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    7.ラプソディア    
       
(2)

  

 本当ならベーコンエッグになるはずだった、ベーコンにひっ絡まったスクランブルエッグから面倒そうに顔を上げ、ミナミは手にしていたフライ返しをフライパンに放り込んで、レンジのスイッチを切った。

 今朝のメニューは、厚切りのトースト、レタス中心のサラダ、瀕死のスクランブルエッグに、野菜ジュース…。

「…コーヒーは…嫌がらせしてインスタントにしてやる…」

 ぶつぶつ言いながら階段をゆっくり上がり、ハルヴァイトの部屋の前まで来て、ミナミは無雑作にドアを握り拳でノックした。

 ほとんど、殴りつけているような勢いで。

 それから、何を言う訳でもない。

 ただ、それが開かれるのを一歩後退して、待つだけ。

ドアはすぐに開いた。

「おはようございます」

「…おはよう。………つうかアンタ…寝たのか?」

「…………」

 制服である深緑色の長上着と黒いネクタイを身に着け、白手袋、派手な緋色のマントを抱えて出て来たハルヴァイトの顔を見るなりミナミはそうぶっきらぼうに問い掛け、問われたハルヴァイトが、笑顔を凍り付かせて言葉に詰まった。

 見上げるような大男、ではないにせよ、ハルヴァイトは背が高い。長身痩躯、肩より少し長い光沢のある鋼色の髪を鉄紺色の皮紐でひとつに括り、笑っていないと冷たい印象しか受けない透明度ゼロの鉛色の瞳。色の白い端正な顔立ちとそれら硬質なパーツが相まって、無愛想で表情に乏しい恐い人、というのが、彼の通り名でもある「スティール・ブレイド」の由縁だと、ミナミは聞いた。

 片や、その恋人をじっと無表情に睨んでいるのは、色の白い…こちらは柔らかな乳白色の肌にダークブルーの瞳。細い眉に長い睫、造りもの以上に整った鼻梁と薄紅色の薄い唇…。毛先の盛大に跳ね上がった見事な金髪までが完璧に……「創造」された(と、ハルヴァイトはまだ知らないが)、脆く危うい印象の青年。

 ミナミと擦れ違う時、誰もが呟く。

「綺麗」

 美しい、のではない。美人、でもない。やや小柄で華奢。普段から何を考えているのかさっぱり判らない無表情に、観察者の双眸。それを見て一瞬惚け、それからごく当たり前に、「綺麗」と彼を賞賛する、無遠慮な第三者…。

 今ならその、まるで匠の造り上げた芸術品に向けられるような言葉の意味を、ミナミは考えたりしないだろう。

 彼は解ったのだから。

 自分が、粘土細工のように誰かの手で練り上げられたのだと、知ったのだから。

 さて。

 十センチも背丈の低いミナミに無言で見上げられたハルヴァイトは、まだ凍り付いたままだった。

「……没収」

 唐突にそう呟いたミナミに、はい。と掌を差し出されて、バツの悪そうな顔で溜め息を吐いたハルヴァイトが、すごすご部屋に引き返していく。

「没収って…子供じゃないんですから…わたし…」

「徹夜で“INGS(イングス)”に入り浸ってるのは、子供のする事じゃねぇのか?」

「子供は徹夜しませんよ。徹夜は大人の特権です」

「アンタに今以上の特権必要ねぇだろ」

「日常生活には関係ない特権ですけどね、わたしのは。はい」

 苦笑いで言いながら、ハルヴァイトが持って戻って来たディスクをミナミの掌に、…直接載せた。

「……データ入ってんの?」

「? 入ってますよ」

「カスタマイズ・レポートは?」

「それも…入ってます」

 ディスクのジャケットは、黒地に何やら白い光が射し込んでいて、その光の中に、ひととも機械とも他の生物ともつかない奇妙な影が浮かび上がっているだけ、という物。特別タイトルなどはなく、それだけを見ると、何かのソフトなのかはたまたデータベースなのか判らない。

「じゃ、後で俺がやろう」

「…ミナミ!」

 思わず悲鳴を上げたハルヴァイトを無視して、ミナミは自室のドアを開けディスクを中に放り込んだ。

 実はこのディスク、”INGS”という専用ネットに繋いで遊ぶゲームソフトなのだが、色々と騒ぎがあって……謹慎名目で三日間の休暇を与えられた初日、暇を持て余したドレイクが遊びに来る途中立ち寄ったショッピングモールで見つけ、プログラムが面白そう、という理由で買い求めて来たのだ。

 当初は何のゲームなのかも知らないまま、ふたりの電脳魔導師は「解析陣」というのを立ち上げてディスクを解剖、”INGS”への接続システムだとか、電速の劣化防止パッチだとかについてミナミの知らない単語を駆使し話し込んでいたのだが、そのうち、ハルヴァイトがゲーム自体に興味を示した。

