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    8.noise    
       
(11)

  

 意味不明の言葉を喚きながらバイザーを掻き毟る少年を胡乱に見つめたまま、ミナミは思う。

 我侭。ただの…。

 目の前で苦しんでいる少年はあからさまに被害者に見えた。好き好んで「noise」の発生源になったのでもなければ、望んで「サラマンドラ」を暴れさせている訳ではないのだから。

 少年の言葉がようやく理解出来る位置まで近付いて、それでミナミの気が変わったか、と言われても、答えはnoだ。複雑な方程式に置き換えた今の感情を言い訳に思い浮べる事は出来たかもしれないが、ミナミは徐々に近寄って来る、不揃いで今にも停まりそうな電脳陣から目を離さずに至って簡単な、つまり、一足す一は二。程度の答えで、ない迷いに決着を付ける。

「君は被害者だ。でも俺は、あのひとに死んで欲しくない」

 見えているのだろうが今まで気付かなかったのか、少年はミナミの冷たい声を耳にして、ようやくそこに誰かいるのだと知り、一瞬ぎくりと全身を震わせた。

「あ…あああああ……ああああああああああああ!」

 立体陣に護られて座り込んだ少年が、剥がれ掛けの爪で血の筋を頬に描きながら、ミナミを見つめて悲鳴を上げる。しかしそれにも少しの動揺さえ見せず、ミナミは少年に銃口を向けた。

「あれを止めろ」

「や…だ……。知らな…い。知らない…。あんなの…知らない!」

 意識ははっきりしているらしい少年が涙声で言い返した刹那、上空で殊更大きな熱風を巻き上げながら、「サラマンドラ」が暴れた。

 火龍が、悶える。苛立つように。それを離れた位置で見つめる「ディアボロ」…。

 ミナミは、そうか。と判った。閃いた。

「落ち着け。何もしなくていいんだから…。あれは、判ってやるだけでいいんだ」

「やだよ! 知らない…、あんなの……、おれ知らない! ただこの機械着けて一日我慢したら勝手に外れるから、そしたらどこにでも行っていいよって言われただけなんだ! おれ、自由になりたかっただけなんだ! …あんな……」

 ひくっ、と手足を丸めてしゃくり上げつつ必死にバイザーを掻き毟る少年が、銃口を向けたままのミナミを見上げて、声の限りに叫ぶ。

「あんなバケモノなんか知らないっ!!!」

 血を吐くように。

 喉が張り裂ける程。

 拒否と恐怖と恐慌で。

 徹底的に完膚なきまで救いようのない三行半を、「サラマンドラ」に叩き付ける。

「知らないんだっ! おれとは関係ないんだっ!」

「…………あれは…お前を助けてくれようとしたのに?」

 呟いて、ミナミは背後を振り返った。

 その視界を鋼色の翼が覆う。わずか数メートルという距離、怒り狂った「サラマンドラ」がミナミを(多分)狙って振り下ろした尾の一撃を、咄嗟に脇から滑り込んで来た「ディアボロ」が全身で受け止めたのだ。

 堅い衝撃音が広場に響渡るのを、ミナミは蒼くなって凝視した。

 三メートル弱の「ディアボロ」では、魔法の補助なくしてあの「サラマンドラ」の打撃を停める事は出来ない。それでもそこまで頭が回らなかったのか、間に合わないと最初から無視したものか、悪魔は真上から振り下された尾を肩から体当たりする事で横に叩き払い、反動で地面に叩き付けられて転がったのだ。

「……………!」

 咄嗟に視線を佇むハルヴァイトに流し、ミナミが声にならない叫びを上げる。

 特に変わった所はない。…一瞬、ぎくりと全身を硬直させ、ゆっくり億劫そうに持ち上げた手で口元を覆った以外は。

        

 開門式で直結している間は、あまり直接的な打撃を出すのも受けるのも得策ではないですね。受ければ当然「衝撃」がありますし、出しても「反動」みたいな、物理的なダメージが…ちょっとは自分に来ますから。

          

