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    2.冷たい恋人    
       
(5)

  

 別段問題無く食事は進み、途中、出された物はきれいに平らげてくれるのだが、美味いともマズイとも言わないハルヴァイトにアリスが抗議し、それにミナミが「アンタいっつもそうだよな。でもまぁ、料理なんてそれこそこれっぽっちも出来ねぇくせに、文句ばっか言われるよりゃマシかもしんないけど」と素っ気無く突っ込んでドレイクの爆笑を買う、という場面はあったものの、比較的和やかな雰囲気(?)のまま、それは終了する。

 そして…。

 食後の珈琲を支度しにミナミがキッチンへ立った隙に、ドレイクは問題の、グラン・ガン大隊長の泣き落としに負けて渡されたあの手紙を、なんの感慨もない風を装って、ハルヴァイトの手元にぽんと放り出した。

 内心は、ヒヤヒヤものなのだが…。

「なんです? これ」

「大隊長がお前に渡してくれってよこしたんだよ」

「……ふーん」

 表面に書かれたグラン・ガンという直筆サインを確認し、それから裏をひっくり返した途端、ハルヴァイトの眉が吊り上がる。

「ドレイク…」

「いや、俺にも事情はよく判らねぇからさ! とにかく…、だ、ハル。見るだけ見てくれて内容を把握してくれれば、大隊長の顔も立つって、そういうレベルの話なんじゃねぇの?」

「ほう。差出人が「ミル=リー・アイゼン」でも?」

 と、慣れているドレイクでさえ凍りつくような声で小さく囁き、それでもハルヴァイトはテーブルの下を探って携帯端末を取り出し、メモリをリーダーに挿し込んだ。その、やや俯いた顔にさらりと流れ落ちてくる鋼色の髪に、微かに青白い光を照り返して端末が起動すると、見る間に…見事に…これ以上無いほど判り易い早さで、ハルヴァイトの眉間に縦皺が刻まれていく。

 一通り、とりあえず「見ました」と言える程度に中身を確認してすぐ、ハルヴァイトは電源も落とさない携帯端末を背後のソファに…荒っぽく放り投げ、居住まいを正してその場に正座すると、「ミラキ卿」と、刺だらけの声で冷たくドレイクの名を呼んだ。

「順番に説明していただけませんか? これは一体、どういう事なんです?」

 セリフの終わりと一緒に、どこかで「ぴちっ」と荷電粒子の弾ける音…。

「どうって…。大隊長がそれを預かって来た経緯は俺もよく知らねぇよ」

「それじゃありませんよ。判っているくせに知らないふりをするのは、あなたの悪い癖です」

「判ってるって、お前宛の手紙の内容まではさすがの俺だって知らねぇだろ。ただ…その………、ミル=リー・アイゼンがなんでお前に手紙を「寄越せた」のか、くらいは…というか…」

 非常に歯切れ悪く言うドレイクの横顔を見つめたまま、ハルヴァイトは唇を引き結んだ。

 どうあっても、何かをドレイクから聞き出すまではこれ以上一言も喋るものか、という意思表示だろうか。

「だから! 俺はアイゼン卿のお嬢さんとの婚約を解消したんだよ、もう…一年以上前に。理由はお前だって判るだろ? 例えば何があってもよ、ミラキの血筋を残すために子供を産んで貰うつうそれだけの理由で、他の「女」と寝たなんて知れた日にゃ、俺ぁ投獄モンだぜ?」

「勝手に投獄されてください」

「テメー…好きなことほざきやがって…。そうでなくてもなぁ、クラバインがいつ泣きついてくるか判ったモンじゃねぇんだよ、今ぁ!」

 ドン! とテーブルを握り拳で殴りつけたドレイクが、じろりとハルヴァイトを睨む。

「で? あなたの婚約解消と、わたしへの手紙は、どう関係あるんですか?」

 そう、本題はそれのはずだ…。

「…婚約を解消したいってアイゼン卿の屋敷を訪ねた時、向こうさんはロクに理由も聞かねぇでよ、薄気味悪いくらい快諾してくれたんだよ。それで、あんまり様子がおかしいんで、直接ミル=リーにその理由を訊いてみた。そしたらお前…」

