■ 前に戻る   ■ 次へ進む

      
   
    2.冷たい恋人    
       
(7)

  

 次の日のドレイクはまさに、「決死の覚悟」という言葉がぴったり来るような顔で、ガリュー家の呼び鈴を押していた。

 ここでもし自分が何かしでかしたら、ファイランが墜落してもおかしくないような、非常事態が起こるに違いないとまで思う。大袈裟な想像ではない辺りが、最も恐ろしいのだが…。

(肋骨二本と軽度の火傷で、駆動系主電脳のファイアウォル組み換えだったんだぞ…)

 ハルヴァイトも厄介だが、あいつもなぁ。と、思わずドレイクが溜め息を吐いた途端、目の前のドアがすうっと開き、見事な金髪が出てきた。

「いってきます」

 短く言い置いてドアを後ろ手に閉め、さすがのミナミも、きょとんとするドレイクの顔をじっと見上げて苦笑い。

「つっても、昨日帰ってからは、一回も顔見てねぇんだけどさ」

「……ミナミでもダメか…」

「いや。拗ねてるだけだろ」

「? 拗ねてる?」

 門を閉めて歩道に出、ミナミはどうしていいのか迷うようにドレイクを見た。が、ミナミの行動の意味さえ知らないドレイクの方はといえば、その視線を受けとって、ただ肩を竦めて見せるしかない。

「……ミラキ卿に、頼みあんだけどさ…」

 とにかく、と大通りに向って歩き出し、ドレイクはふと不安になった。ミナミは、極端な接触恐怖症なのだ。通りなどまともに歩けるのだろうか?

 そう思うと、ハルヴァイトのいつも平然とした態度が、もの凄いものに見えてきた。一人の時は殆ど通りに出ない、と言っていたように、ミナミにとっても大通りはある程度「恐い」場所なのだろう。それでも彼は、毅然とミナミを連れて、この通りを歩くのだ。

「? …、ミラキ卿?」

「あ?! あぁ…、悪ぃ。で? なんだって?」

 ダークブルーの瞳に覗き込まれて、歩調を緩めそうになっていたドレイクは慌ててミナミに追いついた。

「だから…、頼みがあんだ」

 頼み事をしたのはこっちだ。と言ってやろうとしたドレイクがミナミに顔を向け、向けたところで、彼は、今日のミナミが妙にこざっぱりとした服装をし、いつもは派手に毛先の跳ね上がっている金髪も、随分大人しく整えられているのに、気付いた。

「それがつまり、今日、訳も話さず俺を呼び付けた理由か? ミナミ」

「…そう…」

「つまんねぇ事だったら、帰るからな」

 ミナミがふと、妙な表情でドレイクを振り仰いだ。

「…………そういう…、機嫌の悪そうな声って、そっくりな…」

 ぽつりと言い置いて、ミナミが俯く。

「? ハルと?」

 問い掛ける言葉に答えはなく、しかし代わりに、ミナミは…とんでもない事をさらりと言って退けた。

「ミル=リー・アイゼンって女性に、会えねぇかな?」

「はぁ?!」

 ついに、ドレイクはぽかんと口を開けその場に立ち止まってしまった。

「だから…、あの人より先にその女性に会いたいって、そういう事なんだけど」

 立ち止まり、振り返り、小首を傾げたミナミに唖然とした視線を注ぎつつ、ドレイクが呟く。

「おめー…、俺だって、それ断れるほど馬鹿じゃねぇだろ…」

 答えた途端に浮かんだ(つうか、引き受ける方が馬鹿っぽいけどな…)という不毛な感想は、さっさと頭から追い出す事にした。

   

   

「正直言ってな、女性にお目通りを願うつうのは、今のファイランじゃぁよ、下手すりゃ王様に謁見するより難しいかもしんねぇぜ」

「だから、ミラキ卿になんとかして貰おうって思ったんだけど。だって、元・婚約者なんだろ?」

「んーーーーー。その言い方もなぁ、ちょっと違うんだけどよ…」

 苦笑いしながらフローターの運転席から降り、ボンネットを回り込んで、ごく自然に助手席のドアを開けそれに寄り掛かったドレイクが、ミナミに降りろと促す。その一連の動作があまりにも様になり過ぎていて、ミナミは改めて、ドレイクは育ちがいいのだと痛感した。

