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    7.ラプソディア    
       
(4)

  

 それで一応陛下への挨拶は済んだ事になり(…とてもじゃないが、誰にも見せられない挨拶だったけれど)、ついにミナミはクラバインに連れられて「特務室」に足を踏み入れた。

「……詳細は昨日お話していた通りです。アイリー次長は室長室詰めになりますから、みなさんもそのつもりでお願いします。では、質問がなければ通常職務に戻ってください」

(…つうか、質問受付ける気なんかねぇだろ…、その切り上げ方は)

 朗らかに言いつつも、ミナミを紹介し勝手にそれを終えてしまったクラバインに、ミナミは内心思い切り突っ込んだ。ただし、さすがに上司だから、というよりも、六人いる衛視の強ばった表情の意味が判らないのと、あまり目立つなとは無理だろうから言わないけれど、出来れば大人しいイメージを保っておけ、という陛下の言いつけを守って、ミナミはこの場を始終無表情に観察するだけに留めた。

 衛視は六人。どの顔も、ドレイクやハルヴァイトと同じくらいの年齢に見える。警備軍から近衛兵団、それから取り立てられて、衛視団。というプロセスを考えれば、十二分に若いと言えるだろう。

 それがみな一様に示した反応が同じだった事を、ミナミは今更ながら思い出した。

 始めは、ドアを開けたクラバインの姿に室内が異様に緊張し、促されてミナミが入室した途端誰もがぽかんと惚けた顔を晒し、名前と階級を告げ終えたミナミが口を閉ざすのを待って、この短い挨拶の時間をクラバインが切り上げようとした時、室内は、またも息苦しいような緊張に満たされた。

「ミナミさん。室長室はこちらですので、どうぞ」

 口調は丁寧。きびきびした態度。クラバインから受けるのはやはり、「軍人」というよりも「執事」的。などと思いながらミナミが微かに顎を引いて頷き、クラバインの背中を追いかけて歩き出す。

 特務室を真っ直ぐ突っ切って、奥の室長室に入る。広さが陛下の執務室よりやや広く、入ってすぐの左手に衝立てがあって、その向こう側は見えないようになっていた。

「その衝立てを窓側から回り込んだ向こうが、全部ミナミさんの使用出来るスペースですから、自由に…」

「それ、変じゃねぇ? クラバイン…室長」

「? 何がでしょう?」

「だから、室長が俺を「ミナミさん」て呼ぶのって、変じゃねぇの?」

 不思議そうな顔で立ち止まったクラバインを追い越したミナミが、ブロンズ色の窓ガラスを背にして、衝立ての向こうを覗き込む。そこに置かれていたのは、木製の大きな机、サイドテーブル、肘掛け付きの立派な椅子、それから…見た事もないような外部装置をこれでもかと取り付けられた、一台の通常端末。

「今はそう思われても、すぐにみなその理由に思い当たりますから、気にしなくて結構ですよ」

「………………なんか…すっげー憂鬱な気分になって来た…」

 わざとのように端末のワイドモニターに片手を置いたミナミが、がっくりとうなだれて見せる。

 陛下の私室を出る間際、御方は笑顔でこうおっしゃられた…。

             

「これは、“ウォル”としてアイリーに忠告。多分お前が思ってるより、ガリューやドレイクは…怖がられてるからね」

              

 思わず苦笑いを零したクラバインが、仕方なさそうに小首を傾げ、お茶でも煎れましょうか? とミナミに訊ねる。

「……いいよ、俺やるから。つうか、やるべき」

 盛大に毛先の跳ね上がった金髪をがしがし掻きながら、ミナミが室長室から出て行こうとする背中に「コーヒーにして下さい」と笑いを含んだ声が掛かって、ミナミは黙って軽く右手を上げ…てから、考え直して振り返り、「判りました」と会釈して答えドアを閉じた。

 と、閉じかけたドアの隙間から、クラバインの吹き出す声が聞こえる。

(いや、俺だって笑いてぇし…)

 ドアを背に、思わずふうっと短い溜め息を吐いたミナミが顔を上げると、何をしていたのか、それぞれ机に貼り付いてミナミを窺っていた衛視たちが、慌てて視線を机上に戻す。

「アイリー次長、何か?」

 なんだ? これ…。と訝しげながらも、ミナミはドアから離れようとした。

 その中から、一番室長室に近い机に座っていたひとりが愛想の欠片もない声で言いながら立ち上がり、ミナミに向き直った。

 ヒュー・スレイサー。王下特務室警護班班長。特務室詰めになって三年の、最古参。ハルヴァイト並に背が高く、金属音のしそうな長い銀髪とサファイア色の双眸が印象的な、かなりの二枚目。