 急にしかめっ面を作ったドレイクが、忌々しげに吐き捨てる。

「向こうさんな、俺とお前の事を知ってやがったんだ」

「…………」

 思わず、ハルヴァイトは息を飲んだ。

「知ってたって、何を?」

「実はお前が、あの女がスラムに産み捨てた俺の弟だってのを、どっからか調べて来てたのさ。まぁ、元々電脳魔導師ってのは自然分娩でしか産まれねぇって言われてる特異体質者だからな、遺伝子提供者の片一方が電脳魔導師だった場合、「精製」途中に起こる事故で現れちまう突然変異って例外があるにしてもよ、そいつにしたって、百か千にひとつくらい確率が低い上に、軍で幅利かせられるほど能力値の発達するヤツは更にその中の一握りだ、軍の内情にちょっと詳しけりゃ、俺とお前の関係を調べるのは難しくねぇだろうけどよ」

「ふうん。つまり、電脳魔導師って、おんなじ家系からしか出ねぇて事?」

「幾つか枝はあるけど、そういう事だ」

「というか! なんであなたが参加してるんですか、ミナミ!」

「…リビングで喚いてりゃ聞こえるだろ、ふつー。しかも、さっきからなんか天井の辺りがうるせぇし…」

 いつの間にかハルヴァイトの背後にあるソファにゆったりと座っていたミナミが、やる気なく天井を指差す。と、それまで細かい火花を盛大に散らしていた電脳陣が、ぱっと燐光を放って霧散した。それを見て…、実はずっと前から見ていたのだが…、アリスが腹を抱えて声を殺し、大爆笑している。

 ドレイクの気まずそうな顔と、ハルヴァイトの何か言いたげな顔を相変わらずの無表情で見比べ、ミナミは肩を竦めた。別にどうでもいいだろうに、と一瞬思ったが、見つめてくる鉛色の瞳に何を思ったのか、彼は背凭れから背中をひっぺがして膝を抱え、しげしげと…どうやら兄弟らしい男たちの顔を眺めてみた。

「似てるつうか、似てねぇつうか、判んねぇ」

「そっくりじゃない。何か考え始めると回りが見えなくなるトコとか」

 あははは、と無遠慮に爆笑するアリス。

「そうかも」

 つられて、ミナミが小さくくすっと笑った。

 それで何か諦めがついたのか、ハルヴァイトは溜め息を吐き出しながらソファに這い上がって、ミナミの隣、いつもそうであるように微妙な位置を保った状態で肩を並べ、座る。

「わたしとドレイクの「母」は、典型的なファイランの女性でした。幼い頃から大切に育てられ、殆ど外も知らず、先代ミラキ卿と同じ屋敷で寝食を共にして、年頃になったら電脳魔導師として最高の地位にあったミラキ家の跡取りを産むために、あの屋敷に住まわせられていた」

「で、まだ十六かそこらで俺を産み、ミラキ家には無事跡取りも出来て万々歳だったんだがよ、それまでの育て方が良くなかったんだろうなぁ。俺が産まれて肩の荷が下りた途端に、それこそ使用人から親父の部下、果ては自分の主治医まで、片っ端から手を付け始めやがったのさ」

 それを聞いて、同じ女性でありながらその地位を捨てたアリスが、ふん、とつまらなそうに鼻を鳴らす。

「半年もしないうちに次の子供を身篭った、と診断されたが、誰の子供だかさっぱり判らねぇ。それであの女は、このコはなかった事にしよう、と言い出した。らしい」

 ドレイクもその頃はまだ生後半年の赤ん坊である。誰かに後から聞いた話なのだろう。

「? 先代との第二子ってのは、考えられなかったのかよ」

「それはなかったと聞きました。…母は、ドレイクが産まれてから一度も、先代と寝室を共にしなかったらしいですから」

「今となっちゃぁよ、本当に、なんでハルヴァイトみてぇな天才が生まれたのか、誰も知らねぇんだよな。親父は俺が十五になる前に「着陸」警護中に死んじまったし、あの女も結局身体壊して何年も寝込んで、散々俺に迷惑かけてから死んじまったしな」