「婚約、なんて幻想的な響きなんかじゃねぇ。どっちかつったら「契約」だな」

「………………契約?」

 付いてこいと手で示され、ミナミはドレイクの背中を追いかけ歩き出した。場所は、スラムと一般住宅の境目当たりに聳えた、天蓋を支える支柱が目の前に見えるという、なんとも奇妙な一画だった。

 この周囲は広場になっている。直径数十メートルにもなる支柱の一部は市民に解放、展望フロアに改造されていて、高層建築が容認されていないファイランを一望出来る数少ないスポットとして賑わっていた。

 しかしドレイクがミナミを案内したのは、展望フロアに上がるのとは別の、前に警備員の立った厳めしいエレベータの方だった。扉の左右に彫像のごとく立っていた二人が、ドレイクの顔を見るなり素早く敬礼して、さっと横に退去する。

「ミラキ家とアイゼン家で交わされたのは、契約だ。つまり、ミル=リーがそれなりの年齢になったら、ミラキの跡取りを生む。生れて来るのが男でも女でも、無条件でミラキ家が引き取る。ほれ、前にも言ったろ? 電脳魔導師ってのは自然分娩でしか生れない、ってよ。だからつまり…」

 そこで、ドレイクは失笑した。

「懲りてねぇよな…。それでハルヴァイトは産み捨てられたってのによ、親父はまた同じ事をしようとしてた」

 乗り込んだエレベーターは動いていた。多分、上がり続けているのだろう。

 では、どこまで?

「だから、ミル=リーが俺との婚約破棄を快諾して、でもそれはおかしいってんで彼女自身を訪ねた時、「好きな人が出来た」っつわれたのを、俺は正直喜んだね。天然記念物みてぇに大切に育てられて、でも一方じゃ子を生(な)す道具としか見てもらえねぇ女性が、俺に…、つまり血筋を残すためだけの種馬に差し出されるなんてぞっとしねぇだろ。せめてさ、好きな人が出来たならそのひとんトコ行けよ、みてぇな…、寛大な気持ちになってみたりさ…」

「……ミラキ卿て、微妙にタイミング悪ぃよな…なんか」

「…言うなよ。俺だってそろそろ、何もしないで家に閉じこもってた方がいいのかもしんねぇと思い始めてんだから…」

 深く深く溜め息を吐いたドレイクを、ミナミが小さく笑う。

「だからってよ、別に、ミル=リーが本当にハルを好きで、ハルに…ミナミがいなきゃぁ、俺だって暖かく見守ってやれたさ」

「俺のせいなんだ?」

 くす。とミナミがなぜか、さも可笑しげに問う。

「いや。ミナミが今回あいつの側にいたのを、俺は感謝してるよ…」

 対応はかなり厳しいけどな…。という感想を、ドレイクはわざと口にしなかった。ただ、ちょっと意地悪な笑みをミナミに向けてみただけ。

 刹那、カクン、とエレベータが停まる。

「じゃぁ、なんで…………」

 言いかけたミナミの眼前で、エレベータのドアが左右に開いた。

「事前にどっかから情報が洩れたんだろうな…。アイゼン家は、議会の貴族院がガリュー・ミラキの家系を立ち上げる議事を提出し、初代当主になるハルヴァイトに正当な家督の継承者が出来た所で、それを承認、同時にあいつを電脳魔導師隊の大隊長に………って、どうした? ミナミ」

 数歩前を進み、背後のミナミがやけに無反応なのに気付いたドレイクが、振り返る。

「……………何? ここ…」

「? って…あぁ。お前…上級庭園なんて知らねぇか…」

 がしがし白髪を掻きながらドレイクは、ミナミがぽかんと見つめている…草原…を見回し、なんだか居心地悪そうに苦笑いして見せた。

「風景は良く出来た立体映像で、実際は触れねぇけどな。真下の一般居住区から見上げれば、光の加減で天蓋が光ってるようにしか見えねぇし、誰も、空なんて気にしねぇから…」

「庭園てことは…ただの庭なのか?」

「いいや。ここが、貴族階級の屋敷が集まる上級居住区でもある」

 ミナミは、上級居住区なんて名前しか聞いた事がなかったし、どこにあるのか知らなかったし、第一、生きてる間に縁があるなんて想像していなかった。だから、かなり驚いた…。

「……庭園で、屋敷があんのに、草原はねぇだろ、草原は…」

  

   
 ■ 前に戻る   ■ 次へ進む