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    8.noise    
       
(9)

  

 突然前方で火柱のような真紅の光が立ち上がり、中規模通りを広場に向かっていたフローターが急ブレーキをかけた。

「何が…!」

 ハンドルを握っていたヒューが慌てて後部座席を振り返ろうとした時には既に、それまで死人のような青白い顔でぐったりしていたはずのハルヴァイトが、フローターから地面に降りている。

「デリ、ジャマーの装備は?」

「…いや、今日はしてねぇんですがね」

「ではライフルでいいです。デリはわたしと一緒に来てください。詳細は実物を見ないと判りませんが、向こうで魔導機が顕現したはずですから、スレイサー衛視と…ミナミは、ここに残って」

 そう言いながら歩き出したハルヴァイトを追いかけるように、ミナミはフローターから飛び降りた。

「なんでそんなモン出てんだよ」

「…こんな説明は今更なんですが、最初からあの「クラッカー」はおかしかったんですよ。普通「noise」の発生源となる対象は、あまり大きく、早く移動しないものなんです。殆ど意識もなく夢遊病者みたいにふらつくか、移動しないか、どちらか…。それなのにあの「クラッカー」は意図的に隠れたり速度を早めたりそういう行動を取り続けていましたから、もしかしたら、違法に訓練された「無許可魔導師」である可能性があったんです」

「そんなの聞いてねぇ」

 睨んでくるミナミに肩を竦めて見せたハルヴァイトが、「言ってませんでしたから」と素っ気無く答える。

「大隊長は「悪意だ」と言いましたし、わたしもそう思いました。相手が違法魔導師だとするとそれは電脳魔導師隊の管轄ですので、衛視団に報告する義務はありません」

 見えない、緋色のマント…。

「待て。お前…それは随分ひどい言い方なんじゃないのか?」

 こちらもハルヴァイトを無視してフローターから飛び降りたヒューが臨戦態勢で言ったのに、ハルヴァイトは足を止めなかった。

「何がです」

「ミナミはお前の…」

「ヒュー」

 言いかけたヒューのセリフを制するように、ミナミが鋭く割って入る。

「もういい」

 広場を目指して停滞なく進むハルヴァイトの背中に据えられた、ダークブルーの瞳。それをちらりと窺ったデリラが、ハルヴァイトにも、ミナミにも、ヒューにさえ気付かれないように微かな溜め息を漏らす。

 そうかもしれない。と思う。もしもハルヴァイトが命を落したら、ミナミは泣かないのかもしれない。

 泣かない。でも、違う。哀しくないのではない。そういうものさえ理解出来なくなるのだ、きっと。泣くとか泣かないとかいう判り易い感情表現を、ミナミは…知らないように見えた。

 デリラが思い出したのは、肋骨と腰骨の骨折、一時的な加重による内蔵の機能障害でベッドに縛り付けられていた数ヶ月。それで生きているのだから相当しぶとい、と王下医療院の医師はその場を和ませるように笑ったが、ハルヴァイトとドレイクを脅してようやくそこに辿り着いたスーシェは、今のミナミのように、あまりにも暗く冷たく…呆然と…、身動き取れないデリラを見つめていた筈だ。

 今訊いても、スーシェは首を横に振って言う。

         

「何がどうなっているのか、本当に理解出来ていなかった」

         

