■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
    4.内緒の生活    
       
(16)

  

 まず、試合開始の号砲が間抜けなサイレンなのが気に食わない、とハルヴァイトは思った。

 いや…、単純に八つ当たりなのだが。

 鮮やかなスカイブルーのマントを纏ったイーランジャァ側がどう出るのか相手方陣地をじっと睨んだままではあったが、ハルヴァイトは、傍らで硬直しているアン少年を落ち着かせるようその肩をぽんと叩いた。

「大将、初期防衛しますかね?」

 こちらは暢気なもので、地面に突き立てた砲筒の遠隔制御盤を操作しながら、デリラが問いかけてくる。スラム上がりで、度胸だけは一流、とよくドレイクに言われている彼は小隊の中でもっとも年嵩、しかも、唯一の展覧試合経験者なのだ。

「当たり障り無く」

 そうぶっきらぼうに答えてきたハルヴァイトの横顔を見上げてから、不意にデリラが、にっと酷薄そうな唇を引き歪ませる。

「そんなら、とっととボウヤ出しませんかね」

「え!」

 思わずぎょっとして悲鳴を上げたアンと、無言でデリラに顔を向けるハルヴァイト。二種類の視線に射すくめられても、当のデリラは飄々とした笑みを口元に、制御盤を叩いているだけだった。

「攻撃は最大の防御、とか言うでしょう。…ってのは冗談だとしても、結局ボウヤのウィルスってのはジャマー弾の進化系っすからね、下手にぶっ放して向こうに構造解析されたら、稼げる時間が減っちまうでしょう?」

「もっともですね…」

「そんなぁ」

 などと平和に言っているものの、ハルヴァイトもデリラもイーランジャァサイドから視線を逸らさない。既に何らかの準備が整ったのか、一向に動きを見せないファイランサイドに業を煮やしたのか、相手陣地の後衛で光が瞬き、既になんらかの電脳陣が立ち上がり始めていた。

「悠長に時間稼ぎ、という訳にも行かないようなので、こちらも始めましょうか。デリ」

「なんすか?」

 答えながら、デリラが砲筒を肩に担ぎ上げる。

「ジャマー弾に、アンのウィルスを混ぜます」

 聞いて、見習い魔導師は青くなったが、砲撃手はハハァと顎に手をやって大きく頷きこう言った。

「いっスね、それ。乗った」

「どどどどど…どうやって!」

 あたふた降り返ろうとしたアンの両肩を後ろから押さえつけたハルヴァイトが、アン少年の耳元に唇を寄せる。それには、どうしようもなく楽しげな…、ミナミに言わせれば「心臓に悪ぃんだって」という物騒な種類の笑みが載っていた。

「大丈夫。わたしに任せてください」

 呆然とするアンの真後ろに立ったハルヴァイトは既にその時、展覧室にいるミナミの事も、手ひどいいたずらで窮地に追い込んでくれたウォルの事も、綺麗さっぱり忘れていた。

 そう、ハルヴァイト・ガリューが天才といわれる最大の理由は、この貪欲さにあったのだ、と少年魔導師が思い出した刹那、イーランジャァの攻撃は始まった。

       

       

 イーランジャァサイドの構成は、攻撃系魔導師二名、制御系魔導師三名、砲撃手三名の合計八名。

 ファイランサイドの動きが無いと見て最前線に飛び出したのは、デリラと同じ砲撃手たちだった。それぞれ手に小型の砲筒、ショットガンに似たサイズで豪華な装飾を施されたジャマー弾射出端末を抱え、佇む攻撃系魔導師の前に扇形に展開。銃口をぴたりとハルヴァイトの頭上に向け、地面に片膝を突く射出待機姿勢を取って次の命令を待つ。

 その頃には後衛の制御系魔導師のうち、二名が陣地の左右に移動し、それぞれ第一次電脳陣の展開を開始。身体の前に手を組んで祈るような姿勢のままファイランサイドを睨む。

 一次電脳陣は通常平面電脳陣とも呼ばれ、魔導師を中心にした真円で描き出される。色に特徴があり、二人の魔導師は共に薄い黄緑色の光を放つ陣の中心に立っていた。

(ダンナがいりゃ、あそこから何が飛び出して来るんだか一発で判んだけどねぁ。ま、こういうつれー時もあるさね)

