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    6ドラマティカ    
       
(4)

  

 ミナミ・アイリーを案内して来たクラバインに、呼ぶまで思ってくるな、と言い置き、国王、ウォラート・ウォルステイン・ファイランW世は、王の執務室としては意外に狭い部屋の隅に置かれたソファをミナミに勧めた。

「訊ねたい事はあるかい? アイリー」

「別に」

「それは、ガリューが拘束されている理由にも、お前がここに呼ばれた理由にも興味がないという意思表示?」

 ウォルは普段と変らぬ口調で言いつつも、ぎらぎらと底光りする漆黒の瞳で佇むミナミを睨んでいた。それに含まれたなんらかの感情が自分を非難していると知っても、ミナミは顔色一つ変えはしなかったけれど。

「質問は、陛下が俺に話すべき事を話してからする」

 それさえ静かに告げ、しかしミナミはまだ勧められたソファに腰を下ろさなかった。真正面に着座した国王に臆する事もせず、突き刺さってくる視線を胡乱なダークブルーの瞳でしっかりと受け止めて、続く言葉を待っている。

「解った。では僕は、お前に全てを話そう。なぜガリューが拘束されたのか、なぜお前がここに呼ばれたのか、隠すつもりは…始めからなかったしね」

 くつろげたシャツから覗く透明な傷跡に気付いたウォルの視線が、束の間揺れた。それでなぜか、ミナミはようやくソファに腰を落ち着け、ようやく短い息を吐く。

「最後まで黙って聞け、アイリー。質問は許さない。僕の問い掛けには嘘偽りなく答えろ。それが…お前に今出来る全てだ」

 包み隠さずぶつかり合って何が判るというのか、しかしミナミは小さく頷き、判りました、と小声だがしっかりと答えた。

         

         

 発端は五日前の明け方、第七エリアの隔壁制御盤を監視している警備システムが、外部からの違法接触信号を発した。それが一般に解放される地上隔壁でなく、警備軍が各エリア間の行き来に使用する地下隔壁…つまり、全てのエリアと王城エリアの警備軍本部を繋ぐ地下通路への進入口だったものだから、エリア支部に一号警戒警報が発令され、本部では、ガンの命令でドレイクとガリューが呼ばれた。

 追跡調査と隔壁制御盤の保護操作は、接触信号発令から一時間足らずで開始。それから十時間弱で、隔壁への侵入が未遂だった事と制御システムに異常のない事は確認されたけれど、その接触信号がどこからどういった手口で発射され、システムへの割り込みに成功したのかが判らなかった。

 地下通路が解放されて何者かが侵入した場合の危機的状況というのはあまり関係がないので省くけれど、とにかく、警備軍本部としてそれは見逃せない違法行為だから、ガンはそのままドレイクとガリューに継続して接触信号の侵入経路と手法を付き止めるように指示、ふたりのサポートに第七小隊が召集されて、王城中枢制御室に特別対策室が設けられた。

「ここまではいい?」

 ウォルの確かめるような呟きに、ミナミは黙って頷いた。

「では、続けるよ」

 それから三日。ガリューはほとんど不眠不休で全警備システムのチェックをし、ドレイクは違法接触信号が最初に確認された第七エリアの隔壁制御盤になんらかのデータが残留していないか調べ続けた。ふたりは対策室に詰め電脳陣経由でファイランの全警備システムを呼び出してあれこれと作業するんだけれど、それでは足りない事もある。だからその間、残りの三人とこちらから派遣した衛視たちは、ふたりの指示でファイラン中を駆け回った。

「……そのうち、都合の悪いことに、…ドレイクがダウンしたんだよ。まぁ、あれだけ無茶をすれば当然なんだろうけど、どう手違いを起こしたのか、隔壁制御盤に仕掛けられた侵入防止システムに接触してしまったらしくてね。電脳陣内でプログラムの崩壊を起こし、そのまま自宅に担ぎ込まれた。……僕はそれを、わざと、だと思うけれどね」

