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    9.アザーワールド オペレーション    
       
(3) これっきりにしましょう。

  

 (3’)

         

         

 ヒューにレジーナの事を頼んで少し気分が晴れ、本当なら、昼にはハルヴァイトに会いに行くつもりだった。

 議事堂の天使と悪魔も見た。

 諦めも付いた。

 明日の夕方、ハルヴァイトの下城時刻までに全ての準備を済ませて、休暇を取って、それでいいはずだった。

 なのに実際は。

 議事堂から戻って自分の執務ブースに入り、先送りにしていた幾つかの資料に目を通すうち、ミナミはまた体調を崩して、結局、室長室に戻っていたクラバインに私室待機を命令されてしまったのだ。

 ミナミの私室は、室長室から陛下の執務室に続く通路の途中にある。そこには同じくクラバインの仮眠室…というよりも、ほとんど彼はここで寝泊まりしているので、自室か居室といった方がいいのだろうが…もあり、だから、陛下かクラバイン以外の人間はそこを訪ねる事が出来ないようになっている。

 そう大きくない部屋だった。ベッドに肱掛椅子にユニットバス。仮眠室なのだと思えば、十分過ぎる造りなのだろうが。

 長上着と長靴(ちょうか)を脱いでベッドに寝転がったミナミは、顔の前に腕を翳してうとうとしていた。昨日の昼過ぎから幾度となく水を飲み吐き続けていたせいで、すっかり身体が弱っている。少しでいいから何か胃に入れて眠らなければと思ったが、眠ったら嫌な夢を見そうで……恐かった。

 夢ではない。

 記憶の再生。

 記録の再燃。

 どうあっても一生消えないそれとはこれから先もずっと付き合って行かなければならないのに、たったこれだけの事で何かが壊れてしまうとは情けない、とミナミは、失笑するにも出ない笑いをずっと待ち続けている。

 レジーナに会って何をどう話せば判って貰えるだろうか、ミナミはぼんやりと考えていた。

 時間がない。

 もう、後には戻れない。

…………ミナミの姿は、見られたのだ。

         

 あの、新緑色の目をした男に…。

       

「…………………」

 ミナミは顔の上から手を退けて、炯々とした瞳で天井を睨んだ。

「知らねぇ顔だった…。見た事ねぇヤツ。でも、間違いねぇよ。…間違える訳ねぇ…」

 無意識にぶつぶつと呟くミナミは、無意識にシャツの胸元をぎゅっと握り締めていた。

 どう足掻いても、結果は最悪だ。

 ミナミは自分の記憶力に自信があったし、科学的にもそれは…証明されてしまっていたのだし。

 念のため、衛視になるのと同時にクラバイン経由で医療院に掛け合って貰い、五年前の採血情報を再検査し、口の中の粘液を取って(これは簡単に自分で採取出来るからだった)調べた結果、ミナミが違法に外見を形成する遺伝子操作を受けていた事が確認され、もう一つ、遺伝子上の「変異」が発見されたのだ。

 検査に当った研究者は、それを「極めて電脳魔導師に似たタイプの脳構造」と報告して来た。

        

 被験者自身の協力が無いため確定とは言い難いのですが、つまり、この細胞提供者には、視覚、聴覚、触覚などの情報をダイレクトに、本来休眠領域と言われる脳の未使用部分にプールする特異能力が備わっているものと思われます。

 それは極めて電脳魔導師の脳構造に酷似しており、彼らが一度組み立てたプログラムを脳内に駐屯させて無意識に呼び出し臨界に接触するプロセスを、記憶というデータのみ、自己の脳内でのみ行えると思って差し支えないでしょう。

      

 別にショックは受けなかった。

 徹底的にではないにせよ、普通の人間と少し違う、みたいな事を今更言われても、受けるショックもないのだ、ミナミには。

 元々…どうせ…誰かの造った粘土細工の延長上にいる…。

 造りもののミナミの手は脆過ぎて、やっと掴んだささやかな平穏も、やっぱり逃げてしまう。いや、今回に限り、自分で突き飛ばすのかも知れないが。

 迷うにも悩むにも、時間が無さ過ぎる。

 だからミナミは…。

        

        

