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    4.内緒の生活    
       
(17)

  

 荷電粒子を抱えた煙幕が霧散した直後、ファイランサイドも行動を開始。

 深呼吸一回で気持ちを沈めたアン・ルー・ダイが、陣地の中央に立って一次電脳陣を展開。それを、後方支援ブースから状況を報告してくるアリスのナビゲーションで確認したデリラ・コルソンが、砲筒に仕込んだ砲弾を通常ジャマー弾に切り替えつつ、更にフィールド中央付近まで前進する。

 事前にハルヴァイトの出した命令を反芻する者も、聞き返す者もいない。たった一度、少ない言葉で告げられた手順に従って、第七小隊は反撃するのだ。

 アンを中心に直径一メートル五十センチほどの電脳陣が描き出された直後、行動不能、または命令系統の復旧を待たない、生き残っていたジェリーフィッシュ三機が中空で身を翻し、またも飛来。しかし、先ほどの荷電粒子の持ち主が電脳陣を立ち上げている少年なのか、何もせずその少年の後ろに佇んでいる魔導師なのか判断が付かず、ジェリーフィッシュたちは戸惑うようにファイランサイドとデリラの間を数回往復し、急に軌道を変えて味方陣地に引き上げて行こうとした。

 イーランジャァサイド攻撃系魔導師に視線を据えていたデリラがそれを動かして、手前の砲撃手を窺う。緊張した面持ちの若い娘たちは勇ましくファイランサイドを睨んだままだったが、その腕に抱かれた中距離砲筒の銃口が微かに揺らめいたのを、ハルヴァイトより五つも歳を食った熟練砲撃手は見逃さなかった。

「ジャマー弾来ますぜ、大将」

 唇を動かさない呟き。

 それを合図にアンが臨界接触陣を高速展開し、続けて、ウィルスの発現陣を頭上に描こうと神経を集中させる。

 その少年魔導師の背中を、ハルヴァイトはじっと見つめていた。

「…電脳陣の出現位置を固定。起点を動体先端に設定し、自由数値で陣の移動を可能に。設定点は、次のデータから呼び出される任意の記号。アリス…」

 呼ばれた途端にアリスは、後方支援ブース内部で稼動する何台もの端末の一機に取り付き、フィールドカメラで捕えているデリラのワイヤーフレーム周辺を数値化したデータを通信機経由でハルヴァイトに転送した。

 刹那、イーランジャァサイドでは微弱な電脳陣稼動信号を確認。しかしそれはあまりにも弱すぎて、どこに出現したのか、肉眼では捕らえられない。

 ハルヴァイトに送られたデータが示しているのは、デリラの担いだ砲筒先端を常時追いかけているカメラからのものだった。逐一書き換わる数値はキャンセルとリロードを繰り返したが、それに返ってきたハルヴァイトの言葉は、「遅い」というたった一言だけ。

「最新鋭の演算機よ。贅沢言わないで」

 桁外れの電速でデータを読み込むハルヴァイトの電脳陣出現位置は、アンの真後ろ。少年の身体を盾にして、イーランジャァサイドからはその正体が見えないようにしているのだ。

 バシュッ! と気の抜けた射出音を轟かせ、イーランジャァサイドから小型のジャマー弾が空中に吐き出される。

「散弾式」「突破出来ます?」「クリアっスね」。

 必死にウィルスプログラムを顕現させようとしているアンの耳元で、デリラとハルヴァイトが短い言葉を交わす。一秒足らずで放出されるだろうジャミング波の解析に失敗したら、折角準備したウイルスもただの無用な電波となって相殺されるだけ、という緊張から全身をかたかた震わせ始めた少年の背中に、ハルヴァイトは少しだけ笑いを含んだ声をかけた。

「臨界接触陣を立ち上げなさい、アン。設定点の指定は既に終わっています。君を「三流貴族の出来損ない魔導師」なんて言った連中、見返してやりましょう」

 言いつつハルヴァイトは、同時に二種類の電脳陣を二ヶ所に立ち上げた。

 これでついに、イーランジャァサイドは混乱するハメになる。何せ、今見えている一次電脳陣。臨界と電脳魔導師を繋ぐエネルギーバイパスは、アンのものしか確認されていない。なのに、ファイランサイドでは既に四つの命令陣が展開しており、どれも…電速が違うのだ。

