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    8.noise    
       
(12)

  

 ドレイクは少年に言った。

「いいか? ボウズ。お前がどこで誰に何を教わって、こんな騒ぎを起こしたのかは、俺にゃ関係ねぇ。けど、お前は今からそれを問い詰められるだろう…、ま、つまり尋問だな。尋問は物凄くいやーな事だ。誰も彼もがお前を悪者扱いする。幾ら本当の事を洗いざらい言っても、嘘を吐いてると思われる。誰も信用出来なくなる。本当に、辛くなる。ただし、それが終わればお前は晴れて「電脳魔導師」として王都警備軍に採用されるだろう。それだけは間違いねぇ。何せ、ここに居た兵士も衛視も、何より、魔導師の俺たちが、お前がここで何したのかこの眼で見たんだからな」

 震えながらも、少年が頷く。

「俺の名前はドレイク・ミラキ。で、さっきのおっかねー鉄色のが、ハルヴァイト・ガリュー。…お前の名前は?」

「イルシュ…」

 か弱く答えたイルシュ少年に、ドレイクは笑いかけた。地べたに座り込んで、距離は離れているもののイルシュと同じ眼の高さになったドレイクは、まるで少年のような顔で微笑み、頷く。

「イルシュ。死んだら何もねぇ。辛い事も哀しい事も苦しい事もな。…生きてりゃぁよ、そういう煩わしい事もあるんだろうが、つうか、そういうモンの方が多いかもしんねぇが、百に一つは…………生きててよかったって事もある。判るか?」

 人工樹木も薙ぎ倒されてだだっ広くなってしまった広場に、ドレイクの声だけが降り下りる。

「それがよ、本当に百に一つなのかってぇと、そりゃ、お前が今から決めりゃいいんだよ。どれをどう感じるかは、今からお前が自分で決めていいんだ。そのためにお前は自分でその囲いから出なくちゃなんねぇが、今はまだそれが出来ねぇ。だから、お節介な俺が今回だけお前に手を貸してやる。さてここで確認だ、イルシュ。あるかねぇか判らねぇ「よかった」に賭けて生き残るか? それとも、全部なかった事にして死んどくか?」

 決断を下せ。とドレイクは、あの灰色の瞳で真っ直ぐにイリルシュを見つめる。

 大人も子供もない。生きるか死ぬかは、自分で決めるものだ。

 魔導師ならば。

「今からお前はいろんな物を見るだろう。でも生きていたいと思うなら絶対に意識を失わず、流されず、「サラマンドラ」を信じてやれ」

「サラマンドラ」は、ミナミに退去させられてからずっと、広場の片隅に長い胴を伸ばし、短い手足を縮めて座り込んでいた。

 イルシュがそれを、バイザーの中からちらりと窺う。

「でも…おれは……」

「大丈夫だ、イルシュ。「サラマンドラ」はお前を裏切らねぇ。絶対にな。だからそいつが、お前に大切な方法を教えてくれる」

……………十四歳までその存在を知られなかったハルヴァイトに、「ディアボロ」が自ら臨界という異次元との付き合い方を教えたように…。

 魔導機たちは、ただ付き従うものではないのだ。信じてさえやれば。

「覚悟決めろ、イルシュ」

 ドレイクの呟きを合図に、「サラマンドラ」が…ふわりと空中に舞い上がる。

「…お前の相棒は、やる気満々だぜ?」

 そう言って、ドレイクは少年ににっと笑って見せた。

         

         

 地べたに座り込んだドレイクを中心に、直径五メートルはあるだろう巨大な電脳陣がゆっくりと描き出されていく。それからやや遅れてこんどは、頭上にも同様の陣が描かれ、結果、ドレイクは二つの陣に挟まれた状態になった。

 大きさは同じ。どちらもまだ、回転していない。

 巨大な陣を待機させたまま、今度は自分の周囲に幾つも小さなモニターを立ち上がらせる。本当に小さな物から適当に大きな物まで十数個にも及ぶそれが、次々表示されてはエンターを了承して消え、また新しいものが表示された。

