言い付けでないにも関わらず自分を訪ねて来た執事頭と若執事の申し出を、渋々ながら呑んだ。

 断わるための、決定的な理由がなかったのか。

「…だったら始めから、リインに行けつっても良かっただろうに」

 ダシに使われた不快感を隠さないドレイクの剣のある声に、ハルヴァイトが肩を竦める。

「あなたに絶対服従のリインがそのあなたを振り切ってミナミを訪ねたという事実が、ミナミを黙らせたんですよ。ドレイクに指示されて来ました、では、いつもと変わりないじゃないですか」

「まぁ、そりゃそうなんだけどな…」

 少々釈然としないながらも、ドレイクは呆れたように溜め息を吐きながらソファの背凭れに身体をぶつけた。実際、彼自身もミナミを気にしていたのだから、結果は悪くなかったのかもしれないし。

「とにかく、これから暫くは朝にアスカがそっち行って、夕食の片付けまでしたら屋敷に戻るように話し付けたらしいぜ」

「部屋、空いてますよ? 泊まらせてもいいですけど」

「そこだけは、ミナミが譲らなかったらしいな。それでリインが、これ以上押して全部断わられるくらいならその程度の譲歩は必要だろうつって了解したらしい」

 アンの置いてくれたコーヒーに手を伸ばしつつ、ハルヴァイトはふうんとなんだか気のない答えを兄に返した。

「―――判ってるんですけどね…」

 淡い湯気に混じった、微かな呟き。

「何が?」

 カップに満たされた黒い液体に視線を据えたままのハルヴァイトを、ドレイクが不思議そうな顔で見つめる。

「わたしが悪いんですよ」

 ぴしゃりと戻った答えに、ドレイクはなぜかデスクに着いてぽかんとしているアンに当惑気味の表情を向けた。

 それは…なんというか…。

「今更、じゃねぇのか?」

 なぜそんな台詞が出たのか知らないが、とにかく、一連の騒ぎ全部の原因はハルヴァイトなのだから、当たり前だろうとドレイクもアンも思う。

「読み違った」

「読み違った?」

 アン少年が鸚鵡返しに呟くと、ハルヴァイトは、カップをテーブルに置いて長い指を組み、ゆっくりと頷きながら組んだ手を膝に載せた。

「何を、ですか? ガリュー班長」

 回転椅子を四分の一回転させて向き直って来たアン少年にハルヴァイトは、何も答えず曖昧な笑みを見せただけだったけれど。

     

      

 少しだけ、ミナミがハルヴァイトの計画に気付くのが早かった。

 ハルヴァイトは、ミナミに…自分の「消えた」瞬間を見せるつもりなどなかった。

 現実味もなく掻き消えて、しかしいっときも忘れずに居てくれて、ハルヴァイトはこの世に残した「ミナミ」というフラグに呼び戻されるはずだった。

 それなのに。

 彼は見てしまったのだ。

 あの、全てを塗り潰した白い光を。

 彼は見てしまったから。

 記憶。

 薄れない記憶。

 それがまた、ハルヴァイトの計画を狂わせる。

 否。

 悪魔は、失念していたのか。

 天使は、言ったはずなのに。

         

「わたくしを、一人になさらないでくださいましと申し上げております」

  

   
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