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18.インターミッション デイズ

   
         
(16)インターミッション デイズ8-2

  

 ミナミ自身、正体不明の疲労が色々な部分に悪影響を及ぼし、「自分」の状況が日に日に悪くなっているという自覚はあった。しかし、いくら考えても有効な解決方法どころか不調の原因さえ見つからず、結局だらだらとひと月近くも過ごしてしまっている。

 室長室奥の私室に入り、閉ざしていたカーテンを引きあけると、窓の外から柔らかな日差しが注ぐ。その眩しさに目を細めてからミナミは、ゆっくりと肩を上げて息を吸った。

「…そろそろ、療養もおしまいにしようかなーなんて、俺は思ってんだけど、さ…」

 しんと静まり返った室内を背中で圧しながら言ってみるが、居るはずのハルヴァイトから返事はない。そのまま少し待ち、やっぱり無反応なのに焦れて振り返れば、恋人は、肘掛け椅子に収まって素知らぬ振りを決め込み、あらぬ方向を眺めていた。

「つうか無視かよ」

 溜め息混じりに言っても、ハルヴァイト無反応。最早その押し問答は既に終了し、今更言い争う価値も理由も皆無という空気だけを発散する恋人を、ミナミは無表情に睨んだ。

 ここ数日繰り返される不毛な会話に、当初はなんとかミナミを思い留まらせようとしていたハルヴァイトだったが、そのうち答えるのもの面倒になったのか、それとも断固反対の意思表示なのか、青年がそろそろ通常勤務に戻ろうと言い出すと、決まって今のように何も聞いていない顔で黙り込んでしまうようになった。

 確かに、体調も…ここの所余り良くない。一日中浅い眠りと急激な覚醒を繰り返すものだから、酷く疲れていた。

 こうなると話題が変わらない限りは押しても退いても答えないハルヴァイトに背を向け、ミナミは嘆息した。その話題、必要以上に青年が強く出られないのは、結局のところ、原因は自分だと判っているからか。

 それでも、どうにかしなければならないと思う。

 奇妙に沈鬱な空気が占める、室内。ミナミはハルヴァイトを振り返らず、ハルヴァイトはミナミに顔も向けない。

 一方的に探る空気を発散する青年の背中を、悪魔が内心小さく笑う。正直な所、自宅に居ようがどこに居ようがミナミの不調に改善は見られないのだから、私室に端末を持ち込んで仕事をしても問題はないだろうとハルヴァイトは思っている。

 では、なぜ、ハルヴァイトはミナミの要求を呑まないのか。

 暫し動かずにお互いを窺うミナミとハルヴァイト。その二人の間に横たわる張り詰めた気配を刹那で取り払ったのは、極遠慮がちにノックされたドアの向こうから掛かった、クインズの声だった。

「次長、セイルさんがお見えです」

 入って貰って、とハルヴァイトでなくドアを振り返って応えるミナミの気配を窺いつつ、ハルヴァイトは、さて、彼のムービースターは「どうこちらに都合よく動いて」くれるのか、と心の内でひとりごちる。

 遍(あまね)くこの世の全てに人知れず君臨する天使を溺愛する、臨界の、都市ファイランの悪魔が狙っているのは、最早タイミングだけか。ミナミにドクターの往診を呑ませるか? それとも医療院に入って徹底的に治療して貰うか?

 ではなく、ハルヴァイトが待っているのは、恋人が職務に復帰する決定的な「理由」だった。

 思い通りの状況で。

 準備というほどの準備は殆どなく、前段階の駒の配置はとうに終わっている。後はハルヴァイトの申し出を絶対に断わらないだろうドレイクに話を通し、ミナミに納得させ、職務復帰を周囲に承諾させるだけだが、そのタイミングが非常に微妙だったから、ハルヴァイトはここまでミナミの復職を断固認めなかったのだ。

 ハルヴァイトは果たして、ムービースターに「何をさせようと」いうのか…。

 否。ハルヴァイトは、ただ、機会を窺っているだけだ。

 待つこと数十秒、再度軽いノックが室内に響き、直後、促されて、ドアがぱらりと開く。

「こんにちは、ミナミさん」

 亜麻色の髪も金色の光を内包した碧の目も脱いだムービースターはそう言って、にこりと、微笑んだ。

           

          

 テーブルの上に支度されたお茶とセイルが手土産に持って来たバウムクーヘンを眺めつつ、ハルヴァイトは今日もお茶会で決定だなと無言で考える。まぁ、それは別に悪くないのかもしれないが、「思い通りの状況」を作るにはどうあっても二人に「仕事」を開始して貰わねばならず、ではその為に何をどう誘導しようかと平素と変わらぬ無関心さで考える悪魔を置き去りに、ミナミとセイルは世間話に花を咲かせていた。

「この前ミナミさんに会った後ね、まぁ、他の仕事も入ってなかったから、趣味のスタッフと一緒に自作ムービーとか撮ったり、編集作業にも参加したりして、結構有意義に過ごしてた」