 何が起こっているのか! と悲鳴を上げそうになりながらも、待機していた制御系魔導師が新しいジェリーフィッシュを飛ばしてファイランサイドを探ろうとする。それを眼に、索敵機が全てイーランジャァサイドを離れた、と判断したデリラが、通常のジャマー弾を貯えた砲筒の照準を、敵攻撃系魔導師の頭上に合わせた。

 シュートと同時、銃口先端延長上二メートルの位置に、直径五十センチ程の白い電脳陣が立ち上がる。銀色で球形のジャマー弾は、まとわりついてくるイーランジャァサイドの小粒なジャミング発信機を蹴散らして空中を一直線に突き進み、なぜか読み込み(回転)していない正体不明の陣の中央を貫いた。

 まるでゴムか何かそういったものに受け止められたかのように、分離前の鉄球が無回転の電脳陣を引延ばして突き破ろうとする。しかししつこく形状を維持しようとする陣に邪魔されてスピードを落した刹那、電脳陣でコートされた鉄球の直前に、青緑色の新しい電脳陣が出現した。

「ジャンク」

 デリラの崩壊命令を、弾丸が受諾。鉄球に走った幾筋もの光が、前半分は球形のまま後ろ半分を八つに分離させて展開、内蔵されていた小型エンジンのノズルを覗かせるなり、先端から盛大に火花を散らして更に突き進もうとし、ついには立ちはだかる手前の陣を引き千切った。

 白い電脳陣の命令をレースのように纏ったシャトルが、続いて青緑色の陣を突破する。

 何が起こったのか? と小首を傾げるイーランジャァサイドが索敵機ジェリーフィッシュを引き返させるべきかどうか迷う刹那に、なぜかその魔導機が、かくかくと不自然に痙攣し始めたではないか。

 それがどういった現象だったのか、実際はアンにもデリラにも詳しい事は判らなかった。ただ唯一、後方支援ブースで様々なデータを集積していたアリスだけが、何が起こったのか知って苦笑いを浮べていたけれど。

(…デリの銃口に合わせて展開させたアンの陣を待機。それを一瞬でコピーして本物のアンの陣を一時的に臨界に戻し、その状態で接触してきた散弾型のジャマー弾が吐いてる周波を検索。終了の時点で弾丸の進行方向にウィルス発現陣をハル経由で描き、通過するこっちのジャミング弾にそのウィルスを載せたですって? ハルヴァイト…)

 しかも…一連の作業をアンの電速に合わせるために、ハルヴァイトは一次電脳陣という臨界エネルギーのパイパスを確保せず、初期設定のバックボーンだけでそれをやってのけたのだ。

「世の中、ホントに天才っているのね」

 呟いたアリスに、ハルヴァイトの失笑が返ってくる。

 その間も、イーランジャァ上空をシャトルは飛び回っていた。シャトル自体はただ適当にジャミング周波を撒き散らしているだけなのだが、それに内在して息を潜めているウィルスは、イーランジャァサイドの電脳魔導師が纏う波長を捉えると、俄に目を覚ましてそれに飛びつき、逆進する電子の波を散発的にぶつけてくる。それで命令が正しく伝わらずにジェリーフィッシュが奇妙な動きをしているのだ、とイーランジャァの制御系魔導師が気付いた時には既に、ファイランサイドに最後のひとりが到着しようとしていた。

「も……もうもちませんよ…小隊長!」

 真っ青になって震えるアンが、絞り出すように呻く。アンの臨界保有電素数では、ウィルスを長時間制御するためのプログラムを書くのは無理だ。

 だからハルヴァイトはついに、展開していた余分な電脳陣を霧散させ、陣地の先端まで大股で突き進んだ。閃く緋色のマントと、光沢のある鋼色の髪。彼は無表情に、陣を囲んだ白線近くまで出ると、倣岸に腕を組み、一次電脳陣を通常の速度(と思われる速度)で描き始めた。

「…ふざけてんすか? 大将」

「大真面目ですよ、わたしはね。アンのウイルスが息切れする前に、向こうの主峰を出して貰おうと思ってます」

 ハルヴァイトの足下から伸びた光のひび割れが、フィールドを舐める。色は、薄い黄色に発光する青緑。それがアンよりいささか早め、イーランジャァサイドの制御系魔導師とならほぼ同等の速度で、佇む緋色のマントから放射状に広がって行くのだ。

