■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
   

18.インターミッション デイズ

   
         
(24)インターミッション デイズ-10

  

 ある瞬間を境に全てが上手く行かなくなってしまう特異な状況というのが、実はちっとも特異ではなく日常に潜んでいるのだと少年が知ったのは、偶然か、必然か。

「なーんて」

 組み上がった二体の機械式を前に数十分もぼんやり立ち尽くしていたアンは、なんだか色々可笑しくなって、おかしくなって、「全て」だなんて大袈裟だなと自嘲気味に笑った。

 それまでが上手く行き過ぎていただけなのだと、少年は自分に言い聞かせる。それが元通りのサイクルに、ルートに戻っただけで、別に…。

 無造作に下げられた、機械式の腕。その先端で自然に折れ曲がっている白い指先に恐る恐る指先で触れ、アン少年はゆっくりと嘆息した。

 その「指先」に関する思考を、強制停止。

 なんの感情も抱かず振り払うように無機質な造形物を手放し、佇む機械式本体から視線も外し、監視ブースに戻って作業用クレーンを起動させるか、ここから電脳陣を使ってクレーンを操作するか少し悩む。

 それだけの、日常。

 その程度の、平凡。

 何も、変わりない。

 電脳魔導師隊第九小隊副長ベッカー・ラドの協力によって正確に再現された二体の機械式についてアンは、それぞれ遠隔操作するための必要電素数を割り出しておくようにとハルヴァイトから指示されていた。これでまた暫く演習室篭りだなどとうんざり考えて、…それはそれで在り難いとも、少し思って…、とりあえず、一体を台座から降ろして歩かせてみようとしたのだが。

 機械式の行動制御中枢は、人間と同様頭部にある。それにアクセスし操作に必要な情報を収集した所でアンは、早速作業に行き詰ってしまった。

 ほぼ人体を模した二足歩行型機械式は、単純に、操るのが難しい。全身に仕込まれたバランサーを監視しながら出力を変え、四肢を自在に動かす。しかし、手足が動けばそれでいいかと言われればそうではなく、体幹の重心移動や頭部の動きなどが多様に作用するものだから、つまり、まともに歩かせるのさえ大仕事だった。

 元より確保する電素数の少ないアンでは歩かせるのが精一杯で、第十エリアサーカスブロックで見たようなアクロバットなど出来るはずもないと愚痴混じりに零した少年に、最終的な構造チェックを行なっていたベッカーは、いつも通りにやる気なくヒントを出して行った。

 全部自分でやろうとすればそうかもしれないが、果たしてこれを操作していた魔導師どもは全員が全員、「それほど有能なのか」と。

         

「まぁ、バカみたいに有り余ってる領域使ってさぁ、上限なしで電素数ガンガン使いまくりだってんならアリだろうけども、相当数が同時に動いたんなら、そんなさぁ、数に物言わせるような乱暴な方法じゃねぇと思うんだよなぁ」

        

 もっとデリケートに魔導師らしい方法だと、ベッカーは緩い表情で、まるで思い付きみたいに気安く言った。アンには、その眠たげな横顔の内にある可能性など、推し量れもしなかったけれど。

 それでも十日ばかり試行錯誤を繰り返し、最終的にお手上げでベッカーに泣き付くべく電信してみると、寝ぼけ眼、且つ、屋敷ではない「どこか」で半裸のままベッドに沈んで、半ば寝言みたいに、今日は非番だから明日の朝特務室に出頭すると一方的に言い捨てられ通信を切られた。もしかしてこれは、衛視に対して失礼だと怒るところではないかとアンは思ったが、相手がベッカーで受け取ったのは自分だったから、怒りも不満も沸く理由が見つからない。

 それで結局、アンの今日の予定は空白になってしまった。最後の悪足掻きみたいに機械式を床に降ろして動かしてみようと思ったが、どうにも…気乗りしない。

 だから、誰も居ない地下演習室に佇む、二体の機械式と、アンと。

 逃げるように執務室を出て、無機質だけの置かれたこの場所に。

 もう少し落ち着いて、今まで通り何事もなく、あの――――――。

「…どうしてこう、弱っちいのかな、ぼくは」

 強制停止したはずの思考が戻っているのにも気付かず、アンは溜め息と共にそう呟いていた。

 厳冬の快晴を思わせる薄水色の瞳で虚空を見つめた少年の脳裡に閃く、様々な光景、数多の情景。音もなく、瞬いては消えるそれらを少し離れた位置で眺めている気分になって、アンは薄く失笑を漏らした。