 それで、ミナミの部屋にあった通常端末の内部システムを電脳陣にコピーし、本来ならリーダーで読み込むソフトを電脳陣で直接読み込んだ大の大人ふたりが、かなり真剣に遊び始めたのだ。

…正直、ミナミはこの時、「判ってたけど、でたらめに便利なひとたち」という感想をハルヴァイトとドレイクに対して抱いた。

「データ」と名の付くものなら、端末など必要ない。それが電脳魔導師だと判ってはいたのだが…。

 ゲーム自体は、”INGS”に接続して登録すると、「コア」と「フレーム」二種類のアイテムが貰える。「コア」は文字どおり「中身」で、これはごく初歩的なAIだとハルヴァイトは言っていた。

「フレーム」の方はといえば、つまり骨格。数十種類の中から好きな物を選び、コアを搭載。そこでようやく、プレイヤーの操作する「ジャケット」が出来上がる。

 初期「ジャケット」は弱い。弱いので、装備を固めなければならない。装備を固めるには、コロシアムで対戦し賞金を稼がなければならない。

 まずプレイヤーは、コロシアムで賞金を稼ぎ出し装備を固めるのと一緒に名を上げる。適当に名が通ると、ここでランダムに、「オルグからの依頼」というのが飛び込んで来るのだ。

 依頼は受けてもいいし、断ってもいい。コロシアム専門のプレイヤーも居るらしいので、それは個人の自由。ただし、依頼を受けて遂行すると賞金と一桁以上違う報奨金が貰えて、当然、毎日のように新しいものの配信されている装備を最新式に変える事も出来る。

 この依頼の種類は多岐に渡り、ただし、大抵が「フィールド」というバーチャル惑星上で行われる。そこには様々な危険生物の他に、例えば、「洞窟最深部に隠されたデータを回収しろ」という依頼を受けたチームを「データを奪回に来たチームからそれを守れ」という依頼を受けたチームが待ち伏せしていたりする。

 そういう、善悪無関係泥試合的な要素がウケているのか、他にも似たようなネットワーク・ゲームは売り出されているのだが、この「ジャスティス」というゲームは、ここ最近のヒット商品だった。

 確かに、ゲーム自体操作が簡単だし、コロシアムには「負け専用」のNPC(ノンプレイヤーキャラ)も居る。それでまず戦闘に慣れて装備を固め、それから本格参戦出来るのだから、なかなか楽しい。

 一・二度このNPCと対戦するハルヴァイトを見ていたミナミが余計な事を言わなければ、もしかしたらハルヴァイトもドレイクも、このネットワーク・ゲームをこれほど真剣にやらなかったかもしれない、とは、キッチンに戻りつつミナミも思った。

      

「……結局、アンタたちが普通に「魔導機」扱ってんのと、どこ違うんだ?」

        

 基本はAI。戦闘は追加コマンド。装備はほぼ無限にカスタマイズ出来、内蔵兵器もある。という「ジャケット」を操作して、戦闘と依頼を繰り返す…。

 それについて素直な感想を述べたつもりのミナミだったが、普段が「素直」などという単語とは無縁なくせにこんな時ばかり慣れない「素直さ」を発揮したからなのか、その一言で面白がったドレイクが「フィンチ」と名前を付けた飛行型のジャケットを作り、ハルヴァイトの適当に作ったジャケットと対戦したのが…不味かった。

 この兄弟対決、軍配は兄のドレイクに上がったのだが、それでハルヴァイトが…ちょっとムキになったものだから…ミナミは思わず吹き出してしまった。

 ハルヴァイトのジャケットは「モーラ」という二足歩行のトカゲに似た不格好な物で、始めはそれなりに勝ったり負けたりを繰り返していたのだが、なぜか、装備が固まるに連れて連敗し始めた。

 基本的に負けず嫌い。とドレイクも言っていた通り、ハルヴァイトは対戦で負けるとカスタマイズに余念なく、それでまたコロシアムに出て、どこかのゲーマーに負かされて来るのだ。

 こうなるとミナミは笑い続け、命知らずな対戦相手(当然、まさか相手があの電脳魔導師だとは知らない一般市民)はハルヴァイトを素人呼ばわりして細やかにカスタマイズの心得を解き、爽やかに「ま、がんばんなよ」と言い残して去っていく…。

 最初の日は面白がっていたミナミも、翌日も丸一日リビングでひたすらテレビを睨んで唸っているハルヴァイトに、微かな不安を抱いたのだが……。

 で、結局、謹慎明けで今から四日も城詰めだというのに、ハルヴァイトは徹夜でネットワーク・ゲームに没頭し…ついに、ディスクを没収されるハメになったのだ。

(…つうか、意外な一面を見たつうの?)

