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18.インターミッション デイズ

   
         
(15)インターミッション デイズ-8

  

「…つうかですね、こんなのんびりしてて、ホント、いいんスかね、旦那…」

「…俺に訊くなよ…」

 それなりに忙しいのだが、時折妙な具合に手持ち無沙汰になるという奇妙な現象が電脳班に起こり始めたのは、無期限療養中のミナミとハルヴァイトが思い出したように特務室に顔を出しては、また暫し登城しないという状況がひと月近くも続いた後だった。

 それまで休養を言い渡されていた第七小隊年少組も通常のシフトに戻り、隠匿されていた地下施設の検証作業を再開しようと何度か会議でも話が出たが、如何せん、ミナミに掛かりきりのハルヴァイト不在でなんの調査も進まないという有様では、さすがのデリラとドレイクも、そろそろどうにかした方がいいのではないかと思い始める。

「ミナミさん、良くねぇんスかね」

 暇に明かして特殊ジャマー弾の機能強化にまで手を出していたデリラが、モニターに表示されるオプション一覧を流しながらドレイクに顔を向けた。

「良くねぇな…。俺がぱっと見てそう思うくれぇ、良くねぇよ」

 いかにも渋い表情でデリラに答える、ドレイク。無言でその遣り取りを聞いていたアリスが、俄かに表情を曇らせた。

「そんなに悪いの?」

「悪ぃつっちまう程決定的に悪ぃんじゃねぇらしいけどな。ただ、ハルが言うにゃ、このままじゃ冗談抜きでラオに預けるハメになんだろうってよ」

 ドクター・ウィナンにミナミを会わせる事さえ拒絶していたハルヴァイトがそこまで言うとは、一体どんな非常事態だとデリラとアリスが強張った顔を見合わせる。

「それなのに、ハルは何もしてないの? 例えば付き添ってでもいいから通院させるとか、家にドクターに来て貰うとか、何かあるでしょう、方法は」

「ミナミに、断わられたんだとよ」

 回転椅子を回してソファに向き直ったアリスが、咎める口調で言いつつ眉根を寄せる。それに軽く両手を挙げて見せたドレイクは、お手上げとでも言うように肩を竦めた。

「とにかく、なんとかしなきゃなんねぇだろうってよ、ハルもそろそろ何か考えてるらしいぜ? ここ一週間ばかり、一日おきに屋敷に来てるしな」

 ハルヴァイトが何を考えているのか、それでなぜミラキ邸に頻繁に顔を出しているのか、アリスとデリラがますます首を捻る。その不思議顔に苦笑を浮かべたドレイクは、ソファの背凭れに身体を預けて深く溜め息を吐いた。

「今はミナミを一人で置けねぇらしくてよ…」

「………」

 どこか疲れたように呟いたドレイクの横顔を見つめ、アリスも小さく溜め息を吐いた。彼女も何度かミナミに会いに行ったが、確かに、回を重ねるごとにやつれているような気がしていたのだ。

 一瞬、室内に嫌な空気が降りる。

 何が、悪いのか…。

 あれだけ付かず離れずハルヴァイトが付き添っていながら状況が改善しないとは、もしかしてこれは神経的なものではなく身体的、純然たる病気なのではないかとデリラが思い始めた頃、執務室のドアがノックされるのと同時に勢い良く開く。

「脅かさないでよ、班長!」

「………」

 この男がノックと同時にドアを開けるのは日常茶飯事なのだが、今日ばかりは気持ちに余裕がなかったからか、ヒューは顔を出すなりアリスに叱られた。

「いや、すまん」

 険しく眦を吊り上げた亜麻色に睨まれて、ヒューがなんとなく謝る。その、相変わらず誠意の感じられない言い方に、赤色の美女はがっくりとうな垂れて重苦しく嘆息したが。

「それで、何」

 最早八つ当たり気味に吐き捨てられて、今度は苦笑する、銀色。電脳班の沈んだ空気の原因はなんなんだと内心思いつつ、立てた親指で背後を示す。

「ミナミとガリューが来てるぞ」

「そういう大事な事は早く言って!」

 椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がったアリスにこれまた不当に言い返されて、ヒューはうんざりと天井を仰いだ。

