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    2.冷たい恋人    
       
(4)

  

「なんか納得行かねぇ」

「だから、何がですか? ドレイク」

「だから! アリスが「アリス」なのになんで俺が「ミラキ卿」なのかだよ」

「そんな事か」

 ふん、と吐き捨てられて、ドレイクがまた面白く無さそうに顔をしかめる。

「そんな事とはなんだ、そんな事とは!」

 と、低いリビングテーブルを挟んで置かれた三人掛けのソファにそれぞれ座ったまま、する事が無いのか、ハルヴァイトとドレイクはしきりに下らないことで言い争っていた。

「毎度の事ながら、余程暇なのかしら、あの二人」

 キッチンで夕食の支度をするアリスが言って苦笑いを零すと、別につられて笑う訳でもないミナミが、小さく肩を竦める。

「いつもなんだ、ああいうの…」

「そうよ。ま、君と家に居るときのハルは、どうか知らないけどね。あ、これにそっちの飾って、ミナミ」

 言いながら、アリスはミナミに差し出すはずのボウルを、一度テーブルに置いた。それからアリスの手が離れて、ようやく、ミナミが置かれたボウルを手に取る…。

 本来ならば、手渡せば済む。でもそれをしては行けないと、アリスはもう知っていた。

 さすがにドレイクの一件で懲りたのか、みんなで食事をしようと言う事になって、アリスがミナミに支度を手伝って欲しいと言った途端、彼自身がアリスに言ったのだ。

   

「俺、心因性の極度接触恐怖症って…なんかそういうのらしくて…、……、とにかく…、「触れない」んだけど…、構わねぇの?」

   

 いきなり素っ気無く言い放たれて唖然としたのは、アリスだけではなかった。俺の時も始めから言っといてくれりゃぁよかったのに、と愚痴を零すドレイクはいいとして、ハルヴァイトが一番愕いた顔をしたのには、なぜか、ミナミも小さく笑っていた。

 彼と暮らすにはルールがある。それが、ハルヴァイトの秘密。それをあっさりミナミ自身にバラされてちょっと面白くなかったが、ハルヴァイトは次にミナミの囁いた一言に気を良くして、そのルールをアリスとドレイクに教えてしまった。

   

「だから、俺がちゃんとしてねぇと、俺よりアンタのほうがヤバいんだって…判ったからさ」

   

 ボウルの中身はサラダ。それに果物を混ぜながら、ミナミはアリスの含み笑いをちょっと困った気持ちで受け止める。

「どうって事ねぇと思うよ…。時々すっげー疲れるようなすっとぼけた事言うくらいで、あとは…、部屋散らかす程度」

「…相変わらず片付け知らずなの? ハルったら! 玄関入った時から随分家の中がこざっぱりしてるとは思ってたけど、それってもしかして、君がひとりでやってるの?!」

「俺……、暇だし」

 抗議よ! と泡立て器を握り締めて振り返ったアリスの、真っ赤な髪。それをじっと目で追いながら、ミナミがどうでもいいように呟く。

「元々俺、外にもあんま出らんねぇし。……、せいぜい、一週間に一回あのひと迎えに行くくらいで、後は家にばっか居るから、なんかしとかねぇと悪いかな…とか…ちょっと思ってるだけだし」

 ミナミの抱えた複雑な内情。他人との接触が全て恐怖、とまで思えるほど彼を追いつめたのは一体なんなのか、アリスはそれを知らなかったし、だからといって問いただす気もなかった。

「ハルはでも、君がいてくれればいいって言ったんでしょう?」

「………みたい…かな」

「なら、そんなに甘やかす事ないわ。放っておくとつけ上がるから、今のうちにしっかり躾といたほうがいいわよ、ミナミ」

「…。甘やかされてんのって、でも、俺の方っぽいけど」

 眉を吊り上げたアリスの顔をいっとき見つめてからそう呟いたミナミの口元が、微かに綻ぶ。

(うわぁ……。ていうか、何! このコ…)

 自分よりはるかにカワイイし色っぽいじゃないのよ! とアリスは、眩暈で倒れそうになった。

「何か手伝いましょうか?」

 ドレイクとの言い争いに勝ったのか、リビングから移動して来たハルヴァイトが、くすくす笑いながら顔を出す。と、それを振り返りもしないミナミは、アリスと話していた和やかさも消えた無表情な声で、冷たく言い放った。

「いいよ、別に。アンタ、帰ってきたばっかだろ」

「それを言うなら、アリスは更に…一応…お客様ですし。彼女に働いて貰ってわたしがぼんやりしているのは、悪いと思うのですが?」

「…アンタでけーから、邪魔なんだよ」

 その、あまりにも容赦ない痛烈な一言に、さすがのハルヴァイトも苦笑いを零す。だからといって別に気を悪くするでもなく、「そうですね」と答えてさっさとリビングに戻って行った背中を無言で見送ってから、アリスが不意に吹き出した。

「君たちって、いつもこうなの?」

 ころころと笑いながらキッチンのテーブルに並べられた大皿に何やら盛りつけつつ、アリスはちょっとからかうような顔でミナミを見つめた。

「こう…って?」

「ミナミがわざと冷たくしてて、ハルはそれを判ってるのかどうか…、とにかく、あんな風なの?」

「…………。最初の日からそうだった。いつか怒り出すんじゃないかって俺は今でも、…、思ってるけど、あのひとは別に、なんか、気にしてねぇみてぇ」

 意外と、君の変化には細かい人だと思うんだけどね。心配性な所もあるし。という呟きを、アリスは根性で飲み込んだ。

 ミナミとの関係にハルヴァイトが満足しているのかどうかは知らないが、このところの彼は、アリスの知る中で一番穏やかな表情をしていると思う。

「それと…」

 クーラーからワインを取り出してラベルを眺めているミナミの華奢な肩から視線を逸らし、アリスが今度は、すこーし意地の悪い笑みを口元に載せ直した。

「あたしは初対面でも「アリス」で、ドレイクが「ミラキ卿」なのに、なんでハルは「あのひと」か「アンタ」なのかな? ミナミクン」

 問われた瞬間クーラーの前で懲り固まったミナミを、くる! と踵で回って振り返ったアリスが、にーと口の端を引っ張り上げる。

「……だって…、その……」

 ごもごもと口の中で呟き、でもアリスを見ようとしないミナミ。

「ミ・ナ・ミ。おねーさんに隠し事はいけないなぁ」

 実は、ドレイクが半殺しの目にあった日、直前にミナミがハルヴァイトに電信を入れて来た時から、アリスはずっと気になっていたのだ。

 ひどく他人行儀な「アンタ」という呼び方。それが…ずっと引っかかっていた。

「…………………恥ずかしいから」

 そう小さく答えたミナミが、ワインを手にリビングへ逃げ込んで行く。それを唖然と見送って、なんとなくこっちが恥ずかしいような気になってぽりぽりと頬を指で掻き、それから気を取り直し盛り付けに戻って、アリスはくすっと笑った。

「ヤだ…、どうしよ。ホント…、カワイイコだわ」

 帰ったらマーリィに教えてやろう、と彼女は、華のように穏やかで可憐な恋人の笑顔を思い出していた。

  

   
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