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    6ドラマティカ    
       
(5)

  

 室内に、重苦しい沈黙が降りる。

 はだけた白いシャツの喉元に巻きついた、透明な傷跡。直視に耐えない、しかし目を逸らしてはいけない現実に、ウォルは全身で向き直った。

 それは三ミリにも満たない幅で、右から左、なのか、左から右、なのかに迷いなく走っていた。喉仏の少し下。十中八九喉笛を狙ったものながら、最後のひと押しが足りなかったのか、気道を傷付けたが引き裂くには至らず、動脈すれすれを掠ったが傷付けるにも至らず、結果、ミナミ・アイリーは奇跡的に一命を取りとめる。

 そして今日、ミナミに一生消えない数多の傷を付けた男が、爆死した。

 殺しの嫌疑を掛けられたのは、ミナミの…恋人。

「先に言う。隔壁制御盤への違法接触については、ガリューの追い掛けた経路のある各アエリアの電脳魔導師隊支部に全部任せた。そんなものは、ある意味どうでもよくなったんだ。…問題は、ヘイルハム・ロッソーが殺された事にある」

 ミナミは何も答えない。

「……なぜヤツが0-2区画から移送されて来たのか、先にそれを説明しよう」

 ウォルは努めて平静を装いながら、ミナミとの間に立ちはだかっているモニターに視線を移した。それで少しは気分が晴れるかと思ったが、自分の「話さなければならない事実」を幾度か反芻しているうちに、もっと…嫌な気分になってくる。

 それでも言えと自分を叱責し、ウォルは淡々と話し始めた。

「司法取引だよ。僕がヘイルハム・ロッソーに持ち掛けて、かなり大モメした結果ようやく本人と会う機会が巡ってきた、千載一遇のチャンスだった」

「取り…引き?」

「マップ上に、水色の点滅があるだろう? 爆破現場からそう遠くない場所に。…それは、僕の乗っていたフローターの位置を示しているんだ」

 ミナミは、答えない。

「僕には、どうしてもヘイルハム・ロッソーから聞き出したい事があった。それが、ファイランを運行するために必要だと思ったからね。ありとあらゆる手を尽くし、それでも探り出せない事があって、最終手段として内密に…ドレイクにも、クラバインにも一言も告げず、ヘイルハム・ロッソーの…都民としての権利復活と恩赦を与えて0エリアから出す事を…独断で決定した」

 ミナミは、それにも大した反応を見せなかった。

 不安になる。もしかして、どこか壊れてしまったのか、と表情を曇らせたウォルを、静かなダークブルーの双眸が観察している。それで、ウォルは…冷徹な暴君でありたいと心底願う陛下は、話しを続けた。

「取引日時を知っていたのは、ほんの一握りだ。それにガリューは、当然、含まれていない。万が一にもどこかからその情報が漏れたとしたら、ガリューは黙っていないだろうよ。爆死、なんて楽に死なせてやりそうにない…。……僕もね」

 そんな男を今まで生かしていたウォルをハルヴァイトは許さないし、あまつさえ大手を振って陽光の元に出て来る手助けをした、などと知れれば、相手が国王だろうがなんだろうが、彼は迷いなく冥界の扉を開き、自らの手でウォルの背中を押し死の淵へと突き落としてくれるだろう。

「なのにヤツは殺されてしまった。これで、僕のこれまでの苦労は水の泡…」

「……陛下が狙われてたって事は、ねぇのかよ」

 いきなり、ミナミがぶっきらぼうに言い放つ。それに、ウォルは少し愕いた。

「司法取引っての、その派出所でするつもりだったんなら、陛下が到着すんの待ってた、ってのは、考えられねぇの?」

「………それはないと思いたいな。爆発は、僕の到着時間よりきっかり五分前だった。もしも僕を狙っていたとして、何か…時限装置か何かの誤作動で爆発が起きてしまったのだとしても、あまりにも時間がぴったり過ぎるよ」

「そう」

「…お前は…」

 言いかけて、迷って、でもウォルは、ひりつく喉で吐き出した。

「実は僕が狙われていて、みんなは巻き添えを食ったのかもしれない、って…」

「違う。その可能性がねぇなら、最初からあいつの口を封じるのが目的だったんだろうって…確認したかっただけ」

 ミナミはすぐにウォルの言葉を否定し、ふいっと視線を逃がしてしまった。

「アイリー…」

「訊きてぇ事が山ほどある。でもその前に、言っときてぇ事もあんだけど、いい?」

「……多少の無礼にも目を瞑ってあげよう」

 顔をウォルに向け直し、姿勢を正したミナミが無表情に国王を、睨んだ。

「ミラキ卿にもクラバインさんにも何も言わねぇ、あのひとをわざと拘束、それで俺をここに呼びつけたのと、…アイツ…としたかった取引と、全部が関係あんなら、黙ってなんでも聞く」

「僕が今から、お前に、思い出したくない事を嫌というほど思い出せ、と言っても?」

 淀みなく問いかけたウォルに、ミナミは頷いて見せた。

「それであのひとが拘束を解かれるなら、なんでも……話す」

 一瞬の茫然自失から立ち直り、一体何がミナミにあったのか、彼はウォルからあの観察する冷え切った双眸を逸らさずに、こう、呟いた。

「俺は…怯えて暮らしてぇんじゃねぇし、自分に出来る事が何もないなんて…そんな風に思いてぇんでも…ねぇよ」

 ウォルがずっと待っていたのは、そういう…ミナミが抱えていた、怒り…だったのか…。

           

           