 今更云々、どうこう言うつもりはない。

 しかし、どうせなら。

「…兄上も、もう少し早く言っててくれれば良かったのにな」

 そうだったとしたら。

 こんな、冷めた気持ちにならずに済んだのに、とアンが内心で嘆息しかけた、刹那。

 長上着のポケットで、携帯端末が震えた。

「はい、アンです。って、タマリさん?」

 身体を離れていた意識を強引に引き戻して平素と同じ幼い表情を作った少年は、慌てて開いた端末の小さなモニターに見覚えのある黄緑色を認め、小首を傾げた。

「どうかしたんですか?」

『んー、どうかっつうほどどうかした感はねぇんだけどさー』

 これが成人男子とは思えない美少女ばりの笑みを見せたタマリが、確信的に「アンちゃん暇でしょー」と問うて来る。

 どうしてバレてるんだろう…。

 アンは額に冷たい汗を滲ませ、完璧引き攣った笑みをモニターに向けただけで答えに変えた。

『だからさー、アタシに付き合って、デリちゃんと一緒にどーじょー行こーよ』

 変なところで間延びした台詞がすぐには理解出来なかったアンの不思議顔を、モニターの中のタマリがにゃははと笑う。

「どーじょーって…、ああ、道場ですか。格闘訓練?」

 タマリの腑抜けた笑顔を見ながら、それ以上に腑抜けた声で質問したアンは、珍しい事もあるものだと思った。

 魔導師に格闘訓練の義務はない。気分で参加しても構わない事になってはいるが、それはどちらかといえば変わり者で、少年の知る限り好んで格闘訓練に出ているのは、ドレイクとイルフィ・ヘイズ、それから確か、今はもう階級を返上して一般職…と呼べるほど一般的ではないかもしれないが…に就いた、イサハヤ元魔導師くらいのものだったはずだ。

 荒事には誰よりも慣れているはずのハルヴァイトは基本が「喧嘩」なものだから訓練には消極的で、数回参加しただけですぐ飽きてしまい、ここ数年は道場に足も向けていない。それをいい事に少年もまた、基礎訓練メニューの日に何度か顔を出し、準備運動で適当に身体を解した朧な記憶があるだけだったし、それはタマリも大差なかった筈だ。

「急に、どういう風の吹き回しですか、タマリさん」

 そもそも、こちらは射撃訓練と格闘訓練の月間消化時間数を設けられているデリラを冷やかしに行こうと誘われれば大した感想も浮かばなかっただろうが、自分と付き合ってという部分で暗に訓練の参加を促されたと察した少年が、これまた不思議そうな顔で首を捻る。

『んー、さっき、退屈だからデリちゃんに遊んで貰おうと思って電信したら』

 問われて、タマリはペパーミントグリーンの双眸でじっとアンを見つめ、妙な声を出した。

『…ここだけちょこっとマジなお話すんならね?』

 すう、と極自然に正面から逸らされた、枯れ行く緑からの視線。

『例えば、身を護るものも攻撃するものもないまっさらな状態だったとしても、「その時」何か出来るようになっときたいんだー、みたいな事をばさ、デリちゃんらしくなく、迷ってる風に言うワケよ。話聞いた時はなんのこっちゃと思ったんだけども…』

 細い、子供のような手で黄緑色の髪をばりばりと、わざとらしく乱雑に掻き回したタマリがふいと俯く。

『限界の先に行く覚悟が欲しい、なんて、言うからさ』

 どこか不貞腐れたようなタマリの呟きに、アンはどきりとした。

『なんか知らんけど、急に、ああそういうのもいいかななんて、タマリさんも思ってみたワケで』

          

 脆弱な僕らを護ろうとする誰かを、待てるだけの抵抗力を。

         

『護身術くれー暇潰しに習ってやってもいいでしょ』

 勢いよく顔を上げたタマリが、またもにこりと笑う。

『しかも警護班の班長殿直々のご指導らしいし。こりゃもう講釈聞いただけで強くなっちゃいそうな感じだしー』

 わざとのように真意を隠した気楽な笑顔に、しかし、アン少年は表情を強張らせた。

 胸のうち、頭の中でぐるぐると渦巻く様々な感情に流されて、アンは咄嗟にタマリの誘いを断わる手段を考えていた。デリラの決意もタマリの気紛れも、なんとなく判らないでもない。見えざる「敵」の出現という非常事態に直面しているのだろう今、自分を「鍛える」のも不可欠だ。