 そう。広がり続ける。まるで終わりなどないかのように。数メートル後方に立っているアンの一次電脳陣さえ飲み込む勢いで、どんどん広がっていく。

 イーランジャァサイドで新しい動きが起こった。

 最前列の砲撃手が連続して散弾を上空に放ち、数百機という小型のジャミング発生装置が一気にファイランサイドに突進してくる。それを迎え撃つのはたった一人のデリラだが、彼は「ひとりきり」で戦うのではない。

「準備いいかね、ひめ」

「いいわよ」

 アリスの返答を待たずに、デリラは砲筒の野太い銃身を右肩から左肩に担ぎ代えた。

 身体を半周させた砲筒は、前が後ろに、後ろが前に、といった風に逆転してしまっている。しかしそれに何の問題もないのか、デリラは鼻歌さえ出そうなにやにや笑いを貼り付けたまま、突進してくる発信機の集団に向けて無雑作に銃口を向け、右手で側面に突き出したトリガーを引き絞った。

 どどん! と連続した射出音。今度はどんな手を使ってくるのか、と睨んでくるイーランジャァの砲撃手に皮肉な笑みを向け、デリラは砲筒を足下に降ろし、悠々と肩を竦めた。

「数で押しゃ優勢、って法則もねぇね。大は小を兼ねる、とも言うし」

 だからなんだ、という訳でもなくデリラが呟き終わった刹那、上空に射出されて放物線を描いていた砲弾が突然、アリス操作する端末の命令で、二重構造の内部だけを高速回転し始める。

 だから、傍からは砲弾が空中に留まり、「シューーーン」という得体の知れない音がそれから漏れただけ。二個の砲弾が二メートルばかりの距離を取り、滞空して内部高速回転。すると、鏡面仕上げの艶めいた外殻にイーランジャァのジャマー散弾を映し込んでいたそれに、一瞬でびりっと青白い雷光がまとわりついた。

 次の瞬間、その青白く細い光が、まるで網のようにフィールド上空に広がる。銀色の鉄球を中心にして空中に描き出された模様は、今その鉄球が「磁石」と同じ役割を持って、周囲の小粒なジャマー弾を吸い付けようとしている事を周囲に知らせた。

 強烈な磁気を帯びた鉄球に引き付けられたジャマー散弾が、デリラの頭上をフィルムの巻き戻し映像みたいな勢いで吹っ飛んで行く。眼前、イーランジャァサイドの砲撃手は忌々しげな顔をしたが、所詮電脳魔導師が魔導機を立ち上げるまでの時間稼ぎでしかなかったのか、それ以上の抵抗もせず陣地までじりじり後退していった。

 がちっ、がち! となんとも緊張感のない音を鳴り響かせて、あらかたのジャマー散弾を鉄球が身に纏い、その重さにふらふらと降下し始めた頃、…と言っても、鉄球射出からほんの数秒しか経過していないのだが…、ついに、イーランジャァサイドでも一旦制御系魔導師が索敵機を臨界に待機させた。

「来ますかね。…うちのダンナも、そろそろ、ですか? 大将」

「どちらも、そう願いたい、というのが希望です」

「殊勝な言い方で薄気味悪ぃっすね」

 くくく、と喉の奥で意地悪く笑ったデリラが、ふと足下に視線を落す。と、ここまであの青緑色のひび割れが侵攻して来ているのに、さすがの彼も目を見開いた。

 思わず振り返ってしまう。ハルヴァイトの位置を確認すると、どう考えても、この一次電脳陣は直径十メートルを越えている…。

「大将…ステーションの動力でも乗っ取るつもりですかね?」

 呆気に取られたデリラの呟きに、ハルヴァイトは陣地の先端に立ったまま吹き出した。

『デリ! ふざけてないで、命令。このままじゃ砲弾が地面に落ちるわ』

 アリスに咎められて前に視線を戻したデリラは、砲筒の装備で回転砲弾に「ジャンク」の命令を出した。とそれはシャトルに変形した前の砲弾と違って、全身にくっつけたジャマー散弾を巻き添えに、自爆してしまう。

 それから彼は、漠炎の向こうに立ち上がり始めた二種類の一次電脳陣を目にして、ゆっくり口元を引き上げた。

「ボウヤ…。責任持ってオレが担いでってやるからね、心おきなくぶっ倒れてなさい」

 あの電脳陣に、ウィルスを吐きつけたら、だが…。

 イーランジャァサイドの攻撃系魔導師は、陣地の中央に二人が五メートルばかり離れて佇んでいる。ハルヴァイトほど巨大でない第一次電脳陣が正常に稼動し、続いて臨界接触陣が地面に描き出される。がそれはひとつだけで、なぜか、刻々と色を変えながら二人の前方に出現しようとしていた。