 言って、ウォルが微かに表情を曇らせる。

 ウォルは多分、ドレイクを案じているのだ、とミナミにもすぐ判った。プログラムの緊急崩壊が少なからずとも魔導師の神経に負担を掛ける、という事くらい、ミナミも知っているのだから。

「ドレイクは、わざと隔壁制御盤に侵入を試みたんじゃないだろうか。直前にガリューが全システムの正常運行を確認している旨を報告して来たから、侵入方法を割り出すために、わざと外部から違法接触したんだろうね」

 それで間抜けにもドレイクは、電信中に潜むガーディアンにやられてしまった。

 何をどう相談していたのか知らないけれど、ドレイクが対策室から運び出されてすぐ、ガリューもそこを出て、第七エリアの警備軍派出所に向ったんだ。

 途中、ガリューが報告して来た中に、直結ではないか、というのがあったから、それを確かめに行ったんだろうと僕は思ったし、予想通り、第七エリアに着いたガリューは、普通の通信端末で王室提供の情報検索サービスにアクセス、そこから、ドレイクに渡されたディスクを使って、警備軍のエリア派出所にある予備電脳を…ハッキングして来た。

「派出所を任されている責任者は、気が狂いそうな顔で本部にそれを報告して来たよ。…犯人はドレイク・ミラキじゃないのかってね」

 ウォルはおどけて肩を竦めて見せたものの、それは笑えない冗談だった。

 正直、ふたりの関係を知らなければ、疑われるのはドレイク・ミラキかもしれない。

 ドレイクなら出来る。特に「ジャッカー」と言われる、天才ハッカー…らしいのだから。

「とりあえず、そんな寝言を言うやつは蹴飛ばしておけと命令したけどね、僕は」

 手口が直結らしい、と判ってからのガリューは、第七エリアの都市電脳に接触して、ありとあらゆる有線通信端末のアクセス情報を閲覧し、少しでも気に掛かる残留データがあれば、ブラックボックス・チェッカー…全ての通信機器に仕込まれている、全通信内容のバックアップを見る装置…を持った衛視を急行させた。

「面倒だからその後の詳細は省く。とにかく手当たり次第に怪しい通信内容を洗い出し、些細な会話から最大の情報を得て、ガリューは昨日……第十エリアで、あってはならない通信記録を見つけたんだ」

 あってはならない。存在は許されない。しかし、それ、は痕跡としてそこに残っていた。

 ミナミが無表情に頷いて、先を促す。

「0エリアを知ってる? アイリー」

 それにも、ミナミは静かに頷いただけだった。

 静謐な観察者であるダークブルーの瞳が、俄かに暗い光を増す。それに満足したのか、ウォルは膝の上で組んでいた手を解き、普段はテーブルに収納されている卓上操作盤を起動して、ミナミと自分の間に両方向から閲覧できる2Dモニターを立ち上げた。

「0エリアが実は、0-1区画と0-2区画に別れているのは、知らないよね」

 それは中に入った事のある人間か、看守である警備兵しか知らないんだ。

 0-1区画は比較的軽度の罪に問われた者の入る更正施設か、更正が見込める素行のいい少年を保護する年少院があり、つまり名前は厳しいけれど、一般のエリアと同じように日常生活を送って、その間に犯罪に対する償いをさせ考えを改めさせる、擬似外界といっていいだろうね。

 そしてもう一方、0-2区画は、凶悪犯、政治犯、政府反逆罪に問われた者が収容される、強制労働施設。巨大な浮遊都市を維持するためには、見えない部分にも相当な労力が必要とされるからね、そういう…あまり都民の好んでやらない仕事を強制的にやらせられる、本物の牢獄だよ、そこは。

 ガリューが十エリアで見つけたのは、0エリア0-1区画から発信された違法通信の痕跡だった。いくら更正を目指しているとは言え、そこに収容されているのは「犯罪者」だから、外部との接触には厳しい制限がある。しかしその通信はまるで警備軍の通常通信みたいな姿で、平然とやり取りされていた。