「……知らない? 嘘言うなって。ずっと一緒に居たろ? ここに来て、あの赤いのが出て来てから、あれはずっとお前を護ってたろ? だから、あいつは「ディアボロ」が出てもすぐに攻撃して来なかったんだよ…。そうなんだよ。お前を助けてくれるなら相手が悪魔でもなんでもいいんだよ、あいつは。「ディアボロ」があいつを攻撃しようとしたから、一度臨界に戻ったらもうお前を護ってやれないから、だからあいつは抵抗してるだけなんだよ。なのにどうして、お前はあいつを知らないとか、そういう風に言えるんだ」

「ディアボロ」は、いつからそれに気付いていたのだろうか…。

 拒絶されても尚、「サラマンドラ」は少年を護ろうとした。臨界というデータの海で孤独に存在する「AI」は、それに接触を許された魔導師しか「知らない」のだ。世界の出入り口こそ彼ら電脳魔導師であり、それに認めて貰えなかったとしても、魔導機たちは永劫臨界に存在し続けなければならない。

 まるで、誰かと誰かのように。データの海で世界の中心を探していた誰かと、気高く強く、しかし、ひとりでは脆すぎる…誰か。

 立ちはだかる「ディアボロ」を跳ね除けた「サラマンドラ」が、巨大なアギトを開いて上空からミナミに襲い掛かる。その間近、八十センチばかりの立体陣に護られただけの少年は、恐怖に顔を引き攣らせ、声にならない悲鳴を食いしばった歯の隙間から絞り出して、がたがた震えていた。

 再度地面に叩き付けられた「ディアボロ」が、それでも果敢に跳ね起きたのを視界の隅に収めたまま、ミナミは「サラマンドラ」を睨み、いいや…、あの静謐な観察者の瞳で見据え、きっぱりと言い放った。

「停まれ、動くな。それ以上近付くなら、俺は迷わずこいつを撃つ」

 このミナミの行動は、尋常な判断だとは思えなかった。それまでなんとか飛び出すのを思いとどまっていたデリラが舌打ちし、咄嗟にライフルを捨ててミナミに向けて駆け出そうとしたのを、ヒューが、呆気に取られた呟きだけで停める。

「………………魔導機に脅迫が利くとは知らなかったな」

「同感スね。…まぁ、もしかしたら、ミナミさんだから…かもしんねぇですけど」

 そう。「サラマンドラ」はミナミまであと一メートルほどのところで、広げたアギトから「ふしゅー」と奇妙な空気音をさせつつも、ぴたりと停止したのだ。

 異様な光景だった。

 立体陣に護られて地面に座り込んだ少年と、少年に銃口を向けたまま赤い火龍を見つめるミナミと、ミナミの頭上で牙を剥き今にもその頭を呑み込みそうな火龍と、火龍の背に爪を立てて取り付き……………。

 右手に纏った漆黒の文字列の集合体を、今まさに「サラマンドラ」の身体に叩き付けようか、という……………悪魔。

 最初に動いたのは、「ディアボロ」だった。

 右手に纏いつかせていた黒い炎を消してから軽い動作で「サラマンドラ」の背を蹴り、空中でプラズマ翼を展開して身を翻す。髑髏なだけに見事なまでの無表情を貫き通す悪魔はしかし、そこが定位置であるらしいハルヴァイトの背後にちょこんと居座ると、不意に、背から伸びていた「ケーブル」を切り離した。

