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    4.内緒の生活    
       
(5)

  

 それから二日後。あと二日程でファイランがステーションに接岸するだろう、というニュースをぼんやり眺めるミナミと、何やら難解な記号ののたくった分厚い本を昨日から暇なし読んでいるハルヴァイト。いつものように怠惰な時間は、やっぱり、何があってもなくても緩やかに通り過ぎて行く。

「…ステーションに着いたら、王様って議会施設? に行くんだよな」

「えぇ。ファイランは連盟の理事都市になってますからね、用事があろうがなかろうが、他の理事都市主席と挨拶くらいはしなければなりませんし」

 惑星の周回浮遊航路を取っていれば頻繁にステーションに立ち寄らなくて済むのに、とハルヴァイトが内心愚痴を零す。ここ数十年でファイランの高度が十二メートルも下がったのが航路変更の理由らしいが、なぜそれ程高度が下がったのかは、現在も調査中との事だった。

「アンタ、王様の警護ってしねぇの?」

 ぽつりと訊ねられて、ハルヴァイトが本から視線を上げる。と、あのダークブルーの瞳が真っ直ぐに彼を見つめていた。

「……しませんよ。陛下の警護は、グラン・ガン大隊長の元に編成された、特別警護小隊という、小隊長クラスの電脳魔導師が集る警護部隊が行います」

「アンタも小隊長だろ」

「わたし、協調性がないもので」

「…なるほどな。今、すっげー納得した」

 微かに笑いを含んだミナミの返答に、ハルヴァイトがわざと不機嫌そうな声で抗議する。確かに言いたくない事はあるのだが、だからといって今ので納得されても素直に喜べない。

「ミナミ…。あなた、わたしをすごく誤解してたりしません?」

「いいや。最近は、俺よかアンタの事判ってる人間は少ないかもしんねぇ…、とまで思いそうになってる」

「微妙な言い回しですね」

「…考えるついでに、コーヒー煎れねぇ?」

 うつ伏せに寝転んでじっとハルヴァイトを見つめていたミナミが、微かに口元を引き上げた。水色のハイネックにチョコレート色の細いパンツ、というありきたりな衣装さえも、毛先の跳ね上がった金髪に飾られた途端、どこか特別な質感を持って風景から浮き上がって見える。

「いいですよ。お礼にキスくらい振る舞ってくれるならね」

 と、からかうように言って微笑んで見せたハルヴァイト。奇妙な光沢を持つ鋼色の髪と、不透明な鉛色の瞳。機械仕掛け、と噂された希代の電脳魔導師を、ミナミは今まで一度も恐ろしいと思った事が無い。

「……考えとく」

 くすくす笑いながら立ち上がってキッチンに爪先を向けたハルヴァイトを見送り、短い溜め息を吐いてから、ミナミはソファの上でごろりと寝返りを打った。顔の前に腕を翳して天井の一点を見つめ、ぼんやりと考えを巡らせる。

 不快だと思えなかった数日前のキスに、ミナミは戸惑っていた。

 体温。感じたくない記憶。なのにミナミはハルヴァイトの「温度」を知り、しかし、恐れる事が出来なかった。

 なぜなのか。

 キッチンから微かに珈琲が香ってくる。ハルヴァイトが家に居るときはそれだけが彼の仕事であり、ミナミはその香りを…ハルヴァイトが珈琲を煎れている、という事実込みで…、楽しんでいた。

「…ミナミ」

「何?」

 呼ばれて身を起こしたミナミが、背凭れにしがみついてキッチンに顔を向けた。

「次に招集が下りたら、しばらくは家に戻れないと思います。陛下の警護はしないんですが、電脳魔導師隊はステーションを離れるまで常駐待機になるもので…」

 どことなく歯切れの悪い物言いと、ミナミに向けたままの背中。今日は淡いクリーム色のシャツを着崩したそれがなんだか遠慮がちに見えて、ミナミは首を傾げた。

「待機とかなんとかさ、何やってんだか判んねぇ事多いよな、アンタら」

「…面倒な事も、ね」

 意味ありげな呟きに突っ込んでやろうとしたミナミを、不意にハルヴァイトが振り返る。

 鉛色の瞳。金属質な、と言い切れない、不思議な青灰色。

「どうかしました?」

 小首を傾げると、肩より少し長い鋼色の髪がさらりと揺れる。

「…………なんでもねぇよ」

 ミナミは見つめてくるハルヴァイトから目を逸らし、またソファに寝転がった。

(調子狂う…)

 と、勝手に調子の掴めないミナミが浅い溜め息を吐いた途端、背凭れの向こうからハルヴァイトが顔を出す。

「脅かすなよ…」

「…驚いたんですか?」

 いつもと変わらない無表情で睨んでくるミナミを少し笑い、両手にカップを持ったままソファを回り込んで来たハルヴァイトが、テーブルにそれを置こうと身を屈める。

 指の長い大きな手。ひと捲りしたクリーム色のシャツから、意外に骨張った手首が見えた。

「…………そういやぁアンタ、何する時でもそれ以上腕まくりしねぇよな」

 なんとなく呟かれたミナミのセリフに、ハルヴァイトはぎくりと背筋を凍らせた。

「? なんか…、俺変な事言った?」

「いえ! …………そうじゃないんですが…」

 慌てて作り笑いを浮かべつつテーブルにカップを置いたハルヴァイトが、そそくさと向かいのソファに逃げ込む。

「……臨界占有率表示(プライマリ・テスト・パターン)というのが…両腕のこの辺りにあるんですよ、わたし」

 少しだけ迷ってからハルヴァイトは、差し上げた腕の肘からやや下を指さし、ミナミにそう教えた。

「?? ぷらいまりてすとぱたーん…って…何?」

 聞いた事もない単語に目を白黒させながら、ミナミが身を起こす。

「電脳魔導師の身体には、刻印があるんです。能力値表示というか、臨界面における電素数表示というか、とにかくそういうものなんですが、それって…つまり他人には見せられないヒミツなので…」

「ふう…ん。でもそんな目立つ場所にあったら、結構大変じゃねぇ?」

 ミナミは言いつつ、無意識に自分の喉を触った。

 そこには、透明な首枷がある。死に損ないの証、とでも言おうか。

「普通はありませんよ、こんな人目につく場所にはね。ドレイクは上腕だったかな。後は、肩とか、脇腹とか、そういう場所にあるんです」

「でも、アンタのは腕?」

「…………肩、というか、鎖骨の下にもありますよ。上腕にも、鳩尾の近くにも、大腿部にも……背中にも」

「? 多いのか? もしかして」

「………………バカみたいに多いです」

 苦笑いで答えたハルヴァイトをぽかんと見つめ、それから、ミナミは不意に口の端を引き上げた。

「ま、いいけどな」

 だからなんだ、という訳ではなかった。そんなものが多かろうが少なかろうが、ミナミには関係ないのだし。

「にしても、アンタほんとに謎の生き物…」

 などとミナミが思い切り突っ込もうとした途端、マントルピースの上でけたたましく通信端末が吠えた。

 それにうっそりと顔を向けたミナミが、ソファを降りてスイッチを入れる。

『よ』

「ミラキ卿…」

 モニターの中で、小さいドレイクがにこにこと微笑んでいた。

『ハルヴァイトによ、一時登城命令だって伝えてくんねぇか?』

 そのドレイクの笑顔が微妙に怪しく、ミナミは首だけを回してハルヴァイトの様子を窺ってから、またも小首を傾げた。

 何せ、ハルヴァイトは珈琲の表面を見つめたまま、深く深く、これ以上ない落胆の表情で溜め息を吐いていたのだから。

  

   
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