 徐々に、モニターの文字列速度が上がっていく。

 それに連れて表示と消滅の速度も上がり、いつの間にか、ただ立ち上がっては消えるだけで、文字が表示されている事すら見て取れなくなった。

 俯いたドレイクの額に、汗が浮かぶ。

 モニターがただの点滅になり、それが今度は圧縮された光の帯になり、縦長になるように回転する物と、そのまま組み替えて移動させられる物が忙しく運動して、ドレイクを中心にした環を造り上げ、くるくると回転する。

 その、淡い光のバーコードは四本。内から外への伸縮を繰り返しながら、四本のそれが別々の速度で回り続けた。

 そのままで、どれくらいの時間が経ったのか。

 既に天蓋の向こうは赤く染まり始めている。朝から始った「noise」騒ぎもようやく最終段階に入っているが、この最終段階…つまりイルシュを無事立体陣から救い出すのにどれくらいの時間がかかるのかは、まだ判らない。

 一瞬、イルシュの頭部がぐらりと揺れる。

 それにはっとしたドレイクが顔を上げ少年を見遣ると、イルシュは地面に手を突いて荒く息を吐きながら必死になって唇を噛んでいた。

 少年は、もう随分長い時間臨界に接触したままなのだ。当然疲れ果てる。しかも今は、ドレイクが外部ファイルの接続端子から勝手に内部プログラムを引っ掻き回し、必要な関数を片っ端から検索している状態なのだ。

 自分の脳で他人が勝手に考え事をし手足を動かそうとしている。と思えば早いだろうか? 思うだけでどういう感覚なのかは、さっぱり判らないが。

 暫しして。イルシュがバイザーを握り拳で叩きながら唸り声を発し始めた頃、ドレイクがゆっくりと口の端を持ち上げにやりと笑った。

「………みっけ」

 刹那、四本のバーコードがドレイクの身体に触れそうな程縮み、すぐに広がって爆散。その光の粒子は消える事無く流れ、二つに分かれ上下で待機していた電脳陣に取り付いた。

 ふたつの電脳陣が、ゆっくりと回転を始める。それは徐々に速度を増し、いつしかばらばらだった動きが同調して、同じ速度での回転が安定した瞬間、殆ど動きを停めていたイルシュの立体陣が活動を再開。数回転し内部に光が走ったのを確認してから、ドレイクは本格的な「ハッキング」行動に出た。

 割り込み、解除。本来なら本人しか知り得ない暗号(パスワード)を読み取るために、片っ端から連想される文字列を書き込んではエンターしまくり、施されている防衛線を第四十二ラインまで一気に解体。それと同時進行でイルシュの「電脳」内に仮想脳を組み入れ、侵蝕して来そうな「感情」に適当な数値を振り分けて詰め込む。

「…もうちょっとだからがんばれよ。「サラマンドラ」はお前に協力的だ。何せここまで「AI」コアに接近されても、内部防御して来ねぇ」

 防衛ラインの突き崩しが四十八で一旦停まる。さすがにここまで来ると黙っていてはくれないらしく、イルシュの臨界脳が微かな抵抗を始めたのだ。

 しかし。防衛本能を監視する「臨界システム・ブレーン」が救済信号をキャンセル。孤軍奮戦になったイルシュの脳は、あっさりとドレイクの前に膝を折った。

「さすがはエスト卿…。意識なくても心得てらっしゃいますね」

 攻撃本能側に元より心配はなかったが、防衛本能側はこの異常事態を知らない。だとしたら無意識にイルシュ側に付かれてしまうと厄介だ、と内心嘆息していたドレイクがこれで一気に勢い付いた。

 最終防衛ラインを突破。剥き出しの「AI」コアに臨時アクセスパスで強制接触した瞬間、弱々しい悲鳴を上げてバイザーに爪を立てたイルシュが、ふらふらと立ち上がって立体陣から踏み出そうとする。

