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    4.内緒の生活    
       
(8)

  

 ややあって、ふと壁掛け時計に視線をやったハルヴァイトが、小首を傾げて誰ともなしに言う。

「…イーランジャァからの返信が、少し遅くないですか?」

 展覧試合に電脳魔導師隊第七小隊が出場する、と通信してから、もう一時間以上過ぎていた。ただ対戦相手を確認するだけなのに、何をそんなに手間取っているのか…。

「今まで一回もステーションに降りた記録のねぇハルヴァイト・ガリューなんて魔導師に、戸惑ってんじゃねぇのか?」

 ソファの背凭れにふんぞり返ったドレイクが、器用にも片眉だけを吊り上げて、からかう視線をハルヴァイトに投げる。

「ファイランの情報を多少持っているとするならば、ミラキの名前の方が目立ってしまいますからね。連盟のデータベースに問い合わせても、公開されているわたしの資料はそう多くありませんし」

 だからこちらの戦力を計りかねているのだろうか? とドレイクとハルヴァイトが首を傾げあった途端、一人王下特務室に赴いていたグラン・ガンが戻って来た。

「愉快な事になったぞ、ガリュー。イーランジャァがとんでもない事を言い出して来て、執務室は騒然だった」

 あははは、とさも愉快そうに笑いながらグランがソファに収まると、いいタイミングで新しい紅茶が差し出される。それを当然と手に取ったグランから、無言でソファを離れていくローエンスに視線を移して、ドレイクとハルヴァイトは妙に感心した顔つきで頷きあった。

 結局、グラン・ガンをよく知っているのは、ローエンス・エスト・ガンなのだ。大隊長、という決して楽ではない職務を陰ながら支えているのも、気心の知れた従兄弟なのだろう。

「電脳魔導師というものの実状を全く知らない衛視が余計な事を口走り、衛視長に退室どころか所属の返上を言い渡されるという、なかなか見所満載の寸劇まで披露してくれる有様だ」

「……相変わらず、部下…つうか、基本的に、自分を含めた全部に厳しいヤツだな…」

 苦笑いで呟くドレイクに、ハルヴァイトも無言で苦笑いを返す。

「で? お前だけが面白い物を見て面白い面白いと言っていても、こっちは退屈するばかりだぞ、グラン。特務室で何があった?」

 喉の奥で笑うグランが紅茶で一息つくのを待って、ローエンスはソファの肘掛けに外側から軽く腰を下ろして、話を促す。

「ふむ。私が特務室に行って陛下にお目通りを願い、展覧試合にガリューが出場すると決定した経緯を適当に話す所までは、何事もなくスムーズに運んだが…」

 何やら含みのあるグランの言葉に、一同が苦笑いを噛み殺す。

「たかが対戦相手の告知通信に、受諾の返信が来ない。それで何か問題でも起こったのかと衛視長が通信ログを確認させようとした途端、向こうから…ではなく、連盟が設けた展覧試合実行委員がファイラン、イーランジャァ双方に同時通信してきた」

 通常、試合者両方に対して公正な立場を取る実行委員が同時通信してくる事は稀である。しかし今回の展覧試合そのものが少々政治的思惑で申し込まれたのだから、それも致し方ない、と言えるかもしれないが…。

「確認されたのは、イーランジャァが出してきた試合の勝敗に付随する条件をファイランが全面的に飲むのかどうか、という一点。それは事前に打ち合わせてあったから、衛視長が即答した。が、問題は、その次だ」

 手にしていた茶器をテーブルに置き、グランがからかうような顔でハルヴァイトの瞳を覗き込む。

「…先方の電脳魔導師は今まで三度、展覧、公開に関わらず、連盟ステーションでの試合に出場しているが、ガリューはまったく始めて。…向こうは、それを「不公平」だと言って来たのだ」

