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    2.冷たい恋人    
       
(2)

  

 ドレイク・ミラキとアリス・ナヴィという、ハルヴァイト・ガリューの数少ない友人に言わせれば、決してハルヴァイトは表情に乏しい訳でも無かったし、世間が思うほどいつも機嫌が悪い訳でもなかったし、神経質な訳でもなかった。

 鋼色の髪と鉛色の虹彩を持つ硬質な印象のパーツを収めた顔が必要以上に整っているから、そういう、近寄り難い雰囲気に見えるだけだ。

 が。ここ数年はその「近寄り難い雰囲気」を逆手に取って、彼自身がわざと近付いてくる連中を遠ざけていたのも確かだった。事情は複雑? ハルヴァイトとしては…とドレイクは溜め息交じりでそれを肯定する。

 とにかく彼はある時を境に、ドレイクとアリス以外の人間とは、必要以上に親しくしようとしなくなった。外見も申し分なく王都での地位もそれなりに高い。とくれば、当然恋人志願者も、もっとダイレクトにハルヴァイトの子供を欲しがる男も女も(!)後を絶たないのが、余程面倒だったのか…。

(……いや、だからよ。俺たちが勝手にそう思ってただけなんだよな…)

 いつものようにいつものカフェのいつもの場所でアリスが来るのを待ちながら、ドレイクはテーブルに放り出していたメモリ・チップ内蔵のパーソナル・メールを睨んだまま、深々と、本当に深々と、嘆息した。

「なによ。ここんとこあたしを呼び出したと思えば薄暗い顔しちゃって、本当は君、あたしに逢うのがヤなんじゃないの?」

「ってくらいいつも俺が悩み事を抱えてるとかは思わねぇのかよ」

「ぜーんぜん」

 あはは、と無神経な笑い声を立てながら、いつの間にか現われていたアリスが、真っ赤な髪を指で梳きつつドレイクの正面に腰を落ち着ける。警備軍の保養施設一画にある人工庭園の中のオープンカフェはいつも深緑色の制服でごった返していたが、その中からドレイクを探すのは難しくなかった。

 浅黒い肌に短く整えた見事な白髪。精悍な顔立ちを一層引き立てる、ハルヴァイトよりも黒に近い灰色の瞳のドレイクはただでさえ目立ったし、彼は、何人も電脳魔導師隊大隊長を排出したミラキ家の嫡男なのだ。軍内の階級もそう低くない、有名人といった所か。

 片や真っ赤なロングストレートを揺らしたアリスも、ここにこれだけ人がいて本当に二人か三人、という女性だと言うだけで目立ったし、その美貌は賞賛に値する。となれば、青い制服を着て歩いているだけで、人目を引いた。

 のに、ドレイクの考え事は余程深刻だったのか、彼はアリスに声を掛けられるまで、彼女が正面に来ていたのにさえ気付かなかったのだ。

 正直、アリスは遠目でドレイクの横顔を確認した瞬間から、また何か厄介事を抱えているのだろうと予想していた。笑い飛ばしては見たものの、ドレイクも…有名な分だけいろいろと大変なのだから。

「ハルの方がようやく落着いたと思ったら、今度は君なの? あたしは人生相談屋じゃないんですけどね」

 言いつつ、ふとテーブルに視線を馳せて、折りたたまれたメールの上でそれを停める。普通は個人の端末などに取りつけたリーダーを通して中を読むものなのだが、ドレイクが恐いくらいの表情で睨んでいたそれには、表面に誰かのサインが書き付けてあった。

「しかも君の場合、あたしでなくウォルに相談するべきじゃないの? こういう…ラブレター貰っちゃったら」

「俺んじゃねぇよ」

 不愉快そうな即答に、アリスの片眉が吊り上る。

「? 大隊長の署名入りで受け取りを強要してくるような女名前のメールが、君のじゃなかったら、誰…」

 のだって言うのよ。と最後まで言い終える前に、解った。

「ハルヴァイト?」

 かなり訝しそうな質問になってしまったのを笑いもせず、ドレイクが難しい顔で頷く。

「あんなハデに公言されてる恋人持ちにまで手を出してくるなんて、ファイランの常識はどうなっちゃってるワケ? 女で子供が生めれば、何してもいいっての?」

 ますます柳眉をつり上げて、アリスはドレイクに詰め寄った。

「俺に言われたって困んだろ、少し落ち着けよ」

「落ち着いてるわよ。これが君なら笑って済むわよね。天下のミラキ卿は単身者で浮いた噂の一つもなく、下城日にもしょっちゅう城で見かけられる暇人なんだから。でも、ハルは違うじゃない。特に、ミナミって恋人が出来てからは、火急の仕事がなければ、定刻通りに通用門を通って外で待ってる恋人のトコまで、一直線に帰るのよ!」

