■ 前に戻る   ■ 次へ進む

      
   
    2.冷たい恋人    
       
(12)

  

 屋敷に戻ると、出迎えはドレイク・ミラキだけだった。

 いつも影のように付き添っている執事が居ない事を訝しむミル=リーアイゼンに、ドレイクが朗らかな笑みを見せる。

「急にお呼び立てした上に、……不快な思いをさせて申し訳ない」

 軽く頭を下げたドレイクを見つめ、ミル=リーが困ったような顔で小首を傾げた。

「今日はよく謝られる日ですわ。……本当なら、軽率な行動を咎められていいのは、わたくしの方でしょうに」

「ミナミがそれをしないから、ですよ」

 即答したドレイクが、ミル=リーに手を差し伸べた。

「あなたは頭のいい女性だ。なのになぜあんな手紙をハルヴァイトに渡したのか、お教え願えませんか?」

 庭園に続く小道を一度だけ振り返って、彼女は口の中で「イヤです」と答え、ドレイクがそれを小さく笑う。

「では、今から俺の話す事は、あなたの胸にだけしまっておいてください」

 差し出されていたドレイクの手に自分の手を重ね、庭園に残して来たミナミの事など忘れたように、毅然と胸を張って歩き出す、ミル=リー・アイゼン。その姿は余りにも凛としていた。

「彼は…心因性の極度接触恐怖症で、つまり、「触れる事も、触れられる事も出来ない」んですよ。こうやって誰かの手を取り、当たり前に暮らす事さえ、彼には耐え難い恐怖でしかない…」

「………でも、あの方はガリュー様の…」

 少し驚いたように問い掛けてくるミル・リーに笑顔を向け、ドレイクは頷いた。

「恋人です。…と、ハルヴァイトは言う。ミナミがハルヴァイトをどう思っているのか、それは判らないですがね」

 ドレイクと連れ立って応接室から廊下に出、玄関を目指しながらも、ミル=リーは本当に困惑していた。

「大切にしてくれているのだと、俺は思いますよ。不器用だけど、あれがミナミに出来る精一杯」

 頭を下げて、謝って、勝手な事を言って、傷つく。

「……………少しは、本気だったでしょう? 俺が婚約の解消を申し入れた時、父上はミラキの家でなく新興のガリュー・ミラキを望んだが、あなたは……俺でなく、ハルヴァイトを選んだ」

「わたくしは…」

 言いあぐねたミル=リーの手を両手で握ってぽんと叩き、ドレイクが笑う。

「まだ内密にされているガリュー・ミラキの名前を利用したのは、あいつに恋人が出来た、と聞いたからじゃないんですか?」

「……ファイランの掟に沿って愚かな行動に出た、バカな女でいたかった…。でも、だめですわね。だって…」

 重ねられたドレイクの手を見つめたまま、彼女が薄く微笑む。

「わたくしは、物じゃないのですって…。あの方もあなたも物ではないと、ミナミさんは…判ってらっしゃいました」

 家を守るためだけの道具ではないのだと、ミナミは彼女に言ったはずだ。

「泣いておきますか?」

 エントランスまで来て足を止め、ドレイクがミル=リーに訪ねる。

「いいえ…。それでは、ミナミさんがもっと傷ついてしまわれます。そんな、あの方に恨まれるような事は、これ以上したくありません」

 全てを見透かすようなミナミの瞳が、ミル=リーは恐かった。判られてしまいそうで。電脳魔導師に絶対必要な「女性」であるという切り札しかない、浅ましい自分を見られているようで…。

「ミラキ卿にもご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。ガリュー様には、わたくしの方からお詫びを申し上げておきます」

 ドレイクの手を離し、彼に向き直ったミル=リー・アイゼンは軽く会釈すると、二度と振り返らずにエントランスから出て行った。

「ありがとう。あなたのおかげで、一つだけ判った事があります」

 それを最後まで聞かずにドアは閉じる。…拒否ではなく、今更そんな事は聞くまでもない、という意志の現れでもあるかのように。

「ミナミがあいつをどう思っているのか、少しだけ…な」

 だからドレイクの囁きは、誰にも向けられてはいなかった。

   

   

「気が済んだんじゃないんだ」

 四阿の支柱に寄り掛かったウォルが少し意地の悪い笑みを浮かべてそう呟くと、椅子にだらしなく引っかかっていたミナミが、胡乱なダークブルーの双眸をようやく彼に向ける。

「……判んねぇよ…」

 そう溜め息のように吐き出したミナミを、ウォルが笑う。

「君って本当、よく判らないよね。思慮深いのか、実は短慮なのか…。今君がしてるのは反省? それとも後悔? どちらでも僕には関係ないけど、僕やドレイクを失望させるような顔はしないで欲しいな」

 黒曜石のような美しい瞳に見つめられて、それはもっともだ、とミナミは思った。

 結局、ミナミはドレイクに頼るしかなかったし、ドレイクはウォルに(どういう手品で彼がミル=リー・アイゼンを呼びだしたのかは判らないけれど)頼った。つまり、ミナミの「ワガママ」に二人の貴族階級が(ウォルの正体は判らないが、あの傲岸な態度からして、一般市民とは思えない…)手を貸してくれた、という事なのだ。

 不満そうな顔も、落ち込んだ顔も、失礼だろう…。

 慌てて、でないにしろ、椅子から立ち上がってウォルに顔を向け直したミナミが、一度引き結んだ唇を微かに動かす。

「…あの……ごめ…」

「謝るな、ミナミ・アイリー。君はよくやった。肝心な部分は誰にも任せず、自分で行動を起こし言うべき事は言った。それでなぜ謝る? 第一、なぜ、お前はそんな顔をしている? 今日の僕とドレイクの行為が無駄だったとするならば、それは…………ガリューの責任だ」

 ウォルは笑うのをやめて、迫力のある口調で言い放った。

「奴はまだ、何もしてない」

 自然種の蘭に囲まれたウォルは、ミル=リー・アイゼンよりも更に神々しく、驚くほど優しく、ミナミに微笑み掛けた。

  

   
 ■ 前に戻る   ■ 次へ進む