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18.インターミッション デイズ

   
         
(13)インターミッション デイズ-7-3

  

 ミナミの件をドレイクと話し合ってから少しして、ハルヴァイトは思い出したようにアン少年を振り返った。

「アン、班長、呼んで貰えます?」

「え?!」

 なぜか「班長」と言われた途端にびくりと肩を跳ね上げたアンを訝しがりつつも、ハルヴァイトが頷く。

「話があるので」

 相変わらず詳しい内容も言わずにさっさと正面に向き直ってしまった上官を内心恨めしく思いながらも、アンはやや緊張気味の表情で隣室を呼び出した。

『どうしました? アンさん』

 モニターに展開した資料を押し退けて立ち上がった通信ウインドウの中で、ジリアンがにこりと微笑む。それに少々硬い笑みを返す、アン。

「えと…、ヒューさん、居ます?」

『居ますよ? 今、回します』

 ドアから顔を覗かせて言えば済むだろう在室確認がなぜ内部通信なんだとさも不審げな表情のジリアンが右隣に顔を向けようとするのを遮って、アンは慌てて「あの!」と声を張り上げた。

 それで、ドレイクとハルヴァイトが顔を見合わせる。

 どうした、アン。という所か?

「ガリュー班長が何かお話あるそうなんで、暇ならこっちに来てくれるよう伝えて貰えます? 暇ならでいいんですけど…」

 いや暇じゃなくても来て貰えとハルヴァイトは思ったが、なぜか妙にそわそわと視線を揺らす少年の様子がどうも妙で、言うには至らなかった。

『……。今行くそうです』

 一旦逸れたジリアンの視線がアンに戻り、言って、直後。

「というか、なんでこの距離で内部通信なんだ」

 ノックもなくばたりと開かれたドアから顔を覗かせたヒューが、その場にいた全員を代表して溜め息混じりに呟く。

「…あー、いや、…別に…」

 理由なんてないのですけれども。と俯いて小さくなったアンが答えると、ヒューは少年の小さな肩に視線を据えて、薄く笑った。

「それで? 俺に何か用か」

 不可解なアン少年の行動をそれ以上追及するでもないヒューが、ソファに座るハルヴァイトに顔を向けて言う。私服に腕章というドレイクに何の問いもないのは、元より彼の登城を知っていたからだろう。

「ええ。実は、セイルくんの事なんですが」

 言われて、奥へ退けたドレイクの脇に腰を下ろしたヒューが妙な顔をする。

「セイル?」

 捜査協力という名目ですぐ下の弟が特務室に現れてから、数日。今更ながら出た名前に、ヒューは首を捻った。

「サーカスから消えた団員のモンタージュ作成を始めようと思うんですが、ミナミがあの通りで、余り早急に事を進める訳にも行かないんですよ」

「……だから俺にそのモンタージュ作成とやらを回すとか、言うなよ」

 ゆったりと座ったハルヴァイトが言うなり、ヒューがさも迷惑そうな顔で言い返す。

「それも考えたんですが」

「考えるな」

 実は微塵も考えていなかったくせに嫌がらせ気分で言い足したハルヴァイトに、ヒュー即答。傍らのドレイクは銀色の渋い顔を笑い、聞き耳を立てていたアンもくすりと微笑む。

 うんざりと天井を見上げたヒューに薄い笑みを向けてから、ハルヴァイトは続けた。

「ミナミが「見る」というのが重要なんですよ、その、モンタージュを。だから残念ですが、班長にお任せするのは諦めました」

 どこも残念じゃない。と言いたげな冷たい表情で睨んで来るヒューに頷きかけてから、ハルヴァイトは組んでいた指を解いて背凭れに肘を置いた。

「その作業中、セイル君に護衛を付ける必要があるかどうか、班長の意見をお聞きしたいと思いまして」

「護衛?」

 スレイサー一族を掴まえて言う台詞ではない「護衛」という単語に、ヒューがさも不審げな声を上げ眉間に皺を寄せる。

 探るような沈黙、数秒。

 ハルヴァイトはそれ以上何も言わず、ドレイクも、ヒューも、輪から外れているアンも、何か考え込んではいるがすぐに口を開こうとはしない。

 だからといって、その場に居る誰もが、ハルヴァイトの発言の意味が判らない訳ではなかった。護衛。この場合の保護対象であるセイル・スレイサーは確かに豪腕かもしれないが、彼を標的にする元サーカス団員ないし、「彼ら」は…。