 これで例えばハルヴァイトだとがドレイクだとか、その他もろもろに囲まれていなければ確実に見とれそうな男前だったが、ミナミは彼について「派手な顔立ちのひと」としか思わなかった。一応事前に衛視たちの事を大まかでも構わないから憶えておいて欲しい、とクラバインのよこした資料によれば、かなり…キツイひとらしい事が書いてあったが。

 それさえ、ミナミは気にしない。別にここで地位を確立したい訳でもなんでもないのだから、他の衛視にどう思われようと問題ないのだし。

「…室長にお茶を。とりあえず、俺にはその程度しか出来ねぇし」

 言って、勝手にすたすたとコーヒーメーカーの置かれたブースに入って行こうとするミナミを、なぜかヒューが追いかけて来る。特務室の片隅を衝立てで区切っただけの場所だから案内される必要もなかったし、当たり前のコーヒーメーカーにカップが置かれているのを見れば、ミナミにだって何をすればいいのかくらい判る。

 その証拠に、ヒューはブースを区切る衝立てに軽く肘を突いてミナミの背中を見下ろしたまま、別に口を開こうとはしない。

 じゃぁなぜ付いて来たのか? とミナミが、無表情にヒューを振り返った。

「…………俺に、なんか用?」

 言葉遣いに気を付けろ、と陛下に言われたのを忘れた訳ではないが、ミナミがいつも通りのぶっきらぼうさで言いながらヒューの青い眼を見つめ返した途端、ヒュー・スレイサーがぎくりと背筋を凍らせた。

 まるで、晒せない内情まで見透かされそうな、深いダークブルーの瞳。あまりにも整った顔立ちに瞬きの少ない双眸と、微かに笑むような唇。クラバインに伴なわれて入って来た時はただ綺麗なだけの青年かと思ったが、その実これはとんでもない「何か」を隠した手強い相手だったのだろうか、とヒューはミナミを見つめ返した。

「? スレイサーさん?」

 小首を傾げたミナミが、先より笑いの濃くなった薄い唇で呟く。

「失礼ですが、ひとつだけお尋ねしてもよろしいですか?」

 すぐに気を取り直して堅い笑みをミナミに向ける、ヒュー。それに頷いて答え、ミナミは手に持っていたカップを置いて彼に向き直った。

「アイリー次長は、フェロウ室長とどのようなご関係で?」

 大真面目な問い掛けに、ミナミが無表情に唖然とする。

「それって、衛視団の士気に関わんの? もしかして…」

「いいえ。俺個人として、クラバインとの…友情には関わるかもしれませんが」

(……………レジーナ・イエイガーか…)

 クラバインの元に三年、といえば、ハルヴァイトの話してくれたレジーナ更迭の一件を特務室の中で実際に体験した数少ない衛視のひとりという事になる。秘密だらけの陛下を護り通すために、少しでも不都合があると判断された衛視は片っ端から降格する、という最も嫌われるだろう役目を平然とこなすクラバインに三年も付き合っているというからには、余程優秀なのか、余程やる気がないのか、とちょっと思っていたのだが、答えは…。

(涼しい顔したミラキ卿ってトコ?)

 ミナミは思わず、小さく吹き出してしまった。

 それに、ヒューがあからさまに不快そうな顔を見せる。

「悪ぃ…。俺、そういう風に見えんの? それとも、今まで空席だった室長の秘書席、前任がつまりクラバインさん…の「恋人」だったから、後任の俺もそう思われた?」

 少し意地悪く問い掛けたミナミに、ヒューは軽く頭を下げた。

「失礼ながら、後者です」

 正直者だ、とミナミはヒューを分析する。

「室長とは、元々あるひと経由で知り合っただけ。……ちょっと事情があって普通の仕事に就けない俺を、大変だろうからって拾ってくれた。俺さ」

 ミナミはコーヒーメーカーの置かれているテーブルに寄りかかり、俯いて微かに笑った。

 ヒューがそれに、はっとする。

 目を奪われるような、儚い微笑み…。

「心因性の極度接触恐怖症ってので、人ごみとか、とにかく大勢人の居る所、歩けねぇの。普通に暮らしてて、誰かとぶつかったり、転びそうになって手ぇ差し伸べて貰ったり、そういうのも全然ダメ」

 自嘲の笑み、ではない。ヒューから見たら、まるでミナミはそれを喜んでいるかのような、そんな…複雑な微笑みだった。

「でさ、室長秘書なら大丈夫だって言われて、いつまでも誰かの世話になりっぱなしでもいられねぇから、とりあえずバイト。そんな感じ。…納得してくれなくてもいいけど、俺と室長の関係疑うの、やめた方が身のためだと思うよ」

「? それは、どういう意味でしょうか」

「……俺のホントの恋人って、かなり…恐いひとらしいから」

 言ってミナミは顔を上げ、なぜか、ふわりと笑った。

  

   
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