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    7.ラプソディア    
       
(3)

  

 城には、様々な機関の本部執務室と議事堂、王の居室などがある。

 円形の敷地は、大きく、本丸、王都警備軍本部、王立図書館の三つに別れており、城を囲む城壁の外からでもすぐ判るのは本丸の尖塔群と王立図書館の外周を飾る彫像群だけで、警備軍の無愛想な四角い建物は壁と一体化しており、見えていてもそれだと気付くのは難しかった。

 そして、同一の敷地にありながら、本丸警備は王都警備軍の職務ではなかった。王立図書館の書士職員は「士官」と呼ばれる城勤め。本丸に詰める職員の殆ども「士官」であり、ベルトのないベージュの長上着を着用しているのだが、別に置かれた「王下近衛兵団」という王城の警備を専門に行う近衛兵たちはみな、警備軍と色違いの厳めしい制服を身に纏っていた。

 膝まである長上着は、漆黒。嵩襟と袖口の折り返し、腰の回りと、左肩から斜めに渡されたベルトは、真紅。白いシャツに黒いネクタイ、黒い長靴(ちょうか)、という基本が同じなのに、深緑と濃茶で固めた警備軍よりも近衛兵団はいかにも恐ろしげに見えた。

 そして、この近衛兵にも、また二種類ある。

 ひとつは、つまり「近衛兵」。議会、図書館、本丸の警備に当る、警備軍の上位機関である。

 そしてもう一つが、問題の「衛視」。

「王下特務衛視団」という正式名称があるらしいが、大抵は「特務室」となんだか事務職みたいに言われているし、ここの最高責任者クラバイン・フェロウも「室長」と…それっぽく呼ばれていた。

 という訳でこの「特務室」は、ファイラン唯一の国王勅令機関で、構成員は現在十九名。室長のクラバインを除く十八名が三交代で執務室に詰め、王の護衛と…内偵などの、議会にも警備軍にも内緒の隠密活動を行っている。

 だからつまり、傍から見たら何をしているのか判らない部署でもあったりなかったり。

 制服は近衛兵と同じ黒に赤で、見た目違うのは、左腕にみな真紅の腕章を付けている、という所だろう。見えない部分では、衛視だけが銃の携帯を許可されている、というのもある。

「ここの制服は地味だ地味だと思ってたけど、今日僕は悟ったよ、クラバイン」

「何をでしょうか? 陛下」

「…つうか、真っ黒に真っ赤な襟の制服って、地味なのか?」

「着てるヤツラが似合わないだけなんだ、きっと。お前も含めて」

「それはわたくしも同感です、陛下。出来れば今すぐ警備軍の制服に着替えたいですね…」

「なんで?」

「今からこのミナミさんと並んで部下の前に立つと思うと、ただでさえ地味だと言われ続けたわたくしの人生が華々しくも「完全に地味」と言われそうな…」

「あぁ、だからあのもっと地味な警備軍の制服にしておくのか、納得だな」

「会話の観点が基本的に違くねぇ?」

 溜め息交じりに呟いたミナミをソファに座ったまま見つめていたウォル…陛下…が、あはは、と楽しげに笑う。

 ハルヴァイトが放心状態で出掛けてすぐ、クラバインがミナミを迎えに来た。

 先日、0エリア爆破騒ぎで殺人の嫌疑をかけられたハルヴァイトが拘束された折、ミナミはウォルに呼び出され、クラバインを含む三人だけである機密契約を結んだのだ。それでハルヴァイトは無事に解放される運びになったのだが、その機密契約遂行条件のひとつが、ミナミ・アイリーの衛視団入団だった…。

 それについてミナミは何も語らなかったし、衛視になる、という事に何も感じていなかった。ただその時はハルヴァイトに戻って来て欲しかった(と…誰にも判らないのだけれど)だけで、機密契約の遂行に当たって自分の身に起こり得るだろう不都合や…世間から注がれる好奇の視線さえ、危惧する余裕はなかった。