「何がどう大事なんだ、ミナミもガリューもそう珍しいモンじゃあるまいし」

 銀色が呆れ気味に呟いて、瞬間、目前を行き過ぎようとしたアリスの掌が、さらりとヒューの頬に触れる。

 その柔らかな感触に引き寄せられて天井に向けていたサファイヤを垂直に下げれば、待ち構えるのは、上目遣いに覗き込む亜麻色。

「大丈夫? 班長。忙し過ぎてどっかに大事なもの落として来たんじゃないの? それとも、鍛え過ぎて脳まで不随意筋にでもなった?」

「………。だから、なんでナヴィはあんなに機嫌が悪いんだ?」

 一度は浮いた掌で軽く頬を叩かれたヒューが、ふふんと鼻を鳴らして通り過ぎたアリスの背中を指差し、声を殺して爆笑中のドレイクとデリラに抗議する。

「まぁ、色んな意味でアリスの気持ちも判らねぇでもねぇ、と、俺も思う」

 とそこで。

 衛視室のソファに座って薄笑みを浮かべていたミナミが、歩み寄ってくるアリスに軽く手を挙げて見せながら呟いた。

 青年は、薄い身体を白いシャツと黒いニットで包み、黒いスラックスを穿いていた。足元は素足にローファーで、茶色を基調にしたストールを膝に載せている。

 普段より少し蒼白い顔で。

 普段より少し覇気のない笑顔で。

 普段より少し稀薄な印象で。

 ハルヴァイトの傍らに、びたりと寄り添っていた。

 その姿を目にして、アリスは一瞬怯んだ。何かが明白に「おかしい」訳ではない。しかし、酷く不安な気持ちになる。ミナミとハルヴァイト。揃っていて当たり前、寄り添っていて当然のふたりなのに、何かが…。

「おう、どうした、ミナミ。暇だから遊びにでも来たのか」

 半ば呆然と立ち尽くしたアリスの肩先を躱したドレイクが、気安く言いつつ通り過ぎる。それにはっとした赤色の美女が戸惑うように背後を振り返り、電脳班執務室のドアに寄り掛かって腕を組んでいるヒューを見上げた。

 その当惑にヒューが、にこりともせず首を横に振る。

「半分はそれ。後半分は、セイルくんが来るから」

「待て。俺は聞いてないぞ、ミナミ」

「だって、ヒューには言ってねぇし」

 アリスから視線を逸らしたヒューはミナミに言い返しつつ、立ち尽くす美女の肩をぽんと叩いてその脇を擦り抜けて行った。

 それこそ、そういう大事な事は先に言っておけ、などとミナミに言い返しているヒューの背中越しに青年を見つめていたアリスが、詰めていた息を吐く。部屋の上空を漂う妙な緊張感を気にしつつも彼女は、極力明るい笑顔を作ってミナミとハルヴァイトに近付いた。

「ミナミ、陛下にはもう会ったの?」

 邪魔なヒューを押し退けてミナミの向かいに腰を下ろしたアリスに向けて、青年が小さく首を横に振る。

「ううん、今日は、まだ。陛下、今忙しいらしいからさ、セイルくんと会ってから顔出そうと思ってる」

 答えるミナミの無表情を見つめ、赤色の美女は考えた。

 なんだろう、この…変に張り詰めた空気は。

 アリスが周囲を窺うように黙り込んだ隙を突いて、それまで無言でミナミの傍らに座っていたハルヴァイトが不透明な鉛色の双眸をゆるりと動かし、傍に突っ立っているドレイクを振り仰ぐ。

「今日、何時に屋敷に戻ります?」

「? 夕方にゃぁ帰るぜ」

「アンの方で取った機械式の操作データについてちょっとお話が」

「……、判った。必要そうな資料持って帰っからよ、今日はこっから屋敷に行って、待っててくれ」

 腕組みしたまま難しい顔で頷いたドレイクに会釈を返したハルヴァイトが、ミナミを促し立ち上がる。そろそろ約束の時間になるのだろう二人は、セイルの訪問をミナミの私室で受けるのだと言い残し、室長室のドアへと消えて行った。

