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    4.内緒の生活    
       
(14)

  

 試合が行われる中央ドームの来賓専用通路の直前までは、ローエンスが先導し、衛視と、ドレイク以外の魔導師たちが左右を固める形で民衆の間を難なく通り抜けた。

 その間、並んで目を白黒させるミナミとマーリィに付き従ったドレイクは一言も喋らず、ただ、時折そそわそわと腕のクロノグラフに視線を這わせているだけだった。

「ゲスト」と金文字で記された立派な通用口の前で、一度ローエンスが足を止める。

「ミラキ以外の者は持ち場に戻れ。近衛兵団への指示は、衛視長から出された通りだ。緊急収集の解除をエスト・ガン特別警護小隊副長より発令。散開」

 ぴりっとした命令に、一糸乱れぬ敬礼を返して瞬く間に散っていく兵士達。それを一呼吸眺めてから目前の通用口を押し開けたローエンスが、中に踏み込むなり、ドアの傍らに退去する。

 その光景を、ドレイクに促されてローエンスの前を通過しながらミナミは、おかしいと思った。どう考えても、これでは…。

「陛下の警護よりも大事な任務って、まるで俺たちを出迎えた事みてぇじゃん…」

「そうだよ、ミナミくん」

「…そうだよって…、そんなあっさり言われたら…」

 少しは否定してくれ。と内心苦笑いを零しつつ、ミナミ、マーリィ、ドレイクが通路に入ると、ようやくドアをロックしたローエンスが最後尾を着いてくる。

「マーリィ、ミナミに自己紹介は終わったのか?」

 大股でマーリィとミナミを追い越したドレイクが、二人の先になって歩き出した。

「そういえば、まだ名前しかお話してませんでしたわ。わたし、なんだかいろいろあって混乱しているんですけれど、ドレイクにーさま?」

 今は脱いだマントを腕に抱えたマーリィが、薄水色のワンピースの短い裾をはためかせてミナミとドレイクに追いつこうと必死になっている。それに、俺も余裕がねぇな、と苦笑いを零して歩調を緩めたドレイクが、少女に顔だけを向けた。

「説明すれば簡単だろ…。あいつの我侭でもしもミナミに何かあったら、展覧試合どころの騒ぎじゃなくなるって、それだけ。…ブース待機のアリスだって、今にも飛び出して来そうな顔してたぜ」

 ドレイクがちょっとからかうようにウインクすると、マーリィは急にぷっと頬を膨らませてそっぽを向いた。

「もう、アリスったら! あれほどわたしは大丈夫だって言っているのに、まだそんな心配ばかりしてるのね」

「…つってもよ、世間の風は冷たいモンだろ、お前にゃな」

「実際、私が到着した時の周囲の状況をナヴィが見たら、ひとりふたり殴ったくらいでは気が済みそうになかったろうしな」

 腕を組んだまま最後尾を歩くローエンスが溜め息と一緒にそう吐き出すと、なぜか、マーリィはちょっと困った顔でミナミを見上げて来た。

「ミナミさん。わたし、遺伝子欠損があるんです」

「? ……それは…、ごめん、見れば判る。けど…」

「だからわたし、子供が産めないんです。それがどういう意味か、判りますよね?」

 女性は、健康体であって子供を成し、始めてファイランでの存在を認められる…。

 マーリィを静かに見つめるダークブルーの瞳が、ゆっくり頷いた。

「殺されなかっただけマシ。わたしの人生はあってないような、おまけみたいなもの。でもわたしは、今、ちゃんと幸せです」

 そう言って晴れやかに笑う少女。マーリィは、ミナミより若いのだ。

「ミナミにゃ説明してなかったっけな…。マーリィはジュダイス・レルト家の次女として生れたんだけどよ、なかったものとして幽閉されそうになってたんだ。それを偶然知ったある人物が、彼女を引き取るって言い出してな。その人物の地位が思いの他高かったから、ジュダイス・レルト家は正式に彼女をその人物に預けた」

 名前の伏せられた、地位の高い人物。

 それ誰? と詮索はしないまでも、さすがに不思議そうな顔になってしまったのか、マーリィが少し困ったような笑みを零す。

「わたしを引き取ってくださったのは、クラバインにいさまです」

「…………って、あの、クラバインさん?」

 平凡な。地味な。記憶力には自信のあるミナミでも、次に会ったらすぐには思い出せないかもしれない、あの、ウォルに付き従っていた…執事?