 でも、あの銀色と顔を合わせて、何もなく、なかったように全てを遣り過ごす自信が少年にはない。

 今はまだ、もう少し腐った気持ちでいたい。諦めがつくまで。気付いたものを見過ごすだけの…ベッカーのような自分に対する関心のなさが欲しい。

 突如黙り込んでしまったアン少年を、モニターの中のタマリが訝しそうに見つめる。どうかしたのかと問うて来ない黄緑色は少しして、ふっと短く息を吐いた。

『ま、忙しいなら無理にとか言わないし。どうせアタシはてきとーに遊んで来るだけだから、忘れ…』

「いえ、行きます」

 アンがそこで、タマリの言葉を遮るようにきっぱりと言い切る。「欲しい」なら、手に入れる努力をすればいい。何もせず待っているだけでは、何も…思い通りにはならない。

 唐突な少年の返答にモニターの中できょとんとした黄緑色に崩壊寸前の笑みを向け、アンはもう一度、行きます、と言い直した。

          

       

 前回の登城から一週間近く過ぎて姿を見せたミナミを私室に招き入れた陛下の第一声は。

「随分顔色良くなったんじゃない? アイリー」

 という、ミナミの回復を喜ぶものだった。

「少し前にドクター・ウィナンから報告があったよ。最近、眠れてるんだって?」

 何か付け足したそうににやにやと言って来たウォルに拗ねた空気の無表情を向けたミナミは、ソファの座面に放置されていたクッションを抱きかかえて、こくりと頷いた。

「つっても全快ってワケじゃなくてさ、まぁ、以前に比べて夜中に目ぇ覚ます回数減った程度だけど」

 今日は久しぶりに漆黒の長上着を纏った青年を、ウォルは朗らかな笑顔で迎えた。定時に登城し夕刻定時に下城する予定だと朝クラバインから聞いた時は、そんな無理などする必要はないのにと本気で考えていたが、実際本人を前にすると、なるほど、以前よりずっと顔色もいいし、妙な緊張感も随分和らいでいるように見える。

「キングサイズのベッドにうろたえてた時とは、大違いだな」

「それ言うな。実は俺が一番びっくりしてる」

 ぱふ、と抱えたクッションに顔面を落としたミナミを、ウォルは声を上げて笑った。ミナミとハルヴァイトがどういった生活をしているのか判らないが、青年の状態がいい方へ向かっているのだけは確実だろう。

「お前、ドクターには言わなかったみたいだけど、睡眠障害の原因、判ったの?」

 一週間足らずでここまで劇的に改善しているのだからそもそもの原因が解決、または解決しないまでも糸口くらいは掴めたのかと、ウォルは声を潜めてミナミに訊いた。膝の上に手を組み合わせ、真剣に見つめて言った陛下に、しかし青年は、先ほどドクターに問われた時と同じ答えを返す。

「ううん、さっぱり」

 肩を竦めて毛先の跳ね上がった金髪を揺らしたミナミの無表情に、ウォルは呆れた溜め息を吐きつけた。

「さっぱりってお前…。少しは悩んでから、誠意調査中くらい言ってよ」

 気楽に咎めてくるウォルに、青年が淡い苦笑を見せる。

「言い方がどうでも、結果一緒だし」

「そういう所ガリューに似てきたな」

「そりゃ問題だな」

「お前だ、アイリー」

 最近は突っ込みだけでなくとぼけるようにまでなったか、とウォルは、うんざり天井を仰いでカウチの背凭れに身体をぶつけた。

「と、まぁ、軽い応酬はさて置き、原因がどうでも今お前の体調が改善し始めてるのは単純に喜ばしいか。ただ、次があると厄介だから、一応思い当たる事柄にくらいは気を付けておけ、アイリー」

「厄介かよ」

 普段と変わりなく淡々と突っ込んで来たミナミに迫力のある笑顔を見せて震え上がらせたウォルが、改めてカウチに座り直す。システムの管理をルニに任せた後の陛下には、こういう些細な空き時間が増えたなと、ミナミはなんとなく思った。

「今更聞くまでもないんだろうけど、新生活は上手く行ってる?」

 ミラキ邸での、という、あって叱るべき枕詞がない事を、ミナミは真摯に受け止める。それはまだウォルにとって口に出せない澱のようなものなのだろう。

 そして、ミナミにとっては…まだ機会はあると確信させる事でもある。

「煩雑な家事とあの人の世話の一部分がなくなったのは、正直助かってる。俺の代わりにアスカが苦労してんの、微妙に申し訳ねぇけどな」

 ミナミの体調が良かろうが悪かろうが、ハルヴァイトが基本的な生活態度を改める事は、絶対、ない。衣服は脱ぎ散らかすし、本は出せば出しっ放し。さすがに就寝時、いかにも普通のシャツでベッドに入らなくなったが、それ以外に改善らしいものはまったくと言っていい程見当たらなかった。

 今までミナミの役割だった日常的な片付けは今、すっかりアスカが引き受けてくれている。最近は多少ハルヴァイトもその生活に慣れ始めたらしく、脱いだ衣服の置き場所が床からアスカの腕の中に変わって来たくらいだ。