「まぁ…」

 暫し思案したヒューが溜め息混じりに言って、金属音のしそうな銀髪をがさりと掻き回す。

「向こうが直接姿を見せて襲い掛かってくれるような相手なら、別にそんなものは必要ないと言えるんだろうがな」

「ところが今回はそう単純な相手でもねぇって意味で、警戒するに越したこたぁねぇか」

 相手は。

「もし、こちらの動向が今も向こうに観測されていると考えるなら、すぐにでも「護衛」が必要なんじゃないですか?」

 手も振れず誰かの記憶を弄り回すのだ。

 それまで黙って成り行きを見ていたアンが、自分のデスクに着いたまま身を乗り出すようにして言う。

「特務室内部、場所という意味でも、ここはある程度安全でしょうが…」

 グロスタンを取り戻した向こうが今何を考えてどう行動しているのかは判らないが、こちらも、城への臨界式違法接触にはいつも以上の防衛策を講じている。特務室が相手の情報を欲しているように、相手も、特務室…電脳班か…の情報は喉から手が出るほど欲しいはずだ。

 当然、そんな探り合いの時期にのこのことセイル・スレイサー、今の今まで全く電脳班と接点のなかった第三者を呼び出した訳でもない。彼との連絡には用心に用心を重ね、アンが聞いていた個人の端末へまず臨界式でアクセスし、回線を完全に取り込んだ状態で一般通信を装い、電信したくらいだ。

 しかし。

「バレてるはずなんですけどね」

 とハルヴァイトはそこで、さらりとそんな恐ろしい事を言って退けた。

 偉そうにソファに座し、背凭れに載せた腕で頭を支えた悪魔が、一瞬凍った室内を冷たく睥睨する。

「バレてる?」

 何が? と、さすがにハルヴァイトの言う意味が判らなかったのだろうヒューが訊き返した。

「もう、顔は確認されたと思います」

 なぜそう言い切れるのか。ハルヴァイトはしかしその理由を明かすでもなく、涼しい顔でヒューを見つめている。

「…そうか…。あの日、サーカス主天幕に出頭要請されたリリスは、アリスと連れ立って戻って来たよな? その時か」

 初回、サーカスを急襲した際の調書を脳内に呼び出したドレイクが、真白い眉を寄せて唸るように呟く。今考えれば、あれは軽率な行動だった。

 アリスが電脳班の一員なのは明白だ。その彼女が、意味もなく見知らぬ青年を無料上映中の広場から封鎖区域に連れて来る訳がない。

「…しかも、途中、ナヴィ事務官は見知らぬ警備兵から園内移動用の小型フローターを借りてますけど、その後の調べで、封鎖時間中、事務官たちが通った経路上に展開されていた、または残っていた班隊及び個人の記録はなかったですしね」

「その警備兵が、偽者だった?」

「という事に」

 ちょっと難しい顔で腕組みしたアンが言い、すぐ、ヒューが何か確かめるようにハルヴァイトを見返した。それに頷いて短く答えた鉄色に、ドレイクが重い溜め息を吐き付ける。

「とんだ失態だな。あの日に関しちゃ、出し抜かれたつってもいいくらいだ」

「そうでもありませんよ」

 がくりと肩を落としたドレイクに薄笑みを向け、ハルヴァイトは背凭れに載せていた腕を下ろした。

「向こうは確かにセイルくんの顔を確認したかもしれませんが、それだけです。アリスが彼を連れて戻るのとほぼ同時、サーカスブロックの通信網はタマリが制圧、その後電力の供給までヘイゼン小隊長が行なっていますよね? その時点で向こうはこちらの動向を監視する事はほとんど出来なくなっていますから、アリスと一緒にいたのが素顔のリリスだと分かっても、それ以上詳しくは調べられなかったはずです」