 ミナミは、あの日の事を振り返るだけの落ち着きを取り戻した今も、それらについて何の杞憂も感じてはいない。

……たったひとつ、「その時」どうやってハルヴァイトの前から「消える」べきか、という問題を除けば…。

 お終いを、探す。二度とハルヴァイトには触れられないと思う。

 それなのにミナミは、全く正反対の行動ばかり取り続けている自分を、浅ましいと…思う。

 そんな事をぼんやりと考えながら城に着き、まず通されたのは王の執務室だった。二度目なので場所も知っていたし、いつものように気軽な格好で何か文書に目を通しているウォルに朝の挨拶をした時までは、本当に、「衛視」さえ通りを歩く無関係な一般市民と同じ、くらいにしか思っていなかった。

……だが、しかし。

「はい、これがアイリーの市民コードと衛視団のIDが入ったカード。それから、専用端末は自動で着信を衛視団からのものと僕からのものに振り分けるから、展開前に必ず相手を確認する事。制服は城の中でだけ着用。で、挨拶するとき必要だから、自分の肩書きは一字一句間違いなく憶えておけ、アイリー」

「ミナミさんの「私室」は陛下の執務室直通通路にありますので、一般衛視も入って来られません。こちらは、安心して休息が取れるようにとの陛下のご配慮ですので…」

「…待って」

 衛視の制服に着替えさせられて再度陛下の前に進み出たミナミに、ウォルが座れと命令してから指差した様々な小物。気安く陛下の隣り(しかし、きっちり人ひとり分の間を取っているが)に座り、IDカードと携帯端末、警備軍で支給されているのと同じに見えて、実は表面に透かし彫りでファイランW世の印章が刻まれた恐ろしく立派なもの、を手に取り、ミナミは…、さすがのミナミも、唖然とした。

「……王下特務衛視団準長官…って、…これ……何かおかしかねぇか?!」

 で、先の会話に…なぜか戻る。

「どこもおかしくないよ、アイリー。全ての制限を解いたIDを交付するのには、そのくらいの肩書きが必要だろう? いくらクラバインの秘書だからといって、なんでも出来るほど城の警備は甘くないからね」

 ゆったりと肘掛けに身体を預けて斜めにミナミに向いたまま、陛下は美しい面に笑みを刻んで見せた。

「憶えておけ。お前は衛視の中で、二番目に偉い」

 そこでようやく、ミナミは何かとんでもない場所に来たのではないか、と思った。

 衛視といえば、上官は陛下だけ。議会の決議も、警備軍の命令も、下手をすれば法律さえも無関係。陛下が「やれ」といえばなんでもするし、「やるな」といえば人助けさえしない。

「はっきり申し上げますと、ミナミさん。事実上、城の内部であなたに命令出来るのは、陛下とわたくしだけです。あなたの行動は一切制限される事もありませんし、どんなに偉ぶった貴族院議員があなたに不当な命令を下して来ても、聞いてやる必要はありません。衛視はみな会釈して来ます。警備軍の殆ども敬礼してくるでしょう。…ただし」

 ぽかんとするミナミに秀麗な微笑みを投げてから、クラバインは茶目っ気たっぷりにウインクした。

「緋色のマントを見た時は、その常識を捨ててください」

 王にさえ傅かない、緋色のマント。事前に聞いた話では、王城エリアでそのマントを纏った倣岸な警備兵は、全部で十三名だという。

「…でもよく考えたら、アイリーは適役かもしれないね」

 ふと、ミナミの綺麗な横顔を微笑ましく見つめていた陛下が、笑いを含んだ声で呟いた。

「なんで?」

「だって、手のかかるワガママ揃いの電脳魔導師のうちでも一番手強いのを、もう懐かせてるんだから」

 そう言って陛下は笑い、クラバインは一応笑いを堪えてくれたが、ミナミは非常に複雑な気持ちで、笑うに笑えなかった。

「…懐くって…、そんなかわいいモンじゃねぇだろ…」

「ねぇアイリー。言葉遣いにちょっとだけ気を付けてくれると、僕が王様っぽくていい感じなんだけど、どうかな?」

「…………考えとく」

 そういえば相手は陛下だった、とミナミはその時、やたら新鮮な驚きを感じた。

  

   
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