「関係を持った中に当時の電脳魔導師がいたんじゃないかって疑い事もあったけど、それなら、生まれた子供には遺伝子検査を受けさせるだろうから、本人も知らなかった可能性が高い、っていう結果が出ただけだったのよ。つまり、誰もハルヴァイトが電脳魔導師の才能を…それこそドレイクの何十倍も持って、スラムでなんとか生きてた、なんて、知らなかったの」

「……何十倍って言うなよ…。当たってるだけに、傷つく…」

 わざと泣く真似のドレイクを、アリスが笑っている。その二人を、ミナミは物憂げな目で見つめている。そしてそのミナミの横顔を、ハルヴァイトがじっと…。

「ミナミ。もっとちゃんと、話しておけばよかった…ですか?」

 不安そうな顔で見ていた。

「……別に。聞いちゃったから、ちょっと突っ込んでみたくなっただけだろ、俺の場合。アンタが以前の俺を気にしねぇのと一緒で、俺も…アンタがどこの誰でも、気になんねぇ」

「…今のは、もしかして喜ぶところですか?」

 相変わらずの無表情でありながら、ミナミはハルヴァイトに視線だけを向けた。

「決まってんだろ」

 言い置いて、ぷいっと顔を背けるミナミ。もしかして、これは照れているのだろうか? とかなり本気でハルヴァイトが悩み始めてすぐ、にやにやしながら自分たちを眺めているアリスとドレイクに気が付いて、天才と言われたばかりの電脳魔導師は、わざとらしく咳払いした。

「それで、わたしとドレイクの事はいいとして、問題は、この手紙です」

 この…、あれ? と、確かソファに放り出したままだったはずの端末を探すハルヴァイトの耳に、妙に気の抜けた「ふーん」というミナミの声が聞こえた。

 先に述べる。ハルヴァイトはとにかく、物を片付ける、という単語と行為を知らない。

 しかし彼は今日、生まれて始めてその重要性を認識する事になった。

「美人じゃねぇ。逢ってやれば?」

「…………………ミナミ!」

 ハルヴァイトの悲鳴が、しんとした室内にこだまする。

「? アンタに逢いたいって書いてあるんだから、顔くらい見せてやりゃいいだろ? 減るモンじゃねぇし」

「……ミナミ………」

 ミナミは、いつものようにソファに座ろうとして、いつものように邪魔な物が投げ捨ててあったので、いつものように拾い上げ、いつものように片付けようと視線を落としただけだったのだ。しかし運悪くそれには、豊かなブルネットに緑色の瞳の美女が映し出されており、内容までは読み取れなかった(ここだけ幸運にも、文字列は送り飛ばされていた)が、最後の一言、「是非、あなたにお逢いしてその件をご承諾いただきたく存じます」だけが、燦然と取り残されていたのである。

 だから、ミナミに罪は無い。

 しかもその美女は、本当に、たおやかで美しかった。健康的で…健全な笑顔で…。

「…本気ですか? 今の…その、逢えばいいというのは?」

 無感情なハルヴァイトの問いかけに、物憂い瞳でその…ミル=リー・アイゼンを見つめていたミナミが、素っ気無く「本気」と答える。

「彼女が、わたしに「ミナミ」という恋人がいると知っていながら、わたしとの間に子供が欲しいと言って来ていても?」

「……いんじゃねぇ? 俺は子供産まないから、モメねぇだろうし」

 ドレイクとアリスは、閉じた端末をソファの座面にぽんと置いたミナミの顔と、そのミナミに顔を向けたまま、二人には横顔さえ見せようとしないハルヴァイトの間で視線を往復させ、何か…とんでもない不運に巻き込まれたのではないか、と背筋を凍らせていた。

「つうかさ、大隊長にしつこくどっかの女紹介されるんで困ってる、ってさ、…三ヶ月以上前の話しじゃなかったのかよ…」

 それは?! と是非とも目を剥いてハルヴァイトを問い詰めたい衝動に駆られたが、さすがのドレイクもそこまで愚かではなかった。だからただちょっと片眉を吊り上げ、ミナミに向って小首を傾げて見せる程度で踏み止まる。

「そんなん、今更どうでもいいけどな」

 そう言ってミナミは、完全に忘れ去られて冷え切った珈琲に、手を伸ばした。

  

   
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