「だが、今あいつは外苑傍のアパルトメントでなく、自宅に戻ってるぞ?」

 それでは、顔を確認されているのだから追跡くらいされたのではないかと暗にヒューが言う。

「例えば既にセイルくんの身元が割れているとしたら、逆に警戒されてますよ」

 長い足を組み換えたハルヴァイトを、アンは色の薄い瞳でじっと見ていた。

「―――そうか。ヒューさんですね? ガリュー班長」

「そう。あの時の青年、セイルくんとリリスが同一人物だったとして、それが班長の弟であれば、向こうは余計に警戒しなければならないでしょう?」

 言われて、ヒューにもようやく判る。

「予測する事象が多過ぎるというのも、考え物だな」

 リリスがヒューの弟だという事実は、予想されるテストケースを無闇に増やす厄介なデータか。こちらはのほほんと無計画に動いていても、彼ら…魔導師たち…は様々な可能性を、勝手に弾き出してくれるのだ。

「ぞれでも、実際に彼に出頭を要請しモンタージュを作成し始めれば、あちらも黙っていない、かもしれない。これも不確定な話しですが、一応、こちらも警戒しなければならないですしね」

 かといって、とヒューは、腕を組んだまま背凭れに身体を預け、首をこきこきと鳴らした。

「四六時中どなたか魔導師を付けておく訳にもいかないだろう。一応、あれでもスターだったりするらしいし」

「そこが問題なんですよね。それで、班長にお訪ねしたいんですが…」

 長い前置きだったなとハルヴァイトは内心うんざりしながら、すっかり冷えたコーヒーに手を伸ばした。

「魔導師が臨界へ接触する際の微細現象を、「感じる」事は可能でしょうか」

「お前ぐらい派手な気配で周りを威嚇して来るような相手でなければ、無理だな。そんな、空気中の酸素濃度が少し違う程度の変化にすぐ気付くのは、ミナミくらいのものだ」

 偉そうな恰好できっぱり即答したヒューに、ドレイクもアンも同意する。何せ、他の魔導師が臨界に接触中かどうかなど、魔導師でさえ判らない。

「それは困りましたね」

 もう少し困ったように言ってくれればいいものを、ハルヴァイトはどうでもいいような口調で言い捨てて、それきり口を閉ざしてしまった。

「…こうなったらよ、班長。ちょっと仕事に支障出ちまうかもしれねぇが、二・三日、セイルくんを城内拘束して、とっととモンタージュ作っちまうってのは、どうだ?」

「今は少し暇だと言っていたが、ミナミの回復待ちでは無理かもな」

「今度はメブロ・ヘイメス・クラウンのリメイク撮るって、噂になってましたしね。いつからかは判りませんけど」

 狭いソファの中で向き直ってきたドレイクにヒューが答えるとすぐ、アン少年が何か思い出したように、天井方向を見ながら言い足す。

「それ、そのムービー、今シナリオ待ちですけど、そろそろキャストが正式発表になるらしいですよ」

 と、そこで。

 じっと動かずに何かを考え込んでいたハルヴァイトが、ぽつりと漏らした。

 瞬間、妙な表情で顔を見合わせる、ドレイクとヒュー。アンは大きな水色をますます瞠って、ぽかんとハルヴァイトを凝視した。

「ガリュー班長…なんでそんな事知ってるんですか…」

「? ああ。数日前に、監督がインタビューされてたのを芸能ニュースで見たんです」

 果たしてそれが偶然なのか、それとも違うのか。とにかく、ハルヴァイトが芸能ニュースを見たのはきっとミナミが観ていたからに違いないとは思ったが、この鉄色が内容を覚えていたのに、ドレイク以下は素直に驚いた。

 周囲の驚きなど全く気にして居ないハルヴァイトは、試しに今度セイル相手に臨界接触現象の感知実験でもしてみようかと考えていた。しかし、相手の能力値が判らないのでは稼動距離も算出出来ないと、内心うんざりする。

「………」

 だから、少しだけ考えた。

「あの人」の遺したプログラムを利用して、分離稼動させたAI「ディアボロ」にセイル・スレイサーを監視させるか。と。

 そこでふと、ハルヴァイトは薄く、誰にも気付かれないように口の端を歪めた。もし自分が「独り」だったらならば迷わなかっただろうその手法の選択を、間違いなく、悪魔は躊躇っている。

 まず、「ディアボロ」のAIを自分と切り離すという事は、その間現実面からは「ディアボロ」を呼び出せない。例えばそれに問題がないとして、しかし、バックボーンによる臨界との接触状態を常に維持しなければならないのでは、期間が長引いただけ自分の寿命を縮めるハメになるだろう。