 バシッ。と発条の弾けるような音と共に「ディアボロ」から解除されたケーブルがハルヴァイトの背中に消え、消えると同時に、通常の立体陣が勝手に復旧する。

 それでなんとなくホッと胸を撫で下ろしたミナミが、勢い、なのか、いつもそうだから、なのか、無意識に「サラマンドラ」に…注意した。

「つうか、お前デカイし邪魔」

…というか突っ込んだ。

 それで周囲の兵士は唖然とし、震える少年もぽかんとし、突っ込まれた「サラマンドラ」はすごすごと巨体をくねらせて広場の傍らに退去した。

「……そう言やぁミナミさん、最初に「ディアボロ」見た時もそういう…面白い行動取りましたっけね…」

「そうだっけ?」とどうでもいいような口調でデリラに答えたミナミが、やっと銃口を下げて少年を振り返る。

「…バイザーって、自分で外せんの?」

「ううん…」

「デリさんは? どうにか出来る?」

「…おれよか、大将の方がいいと思うんスけどね」

「………防電車…て、付いて来てるんだっけ? ヒュー」

「近くまで来てる…とは思うが、経路図をさっきどこかの誰かが蹴飛ばしてしまって、場所が確認出来ない」

「そりゃ、随分ひどいやつが居たモンだ」

 言ってミナミは肩を竦め、ヒューに防電車を広場まで呼ぶように頼んだ。

 それでついに、見ないようにしていたそのひとに、向き直る。

 全て待機状態なのか、いつもより数段ゆっくりした回転の立体陣の中に佇む、そのひと。傲岸不遜に腕を組み顎を上げて、世の中全てを睥睨し、捉え所のない笑みを浮べたひと。

 のはずだったのに。

 ハルヴァイトは、完全に俯いていた。ミナミのストールを巻き付けた片腕を垂らし、もう一方の手で顔を覆い、やっと立っているように見える。

「…………まだ、なんとかなりそう?」

 そのハルヴァイトの正面に立ったミナミが微かに震える声で問い掛けると、ようやくハルヴァイトが顔を上げた。

「なんとかします」

「……」

 無理なら無理って言えばいいのに。とミナミは思う。

 無視じゃなくても、無理って…言えばいいのに。と…。

「あのコのあれ…赤いヤツって、帰せんの? アンタで」

「時間はかかりますよ。本来、そういう作業はわたしでなく、ドレイクやエスト卿の得意分野ですからね」

 言い終えた途端、ハルヴァイトを囲む文字列が回転し始める。それで何をしているのかは判らなかったが、今まで待機させられていた幾つかのプログラムが終了し、代って、四つばかり新しいモニターが立ち上がった。

 ステルスしない、外部からも裏返しの命令文が丸見えのモニター。ハルヴァイト方向にラウンドしたその中で文字列は下から上に流れ去り、質問なのだろうか? 度々出る「?」を見るたび、ハルヴァイトは機械的に「キャンセル」と呟き続けた。

 いつまで続くのだろう。

 どれくらいか経過して、未だ何かを探っているらしいハルヴァイトの青白い顔を見つめたまま、ミナミはぎゅっと唇を噛んだ。

 ついに、ハルヴァイトが陣の中で膝を折る。それに思わず手を伸ばしかけて、ミナミは…当の恋人に睨まれた。

「…腕が吹っ飛びますよ。陣に、入らないでください」

 頬に張り付いた鋼色の髪を面倒そうに掻き上げてから地面に突いた膝に手を置き、俯くハルヴァイト。その顎の先、鼻の先からぽつぽつと滴り落ちる汗は、汗というより、水か何かを頭から浴びせ掛けられたかのように現実味がなかった。

 ハルヴァイトの、閉じた瞼が小刻みに震える。徐々に眉間に刻まれていく縦皺と膝の上で握り締められた両の拳から視線を逸らさずに、ミナミは…その場を動こうとしなかった。

 それしか出来ないのなら。

 それで…いいのなら。

 次々とハルヴァイトを囲むモニターが崩壊する中、ミナミはふと背後にしゃがみ込んだままの「ディアボロ」に視線を移した。この悪魔を顕現させたままでいるのは相当辛い筈なのに、なぜ、ハルヴァイトは「ディアボロ」を臨界に戻さないのか…。

 理由は簡単だった。万一またあの「サラマンドラ」が動き出したりしたら、ミナミを護らなければならない。それだけ。

「……………………あー。苛々する…」

 漏れた呟き。

 ミナミは、ハルヴァイトに視線を戻した。

「わたしはこういう…、細かい作業向きじゃないですね、本当に…」

 一向に進まないのだろう解析? なのか検索? なのかに苛立ったハルヴァイトがぶつぶつ文句を言い始めると、広場の上空で荷電粒子の火花が散り、デリラとヒュー、いつの間にか近寄って来ていたギイルに囲まれた少年が、びくりと全身を震わせた。

「………………」

 眺める細かい火花が広場上空から消えない事で何を危惧したものか、デリラが難しい顔でハルヴァイトの横顔を睨む。しかし彼はすぐに短い吐息を漏らし、それから、ふと安堵の溜め息を吐いた。

「つうか…遅いっスよ…………ダンナ」

 言いつつ少年の側を離れたデリラが広場の入り口に停まった黒いフローターに駆け寄ると、中から、リインに支えられたドレイクが、こちらも蒼い顔ながら、「お待たせ」といつもより少々覇気ない声で呟き、薄く笑う。