 逃げ出そうとする。

 文字列の乱舞が始まったから。

 眩しい光が目の中で瞬き始めたから。

 気付いた時からそうだったから。

 ずっと逃げ出したかったから。

 そこから…逃げ出そうとする。

「イルシュ、陣から出んじゃねぇ! 意地でも踏みとどまれっ!」

 ドレイクがイルシュを怒鳴りつけるのと同時に中空に浮かんでいた「サラマンドラ」がびくりと身悶えして、いきなり地面に叩き付けられた。

 その轟音と振動に驚いて、イルシュの足がぎくりと止まる。

 バイザーのせいで視界の狭い少年を、真っ赤な火龍は苦しむようにのたうちながらも静かに見つめた。

「………あ…」

 少年が吐息に似た呟きを漏らした刹那、「サラマンドラ」が短い手足で地面を突き放し、空気を引き裂いてドレイクの頭上に飛来。その場で身体を丸め二・三度旋回してから、火龍は、まるで咆哮するかのごとく大きく天を仰ぎ、そのまま、高速で競り上がってきた巨大な電脳陣に接触してデータの崩壊を起こした。

 燃えるように。燃え上がるように。燃え尽きるのではないけれど。

 消えた「サラマンドラ」を呆然と見つめる少年と、ドレイク。その周囲、その上下に展開していた電脳陣が刹那で爆裂し、飛び散った微細な文字がもろもろと溶けて風に流れ、イルシュはその場に立ち尽くした。

「……………消えた…。数字が……………全部…消えた…」

 色の濃いガラスを嵌められたバイザー越しでも眩しい光を放っていた、文字列。生活の一部を侵蝕していたその文字に苛立ち、脅え、それから逃れたいと必死になって訳の判らない訓練だけを繰り返したイルシュの「過去」が、全て消し飛んでしまったのだ。

 そして。

 正面に座り込んでいたドレイクが、ふらりと立ち上がる。

「これで最後だぜ、イルシュ。よくがんばったよ、お前さ」

 浅黒い肌に短い白髪。始めて見た時からずっと口元の笑みを絶やさなかったドレイク・ミラキという魔導師が、ゆっくりと倣岸に腕を組む。

 その姿は、嫌になるほど堂々として見えた。

 あの、最初にイルシュを追いつめた鉄色の魔導師と同じに。

 ドレイクの回りに瞬間で立体陣が展開。高速回転する文字列に見とれる少年の斜め前方に、ぽっかりと一個の電脳陣が描き出され、それから………。

「鳥…………」

 流線形の胴体にブーメランのような羽根を持つ鳥が、ヒュ、と空気を甲高く鳴らして飛び出して来た。

 一機だけ臨界から呼び寄せられた「フィンチ」が、一度イルシュの頭上を旋回してまた少年の真正面で滞空し、胴体下部の細いシャッターを開いて脚を伸ばす。

 チチチチチ…。

「命令系統の乗っ取り完了。いいコだな、「フィンチ」」

 汗びっしょりで「フィンチ」に微笑みかけたドレイクが呟き終わると、小鳥は身を翻してイルシュから遠ざかり、ドレイクの伸ばした腕に着地する。

「解放信号の入力終了。…………エンター」

 チチ…。囀りは、微かだが優しげ。

 途端、イルシュの視界が一瞬乱れ、次には眼底を突き抜けるような真っ赤な光が世界に射し込む。その視野の片隅にはごてごてと機械装置で飾り立てられた「バイザー」が転がっていたが、少年はそんなものには目を向けようとしなかった。

 頭部が軽くなった事でバランスを崩した少年が仰向けに引っくり返り、見開いたままの瞳に、浮遊都市の天蓋と夕暮れに燃える空が映る。

「あ……」

 輝く天蓋の上空を掠める何かと…。

「………………………鳥…」

 イルシュはそう呟いて両手を天に突き上げ、少年らしい顔に晴れやかな笑みを浮かばせて………瞼を閉じた。

「鳥」

  

   
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