「忌々しき問題だよ、アイリー。それを見逃してはいけないんだ。あくまでも0エリアは隔絶されていなければ、自らの罪を悔い改める役に立たない。どんなに0-1区画が外部の一般居住区と同じに見えても、全く同じ、ではいけない。しかも、第七エリアの隔壁制御盤に強制介入しようとして失敗した通信の大本が、0エリアからの通信だった」

 目の前で展開された細長い台形の、第0エリア。その、王城エリアに近い、ミナミの見ている映像では上半分が赤、下半分が黄に彩色された。

「ガリューは直結通信の証拠を取るために、第0エリアに向った。それが丁度今朝だ」

 進入口経路は、第十エリアの緊急地下通路。通常なら王城エリアの集中エントランスを通るのだけれど、今回は時間が勝負だというのもあって、直接0エリアに入る事を、僕が許可した。

 0エリアに到着したガリューは、予備電脳のクリーニングを開始…するはずだったのに、彼はなぜか0-1エリアの居住区に行くと言い出したそうだ。電脳魔導師、しかもかのハルヴァイト・ガリューが国王特権付きで起こす行動を詮索する訳にも行かず、0エリアの派遣警備兵も黙って彼を見送った。

「…………そこでガリューの行方は二時間ほど判らなくなる。次に彼が警備支部に通信して来た場所が、ここ」

 モニターの一点が、青く点滅する。場所は、0-1区画と0-2区画の境目辺り、大通りの一角だった。

「通りに設置されている公共端末から、現在地と違法通信の経路を発見した、という報告をして来たんだ。それは警備支部がちゃんと確認してる。同行し、待機を言い渡されていた衛視の連中もね」

 ウォルが言い終わるのとほぼ同時に、もうふたつ、緑と水色の点滅が地図上に投影される。

「そして、事件はその緑色の地点で起こった。そこは0-2区画と0-1区画を行き来する唯一の地下通路がある場所で、地上に出るためには、丁度ガリューのいた大通りに置かれている、普通の派出所を通過するようにカモフラージュされていた」

 事件。と聞いて、ミナミが一瞬表情を固くする。

「その時派出所にいたのは一般警備兵が三人。直前大通りの裏手でケンカ騒ぎがあり、ふたりがその場を離れた。残ったひとりは平常警備で派出所前に立っていたんだけれど、なぜか、急に彼は背後を振り返って、建物の中に帰って行った。と、これは派出所前にいつもランチの屋台を出している男が見かけていて、証言も取れている」

 派出所といえば、手前の執務室と奥の休憩室しかない小さな建物で、緑色の三角屋根が目印だった。地下通路の出入り口になっている、と言うからにはミナミの知っているものよりもう少しくらい大きいのかもしれないが、カモフラージュされているのなら、そう外観が異なっているとは思い難い。

「…それから数分後、一分か、二分だそうだ。その派出所が…爆発した」

「……………」

 あまりにも淡々と続けられたせいで、ミナミにはその意味がすぐには判らなかった。

「そう威力の強い爆発じゃなくてね、周囲の建物が崩れ、ちょっと火が出ただけで都民に怪我はなかった…。でも、中に戻って行った警備兵は重症を負い、0-2エリアから連行されて来ていたある受刑者と、0-2区画の警備兵が、ばらばらになって見つかったよ」

「それと、あのひとと、どう関係があるってんだよ…」

「ただ、近くに居ただけ。でも、ただ居たのか、わざとそこへ行ったのか、判らない」

「…それ、変だろ」

「変だよ。だから僕はガリューをその場で拘束させた」

「そうじゃなくて!」

 ミナミにしては珍しく強い口調で吐き捨てるのを、ウォルはなぜか静かに見つめているばかりだった。まるで、そういう風に何かに食って掛かる気力がミナミにもあるのだと、確認しているような顔だったかもしれない。