 なんとなく疲れた気分でベッドに起き上がり、仕事に戻ろうかと思った矢先、私室のドアがノックされた。

 反射的に腕のクロノグラフに視線を落し、まだ夕方には早い、というのだけを確かめながら「どうぞ」と素っ気無く答えると、入って来たのはウォルだった。

「陛下…システムは?」

「抜けた」

 短く答えたウォルは勝手に肱掛椅子に座り、足を組んでミナミの青白い顔を睨んだ。

「僕に質問はない。ただ、確認するだけだよ、アイリー。お前、本気なのか?」

「うん、本気。向こうは俺が陛下の側に居るのを見た。だったら、時間がねぇだろ。ファイランの中だから、逃げるって可能性はねぇし」

「……………………」

「陛下との最初の約束から大幅にズレちゃったけどさ、時間ばっか掛けてその他の雑魚潰すよりも効果的じゃねぇかと思う」

「…お前が本気なら、アドオル・ウインに明日付けで臨時議会への出頭命令を出す。こちらの提示する証拠はお前の記憶だけだから、当然、向こうは抵抗して来るぞ」

「それも判ってる。でも、大丈夫」

「ウインは…先王政権時代の特務衛視団衛視長だった男だ…。しかもお前は、あいつの顔を憶えてないんだろう?」

「…見なかったんだよ。部屋は最初から暗かったし、必ず目隠しされてから灯かりが点いた」

「アドオル・ウイン」という名のあの男は、ミナミがウォルと約束した五十八人のうちに入って…いなかったのだ。

 ミナミの記憶にあの面影はない。

 しかし、ミナミには確信が…あった。

 一度もウォルから目を逸らそうとしないミナミが、淡々と言い返す。

「あの男は…もう罪を認めてる」

「……………え?」

「最初から、自分の「罪」…なんて思ってねぇんだろうし…、隠そうとなんてしなかったんだ、あいつは」

 あの男の望みを叶えなかったから、ミナミは「生かされた」のだし。

「あの男が手に入れたかったのは、本当に…俺だけだったんだ」

「判った…。でも、アイリー………………」

 一瞬、ウォルの黒い瞳が揺らぐ。

 その瞳に浮かんだ、微かな後悔。

 ウォルはそれを迷い、ミナミは一片の迷いも感じない。

「本当に…それでいいのか? ガリューを…………」

「いいよ」

 ミナミは迷わない。

「俺は卑怯にもあのひと見捨ててくんだって、そう決めたから」

 傍に居るだけ、という約束さえも、護れずに。

      

       

「noise」騒ぎで一時中断していた極秘作業をミナミが再開したのは、ハルヴァイトが医務分室から退院した日だった。

 特にイルシュの件で集中する情報が増えるだろう、という事で雑務を別な衛視に任せ多少手が空いたから、という理由だったのだが、相変わらずデータの量が莫大で、顔写真を確認する作業は退屈だしお終いも判らないし、一日一回…以上用もなく顔を出すハルヴァイトに突っ込む方が忙しいくらいだ、と執務ブースの中でミナミが苦笑いを噛み殺していた時、その…問題の来賓が特務室を訪れたのだ。

「アイリー次長、アドオル・ウイン卿がクラバイン室長にお目にかかりたいといらっしゃてるんですが」

 取り次ぎの衛視が室長室に顔を出して言ったのに、彼は記憶を探りながら「待って貰ってて」と答えた。

 アドオル・ウイン卿。先王時代の特務室衛視長で、現在は貴族階級を与えられて上級居住区に住み、貴族院の議員相談役として働いている、クラバインの前任者。先王が完全に王政から引退し行方をくらませてしまった今、数少ない上層部オブザーバーとして議会に相当な影響力を持っている、と…なぜか、ちょっと嫌そうにウォルが教えてくれたのをミナミは思い出した。

 ウォルは、特に我侭でもあり気分屋でもある陛下はしかし、「陛下」である、という立場上滅多に、誰が好きだとか嫌いだとかいう話をしない。いわゆる「共犯者」どもについては別枠だとしても、明確に正面切って「好きだ」と言われたのはつまり…ミナミだけらしく、大抵が「気に入っている」かそうでないか、程度の発言しかしないのだ。