 最近仕事はどうなのかと問うたミナミに、セイルが軽く応える。

「趣味のスタッフ?」

「うん。結局気心の知れた友達っていうか、大手製作会社の派遣社員とかを含まない、純然たるウチの会社の連中なんだけどね? 一人、やたらテンションの高い監督志望が居てさー、その…レスキンって名前なんだけど、レスキンが三十分くらいのサイレントムービーを撮りたいって、シナリオを見せてくれたんだよね」

 笑顔もなく淡々と話すセイルの顔を無表情に見つめ、ミナミはひとつ頷いた。この場合の「サイレントムービー」とは短編映画の形式の一つで、完全に音声のないものではなく、台詞の入らないものを指す。

「それが、なんか凄く「演りたい」って気持ちにさせる、地味なんだけどいい脚本(ほん)だったんで、仕事の合間に簡易機材で撮ったり、以前から撮り溜めてた街の風景と合成したりして、一週間くらいでこう、がーっと勢いで作っちゃってさ、ついでに、マニアストリートの小規模シネマで短期上映して貰ったりとかね、楽しかった」

 そこでようやく笑顔を見せたセイルに視線を当てたまま、ミナミがソファの背凭れに身体を預ける。

「精力的生活つうか、そういうさ、「勢い」みてぇの、俺も見習った方がいいんじゃねぇかって、思わねぇ?」

 自分に呆れているような吐息混じりの台詞を、セイルはくすりと笑った。

「思わないよ、ぼくは。ぼくがぼくであるように、ミナミさんはミナミさんだし、そうあるべきでしょう? 無理して誰かになぞらえた自分を演出するなんて、ぼくは無意味だと思う」

 ティーカップに唇を寄せ、遮る縁越しにミナミを見つめる、琥珀色の双眸。笑ってはいるがどこか諭すような、もしかしたら非難するようなその光にミナミは肩を竦めた。

「…自分を殺して、周囲を黙殺して、それで世の中に溶け込もうなんてのも、無意味だしね」

 前半に比べてやや遠慮がち、且つ、ミナミに向けたものではいようなその台詞に、青年が首を捻る。

「なーんてぼくが言ってたっけなー、なんて事を、ミナミさんだからこそ、覚えててくれると嬉しいな」

 何の話だろうかと思ったが問い質すでもなく、ミナミは薄く笑ってから身を乗り出した。

「いっぺん聞いちゃったら、悪ぃけど、忘れねぇよ? 俺」

 自分の膝に腕を預けて身を屈めたミナミの、やたら自信に満ちた無表情をセイルがきょとんと見返す。

「記憶力いいんだ」

「いい、ってのは、もっと「記憶力悪ぃヤツ」に適用される評価」

 ミナミのどこか茶化すような言い回しにセイルは当惑し、つい、恋人の傍らで苦笑しているハルヴァイトに視線を送ってしまった。

「セイルくんは、自分の初主演作品の最初の台詞、覚えてますか?」

 来客用のティーカップを手にしたままのハルヴァイトが小首を傾げて問うと、応えて、ムービースターが大きく頷く。

「ミナミは?」

「観たよ」

 ミナミは、観たという。

 いつとも、どこでとも言わないが、青年は「観た」。

 だから。

『裏切り者は問答無用で殺(け)せ? そりゃ乱暴だ。ヤツの持ってた情報の何をどれだけどこに流されたのかも調べずに? ブラボー、バンザイ、前言撤回。執行部は文明に追いついてない、つまり』

 伸ばした人差し指でぽかんとしているセイルを指し、ミナミは殊更ゆっくりと付け足した。

『野蛮だ』

 その口調。抑揚と、指を差し出すタイミング。最後の台詞の速度までも、リリス・ヘイワード初主演作を再現して見せてから、ミナミは肩を竦めた。

「俺、これ観たのって、四年半前なんだけどな」

 観たから。

 ミナミは、忘れない。

「と、まぁ、ミナミの記憶力というはこのくらいのレベルなんですよ、という話しです」

 四年半前に見たムービーのワンシーンを再現出来る「程度」の記憶力。だとしたら、つい数分前に洩れた独り言の内容など、ミナミは百年経っても覚えているだろう。

「…す……すごいっ!」

 琥珀色の目を大きく瞠っていっとき硬直していたセイルは、急に興奮したような声を上げるなり胸の前で両手を組み合わせ、ソファから腰を浮かせて身を乗り出した。その、純粋に「驚いた」という表情を、ミナミが少し困ったように笑う。

「スゴかねぇだろ。って、実はスゴイのかもしんねぇけど、俺にとっちゃ当たり前の…」

「じゃないよ、ミナミさん! 記憶力もそりゃ凄いんだけど、そっちじゃなくて」

 違う違うと激しく首を横に振ったセイルは、ばん、とテーブルに両手を叩き付け、それから、もったいぶるように深く深呼吸した。

 低いセンターテーブルに両手を突き、身を乗り出してうな垂れた、セイル。その、意味不明の行動に当惑しているのか、違うのか、ミナミは無表情にムービースターの一挙一動を見つめている。

 見ている。

「ぼくが言ってるのは、「記憶力」じゃない「才能」の方だよ?」

 言ってムービースターは視線だけを振り上げ、ミナミの綺麗な顔を下から覗き込む様にしながら、にやりと笑った。

  

   
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