「詳細を説明しよう。ここでお前に関わりがあるのは、ヘイルハム・ロッソーと僕がしようとしていた取り引きと、そもそも、なぜ僕がヤツなんかと取り引きせざるを得なかったか、という部分だからね。余分な事は追々疑問に思ったら訊いてくれるといい。…僕は、ミナミ・アイリー、お前に感謝と敬意を表して、今後お前がこの件…ガリューの殺人容疑も含めて…取る行動の一切を制限しないし、国王の権限として出来る限りの事をする」

「それってつまり、自分じゃもうどうしようもなくなったから、俺にどうにかしてくれって事なんだろ?」

 平素より硬い表情でありながら、ミナミがすかさずウォルに言うと、ウォルがやっとひどく緊張した表情を緩めた。

「恥ずかしながらそうだよ、アイリー。ヘイルハム・ロッソーを殺されてしまった今、僕には…もう味方はいないんだ」

「…極秘取引のはずが、襲撃されたから?」

「まぁね。本来ならこの情報がどこから漏れたのか調査すべきだけど、それは後からゆっくりやるさ。今は…誰の邪魔も入らないうちに、お前と陰で手を組んで置きたいからね」

 頷くミナミに笑みを向けたウォルが、手元で卓上操作盤を軽く叩く。

 投影されていた第0エリアの地図が消え、今度はなぜか、惑星の展開地図が飛び出した。

「…つか、いきなりスケールデカくなり過ぎ…」

「何をとぼけているんだい…。僕は国王だぞ、このくらいのスケールでびびるな」

「いや、これ以上のデカいネタはねぇって。しかもフツーはびびるだろ。俺、一応一般市民だし…」

「後でちゃんと辞令を交付させるけど、アイリーが一般市民だと胸を張って言えるのは後数日だと思え。お前には、王下特務衛視団に就職して貰うからね」

「……………待って!」

「いやだ」

 ぷい。とミナミから顔を背けたウォルが、忙しく何かを操作する。それをぽかんと見つめていたミナミが、慌てて身を乗り出した。

「それじゃぁ、その……」

「なに?」

「…いや、だから…、俺にはその…」

 何か言い難そうなミナミの顔をじろりと睨み、一呼吸。ウォルが不意に破顔する。

「きちんと言えたら考慮してやろう」

「……とんだ暴君だな…」

「お前みたいな強情に言われる筋合いはない」

 それで何か諦めたのか、ミナミはどさりとソファの背凭れに沈み、ふーっと溜め息を吐いた。

「あのひとの下城を迎えに行けない」

「……なんだ、つまらない」

 意外にあっさりミナミが折れてしまって面白くなかったのか、ウォルが唇を尖らせる。それでも「考慮する」と言った手前ごねる訳にも行かないのか、微かに忍び笑いを漏らしてから、彼はミナミにからかうような視線を向けた。

「お前の仕事はクラバイン室長の秘書扱い。だから、シフトはクラバインが決めてくれる。きっと彼の事だからね、第七小隊のシフトを基本にしてくれるだろうよ」

 特務室の衛視になる、という部分に問題はないのか、ミナミはそれでとりあえず頷いた。

 そうしてみると、えらく度胸のいいやつだな。と妙に関心しつつ表情を引き締めたウォルが、ミナミにモニターを見るよう促す。

「見た通り、これは惑星展開図だ。それにまず、赤い線で現在のファイランが回遊している航路を、それから青い線で、三十年ほど前までファイランが周回していた航路を重ねる」

 地図上に描かれた赤い線は、大きな大陸の上空を楕円に回っていた。それは子供でも知っている事だったから別に珍しくはなかったが、その後に投影された青い線は、地図をゆるやかな曲線で斜めに分断する、かなり距離の長いものだった。

「理想的なのは青い方の航路なんだ。高度、上空の大気状態、安定度だとか、そういう物も含めて、ファイランは大きな都市だから、下層の暴風に乗るより恒常的に流れている上空気流に乗る方がいい」

「…でも、今は赤い方なんだろ?」

「そうだ。父上もこれには頭を悩ませていた。いかに重量を軽減しようとしても、なぜかここ三十年間ファイランは下降し続けて、ついに、この理想航路から十七メートルも離れてしまったんだよ」

 ファイランは、飛行都市ではなく、浮遊都市である。気流に乗って惑星の上空を漂っているのだ。飛行ユニットとエンジンは搭載されているが、莫大なエネルギーを一瞬で消費する不経済な鉄の塊を、そう易々と使える訳もない。

「僕は何年もかけてその原因を調べ上げた。それこそ、都民の体重まで報告させてね。必要な装置装備、全重量における人間の重量割合、瞬間加重といわれる不確定要素まで、コンマ一ミリグラム単位で算出し、気流の状況を調査し、ファイランが元の航路に戻る邪魔をしているのはなんなのか、徹底的に」

 それにミナミが、ちょっと愕く。あまり知られていない国王の仕事とは、そういう…なんとも細かい作業ばかりなのだろうか。

「途中経過は退屈極まりないから話さないけど、それで僕は、ある一つの可能性に…行き当たった」

 じっとモニターを見つめるミナミの顔。

 あまりにも見事過ぎる黄金の髪。あまりのも深過ぎるダークブルーの瞳。綺麗で、どこか危うくて、微かに…なまめかしい…。

 作り物のように。

「不確定要素を最大に設定して、建造物と都民の体重合計を差し引き、生命維持に必要な装置類を別にしても、まだ、ファイランの骨格自体が数百トン単位で余分だった…」

「? それじゃまるで、陛下の知らねぇ空間が…」

「それだよ、アイリー…。ファイランには、王室も知らない秘密の空間があるんだ」

 そう言ったウォルの瞳はあまりにも真剣で、ミナミはそれを、笑い飛ばせなかった。

          

   
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