「大将」

「なんですか?」

 広場の入り口が見え始め、その上空で渦巻く荷電粒子が視界に入って来たところで、デリラはハルヴァイトに並んでこう呟いた。

「こうなったら最後まで付き合いますがね、おれがミナミさんに「怨まれる」ように、相手ぶっ倒れるまでは自分の足で立っててくださいよ」

「怨むでしょうか」

 緊張感の欠片もなく笑うハルヴァイトの横顔に濃茶色の瞳だけを向けたデリラが、大仰に肩を竦める。

「好きでも嫌いでもない、お前なんかどうでもいい。って顔されるよりゃぁ、大将を止めなかった無責任さを咎められてぇって…そういう事なんですけどね、おれの場合」

「…………そうだとい…」

「愛されんのもその程度にしといた方がいいっスよ」

「………………………」

 さらりと恐ろしい事を言われて、思わずハルヴァイトが立ち停まった。

 デリラが言うと…ちょっと怖いのだ、この手の話は。

 基本的に勘の鋭い方だし、スラムから一般警備兵を経て電脳魔導師隊に編成された流れも少々普通とは変わっているし、第一、あの…あの! と付け加えるが、外見だけなら攻撃系魔導師には到底見えないスーシェが実は怒るととんでもなく恐ろしいというのを証明して見せ、警備軍の七不思議(は言い過ぎか?)にまで数えられるほどそのスーシェに溺愛されているデリラなのだ。

 そしてなぜか、デリラというのは昔から巻き込まれ型災害(……)に事欠かないタイプらしく、ドレイクのようにお節介を働いて巻き込まれるなら諦めもつくが、何もしないのに騒ぎの中心が勝手にやって来るそうで、人生にタイクツする暇がない。

 そのデリラが、巻き込まないでくれ。という。

 しかも、原因は…。

「………………………気のせいでしょう」

 そう言ってハルヴァイトは、引きつった笑いを浮べたままミナミを…恐ろしくて振り返れなかった。

「だったらいいっスね」

「そこは…否定するところじゃないんですか?」

「出来りゃやってますって。おれぁ意外に正直モンなんですがね」

「そういう見え透いた嘘を平然と言うな!」

 通り過ぎて、ついに背中に指を突き付けられ、デリラがハルヴァイトを振り返る。

「嘘かどうかは、おれや大将の決める事じゃねぇんじゃねぇスか。ねぇ、ミナミさん」

 で、ハルヴァイトがぎくりと全身を強ばらせ、寄って来たミナミに眼だけを向けた。

「? 何?」

 小首を傾げる、綺麗な恋人。

 綺麗な……。

「あああああああああああああああああ。なんでもないです!」

「…つうか、アンタら最初から最後まで緊張感ねぇままなのか?」

「いや。おれはそれなりっスけどね、俄に大将は緊張しまくったと思いますよ」

「デリ!」

「はいはい」などと含み笑いで肩を竦めたデリラが、広場の入り口から転がり出てきた警備兵たちに視線を流して、微かに目を細めた。

「ガリュー!」

「…怒鳴るな、ギイル。実はまだ頭痛が…」

 最早何が原因の頭痛なのか、定かでないが。

「バカでかい、真っ赤な「蛇」が出たぞ! てめー、知ってやがったのか!?」

「蛇ですか? なんでしょうね、それ。何か出るとは思ってましたが」

「………蛇じゃないだろう…あれは」

 ハルヴァイトの元に駆け込んで来たギイルが青い顔で悲鳴を上げ、しかしハルヴァイトは平然とそれを受け流したが、ひとり後方に佇んで広場を見遣っていたヒューがそう…ぼんやりと呟いて、全員の視線が前方に集中する。

 広場上空で旋回する、真紅の炎(?)を纏った蛇のような魔導機。

「ほう、これはこれは…。頭痛を抱えてコレの相手をするのかと思うと、今にも倒れそうな気分です」

「ドラゴン系の亜種つうんですかね、これ」

「蛇じゃねぇのか」

「……………階級は?」

 暢気にその魔導機を眺めるハルヴァイト、デリラ、ギイルの背中に、ヒューが、もしかしたら非常に都合の悪い質問を浴びせた。

「ヴリトラの次くらいじゃないですか? あれの呼称は「サラマンドラ」です」

 言って小さく失笑したハルヴァイトを、ミナミの双眸が見つめる。

「アンタの…感想は? 「ディアボロ」の…か」

 囁くようなミナミの問い掛けに、ハルヴァイトがゆっくり冷たく笑った。

「面白くなりそうだ」

  

   
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