 二人の背中を見送って。

 アリスは、わざとらしく盛大に溜め息を吐いた。

「…どっちも限界だな」

 どさりとソファの背凭れに背中をぶつけて天井を見上げたアリスの向かいに腰を下ろしつつ、ドレイクが呟く。それに赤い髪の美女が視線だけを向けて問うように首を傾げ、しかし、彼女の脇に座った銀色は大きく頷いた。

「ああなると、普段俺たちはミナミの傍にも近付けない。それでもあの距離を保ってるガリューはさすがだよ」

「…って、なんの話し?」

 背凭れを身体で押して身を起こしたアリスが、何か判っているらしいドレイクとヒューの間で視線を往復させながら、不快そうに細眉を寄せる。ハルヴァイトがミナミにとって「特別」なのは今更だろうと思ったが、口には出さなかった。

「ミナミだよ。アリス、覚えねぇか? あの…妙にひりひりした空気」

 ひりひりした空気と言われて、アリスはますます眉間の皺を深くして考え込んだ。確かに妙な緊張感はあった。それから、不安定さも。でもそれが「ミナミ」から発せられていたものかどうか、彼女には判らない。

「まぁ、アリスにゃ覚えがなくても当然か」

 苦笑交じりに呟いたドレイクが、天井からの灯りを照り返す白髪をがしがし掻き回す。

「だから、なんの話し」

 俯いたドレイクから傍らのヒューに顔を向け、アリスは苛立ったように言い直した。

「ミナミが特務室(ここ)に入った当初は、いつもあんな感じだった。自覚はないにせよ、何に対しても身構えてたというか、やはり、警戒してたんだろう」

「警戒…」

 口の中で確かめるように呟くアリスの横顔に、ヒューが困ったような笑みを向ける。

「認識力が低下してるとでも思えばいいのか、今は。ミナミの状況は、確実に後退してる」

 それでようやく、アリスにもドレイクたちが何を言っていたのか判った。

「じゃぁ…、最悪、ミナミはまた自宅に引き篭もっちゃうかもしれないって、そういう事なの?」

 襟元を捻り挙げそうな勢いで詰め寄られ、銀色は慌ててホールドアップした。

「俺に言うな。とはいえ、ガリューも動いた、と、思っていいんだろう? ミラキ」

 銀色に詰め寄るアリスに苦笑を向けたドレイクが、腕を組んで偉そうに頷く。

「機械式の稼動データなんざ、とっくにハルにゃ報告済みだ。それをわざわざ話題にしたって事ぁ、見え見えの口実だろ」

 だからといってハルヴァイトが何を言い出すのかは判らないが、とりあえず、ミナミにとって悪い方向の話ではないだろうと、ドレイクは自分に言い聞かせた。

「…ところでいきなり話し変わるんだがよ、アリス」

 とそこでがらりと口調を変えたドレイクが、未だヒューの襟元を掴んだままのアリスに顔を向け、テーブルに身を乗り出す。ここ暫く仕事の内容がばらつき気味で、電脳班の面々が一同に執務室に集まる事も少なかったものだから、すっかり忘れていたのだが…。

「アンちゃん、何やってんの? 今」

「? なんでも、ハルにサーカス関連の資料探しておけとかなんとか言われたらしくて、リゾートで営業中のサーカス調べに行ったり、資料室に篭ったりしてるわよ?」

 この場合のサーカスは件の「サーカス」ではなく、現在も営業中のものを指す。

「………あ、そ」

 何か思案するようにテーブルの表面へ視線を落としたドレイクを、アリスが訝しそうに眉を吊り上げて見つめる。

「何、その適当な返事…」

 ヒューは。

 その時、その銀色は。

 襟元に縋り付いたアリスの手を引き剥がし、まるで何にも興味のないような顔をして、ソファを離れた。

  

   
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