 ウォルは、待っている。

「…アイリー。僕はその派出所爆破の犯人を、ガリューではないだろうと思っている」

 いきなりそう言われて、ミナミが押し黙る。いつもは殆ど動かない無表情なのだが、今回ばかりは何か…もしかしたら全て…釈然としないのか、形のいい眉をぎゅっと不快げに寄せていた。

「本当に偶然か、もしかしたら嵌められたのか…。どちらにしても、ガリューは犯人になり得ない」

「じゃぁ…、なんで拘束なんてしたんだよ…」

「極めて怪しいからさ。僕は公平に物事を判断し、その付近に居た中で最も怪しい人間を捕まえた。それが、ガリューだっただけ」

「…さっぱ判んねぇよ、そんなの」

「落ち着け、ミナミ・アイリー。とても簡単な事なんだよ、僕がガリューを拘束した理由は。誰でもすぐに納得するんだ。だから、僕はガリューを「拘束しなければならなかった」んだから」

 冷然としたウォルの黒瞳が、ミナミを見据える。

「ガリューになら、手も触れず離れた場所を爆破する事が出来る。ガリューになら、0エリアに侵入するために第七エリアの隔壁制御盤に接触し、合法的にそこまで行く事が出来る。ガリューになら、その日、その時間、その場所を0-2区画から連れて来られたある囚人が通るのを知る事が出来る。

……そして、その囚人を殺す動機が、……ガリューには、ある……」

「……な…んで?」

 ひどくかさついた声で問いかけたミナミに、ウォルが冷たく告げた名前。

「ヘイルハム・ロッソーという名前に聞き覚えはある?」

「…知らねぇ」

「では……“ヘス”なら?」

 探るような、ではない。確信的なウォルの呟きにミナミは全身を凍りつかせて、あのダークブルーの双眸を…ゆっくり、大きく、見開いた。

「……」

 固く結んだ唇が、微かに震えている。膝の上に放り出していた指先を俄にそわそわと握ったり開いたりし、終いにはがたがた震え出して、でもそれを見られたくない、とでもいうようにぎゅっと組み合わせる。

 しかし、自分の白い手の甲に血が滲むほど爪を立てても、ミナミはウォルから顔を背けなかった。

「お前はなんと呼ばされていた? アイリー。…その名前を、もう忘れてしまった?」

「忘れて…ない…」

 だろうね。となんの感慨もなく吐き出して、ウォルは背凭れに身体を預けミナミから目を逸らした。

 そんな風に怯えたミナミに何を言おうとしているのか、ウォルは自分の薄汚さに泣きたい気持ちになった。それでも、これを放って置く事はファイランを運行する最高責任者として、出来ず、これでまた…ようやく手に入れたささやかな安息を全部纏めて手放そうとする自分を呪って、莫大なデータとだけ付き合っていくのだと、覚悟を決める。

 引き返せない。ミナミを、ここに呼んでしまったのだから。

 そして、ミナミはそれを拒否しようとしない。

 怯えても。どんなに恐れても。ウォルから目を逸らそうと、しない。

 微かに溜め息を漏らした赤い唇と暗く翳った漆黒の瞳を、ミナミは観察者の瞳で…なぜか一瞬だけ光を取り戻したダークブルーの双眸で…じっと見つめた。

 全てに、意味はある。

 ミナミは、複雑過ぎる内情を抱えた青年は、失望される事に慣れていた。いつでもそうだった。結局誰でもがミナミに失望した。でも、彼は残念ながら、失望と悲観を甘受する事には、慣れていなかったのだ。

 だから……動かない無表情の奥に、ミナミは青白い炎を、隠している。

「…忘れた事なんてねぇ……」

 弱々しく震える声に再度言い置かれて、ウォルは自分の爪をしきりに噛んでいるのに気付いた。

 迷ってはいけない。

 暴君でなければならない。冷徹でなければならない。

 それが、ミナミに対する礼儀に思えた。

「…それが、お前を犯しながら殺そうとした男の名前だから?」

 じろりと黒い瞳に睨まれて、ミナミは…。

「そうだよ」

 硬い声で、しかしきっぱりと答えた。

          

   
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