■ 前に戻る   ■ 次へ進む

      
   
    5ハガネ ノ ヒト    
       
(3)

  

 それでなぜ泥酔状態で家に担ぎ込まれるハメになったのか、と言えばですね。と、ミナミがひとしきり笑い終えるのを待ってから、アンが小難しい顔で説明し始める。

「魔導師隊直属医務分室、というのがボクたち魔導師の健康状態の維持管理してくれてる部署なんですが、この前の登城で第七小隊はそこに呼び出され、全員検査を受けさせられたんですよ。先日の展覧試合から一定期間が経過して、この検査で問題がなければ通常のシフトに戻る訳なんですけど、そこでガリュー小隊長とドレイク副長は、要休養二十四時間以上、という指示を受けてしまったんです。まぁ、これは別に珍しくないんですけど、元々常識外れな事を平気でやるような人達ですから、医務官が、ゆっくり休めるように、って、何種類かの服用薬を渡したんです」

 別に頷くでもなく、ミナミは黙ってアンを見つめている。先程その視線に怯えないまでも、少年はまだ少し緊張した顔で続けた。

「ところが、お二人はつまり、脳の感じる時間と身体の感じる時間にズレがある訳ですから、薬を服用してから反応が出るまでの時間、というのが、ある意味博打みたいな感じらしくて、それを修正するのに、やっぱり身体が本調子じゃない、という所で…」

「解散直後に、ギイル隊長て一般警備部の知り合いに会って、無理矢理パブに連れ込まれちまったんですわ」

 それで同時に、やれやれ、と肩を竦めたデリラとアンに、ミナミが微かな笑いを向けた。

「なんにしても、限度ってもん知らねぇな…」

 ドレイクはどうか知らないが、ハルヴァイトは普段から強い酒ばかりを好んで(必然的に?)飲んでいるのだ。多少体調が悪くとも、普段通りに平然とジンだとかウォッカだとかスピリットだとかを飲んだに違いない、とミナミも内心、やれやれ、と肩を竦める。

 なんにせよ、ただ疲れているだけ、的な理由にミナミは、自分でも気付かないうちに安堵の溜め息を吐いていた。

 疲れているなら、そっとしておけばいい。これで本当にどこか具合が悪い、となったら、ミナミ一人でハルヴァイトの様子を看ている事は出来ないから…何せ、何か不測の事態が起こっても、ミナミはハルヴァイトを抱き起こしてやる事さえ無理なのだ…、いつもなら、ドレイクに連絡するだろう。ところがそのドレイクまで一緒に担ぎ込まれた、となると、今度はアリスか…。

(………………陛下はマズイだろ、いくらなんでも…)

 それで結局ミナミは、以前ドレイクに言われた事を反芻する。

           

「もしも何か、誰かの手ぇ借りてぇって事になったらよ、俺じゃなく屋敷に居るリインに連絡入れろよ、ミナミ。ほれ、俺やアリスつったら結局、ハルと同じシフトで登城してっからな、頼りになんねぇ時の方が多いだろうし…」

       

 それにミナミは、黙って頷いた。

 迷惑だろう、と謙虚な態度を取って見せられなかった訳ではない。しかしそれが明かな強がりでしかない、という事実を、ハルヴァイトとミナミに関わる人達は知っているのだ。判られているのに今更強がり通すほど、ミナミは愚かでなかった。

 そしてミナミは、連盟中央府ステーションにひとりで出掛け、モノレールの駅でそれを…彼にしてみればイヤと言うほど感じたのだし…。

 などと少し薄暗い気分になりかけて、ミナミはふと小首を傾げた。

「…で? それとあのコと、どう繋がるのか教えてくれねぇ?」

 疲れたハルヴァイトが薬とアルコールを併用して泥酔したのはいい。それは判った。だがなぜそこでハルヴァイトを「ずっと前から好きだった」らしい少年が登場するのか、ミナミには理解できない。

「あの小僧っこ…。大将がここまで飲まされた原因も、ある意味あの小僧のせいなんですわ」

 かなり渋い顔でミナミの問いかけに答え、デリラは一口紅茶を飲んだ。

「ギイル連隊長に誘われて二十四丁目のパブに入った途端に、あの子がテーブルに近寄って来たんです。それでいきなり…」

「大将に、急に顔を出さなくなって寂しかった、ずっと前から、好きでした…、とですねぇ…」

 歯がみしそうな勢いのデリラと、なぜか叱られているような顔で小さくなったアンを交互に見比べてから、ミナミはいつものように素っ気なくこう吐き出した。

「…いきなり告白なんて、勇気あんな」

「つうか、そこ感心するトコじゃねぇんじゃねぇですか? ミナミさん…」

「そこで怒って貰わないと、ぼくらの申し訳ない気分が台無しです!」

「…………いや、俺が頼んだ訳じゃねぇし…」

 顔の前で左右に手を振るミナミに顔を向けたまま、アンがスツールを蹴飛ばして立ち上がる。

「間違ってますよ、ミナミさん! そこは「嫉妬」です! それほど熱くなくても、せめて「かわいい焼きもち」くらいは当然であり、恋人の義務です! ここで小隊長とミナミさんの間にはちょっとした小波が立つでしょうが…」