 からかう、というより、どこか挑戦的な顔付きに変わりつつあるグランの瞳を見つめ返したハルヴァイトが、微かに口の端を引き上げる。

「向こうも必死…、なんでしょうね」

「あぁ。こんな無茶は一回きりしか使えないと、イーランジャァの行政機関も判ってやっているらしい」

 二人が、顔を見合わせて失笑。

「そんで?」

 ソファの背凭れを肘で突き放したドレイクが身を乗り出す。

「向こうの魔導師が言うには、今までの記録を解析すれば、ある程度イーランジャァ側の戦力は分析出来るのに対して、公開されているガリューの資料が少な過ぎるのだそうだ」

「そうですね…。確かにそれは正当な言い分でしょう。だから、連盟の実行委員も申し立てを無視出来なくて、同時通信に踏み切ったんでしょうし」

 ハルヴァイトの言葉に、グランが大きく頷いた。

「そこで、勝敗条件に裏があると知っているのだろう連盟は、苦肉の策として双方に同等の情報交換を提示してきた」

「…それは?」

 ゆったりとソファに落ち着いたままだったハルヴァイトが、長い指を膝の上で組み合わせる。

「出場魔導師の臨界占有率表示(プライマリ・テスト・パターン)を、相手に公開しろとという…、なんとも笑えない無茶をだ」

 グランのセリフに、思わず三人が唖然とした。

「………連盟の実行委員は、非公開権というのを知らない馬鹿どもの集団か?!」

 一拍置いて正気を取り戻したローエンスが叫ぶと、ドレイクが額に手を当ててまたもソファの背凭れに沈む。

「まー、向こうが公開拒否してくれりゃぁ試合そのものが流れる、って思惑も、なきにしもあらずって?」

「それにしては、安易で笑えますけどね」

 臨界占有率表示(プライマリ・テスト・パターン)は、つまり電脳魔導師個人の「スペック」みたいなものなのだ。少し前ハルヴァイトがミナミに話して聞かせたように、それこそ彼の臨界占有率表示(プライマリ・テスト・パターン)をドレイクでさえ知らない程、電脳魔導師というのはこれを他人に見られることを嫌う。

 それは、ほんの数行だという。ただし、記された情報量は莫大だ。

 なのに、自ら進んで差し出せ、とは、無茶もいいところではないか?

「さすがにイーランジャァでも迷ったらしく、回答は保留中。こちらも同様に検討を返信して、一時通信を切断したが、タイムリミットはあと一時間もない」

「…………それで、ハルに直接相談しに戻って来た訳か」

 難しい顔で天井を仰ぐドレイク。

 無言で事の成り行きを見守っているローエンス。

 落ち着いているようで何か探っているらしいグラン。

 と、三人を見回し、ハルヴァイトが……笑った。

「構いませんよ。イーランジャァと実行委員に対して、今すぐ、連盟の命令を受諾、と返信してやってください」

「「「え!!!」」」

 笑いを含んだハルヴァイトの言葉に、三人は素っ頓狂な声を上げ目を見開いた。

「向こうからの通信内容は、第七小隊の執務室に転送してください。それと、部下に明日登城するよう命令を。わたしの臨界占有率表示(プライマリ・テスト・パターン)は「現状のまま」コピーしてディスクに焼き付け、王下特務室に届けましょう」

 言って、ハルヴァイトはにっこり微笑んだ。

「解析しても判るのは、せいぜい、わたしの臨界における占有電素数が常識外れに多い事くらいじゃないかと思いますけどね」

 余裕が有り過ぎるくらいのハルヴァイトに、ドレイクの方が心配を隠せない顔を向ける。

「でもよ…ハル………」

「だから、大丈夫ですよ、ドレイク。…わたしの臨界占有率表示(プライマリ・テスト・パターン)は、記述形式が第一期臨界記号なんですから」

 第一期臨界記号、と聞いてまたも三人はぽかんと口を開け、くすくす笑うハルヴァイトを凝視してしまった。

「…まさか、ガリュー…、お前は常に、記号を解読してからあのディアボロを起動してるのか?」

 第一期…。人類が「電脳魔導師」という特異体質者を得て臨界という異次元にアクセスした最初の時代に使用されていた、幾何学模様に似た古代文字。それを現在使われている臨界文字に変換し、電脳陣がハルヴァイト・ガリューの臨界占有率及び魔導機稼働プログラムを読み込むには、通常よりも時間が掛かる。体表に刻印されるプライマリ・テスト・パターンの記述方法は何種類かあるが、そんな大昔の記号でこれを書き記す電脳魔導師は、グランの知る限り、一人もいないはずだ。

 だから、呆然と呟いてしまったグラン・ガンに、ハルヴァイト・ガリューは悠然とした微笑みを向ける。

「そうですよ。臨界というのはデータだけが存在出来る異次元空間です。逆に考えれば、それがデータであればどんな無茶苦茶なものであろうとも存在出来るし、存在させられれば、実行出来るんです」

「…理屈じゃそうだけどよ、エラーって誤動作は防止出来ねぇだろうに…」

「コツさえ掴めば、エラーの確率を下げる事は出来ます。つまりエラーというのは、こちらがわの「脳」が臨界での読み込みと実行速度に追いついて行けない場合に多発するんですから、それを回避してやればいい」

 言うだけなら簡単だが、それが出来ないから唖然としているんだろうに…。とローエンスが溜め息を吐くと、ハルヴァイトが不敵に笑ってこう付け足した。

「全部自分でやろうとするから出来ないんですよ。わたしの電脳陣が一番最初に実行するプロブラムはいつも、臨界面で待機している「AI 」を目覚めさせる…つまり、あちら側の「わたし」を呼び出すものなんです」

 そしてハルヴァイトは、目玉が転げ落ちそうなくらい目を見開いた三人に、実に器用なウインクを投げて見せた。

  

   
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