 刹那、ファイランサイドの全ての電脳陣が、消し飛んだ。あれほど広がっていたハルヴァイトの一次電脳陣も、アンのウィルスプログラム命令陣も、全部が。

 何か失敗したのか! と青ざめたデリラに、アリスから退避命令が出される。慌てて砲筒を担いだデリラが陣地の側まで後退した刹那、中空を飛び回っていたシャトルの真正面に小さな軽重力発生陣が出現し、瞬いた。

 衝撃で跳ね飛ばされ、ばらばらに砕けたシャトル。しかしその内部から、最後の命令を待つだけの、ある意味不完全な電脳陣が飛び出してきた。

「やります」

 アンが呟く。もう、震えていない。いや、このプログラムは絶対に失敗しない自信があったからかもしれないが…。

 敵対象の検索時間はたっぷり貰い、ありったけ使った。ウィルスには、短時間だが内蔵した命令を繰り返すように教え込んだ。それ以外の命令は…、削除した。

「エンター」

 最後の命令を受けて、白い電脳陣が高速で立ち上がる。

 シャトルに隠れていた陣は、ウィルスの発現プログラム。新しいものではない。シャトルが撒いていたのと、全く同じだ。

 それが、立ち上がった「魔導機」の命令プログラム陣に一斉に襲い掛かった。

 火花。白く小さな火花。それが、攻撃系魔導師の左右に現われたモニター状の魔法陣の正面で瞬く。そのたびに命令はキャンセルされ、魔導師は慌てずプログラムを再構築するが、また別の部分でキャンセルが出る。

 当然、そんな事態も想定してあるイーランジャァサイドでは、ウィルスの駆逐プログラムが立ち上がる。のだが、余分な命令もなく単純に同じ短い行動だけを繰り返すアンのウィルスは足が早く、駆逐プログラムが追い付いた時には既に、勝手に増殖して一部が逃げ去ってしまっていた。

 まさにいたちごっこ。たかが普通のウィルスプログラムだ、と高を括っていたイーランジャァサイドに微かな焦りが見え始めた頃、半起動状態の臨界接触陣が不安定に瞬いては崩壊し、また、再構築されて不安定に瞬く。

 その様子をじっと見つめるアンは、身体の中心を冷気が駆け抜けすっからかんになってしまうような感覚に、必死になって耐えていた。ハルヴァイトがやっている時分には何の感想も抱かなかったが、初期設定のバックボーンだけで極小の電脳陣を稼動させるというのがどれほど術者に負荷をかけるものなのか、見習い魔導師は始めて知ったのだ。

 知らなくても、ファイランで生きていくのに苦労はないだろう。でも知ってしまったから、アン・ルー・ダイという…三流貴族の三番目に生れた少年は、徐々に薄暗くなり始めた視野にイーランジャァサイドの慌てふためく姿をしっかり焼き付け、ゆっくりと口元に笑みを刻んだ。

 アンは、知った。ハルヴァイト・ガリューは、化け物ではない。ただ少し器用で、もっと不器用で、真面目で、耐える事を知っているだけの、ひと。

 臨界に付き従うのではなく、いつも臨界に挑戦しているだけの…。

 不意にアンが膝を折ってよろめき、地面に倒れ込んだ。それと同時に中空で回転する電脳陣が弾け飛び、不安定に明滅していたイーランジャァサイド電脳陣の稼動が正常に戻る。崩壊が停止した陣を修復しながらも歯噛みして、イーランジャァの攻撃系魔導師は焼け付くような瞳で…倒れたアンと、彼を抱き起こしたデリラ、それと、無言で佇んだままのハルヴァイトを睨んだ。

「デリ、アンを連れて後方退避…。後は、俺とハルに任せとけって」

 地面に砲筒を投げ出し、意識を失ったアンを抱き上げたデリラの視界に、閃く濃紺のマントが飛び込んで来る。それに一瞬安堵の表情を向けた砲撃手が普段と変らぬ飄々とした仕草で肩を竦めると、ようやくフィールドに到着したばかりのドレイクは、それに答えにっと口元に笑みを乗せた。

「遅ぇっスよ、ダンナ」

「主役は最後に登場するモンだろ?」

 言い合って肩先を躱してから、佇むハルヴァイトの背中に向かって突き進むドレイクに、「主役は君じゃないでしょう?」と、笑いを含んだ声でアリスが突っ込んだ。

  

   
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