 ミナミが呆れた口調でそれをウォルに教えると、陛下はまた声を立てて笑った。

「それだけでも十分な進歩じゃない? アイリー。あのガリューが床に服を散らかさないなんて、奇跡だ」

 少し俯いてくすくすと笑うウォルの白い頬を、絹の黒髪がさらりと撫でる。長い睫に霞む黒瞳にいたずらっぽい光を覗かせて上目遣いに見つめて来たのに、ミナミはわざとらしくうんざりした声で言い返した。

「どうせだったら、別方向で使って欲しいって、奇跡」

 どの方向だ、それは。などとけらけら笑いながら突っ込むウォルを恨めしげな無表情で見返し、ミナミは抱えていたクッションにばすんと顎を載せた。最近ひたすら立場が弱いのも、全部ハルヴァイトのせいだと内心嘆息してみる。

 その反面ミナミは、気持ちに残る冷静な部分で、「だからこそ」一刻も早く正式に復職しなければならないとも思っていた。決して急いている訳ではない。しかし、青年を取り囲む様々な事象は、永久に彼を待ってはくれないのだから。

 ドレイクの事。

 ウォルの事。

 優先順位に差はあれど。

 アリアの事。

 グロスタンの事。

 消えた魔導師。

 アドオル・ウイン。

 ムービースター。

 全てが一瞬で解決するとは思っていない。「だからこそ」、一つ一つ慎重に読み解かなければならない。

 ハルヴァイトの事…も。

 自分(ミナミ)の事も。

 無表情に見つめて来るミナミのダークブルーに微笑みかけて、ウォルは小首を傾げた。言外にどうしたと問われ、しかし青年は睫を伏せて小さく首を横に振る。

 それから二人はいつものように、本当に他愛のない会話を楽しんだ。時折混ぜ込まれる都市の裏事情(…)さえミナミは突っ込みであしらい、ウォルに呆れられるというセオリーを強固に守って。

 暫しして、ノックと共にクラバインが陛下私室に姿を見せる。それはウォルにとってささやかな休息のお終いであり、ミナミにとっては仕事へ戻る合図だった。

「しょうがねぇ、室長室に戻るか」

 それまでしっかり抱えて離さなかった水色に山吹色の房の付いたクッションをソファの座面に置いたミナミが、背筋を伸ばして立ち上がりながら吐く息混じりに呟く。

「しょうがないって、お前。せっかく来たんだ、仕事でもすれば?」

「…じゃぁ、大負けに負けて、組み上がった機械式でも…」

 ウォルに笑いながら指摘されたミナミが、むぅ。と眉間に皺を寄せ口の中でぼそぼそと言う。その様子をにこやかに見ていたクラバインが、不意に笑みを消してぽんと手を打った。

「先ほど、ヒューがコルソンらと一緒に格闘訓練に出てしまったので、ミナミさんのお供する者が居りませんよ、今」

「うわ、何そのタイミングの悪さ。つうか、俺か? そしたら、ルニ様に…」

 元気な姿でも見せてやろうと?

「ああ。ルニなら、朝からアリスと一緒に上級居住区の女学校見学に出たよ、今日は」

「まじか」

 ちょっと元気になってやる気を出してみても、周囲は普通に忙しいのか、遊んでくれる人も仕事もなく、ミナミは無表情に考え込んでしまった。もう少し状態がよければこの機会にハルヴァイトのスラム時代でも洗い出したいが、さすがに、一人で何かする気力までは回復していない。

「やべぇ、家に居るより退屈じゃねぇか? 俺…」

 とにかく、いつまでもぐずぐずしていてウォルの邪魔になっては悪いと思ったのか、ミナミは、カウチにくつろいだまま額に手を当てて笑っている陛下に軽く手を振り、ソファを離れてドアに爪先を向けた。

 ウォルが、クラバインを呼んでいる。

 溜め息混じりに肩を落として天井を見上げてから、ミナミは再度ウォルに向き直った。

 途端、視界を埋める薄水色。

「っ! ?」

 反射的に胸の前に出した両手に柔らかい感触。

「何の嫌がらせ?!」

「違うよ、アイリー」

 ついさっきまで抱えていたクッションをぶつけられて…ウォルはカウチから動いておらず、何か投擲した風に手が空中にあったから、きっと投げつけられたのだろうとミナミは思った…目を白黒させた青年に、陛下はこれ以上ない華やかな笑顔を向けた。

「引っ越し祝いに、やる」

 白い指が示した腕の中のクッションを凝視してからミナミは、ウォルに視線を戻した。

 腕の中のクッションを大事そうに抱え。

「どうも」

 と、素っ気無く答えて。

 なんだか面映い、嬉しいようなくすぐったいような表情で、ふわりと微笑んだ。

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む