 ファイランサイド。とりあえずセオリー通り前線に出てランチャーサイズの大型砲筒を肩に担ぎ上げたデリラは、背後のアンに気取られないよう口元に苦笑いを零した。顎は細いが骨ばった印象の顔には、やたら薄い唇に完璧座った一重の細目…。それで農茶色のボウズ頭、と、いかにも人相及び全体が「悪そう」なのだが、実はドレイクの次くらいにお節介で人情味の篤いスラム上がりのこの男も、この男なりに、三流貴族をいう看板を背負って必死にもがいているアンを、それなりに気遣っているらしい。

 攻撃姿勢で砲筒をイーランジャァサイドに向けているものの、デリラは相手の出方をまだ待っていた。ハルヴァイトの指示が出るまで威嚇、というなんとも大雑把な命令を貰ってはいるが、内容を気にするほど細かい男ではないのだ。

 しかも、それ以上の指示など仰げないのが第七小隊のいいところで(?)、彼言うところの「ダンナ」と「大将」が揃って出て来るまでは、臨機応変に対応していい。

 それこそ一挙手一投足まで指示する隊長もいる。そういう押さえつけてくる人間とは馬が合わず、デリラは今まで六度も小隊の再編成時に放出されていた。

 だから彼は彼なりに、第七小隊を気に入っている。何やらいろいろ「詮索不要」と言い渡されたりしているが、気にしなければ問題ない。それにハルヴァイトもドレイクも貴族階級でありながら付き合いやすく、アリスはさっぱりしていていい女だし、ボウヤはいつもおろおろしててからかい甲斐がある。

 だから。

「負けてやる訳にゃいかねぇね。それでさ、責任取って解体なんてされた日にゃぁ、オレなんか拾ってくれる奇特な隊長殿なんぞ残ってねぇんだし」

 それなりに、勝ってやろうと思っていたりもする…。

 さて、どうしてくれようか。とデリラが細い目をますます細めた先で、制御系魔導師の上空に臨界接触陣が描き出され始めた。索敵専用魔導機が顕現するまであと数秒。何機いるのか、それらがこちら側の陣地に近づけば、ハルヴァイトもアンも素っ裸でフィールドに立たされるようなものになる。

 イーランジャァサイドでは、ファイランサイドに制御系魔導師の姿がないのを訝しんでいた。対戦表では間違いなく四名となっているのにフィールドには三名しかおらず、索敵機を立ち上げる気配もない。

 訝しいが、チャンスでもあった。事前に送られてきた相手魔導師の臨界占有率表示(プライマリ・テスト・パターン)からは結局、並外れた電素を保有しているという情報しか読み取る事が出来ず、魔導機の種類さえ判らなかったのだ。

 ならば、手薄なうちに叩いてしまおう、と、イーランジャァサイドが決定して、なんの不思議があるだろうか。

 知らないものならば高速で、ハルヴァイトに言わせればのんびりと立ちあがる臨界接触陣。小型機を専門に使う制御系魔導師の起動プログラム発現陣もちいさめな事を考慮すると、索敵機が稼働するのは時間の問題だ。

「ダミーの電脳陣で相手確認しませんかね、大将」

 耳朶に噛ませた通信機から、デリラの呟きが漏れる。

「いくらなんでも、姿見えりゃ打つ手もあんでしょ」

「ダミー陣は回避されやすいですよ?」

「煙幕張っちまいましょう。どうせこっちゃぁ、向こう探る気ねぇんですから」

「…了解」

 ハルヴァイトがデリラの遣り方を肯定する。短いながら笑いを含んだ返信に、思わずデリラも吹き出した。

「ボウヤは?」

 どうします? といったニュアンスのセリフに、ハルヴァイトがいくつかの端的な命令をデリラとアンに告げる。それで一気に緊張したものの、最後に言い置かれた一言でふんぎりが付いたのか、アンは強張った顔でこくんと頷いた。

 ドレイクが戻るまで、ディアボロは出さない。とハルヴァイトは言ったのだ。

 だから、それまではデリラとアンに任せる。と…。

「ご期待に添えりゃいいんですがね」

 いつものようにやる気なく言って、デリラは肩に担いでいた砲筒の銃口を斜め上空に向けた。

 イーランジャァサイド。制御系魔導師の直前に、小さな電脳陣、しかし内部構造の特に複雑なものが描き出され、高速回転を開始。時おかず、中空で明滅を繰り返していた臨界接触陣が斜め前に傾いだ、と思う間もなく、その中心から何かが連続で飛び出して来る。