「反響がすげぇな、ここ…。「noise」の発生源にハルまで居るとなりゃぁ、当然か」

 溜め息交じりに言い置いたドレイクが眉を寄せると、微かな苦笑だけでそれに答えたハルヴァイトが、起動させていたプログラムに終了命令を出し、なんとか…立ち上がった。

「全員広場から出ろ。ハルも「ディアボロ」帰してけ、場所に余裕ねぇ。こっから先は、俺様の管轄だからな」

「…そんな状態で大丈夫なんですか? ドレイク」

「つうかよ、ハル…」

「それ、アンタが言うな」

 鬱陶しそうに顔の前で手を振ったドレイクより先にミナミが突っ込むと、言いたい事を横取りされたドレイクが苦笑いで頷く。

「おめーが今から心配すんのは俺の事じゃなくて、御機嫌ななめのミナミをなだめ透かす手だろーよ」

 さっさとどっか行け、と手で示されて、ギイルとヒューが慌てて周囲の警備兵を広場から退去させ、その間に、ハルヴァイトが陣を消す。

「ディアボロ」は、背面に浮いた接触陣らしい複雑な紋様の電脳陣に背中から飛び込み、無表情に臨界へ帰って行った。

 最後に、ミナミを見つめて…。

「おい、そこのボウズ。今そっから出してやるから、黙って俺の言う事利け」

 陣を消したハルヴァイトがふらりと倒れかけたのを、滑り込んで来たヒューが支える。

「外部ファイルの接続端子数ってのは、判るか?」

 ドレイクの質問に、少年は首を横に振った。

「じゃぁ、そのバイザー作る時によ、何か数字訊かれなかったか?」

「あ…それなら………。六十四って、…」

「六十四か、通常だな。じゃぁ、そう手間取らない事を祈るか…。って事でよ、ハル、おめーちょっと「煩ぇ」から、倒れていいぞ」

「煩い? って…何?」

 ヒューに支えられたハルヴァイトから、広場の中央辺りに座り込んだドレイクに視線を移したミナミが問い掛ける。

「んー。あのボウズとハルのよ、洩れてる雑音みてぇのがぶつかって共鳴してんだよ、ここで。で、どっちかを切りゃ幾らかマシなんだが、ボウズにゃぁ死んでも気ぃ失って貰う訳にゃ行かねぇ、となれば、ハルの方で切るって寸法か」

 何の事だかさっぱりだ。とミナミとヒューが首を傾げあう。

「スレイサー衛視。俺が許す。そいつ殴って、すぐに医務室担ぎ込め」

「……あぁ、それは手っ取り早くていい考え…ですね」

 言うなり、ハルヴァイトはヒューを突き飛ばして一歩間合いを取り、身体に引きつけた左の拳を、水平にヒューの鳩尾目掛けて繰り出した。

 それに思わず身体が反応するあたり、さすが警護班と言うべきか。何を考える暇もなくハルヴァイトの懐に背中からすり足で半歩踏み込んだヒューが、沈めた肩でハルヴァイトの胸を押えて、突き出された左拳を跳ね上げた右手で斜め上空に受け流し、それと同時に、手加減を「忘れた」左の肘打ちをハルヴァイトの鳩尾に叩き込んだ。

 で。

 重心が不安定に高いままだったハルヴァイトの身体が、あっさりと背後に引っくり返っる。

「つうか! 手加減しとけ、ヒューも!」

 アイリー次長…ミナミさんとしてマジ切れ寸前。

「…いくら弱ってるつってもですね、大将を一発で落したのはスレイサー衛視が始めてじゃないスかね」

 いつの間にかハルヴァイトの後ろに回っていたデリラが、ぐったり凭れ込んで来た上官を抱き留め、苦笑いで肩を竦める。

「感心してんな! そこ!」

 ミナミさん…非常に珍しく、感情も露?

「ていうか、アンタもアンタだ!」

 勢い、気を失った恋人にも八つ当たり。

「アイリー次長のお怒りは後程とっくりと聞く事にして、こっちもさっさとやっちまうか」

 ぶつぶつ言いながらひとりで広場を出て行こうとするミナミの背中を見送って、ドレイクが…ふーっと溜め息を吐いた。

「ま、そんなモン聴けんのは、明日以降だと思うけどな…」

  

   
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