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5ハガネ ノ ヒト | |||
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結局、ルイエが追い返された辺りの事をハルヴァイトは記憶していなかった。だから、いきなり気を失ったハルヴァイトを引きずってソファに寝かしつけたアリスが、おろおろする少年を散々糾弾して(これは完全に、ミナミがアリスの所に逃げ込んで来たというのの八つ当たりらしいのだが)ガリュー家から放り出したく下りは、ミナミから聞いた。 「俺が…アリスんトコ行ってごねてる間に、ミラキ卿が電信入れて来て、で、なんでそこでミラキ卿が連絡して来たかつうと、昨日の晩にちょっと…あのコと俺がここでモメたっつうか、険悪に話した事とか、もっと普通にミラキ卿の事だとかを心配したデリさんとアンくんが、アンタが怒ってるかもしれないからってミラキ卿に電信したから、それで…でもちょっと具合が悪ぃらしくて家から出られねぇミラキ卿が、アリスにアンタと俺の様子を見に行ってくれって…、そういう事だったらしい」 「ところがそこに運悪くあなたが居て、昨晩の詳細を知ったアリスがわたしの所に乗り込んで来た、という訳ですか」 「………本当だったら、ここにはマーリィが来るはずだった」 何を思い出したのか、ミナミは言って俯く。 ハルヴァイトの向かいに腰を下ろし、肩を寄せて小さくなっている青年は、少しかわいそうに見えた。 「最初に怒り出したのは、マーリィだった。アンタにどうしても言いたい事があるからって、マーリィは家を飛び出そうとして、でも、ひとりでここまで来るのは大変だし…まず無理だろうって、マーリィの代わりにアリスが…」 「マーリィがね………。……まぁ、それほど腹に据えかねた何かがあった、という事なんでしょうか」 涼しい顔で言うハルヴァイト。そのなんでもない冷え切った声に一抹の不安を感じながら、ミナミはそっと短い溜め息を吐く。
『みんな、ハルにーさまが悪いのよ!』
そう言った時のマーリィの顔が、忘れられない。 「みんなわたしが悪いんでしょうが」 「……そういう風に言うの、やめろよ」 俯いたまま押し出すように呟いてからミナミは、一度ゆっくり瞬きし、意を決して顔を上げた。 それで、見てしまうのが正直恐かった。あの、世界は数字の羅列。とでも言うように達観した、何の感情の篭もらない瞳と視線。例えばどんな仕打ちを受けて来ようとも、ミナミは、ああも完全に「世界」と「自分」を「無関係」だなどと思った試しはなかったのだから。 ミナミ・アイリーという青年は、ウォルが彼を称したように、少々強情で激しい部分を内包していた。だから、例えば「触れられない」という不都合を抱えていても必死で「ファイラン」という「世界」にしがみついていたし、向こうが「無関心」なら意地でも関心を向けさせてやれ! くらいの事は…まったくもって無表情なものだから判りにくいのだけれど…考えていたのかもしれない。 だからこそ、ミナミは最後の最後で「逃げ込んでいい場所」に行くのを躊躇い、歩けないはずの大通りを彷徨い、迷いに迷って、やっと、クラバイン邸に爪先を向けたのだから。 逃げ込んでしまう事は出来た。それでミナミは自分を護れた。しかし、ここでそれを使ってしまったら、彼は二度とハルヴァイトの所へ戻れなかっただろうし、もしかしたら、二度とあの場所から出られなかったかもしれない。 まるで今のハルヴァイトのように、「世界」と関わることをやめてしまうしか…。 「そういう言い方は…よくねぇ…。訊かなかった俺だって悪ぃだろ? 無理にでもあのとき…あのコが来る前に、アンタに何が起こったのかとか、これから起こるかもしれねぇのかとか、そういうコト、訊いとくべきだった…と…思う」 でも…………。 「………………………役には立たねぇにしてもさ」 勢いで言い切って、不意に引っかかりを感じたのか、ミナミはまた消え入りそうに呟きながら俯いた。 「俺は………結局ダメなんだけどさ…」 「…ひとつ質問をいいですか?」 「なんだよ…」 「今のあなたに必要なのは、ありきたりの慰め? それとも、体のいいはぐらかし?」 「どれも…違う」 「なら、今わたしが思っている事」 きっとこれは酷い言い回しになるだろうと思いながら、ハルヴァイトはミナミを見つめる。 「……それ聞いたら、もうアンタの事なんて俺にゃ関係ねぇって言えなくなる?」 「さぁ」 素っ気ない答えに、膝の上で組み合わせていた両手をぎゅっと握り締めたミナミが、ハルヴァイトを睨み返して来た。 「…わたしはあなたじゃないですからね、それを聞いてあなたがどう思うかなんて、判りませんよ」 背凭れに身体を預けたハルヴァイト。それを見ながら、ミナミはやっぱり彼は「恐い」ひとだったのだと初めて思い知った。 