 びし! と鼻先に突き付けられたアリスの指を手の甲で払ったドレイクは、「暇人で悪かったな」と、とりあえず、言い返した。

 だが、アリスのいう事はもっともだった。

 軍などと名前がついていようとも、いかにややこしい出産制限があろうとも、身分階級という建前があろうとも、ファイランでの恋愛は自由を保証されている。同一エリア内でありさえすればよい、というたった一つの条件さえ飲めば、例えば王がスラムの花売りに恋をしたところで問題はないのだ。

……花売りならいい。でも、そうでない場合には問題が起きたりするのが、王なのだろうが…。

 とにかく、とりあえず、軍人であるハルヴァイトが民間人のミナミを恋人に持ち、誰もがそれを認めているとなれば、どんな身分の人でも人として祝福してやるべきだろう。まぁ、ものが恋愛だけに、心変わりという不測の事態があるとしても、今のハルヴァイトにそれが適用されるとは思い難い。

「ところが、大隊長も先方にミナミの…というか、ハルに恋人がいるというのはお伝えしたそうだ」

「? その上で、受け取ってきたっていうの? グラン・ガン大隊長が?」

「そう。先方は、ハルヴァイトに今恋人がいるのをご存知だったとさ」

 呆れたように肩を竦めてから、やっと運ばれてきたコーヒーを受け取り、ボーイにチップを渡すドレイク。まだ十六・七歳のあどけない少年は頬を赤らめてそれを受け取り、受け取る間際、小さく折りたたんだ紙幣を挟んだドレイクの指先を、ぎゅっと…握り締めた。

「待って」

 テーブルに片肘で頬杖を突いたまま、恥ずかしそうに俯いて遠ざかっていくボーイの背中に視線を据えたドレイクが、ん−? と間の抜けた声で答える。

「ちょっと、今のどういう事よ」

「? だからつまり、先方はハルヴァイトに恋人がいるってのを知っていながら、この手紙をグラン大隊長に…」

「そっちじゃないわ! ばか!」

 アリスは、そう叫んでからドレイクの額を引っ叩いた。

「! じゃぁ、どっちだよ!」

 引っ叩かれた額を掌で押え、そう勢い怒鳴りながら、ドレイクがアリスを睨み返す。

「今の、さも世界がばら色でございます、って顔して恥じらいつつ君に色目を送ってきたボーイの方よ!」

 少年の消えた方向を指差し、アリスはドレイクに噛み付いた。

「言っておくけど、毎日来るから顔見知りになった、なんて面白くない嘘言わないでよ? あたしも毎日来るけど、挨拶した事もないんですからね!」

「………じゃぁ、もうちょっと気の利いた言い訳考えるまで、待ってくれるか?」

 彼がそう言い終えるなり、ごっ! とドレイクの頭部にアリスの鉄拳が叩き下される。

「もう! これだから男なんて恋愛の対象にもならないって言ってるのよ!」

 テーブルに沈んだドレイクに冷たい視線を突き刺しつつ、アリスはそう吐き捨てた。

「ばかには付き合ってられないわ。さっ、あたしもさっさと下城して、マーリィと一緒に食事にでも行こうっと」

 急に、うき、と気分を変えたアリスが、テーブルから離れようとする。と、それを停める訳でもないドレイクが、ごそりと身を起こした。

「いいね、見たいときに見られる顔ってのも」

 思わず漏れた呟きに、アリスが立ち止まった。

「経験ねぇからどんなモンだか知らねぇけどな」

 素っ気無く、どこかふて腐れたように呟いて、またテーブルに頬杖を突いたドレイクが、小さく溜め息を吐く。その胡乱な視線の先に何があるのか、アリスは嫌というほど知っていたから、仕方なく、もう一度椅子に座り直した。

「どのくらい…逢ってないの?」

「少し前に顔だけなら見たぜ。すっげー機嫌悪そうにしててよー、クラバインが今にも泣きそうな顔でこっち見てたから、無視してやったさ」

 はは、と気のない笑い。その「少し前」は一週間や十日でないかもしれない、という杞憂を、アリスはあえて口にしない。

「答えが違ってるでしょ」

「………忘れたよ、そんなん。いつもそう。いっぺん逢って、別れて、九日目までは憶えてるけどよ、その後は数えんの飽きちまうんだよな。結局、数えても数えてもいつまで数えりゃいいのかさっぱり判んねぇ訳だし、判んねぇって知ってるのに数え続けられる程、俺は真面目じゃない訳だ」

「嘘吐き。」

 きっぱり言い置かれたアリスの言葉に、ドレイクは苦笑いだけで答えた。

「下城するたび恋人が待っててくれるハルに嫌がらせしようっていうなら今すぐもう一回殴って帰るけど、そうじゃないなら、相談に乗るわよ」

「……俺はウォルじゃねぇぞ…。そこまで緻密な嫌がらせで憂さ晴らせるような、恐いもの知らずでもねぇしな」

 実際、ドレイクはミナミの抱えた複雑な事情を本人の口から聞いているのだ。その上で彼を側に置くと言ったハルヴァイトが、並々ならぬ決意を持ってミナミと暮らしているのも、判る。

