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    6ドラマティカ    
       
(3)

  

 国王の極秘命令を受けたクラバイン・フェロウは、ミナミ・アイリーをフローターの後部座席に乗せて城を目指しながら、正直、どうしていいのか…彼にしては非常に珍しい事に…戸惑っていた。

 クラバインがガリュー家を訪ねた時、ミナミは彼に何も訊かなかったどころか、すっかり支度を終えていて、クラバインに誘われるままフローターに乗り込んだ。白いシャツにベージュのハーフコート、チョコレート色の革パンツ、という普段通りの姿ながら、決定的に違う外見と雰囲気に、クラバインは目を見張るしかなかった。

 ミナミは普段、首に細い皮紐を無数に巻き付けて、白い喉元にくっきりと残った傷跡を隠している。それが、ミナミの忘れたい過去であり、記憶であり、造りもののように綺麗な青年を縛り付けている恐怖である事をクラバインは誰よりも知っていたから、始めてミナミと顔を合わせたミラキの屋敷では、それが晒されていない事に安堵さえ憶えたものだ。

 なのに、それが今日は隠されていない。

 それどころか、存在…つまりミナミが過去に受けた仕打ちだとか、そういうモノ…を誇示するように、くつろげられたシャツの襟元から外の世界を観察している。

 ミナミは、自分が助け出された時の状況をよく知らない。

 しかし、クラバインは鮮明にそれを憶えている。

 ミナミに事実は告げられていないが、既に五年前になってしまった過去、死に掛けのミナミを助け出したのは、王の勅令で地下組織に踏み込んだクラバイン率いる衛視団だった。

 クラバインは憶えている。いや、忘れられない。

 最深部の、一際壮麗に飾られたドア。そこに辿り着くまでに覗いた十ばかりの部屋には、死体しかなかった。胸を一突きされて絶命し、その後硫酸で顔を焼かれた少年たちの死体はまだ真新しく、強烈な匂いと惨状に何人もの衛視が怯み、気を失った者さえいた。

 最後の一室を包囲し、中から微かな声が聞こえたのに、クラバインがいち早く室内に踏み込む。

 そこで見たのは、狂った現実。

 部屋の中央、床に転がされた少年は喉から大量の鮮血を吐きながら、か細い呼吸音を繰り返していた。真っ白い肌を舐める赤。朱に染まった金髪と、完全に瞳孔の萎縮した青い目。力なく投げ出された指先。…………………――。

 その少年に覆い被さっていた男は、微かにクラバインを振り返り言ったはずだ。

     

「早かったなぁ、随分。もうちょっとで終わるから、待ってろよ」

       

 男は…、死に掛けの少年を、犯していた。

 だらしなく歪んだ唇から漏れた、忍び笑い。それを聴いた瞬間、クラバインの中で何かが外れた。

 部下が停める間もなく、バカ笑いし始めた男に飛びつき無理矢理少年から引き剥がす。ただどうしようもなく男が憎くて、固めた拳で骨格が歪むほど殴りつけ、三人がかりで押さえつけられてようやく正気に戻った。

 全身を駆け巡る怒りに水を差したのは、いつもクラバインの背後に控えていたある人の、一言。

      

「そんなのはどうでもいい、先に、その子を生かす事を考えろ!」

       

 滅多に、声を荒げるような人ではなかったのに…。

 血塗れの男が連行されるより前に、か弱い少年が運び出された。付き添って行くそのひとの背中を見送り、床に穿かれた血溜りと小奇麗でありながら生活感とは全く無縁の室内を見回して、新しい静かな怒りを憶えた。

 あの時…。とクラバインは、バックミラーに映るミナミの横顔を盗み見て、思う。

 陛下に「首謀者なり「客」なりは、殺さず連れて来い」と言われていなければ、確実にあの男を肉塊に変えていただろう。

 あの時「死体」だった少年が青年になって、再会して、しかし彼は…まるで透明でもあるかのように無表情に、正体を見せようとはしない。

……………本当に、そうなのだろうか?

 クラバインが疑問に眉を寄せた刹那、ミナミがバックミラーに胡乱な双眸を向ける。

「どこ連れて行かれんの、俺」

「…陛下の御前です」

 ふうん。と関心なさそうに小さく吐き出して、ミナミはまた窓の外に視線を戻す。その横顔はあくまでも冷たく凍え、何も、感じていないようだった。

 否。

 ミナミは、微かに笑ったのだ。口元でだけ儚く。薄く形の整った唇が動いたのかどうかも判らなかったが、クラバインはミナミが「笑った」のだと思った。

「…大変だよな、クラバインさんも…」

 労いなのか、ただの感想なのか、それとももっと何か…とんでもなく深い意味があるのか、そう呟いたミナミはまた、薄い唇を閉ざし窓の外に意識を向けてしまう。

「透明つうのはよぉ、光学迷彩かもしれねぇぜ?」。そう笑って言っていたもう一人の主人を思い出し、王下特務衛視団長官クラバイン・フェロウは静かに、そうであって欲しい、と願った。

          

   
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