 キッチンに戻って笑いを堪えつつ嫌がらせのインスタントコーヒーを差し出したミナミを、テーブルに着いたハルヴァイトがちょっと妙な顔で見上げる。

「アンタがいつまでも降りて来ねぇから、コーヒー煎れてる時間なくなった」

「……」

「………反省した?」

 微かに笑ったミナミに「まぁ…それなりに」と非常に都合の悪そうな顔で答えたハルヴァイトが朝食を始め、ミナミもテーブルに落ち着く。

「昨日の晩に四連敗したジャケットがいて、それがあまりにもよく出来た調整だったもので、少しプレイヤーと話をしたんですけどね」

 コーヒーを飲みながら、ハルヴァイトがなぜか渋い顔で話し始める。

「十二歳ですって。わたしの半分ですよ」

 溜め息交じりのセリフに、ミナミはまた吹き出しそうになった。

「そんな…アンタが関心するほど良く出来たジャケットだったんだ」

「ええ。機体バランスに無理のかからない基本コマンドと、いいタイミングで出される追加コマンド…。これで才能があれば、電脳魔導師隊に今すぐ入隊して貰いたいですね」

 聞いて、ミナミがふと、テーブルに頬杖を突いてそっぽを向いたハルヴァイトの横顔を見つめる。

 それは、ゲーム。現実ではない。現実でその…仮想空間の中でだけ動く「ジャケット」よりも精密で凶悪な「魔導機」を動かす才能を持ち合わせているのは、目の前の恋人…。

「スカウトしたら?」

「警備軍にも「ジャケット」に似た訓練歩兵がいますから、いいかもしれませんね」

「? あんだ、そんなの」

「魔導機稼働訓練用の標的、というのがね」

「……じゃぁ、がっかりするから勧めない方がいいか…」

 ミナミはそう呟いて、微かに口元を綻ばせた。

「がっかり、ですか?」

 何を言われたのか判らないのだろうハルヴァイトが首を傾げると、ミナミが「うん」と頷いてコーヒーを一口飲む。

「だって、負けるためにある歩兵なんて操作しても、つまんねぇだろ」

「歩兵の操作士は、魔導機の攻撃を躱し続けるのを生き甲斐にしてるらしいですよ」

「…で、アンタ、それに逃げられた事あんの?」

 言いながらじっと見つめてくるダークブルーの双眸の中で、ハルヴァイトがひっそりと笑った。

「わたし…から逃げ切れる操作士がいるなら、是非、第七小隊の小隊長になって欲しいですね」

 あの鋼の悪魔から逃げ切れるのなら。

 逃げ切れたのなら。

 変わって欲しい。

 それでもハルヴァイトはまだ、第七小隊の小隊長のままだ。

 だから、そんなヤツは、いない。

 それからミナミはハルヴァイトに、ジャケットのカスタマイズ・レポートを上書きしないでくれ、と四回も言われ、最終的にはそのうちミナミ用のアカウントを取る事で合意し、無事、朝食を終えた。

「それでは、いってき…」

「……………待って」

 玄関までハルヴァイトに着いて出て来たミナミが、緋色のマントを翻していつも通りの笑顔で出て行こうとした恋人を呼び止め、裸足のままコンクリートのたたきに降りる。

「…動くなよ」

「は?」

 やや緊張気味のミナミの顔を見つめ、ハルヴァイトが首を捻る。

 淡い藤色のシャツの襟元から覗く、傷痕。四日前、ハルヴァイトが拘束された騒ぎの後、ミナミは喉元にくっきり貼り付いた傷の上に、あの細い皮紐の群れを巻き付けるのを、やめた。

 動くな、と言われたから佇んでいるハルヴァイトの正面に立ち、ミナミが深呼吸する。大丈夫、というよりも、どのタイミングで話を切り出すか確認、といったニュアンスのそれで覚悟を決め、心因性極度接触恐怖症と五年近く言われ続けた青年は、白くてほっそりした手を伸ばし、指先で恋人の頬に…触れた。

「………………」

 ハルヴァイト、二度目にしてまたも硬直…。

「あ、やっぱ平気」

「……ミナミ…」

 けろっと言い置いたミナミに比べて、こちらが窒息しそうな声を絞り出したハルヴァイトが可笑しくて、青年が微かに笑い小首を傾げる。

「触っていいですか?」

「…いいと思う。多分、アンタの姿が見えてりゃ平気っぽい」

 答えを待ってから、ハルヴァイトがそっと、ミナミの垂らされていた手を掌で包む。

「………うん、平気」

 恐くない。何も…。

 ハルヴァイトはミナミの手を握り締め、微かにほころんだ唇で恋人の唇に触れた。

「登城するのなどやめて、このままここにいたい気分です」

「……でも、それじゃ俺が困んだろ」

 浮かせた唇で囁いたハルヴァイトに、ミナミは無情にも…いきなり言い放った。

「バイト決まった。俺……今日から仕事だから」

「…………………。」

 それでハルヴァイトは、さっきと全く別な理由で、またもその場に硬直した…。

  

   
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