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    2.冷たい恋人    
       
(14)

  

「……俺、帰る」

 しばらく他愛ない話をし、リインが淹れてくれたハーブティーを適当に楽しんだ後、急に、姿勢を正してウォルとドレイクに向き直ったミナミが言い放った。

「…………どうやって?」

 ミナミの正面に座っていたドレイクが、半ば呆然と問い掛ける。

「? 歩いて」

「どこまで!」

「?? あのひとの家まで」

「お前、こっからハルの家までどれくらいの距離あんのか、知ってて言ってんのか?!」

「どれくらいあんの?」

 言い返されて、ドレイクががっくりと肩を落とした。

「ガリューの家まで、フローターでも三十分以上掛かるよ、ここからだとね。徒歩なら、近道しても二時間弱」

 ドレイクが放棄した説明を呆れた口調で言ったウォルが、しかたなさそうに小首を傾げて、ちょっとだけ口元に笑みを載せる。

「送って貰えば? ドレイクに」

「…それは、さすがに遠慮するだろ、俺でも」

 ドレイクとウォルの事情をよく知らないまでも、この二人が普段あまり逢えないらしい、というくらいは判る。だとしたら、例えばそれが明日の朝までという短い時間だとしても、これ以上邪魔をするべきではないとミナミは思った。

 ダークブルーの瞳が、逸らさないウォルの黒瞳を見つめ返す。

 ウォルは、きっとドレイクをとても「好き」なのだ。独占したい程。でもそれは許されないのだ。何らかの理由で。そしてドレイクも多分、ウォルをとても「好き」なのだろう。

 ただし、お互いが明言を避けているように…見えたが。

「…リインに送らせるか?」

 ドレイクが言った途端、ドアの側に控えていたリインが静かに移動してくる。それをまた観察者の目で見つめてから、ミナミはゆっくり首を横に振った。

「俺…」

 リインに送って貰う事に、何か不満がある訳ではない。大通りを二時間も歩いて帰るのは無理かもしれないし、途中で何か…誰かに絡まれたりしたら、もう一歩も動けなくなるかもしれない。

 でもミナミは、今日はもう誰にも頼らずに、ハルヴァイトの所に帰ろうと思った。

 ミナミが何か考え込むように黙り込んだ刹那、リインが懐から懐中時計型の携帯端末を取り出して中を改める。となぜか、皺の刻まれた口元に微かな笑みを乗せ、無言で三人から離れた。

「それとも、ハルヴァイトに来て貰うか?」

 ドレイクが探るような表情で呟くと、ミナミはそれにも首を横に振った。

「…それは、いい…。まだ、上手い言い訳思い浮かばなくてさ。なんでここに俺がいんのかとか、何してたかとか、あのひとには…」

「旦那様…」

「取り込み中」

 黙れ、と手で示されて、リインが重々しく頷く。

「では、お客様に帰って頂いてよろしいので?」

「? 客? 今日は誰とも約束なかったろう? だったらいいや、帰って貰え」

 ミナミの顔を見つめたまま、ん? と首を傾げたドレイクが言い終わるなり踵でドアに向き直ったリインが、一枚板の大扉を引き開けた。

「旦那様はこのように申しておりますが、いかがなされますか? ハルヴァイト様」

「もちろんすぐに帰りますよ。……ミナミを連れてね」

 そう呟いたハルヴァイトは、これ以上ないほど凶悪な微笑みを満面に浮かべ、長椅子の中で全身を縮めたミナミとドレイク、それから、額に手を当てて深い溜め息を吐いたウォルを順繰りに見回した。

「………つうかアンタ、心臓に悪ぃだろ、その…笑顔は…」

 と、とりあえず、全身を強ばらせたままでミナミは、なんとか突っ込んだ…。

   

   

「…心配なんだ、アイリーの事……」

 結局、ハルヴァイトはリインに自宅まで送れと命令し、ミナミを連れて帰った。

「ミナミだけじゃねぇよ、ハルの事も心配してる」

「…ふうん」

 二人が帰った直後から難しい顔をして一言も喋ろうとしないドレイクに寄り添ったままのウォルが、関心なさそうに問い掛け、どうでもいいように相づちを打つ。

「アイリーはお前が思うほどか弱くもないし、バカでもないよ。まぁ、少し強情かな。でも、その程度。意外に一途で、周りをよく見てる…。正直、僕としては付き合い難いけど、嫌いじゃない」

 ウォルはそう言って、ついと立ち上がった。

 思いの他優雅な仕草に眼を奪われて、ドレイクがウォルを視線だけで追いかける。

「見た目じゃ判らないけど、激しいよね、アイリーは。それに、必死だし」

 言い置いて、開け放たれた大窓に歩み寄り、漆黒で固めた艶やかな髪をさらりと流すウォルは、奇妙な威厳と美しさに満ちていた。

「……昔のガリューを思い出す」

 薄紅の唇が、懐かしい想い出に儚い笑みを手向ける。

「お前が愛した、ハルヴァイト・ガリューをね」

 もう、随分前の話だった。警備軍に入隊したてのドレイクとハルヴァイト、アリス、まだ軍にいたウォルは、同じ小隊に属していた。

 いきなり昔話を蒸し返されて、ドレイクが苦笑いを零す。ウォルの機嫌は、相当悪いようだ。

「今でも愛してるよ。…何せ、出来の良過ぎる弟だ」

 呟いて立ち上がり、テラスに出て庭園を眺めるウォルの傍らに移動してくるドレイクの気配。それを背中で感じながら、黒髪の青年は微かに落胆の溜め息を吐いた。

「足掻いても足掻いても、僕の手には何も入らない。いらないものばかりが、身動き出来ないくらい周りに積み上がって行く。でも、それを無視出来るほど、僕は我侭になれない…」

 なってはいけない。

 肩に掛けたストールを握り締める白い手に、ドレイクの大きな手が重なった。後ろから抱き締めるように回されたそれに視線を落とし、正体の知れない”ウォル”が、もう一度、消えそうに微笑む。

「……お前が、捨てられてればよかったんだ」

 吐き出された言葉を咎めることも出来ず、ドレイクはウォルをぎゅっと抱き締めて、寄り掛かってくる痩せた身体を受け止めた。

  

   
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