 それとほぼ同時、ファイラン陣地中央に立つアンの足元にゆっくりと一次電脳陣が立ち上がった。

 空中で姿勢制御したイーランジャァサイドの索敵機が、ファイランサイドめがけて高速飛来。それがどんな形で何機いるのか確認する間もなく、銃口をさらに真上に向けたデリラが無造作に砲筒側面のトリガーを手前に倒す。

 ドン! と腹部にずしんと来る射出音。砲筒先端三分の一ほどがスライドして射出反動を逃がそうとするが、それでも足りなかったのか、腰を落とし両足でフィールドを掴んでいたデリラの身体が、一瞬沈む。

 刹那、ファイランサイド前方に、濃密な煙の幕が展開された。

 手前に倒したトリガーを今度は反対に押し倒してリロード。それをかなりの手際で終えたデリラがもう一発煙幕弾を中空に放つと、ますます密集しまったく雲の塊と化した目くらましの只中に、索敵機が次々突っ込んだ。

 アンの足元に展開していた電脳陣が一瞬で霧散。目的を失った索敵機は、狙い通りファイランサイドの上空で急停止した。

「ジェリーフィッシュか!」

 半攻撃型索敵機、ジェリーフィッシュ。半球形の胴体には雷撃発生装置を備え、過剰電流を敵対象に浴びせ掛けて行動不能にする、という、なかなかイヤな相手。雷撃を吐く瞬間に長い触手を伸ばすように見えるところから「ジェリーフィッシュ」という名前を付けられているのだが、そんなカワイイ(?)ものではない。

 チっ! 微かな音と上空のジェリーフィッシュ胴体下に青白い火花。ハルヴァイトは反射的にアンの腕を掴み、フィールドを真横に転がった。

「!」

 上空に漂っていたジェリーフィッシュの胴体から、垂直に青白い光の槍が地面に突き刺さる。雷による衝撃はないものの、俯せに倒れたアンの驚愕はかなりのものだった。何せ、これをちょっとでも食らえば、人間など感電してしまい兼ねないのだから。

 青ざめて震えるアンの肩を叩いて引き起こしたハルヴァイトは、イーランジャァサイドをあの不透明な鉛色の瞳でじっと睨んでいた。

 こちらが索敵機を出していない事も、立ち上げかけた電脳陣が霧散した事も、制御系魔導師たちは知っている。それなのに陣地に雷撃を落としたのは…。

 見る見る、ハルヴァイトの眉毛が吊り上がった。

「判り易い論法ではあるな。魔導師が減れば、戦力は激減する…って? ……ふざけるなよ…」

 一時退去するつもりなのだろう、次々にジェリーフィッシュどもがファイランサイド上空を離れて、いまだ中空にわだかまる煙幕に隠れて行く。

 刹那、完全に臨戦体制にシフトした荷電粒子が、その煙幕のど真ん中で白光を撒き散らしながらいくつも爆裂した。

 密集した煙幕の内部に放出された荷電粒子は、煙の粒子に取りついてそれぞれが無秩序運動を始め、ぶつかり合いながら更に高温を発して、無防備に漂って来たジェリーフィッシュに押し寄せる。

 雷雲のようにばりばりと激光を閃かせる直中に飛び込んでしまったジェリーフィッシュたちが、荷電粒子に捕縛されて身悶え、衝突。その様子は煙幕に邪魔されてはっきり見て取れなかったものの、イーランジャァサイドの制御系魔導師には明らかなダメージが見られた。

 中空で回転し続ける行動プログラム制御陣の一部が、いきなり消失したのだ。

 欠けた電脳陣に驚愕する間もなく、行き場を失った臨界エネルギーが佇む制御系魔導師の足下から衝撃波になって吹き上がる。それに鮮やかなマントの裾を持って行かれそうになりながらも、歯を食いしばって命令系統の再構築を試みる魔導師。

 一瞬の隙。薄れ始めた煙幕の中から命令を見失ったジェリーフィッシュが四方に飛び出し、ついには数機が地面に叩き付けられた。

 イーランジャァサイドの魔導師たちは、愕然とファイランの電脳魔導師を見つめる。

「……荷電粒子だけで魔導機を落すなんて…。こっちも本気を出すべきみたいね…」

 呟いて頷きあった二人の攻撃系魔導師にファイランサイドのハルヴァイトから注がれていたのは、あの、悠然とした冷たい微笑み…だけだった。

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む