「そ、あのクラバインだ。あいつ、あれでも貴族院に顔の利くかなりの切れ者でね、子供が産めないってだけでマーリィを不当に扱おうとしたジュダイス・レルト家のやり方に抗議して彼女を引き取り、マーリィはそこで、問題の…アリス・ナヴィに逢っちまった」

 にやつくドレイクの背中を掌でばしばし叩きながら、マーリィはさも恥ずかしそうに俯いてしまった。

「アリスは…、本当なら陛下の子供を産むはずだった。そういう風に教育されて、そういう風に育てられて、なのにアリスは、ファイランの女性がそれだけのために存在しているのを「面白くない」って言い切れるような、気の強いヤツになっててさ」

「………………そうか…」

「そうだ。だからクラバインのところでマーリィに出逢ったアリスは、陛下にこれが現実だ、つって食って掛かってよ、見事、ナヴィ家から勘当されちまって、現在はフェロウ家の居候、って訳」

「…でも…」

 俯いていたマーリィがぽつりと呟く。それを受け、大きく頷いてから、ドレイクはミナミを振り返った。

 ずっと一直線に続いているのかと思われた廊下の突き当たりに、エレベーターらしいもののドアが見える。口を開け、一行の到着を待ち構えているらしいそれに、促されて乗り込んだミナミを正面に据えて腕を組んだところでドレイクが、急に表情を引き締めた。

「表向きアリスは、陛下を蹴りマーリィを取った跳ねっ返り、ってぇレッテルを貼られた。実際アリスはマーリィを「恋人」だって言うし、俺もハルも、そこで苦笑いしてるエスト卿もそう思ってる」

「…わたしは笑ってないぞ、ミラキ。笑いを堪えてるんだ」

 ローエンスは思わず振り返ったミナミに肩を竦めて見せてから、そう抗議してマーリィに笑われた。

「正直に言う…」

「…表向きって事は、裏があんだろ? 俺になんか話していいの? ミラキ卿」

「いいも何も、ここまで来てごねるほど往生際悪かねぇぞ、俺ぁ」

「つうか、試合どうすんだよ…」

 そっちの方が問題なんじゃないのか? とミナミが無表情に首を傾げた途端、どれだけ上昇したのか、エレベーターが反動もなく停まり、ミナミの目前、ドレイクの背後のドアが左右に開いた。

「俺が心置きなく試合に行けるように、黙って聞いてくれ、ミナミ。…全部、アリスの事も、今日、マーリィとミナミがここに呼ばれてるのも、試合開始と同時に攻撃してくるイーランジャァの魔導師に第七小隊が耐えなくちゃなんねぇのも、全部! そこで椅子にふんぞり返ってるヤツが悪ぃんだ!」

 ドレイクはそう言って、全面ガラス張りの展覧室、その中央に置かれた立派な肱掛椅子にゆったりと足を組んで座っている人物の背中に、びし! と指を突きつけた。

「あー、はいはい。全部僕が悪いんだよね」

 背凭れの向こうから上がったやる気のない返答に、思わずミナミがぽかんとする。

 そのひとの他には、肱掛椅子の左に漆黒の長上着に緋色のベルトを巻いた衛視がひとり、右に緋色のマントを金色の組み紐で飾った壮年の魔導師がひとり、控えるように佇んでいるだけ。

 それに、今直通エレベーターで展覧室に到着したローエンス、ミナミ、マーリィ、とドレイク。これが、この展覧室に居る全てだ。

「とりあえず、事情が飲み込めないアイリーのために、自己紹介くらいしようよ」

 衛視に軽く手を振り、ミナミとマーリィをフィールドのよく見える長椅子に案内するよう指示したそのひとは、漆黒のマントを金糸で飾っていた。

「お久しぶりです、ミナミさん。わたくしは王下特務衛視団衛視長、クラバイン・フェロウ。マーリィ・ジュダイス・レルトは、姓こそ違いますが、戸籍上ではわたくしの「妹」になっています」

 差し出されたクラバインの手に自身の手を重ねて、マーリィは改めてミナミにふわりとお辞儀して見せた。

「こちらは、電脳魔導師隊大隊長グラン・ガン卿と、第六小隊隊長のローエンス・エスト・ガン卿でございます」

 エレベーターから一歩出た所で硬直しているミナミに、ローエンスはいつもの紳士的な笑みを、グランは鷹揚な会釈を向けて壁際まで引き上げると、マーリィの手を取ったクラバインも最後の二人を残し、立ち尽くすミナミの前から去ってしまう。

 だから、巨大な窓の外に溢れる光の中に、濃紺と漆黒のマントを纏ったふたりが、残された。

 浅黒い肌に野生的な男臭い顔立ち、それを飾る白髪。ドレイク・ミラキがあまりにも自然に差し出した掌に自らの真白い繊手を重ねて振り返ったのは、艶めいた黒髪に黒曜石の双眸をちょっと意地悪そうに眇めた、美人…。

「会釈を、ミナミ・アイリー。こちらは、ウォラート・ウォルステイン・ファイランW世。現、ファイラン王国国王陛下である」

 居心地悪そうに宣言したドレイクの横顔を見上げ、ウォラートは赤い唇で滑らかな弧を描いた。

「なんだ、やれば出来るじゃないか」

「…うるせぇ………」

「で? アイリーは驚いてくれた?」

 いたずらが成功した子供みたいな顔を向けられたミナミが、こくんと頷く。

「……なんであなたがそんなに偉そうなのか、やっと判って安心した…」

「つうか、そっちかい…」

 ドレイクは、ウォルもウォルならミナミもミナミだ…。とかなりげっそり突っ込んだ。

  

   
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