「さすがに、それは…遠慮したい」

 口の中でそう呟いて、ハルヴァイトは急に可笑しくなった。

 ミナミを独りにしたくないのではない。自分の前からミナミが消えてしまうのが許せない。その理由が例えば、自分の「死」であったとしてもだ。

 意味もなく? 楽しい気分になって、ハルヴァイトは「じゃぁそれは却下」と内心呟いた。未だ傍らでドレイクとヒューが何か相談しているからその辺りの些事は彼らに任せてさっさと家に帰り、少々ご機嫌斜めで待っているだろう恋人を宥めすかすフリをして、キスしてやろうと思う。

 間違った方向の優先事項を決定したハルヴァイトは、ドレイクとヒューが難しい顔で黙り込んだタイミングを狙って二人に顔を向けた。まさかここで、面倒事はそちらでよろしくなどと言ったらまた騒ぎになるだろうから、セイルの件についてはミナミと相談してみますとかなんとか尤もらしい理由を口にして退室してやろうと…本当にここの所、ハルヴァイトの危機回避能力は完全に自分勝手な方向に著しく伸びている…息を吸った、瞬間。

 黙ってドレイクとヒューを見つめていたアン少年の懐で、通信端末がけたたましく鳴った。

 それに思わず振り返った三人に怯みつつ、アンが慌てて端末を取り出す。その表面に視線を落とした少年は、白く浮き上がった軍内コードナンバーを目にするなり頬を強張らせた。

 ts-9で始まるその番号は、現在電脳魔導師隊第九小隊に所属するアンの兄、メリルのものだったのだ。

 刹那緊張し、それから当惑した少年の様子に、ドレイクとヒューが首を捻る。

 いつまでも呼び出しを鳴らしたままなのも、相手を確認した上でわざと回線を開かないのもおかしいと思ったのか、アンは端末を開きながらさり気なくドレイクたちから顔を背けた。今の今まで音沙汰のなかった兄から一体なんの連絡だろうと思う反面、果たして、どういう顔で何を言えばいいのか少年にも判らなかったのか。

 回線をオープンに入れ、「はい」、と硬い、小さな声で応えたアンに、モニターの中のメリルもまた、酷く緊張した声で「少しいいかな」と言った。

「…構いませんよ…」

 電脳魔導師隊の制服ではないメリルを訝しがりつつも、アンが強張った笑顔で呟く。

『あの…、色々、先に話さなくちゃならない事も…、…あると思うんだけど…』

 メリルは、アンの知るいつもの兄のように忙しなく瞬きしながら俯いて、毛先まできっちり巻いた色の薄い金髪の先端をしきりに弄っていた。その、伏せた長い睫に霞む青みがかった紫の瞳がちらちらと背後に流れている所を見ると、画面には映っていないが、長兄が傍に居るのだろうと少年は思う。

「ぼくも、色々兄さんに話さなくちゃいけないし、それは今度…ゆっくり、お城の中ででも」

 必要以上にリキんでいた肩の力を抜いたアンが、小さくなったメリルに柔らかい声を掛ける。

 きっと、長兄が見えないところで次兄をせっついているに違いない。

『何度も部屋に電信したのに連絡が取れなくて、それで…悪いとは思ったけど、携帯端末に…』

「ずっと忙しくて…」

 毎日部屋に戻るのは深夜で、と言いかけて、アンは不意に口を噤んだ。こんな言い訳をメリルにして彼が兄に伝えたら、また次兄が責められるのではないかと思う。

 何かギクシャクした会話に、ドレイクとヒューが顔を見合わせる。一体誰と話しているのだろうかという気配を頬に感じて、アンはなぜが自嘲気味に口の端を歪めた。

 きっと、あの銀色から見たら自分たち兄弟など、まるで見ず知らずの他人同士みたいなものなんだろうなと思う。

「セリス兄さんに、申し訳ありませんでしたと伝えてください。近日中にこちらから…」

 アンが少し弱った笑いで言った途端、メリルの小さな顔がぶれる。

『通信記録は残っていただろう、アン。どうしてすぐ返信出来なかったんだ』

 あ。と溜め息のようなメリルの呟きに驚く暇もなく小さなモニターに映し出されたのは、少年の一番上の兄だった。全てが地味なのにどこかアンバランスで、いつも何かに急かされているような人で、どちらかといえばおっとりしたというか、変なところで大らかなアンはこの歳の離れた兄が…正直…少し苦手だと今でも感じる。