「…波風だろ、それ」

「…言わしといて貰えませんかね、ちょっとの間。すぐ気が済むと思いますんで…」

 力説するアンを相変わらず無表情に見つめたままミナミが呟くと、デリラが疲れたように肩を竦めて苦笑いした。

「この些細な事件を乗り越えて、尚一層ふたりの愛は強くなるんですっ!」

 きゃ。と(勝手に)頬を赤らめて両手で顔を覆ったアンに、ぽかんとした顔を向けたままのミナミ…。

「……殴っときますかね? 軽く…」

「…軽くな…」

 唖然としつつミナミが答えた途端、アンの顔面にデリラの平手が炸裂し、少年はそのまま…ぷしゅうう、とテーブルに沈んだ。

「…いや、軽くつったろ」

「おれにしちゃ、大いに手加減したんすけどね」

「警備軍は、ホントに王都民護るつもりあんのかよ…」

 ないのかもしれない。というか、なんか違う…。とミナミがデリラを見つめると、受け取ったデリラが細い目を眇めてにっこり笑った。

「おおありですね」

「……信用出来ねぇ…」

 即答したミナミに乾いた笑いを投げかけ、デリラが青年から目を逸らす。

(…ぜってーそんな気ねぇって…)

「波風立てるのも愛を深めるのもとりあえず置いといてですね…」

「どっちもねぇ…」

「…あの小僧っこにいきなり潤んだ目で告白喰らった大将は、でもあの小僧をちっとも憶えてなかったんですわ。まぁ、普通に道歩いてたって目立つヒトですからね、余程の理由でもなけりゃ、仕事に関係ある人間の顔以外は殆ど憶えてねぇですよ」

 それについては、すぐに納得が行った。ハルヴァイト・ガリューというのはやたら目立つ人間なのだ。長身痩躯で相当な男前。軍関係者なら震え上がって逃げ出すし、名前を聞けば一般市民でも警戒しかねないが、ただ黙って歩いているだけなら、思わず振り返って見たくなるだろう。

 と、それらの視線にいつも晒されているとしたら、バルの店員の顔など、憶えるほどまじまじ見る訳がない。

「店に入るなりそれで、しかもあの小僧その後も大将から絶対離れないしで、したたか酔ったギイル連隊長がつい、大将にゃ恋人がいんだから諦めろ、つっちまって」

「…ミラキ卿じゃねぇのか…」

 日頃のお節介を考えると、あの少年に余計な事を話すのはドレイクの役目のような気がしていたミナミが、思わず呟く。

「……いや、ダンナはもっと前に何か…多分ミナミさんの事だと思うんですがねぇ…言いかけて、大将に蹴飛ばされてましたから…」

 けけけ、と笑うデリラ。

「やっぱ、ミラキ卿が先だったんだ」

「当然っすね」

「笑い事じゃないですよ、ミナミさん!」

 なんとなく和やかな気分になりかけたミナミとデリラに、急に復活したアンが水を差す。

「それからが大変だったんですよ。あの子とギイル連隊長はミナミさんを呼ぼうって大騒ぎするし、でも小隊長は絶対に嫌だってだんだん不機嫌になってくるし…。いつ荷電粒子がパブの電気系統吹っ飛ばすか、ぼくらは気が気じゃなかったですよぉ」

 むー。と唇を尖らせてテーブルに頬杖を突いたアンの横顔を見つめていたミナミが、それまで口元に浮かべていた笑みを消す。

 ハルヴァイトをバルで見かけて、好き、だと素直に言える少年。

 初対面の恋人に敵対心を剥き出しに出来る、というのも、素直だからなのだろうか。

「? ミナミさん、さっきから、どうかしたんですか?」

 黙り込んでしまったミナミの顔を心配そうに覗き込み、アンが水色の瞳を曇らせる。何か気になることでも言ってしまったのだろうか、という少年の顔色に、ミナミはそっと微笑んで見せた。

「…俺さ…」

 ミナミが言いながら、毛先の跳ね上がった金髪を無造作に掻き上げる。白くて細い指先、長い睫に飾られた神秘的なダークブルーの瞳、あまり大きく変わらない無表情ながら、その面はまるで芸術品のように綺麗で、危うい…。

 この青年と半年以上同じ屋根の下に暮らし、しかし「触れない」という約束を強固に守るというのが一体どんな「負荷」なのか、と…、デリラもアンも思った。

「素直ってのは、アンくんみたいなのを言うモンだと思ってた」

「は?」

「……」

 急におかしな事を言われて、アンがきょとんとミナミを見つめる。

「…………ミナミさん…それは、ガキだっつんじゃねぇですかね」

「ガキって言うなぁ!」

 にやにや笑いで言ったデリラの脛を、アンが思い切り蹴飛ばした。

  

   
 ■ 前に戻る   ■ 次へ進む