ミナミを傷つけまいと取り繕った体面は、あくまでも「優しげで穏やか」。でも本物のハルヴァイトは、陽炎と数値、膨大なデータを無関係に観測し続けるだけで、もしかしたらミナミにさえ関心を持っていなかったのかもしれない。 ――――持てなかった、か…。 「……半年経って、やっと判った事あんだけどさ」 「なんですか?」 「なんでアンタがどうしようもなくだらしないのかとか、時々何もかも面倒みてぇな顔すんのかとか、本ばっか読んでんのかとか…、そういうくだんねぇ事」 「確かに、あれを見てしまえば、くだらない事に思えるかもしれませんね」 あれを。 見て。 しまえば。 「所詮、全ては臨界の干渉から逃れられないデータですから」 「俺は?」 「……………………」 「俺も?」 「残念ながら…」 ハルヴァイトは呟いて、微かに笑い、大きな掌で自分の頬に触った。 「………………違ってました」 言い置いて、瞬間、まるでひどいブレのある画像が眼前に広がったような錯覚に目を細める、ハルヴァイト。それが刹那でぶるっと震えるなり、「世界」の焦点がぴたりと合った。 「世の中というのは、こうも鮮明で様々な形状に富み、色彩と手触りに温度のあるものなんですね」 溜め息みたいな呟きに、ミナミが小首を傾げる。 「わたしが必要以上に自分の事を話さなかったのは、確かに、こういう…データでしかないどうでもいいものに囲まれている、全てに無関心なわたしを見られたくない、というのもありました。でも少なからず、話してもどうしようもない、と思っていたのも事実です。実際、わたしがわたしの「不具合」を教えた相手は何もドレイクやアリスだけでなく…、つまり、彼らの知らないわたしの昔の「恋人」というか…、まぁ、そう言って差し支えない人もいたんですが、結局、聞いていたところでどうしようもなく、誰ひとりそれを理解しないまま終わってしまったんです」 ミナミに向き直ったハルヴァイトが、微かに苦笑いしながら言う。 「それは、あなたに限った事ではない、と初めに言って置きます。あなただから…つまり、あなたが自分を「ダメ」だという理由があるから話さなかったのではありません。理解して貰おうとした事もありましたよ、過去にはね。それでも理解が得られなくて、ただ怯えたように見られるだけで終わる。それにわたしは、飽きていただけです」 「アンタすぐ飽きるしな、そういう面倒な事…」 ちなみに、肝心な事にも飽きやすいが。 「ただし、あなたには話そうと思います。昨日の事も、今日の事も、それ以前の、これからの…。わたしが電脳魔導師として存在する限り、どうしても避けて通れない事の全てを」 「……俺はダメで、本当に…居る事しか出来なくて、でも、いいの?」 「それは…辛いですか?」 ふと、アリスに言われた言葉を思い出し、ハルヴァイトはミナミに問い掛けた。 「判んねぇ。けど…多分今日は、耐えられなかったんだと思う」
役立たず。
「では、その「ただそこに居る」というのがとても大切な意味を持っているなら、どうですか?」 「? 何、それ」 問い返されて、ハルヴァイトがいきなり難しい顔で唸った。 「色々お話する前に、相当勉強が必要みたいですね。勉強、好きですか?」 「実はあんまやった事ねぇ。当然、俺、学校とか無縁だったし」 話が逸れてねぇか? と内心突っ込むも、ミナミは淡々と答える。 「でも本は読みますよね」 「それは、好き」 「ミナミは記憶力もいいし、あまり手間取らないと思いますが」 で、ようやくハルヴァイトは、笑った。 穏やかな微笑み。安心した。 「答えは簡単なんですよ。理屈が面倒なだけで。数学的で文学的で、理論的、で、哲学を少々、って感じでしょうか」 「つうかそんじゃ全部だろ…」 呆れて突っ込んだミナミ。 「全部ではありません。生物学は無視していいです」 いつものように答える、ハルヴァイト。 「…あのさ」 「なんです?」 「その答えってのだけ、先に教えて貰えねぇの?」 「…それは、推理小説の犯人を先に調べてから読み始めるような…、邪道じゃないんですか?」 「それ俺。小説は最後の章先に読んでから、改めて読み始めんだけど」 意外。 「じゃぁ、それはいいとして」 いや、よくないのかも知れないが。 「答えというより、行きつく先なんですがね…」 平然とするミナミに苦笑いを向け、ハルヴァイトはこんな事を彼に言った。
「つまり、データから二次元ないし三次元を構築しようとする時、一部の例外を除いた場合、移動する、逐次書き換えられる数値を平面座標の起点にするよりも、固定された、固有名詞を持つ明かな個体を起点に据える事によって、構築速度及び精度は格段に上がる。という事です」
「……………判んねぇ…」 「これが一瞬で判ったら、あなたも電脳魔導師の才能があると思って差し支えないですね」 言って、ハルヴァイトは肩を竦めた。
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