「…申し訳ありません、セリス兄さん」

 まくし立てるように言われて一瞬ぴくりと頬を引き攣らせたアンが、視線を下げて会釈する。

『まぁいい。とにかく―――』

 かなり気に触る甲高い声で一方的に話すセリスの声を、ドレイクとヒューは眉間に皺を寄せて聞いていた。他人の家の事情なのだからとやかく言うつもりはないが、少しはアンの言い分も聞いてやれと思う。

 複雑な思いで口を閉ざした二人の内情など知る由もなく、セリスは、次に屋敷から電信があったらすぐ折り返し連絡するようにと苛立った様子で言った。お前と話が付かないからどうだとか、先方の都合もああだとか、大体忙しいフリをして何をやっているだとか、自分の弟だとしても失礼過ぎる台詞を耳にした時はさすがに、ドレイクの真白い眉が激しく吊り上がり、ヒューのサファイヤが剣呑に据わる。

 それぞれ自分が「兄」だからこそ思うのか。貴様、弟をなんだと思っている。と。

 その、俄かに冷えたソファ周辺の気配に、アンは慌てて、もう一度モニターに向って頭を下げ申し訳ありませんと繰り返した。このままセリスに喋らせていたら、ドレイクは確実にアンの端末を取り上げて長兄を糾弾するに違いないと思う。

 多分、それはマズイ。色々と。

「後で! すいません、今…実は執務室で仕事中なものですから、後でこちらから電信します、セリス兄さん」

 額に冷や汗を浮かべたアンが慌てて言うなり、モニターの中で兄がまた不快そうに顔を歪める。仕事が終わったらすぐだぞといかにも不機嫌な声が戻って、しかし、アンは内心ほっと胸を撫で下ろした。

 なんとなく嫌だった。

 こんな…。

 家族ではなく、他人同士の寄り合いを見られるのが。

「それでは…」

 今晩電信します。と消えるような声で付け足したアンの言葉尻に、セリスの、少し気分の浮上した声が被る。

         

        

『お待たせし過ぎたが、そろそろお前、キャロン様とお会いしなければならないだろう?先方からも先日連絡があって、正式に婚約を取り決めて履行しようとお話した所だ。

 それと、アン。先方の薦めもあったし、わたしもその方がいいだろうと常々思っていたんだが、キャロン様の婚姻成立と同時に、お前を、ルー・ダイ家の次代当主として貴族会に届け出る事にしたよ』

         

       

 え。とアンが目を見開く。

「あ…兄上、それ…は」

 ひりつく喉でそれだけを搾り出したアンに、セリスが満面の笑みを向けた。

『わたしに遠慮する事はない、アン。ベラフォンヌ婦人も、大変お喜びだった』

「………」

 何か応えようとしたのか、それとも拒否しようとしたものか、アンが一度深く息を吐きモニターの中の兄を見つめた、瞬間、それまではなんとか我慢していたのだろうドレイクが荒々しい動作で立ち上がろうとするも、ヒューがその腕を掴んで引き止める。

ドレイクは咄嗟にその手を振り払い、曇天の瞳に怒気を漲らせてヒューを睨んだ。

 刹那の攻防。意味の判らない緊張。睨み合うドレイクとヒューを、ハルヴァイトは酷く冷静な表情で眺めている。無関係だからなのか? それとも違うのか。悪魔はまるでここにいない、あの、天使のように。

 不透明な鉛色で、全てを、観察する。

 そしてアン少年もまた、喜色満面の兄ではなく、向けられた金属質な銀色をぼんやりと見ていた。

 ドレイクに振り払われた手を包む、白手袋。

「首を突っ込むな、ミラキ。お前には、関係ない」

 長い指が握り込まれ、向けられた漆黒の肩に沈んで消える。

         

 あの、乾いた指先。

        

「判りました、兄上」

 アンはヒューの背中を見つめたまま、まるで誰かに操られているかのような生気のなさで、そう、兄に応えた。

  

   
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