「出来れば、そっとしといてやりてぇんだよな…あの二人」

「? 今は、でしょ? 最終的には…」

「アリス…」

 いつになく真剣な灰色の瞳で見つめられ、アリスは思わず居住まいを正して、「なにか?」と…上司に答える部下のような面持ちで小首を傾げた。

 確かに、ドレイクはアリスの上司でもある。そしてこの男は時折、こういう、無条件で従いたくなるような指導者の顔を…見せるのだ。

「それは、忘れろ」

「? どういう事?」

「…今から俺が話す事は、ハルにもウォルにも、絶対に言うな。俺がお前にだけこれを話しておくのは、いざってときに、味方が欲しいからだ」

「いざって…」

 ドレイクの言葉の真意がさっぱり判らず、アリスは目を白黒させる。彼の境遇と内情もかなり複雑なのだ、「いざ」という時がいくつあるのか、それこそ予想出来ない程に。

「ミラキの家は、このまま俺が引き継ぐ」

「ちょ…っ! 何言い出すのよ!」

 椅子を蹴倒して立ち上がりかけたアリスを手で制し、ドレイクは確固たる意志を持って続けた。

「ハルを…あいつが幸せなら、あのままにしておいてやりたい。そのためには、静かに見守ってやる事しか、俺たちには出来ないんだ」

「待ってよ! それじゃウォルと君は、どうするの」

「どっちかが死ぬまで、今のままだろな」

「いいの?! それで!」

「あぁ、いい。ウォルはごねるかもしれないが、俺は譲らない。だから、これを二人に話す時が来たら、アリス、嘘でもいいから、俺は間違ってないって言ってくれ」

「ドレイク…」

 吐息のような呟きに、ふっとドレイクがいつもの顔で笑った。

「俺は生れてから一度も、自分を「孤独」だと思った事ぁねぇ。ミラキの家には使用人もいたし、まず、ガキの頃からアリスが友達だった。軍に入って、友人もたくさん出来て…。ハルに会うまで、俺は「孤独」ってのがなんだか、知らなかった」

 ハルヴァイトは、いつも、ひとりだった。

「それから今度はウォルに逢って、……………、俺は変わった」

 ドレイクが言いあぐねた言葉を、アリスは厳粛な気持ちで受け止める。伏せられた一言は重く、ここに伝えるべき人がいないから口に登らせる事は叶わず、そしてドレイクは、一生それを…伝えないという。

「俺は何も無くさねぇ。ウォルも何も無くさねぇ。無くすものさえなかったハルが、ミナミを得る。それでいいだろ?」

 小首を傾げたドレイクの顔を見据え、アリスは呟いた。

「ミナミってコに…逢いたいわ」

「よし! そうこなくちゃ! 逢いたいつったな? 今、言ったよな」

「え?」

 で、いきなり腕を引っ掴まれて椅子から引きずり下ろされ、アリスは転ぶようにドレイクの背中に突っ込んだ。

「いったぁい! ちょっと、ドレイク!」

 半ば強引にカフェから引っ張り出され、一直線に通用門まで連行される。

「ドレイク・ミラキとアリス・ナヴィ、下城だ。さっさと手続きしろ、ノロマ!」

 通用門の係員がいきなり脅され半泣きで走り回る中、アリスはようやくドレイクの腕を振り解いた。

「なんなのよ、急に!」

「いや、ほら、お前がミナミに逢いたいってぇからさ、連れてってやろうかなー、とか親切な俺様が思ったりして、ついでだから、大隊長に頼まれたハルへの届け物もしちゃおうかなーとかさ」

 にか。と爽やかな笑顔を、蹴飛ばしてやりたい衝動に駆られた、アリス…。

「そんなにひとりで行くのが嫌なの!」

「嫌に決まってんだろ! 前回は自分の不始末だったとしても、俺ぁハルヴァイトに半殺しにされてんだぞ!」

「なっさけない!」

 盛大な溜め息と共に吐き出したアリスのセリフを「その通りだ」と大真面目に肯定して、下城許可が出るまでの短い時間に、どうやってハルヴァイトにこれを切り出そうかと思いを巡らせる、ドレイク。

「……ところでよ、アリス」

「? なに?」

 答えたアリスの語調が微妙に不機嫌な事を笑いつつも、通用門の開閉口前に突っ立ったドレイクが、思い出したように、首だけを彼女にくりっと向ける。

「これだけは忘れるな、んでもって、死んでも守れ」

「は?」

 今度は何を言い出すのやら、と呆れ顔のアリスに必要以上に真面目腐った顔を向け、ドレイクはこう言い置いた。

「挨拶は笑顔で会釈するだけでいい、握手なんか求めるなよ…。それと…、ミナミには、絶対に「触るな」」

「触るな?」

 命が惜しかったらな、と苦笑いともに付け足された最後の言葉に、アリスは本当に訳が判らない、といった顔で、しきりに首を捻った。

  

   
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