 そんな陛下があからさまに嫌そうな顔をしたのが気になって、ミナミは確かそのアドオル・ウインについての話を、ウォルに訪ねたはずだ。

「先王ん時の衛視長つったら今の室長と同じ立場なんだから、陛下も顔見知りなんじゃねぇの?」

「…顔くらいは知ってるよ、確かに。ただし…あまり話をした事はない。今も年に二・三回クラバインを訪ねて来たり、僕に挨拶したりして帰るけど…ね」

「……。もしかして陛下…そのひと、嫌いなの?」

「ウインの事は、父上も嫌いだったよ。仕事が出来て統率力があるから衛視長に採用したけれど、信用ならないっていつも言ってた」

 それでも相手を信用したふりをし続けなければならない国王陛下という職業も、なかなか大変だ。とそこで、ミナミはある事に首を傾げた。

「…信用なんねぇのに極秘任務を任せてたって…そういう事なのか?」

「だったら苦痛だろうね。正直、なぜ父上が最後までウインを側に置いたか僕にも理解出来ないほど、父上は…当たり障りのない程度の極秘任務しか特務室に命令してなかった。まぁ、あれは「極秘任務」なんて呼ばないだろうしね」

「じゃぁ…」

 では誰が、今のクラバインのような仕事を受け持っていたのか?

「以前の電脳魔導師隊第一小隊は、当時の大隊長ダイアス・ミラキが直々に指揮を執ってたんだよ。構成は、攻撃系魔導師にダイアス・ミラキとグラン・ガン、制御系魔導師にエルメス・ハーディーとローエンス・エスト・ガン。砲撃手ウィド・ハスマ、事務官にエンデルス・エステル。これで判るだろう? アイリー」

 そこで一度言葉を区切り、ウォルはゆっくりと赤い唇で弧を描いた。

「ガン卿とエスト卿は今の電脳魔導師隊最高幹部、ハスマ卿とエステル卿は、貴族院の執行幹部。って事は…………」

「そう、当時の第一小隊が、事実上国王の側近だったんだ。今の、特務室以上にね」

 本当の秘密を秘密として捌いていたのが当時の第一小隊。特務室には信用ならない衛視長…。ウォルも相当暗躍している気がするが、先王は、もっと極端に貴族院や衛視よりも信用出来る側近を電脳魔導師隊に置いていた事になる。

「それで、僕が即位した時クラバインを衛視長に据えて自由の利く機関を置き、貴族院と電脳魔導師隊それぞれに父上の側近を紛れ込ませ、内々に監視出来るように配置を替えたんだ」

 王が代っても貴族院が全て一新される訳ではない。元々一悶着あって国王に座ったウォルなのだから、政権の安定に口外出来ない裏工作が必要になるのは、当たり前だろう。

「…関係ねぇんだけどさ、その…エルメス・ハーディー魔導師ってのは…どこ行ったの?」

「先代ミラキ卿と一緒に天国に行ったよ…。ダイアス・ミラキが命を落した着陸調査では、研究員も同行していた警備兵も全滅したんだ」

「…………」

「攻撃系魔導師と制御系魔導師というのには相性があってね、それは今のガリューとドレイクを見れば判ると思うけど、あまり組み替えはしないものなんだ。先代ミラキとハーディーは訓練校からの付き合いで、仲が良かったいうより、ふたりで一組だったよ。いつも一緒に居て、先代ミラキはいかにも怖そうな軍人だったけど、ハーディーは物凄く無口で、あまり笑ったりもしなかったっけな」

 何かを懐かしむように目を細めたウォルに、ミナミは………違和感を感じた。

「恐いひとだった。背が高くて、滅多に口を開かないけど、先代ミラキの後ろにいつも居て、時々ぼそりと何か言うんだ。そうすると、先代ミラキが困ったように笑ってね、決まり事みたいに「お前がそう言うなら」って答えたな…。…………恐いひとだったけれど、僕は…好きだったよ。父上に叱られて部屋で泣いてると、黙って入って来て、黙って側に居てくれて、最後に大きな手で頭を撫でてくれるんだ。必ず、同じ事を言いながら…」

「同じ事?」

「うん。「…良い王でなくていいけれど、傷付けば「痛い」というのだけは忘れるなよ」ってさ」

 違和感は、残る。

「恐いひと。でも優しいひと。厳しかったのかもしれない。…それ以上に、謎なひとだったしね」

 残る。

「僕は、ハーディーが魔導機を動かしているのを、見た事がなかった」

「魔導師なのに?」

「そう。誰に訊いても、本人に訊いても、その理由だけは絶対に答えてくれなかった。たった一度だけ、ハーディーが薄く笑って…凄く嬉しそうに笑って言ったのは、憶えてるけど」

 ウォルの謎が伝染してしまったかのように、ミナミも違和感を抱える。

「……………あげてしまった」

 睦言を囁くようなウォルの想い出話は、クラバインのノックで終わった。

 そこまで王室に近しい間柄だった当時の第一小隊。

 ある意味まったくと言っていいほど信用されていなかった特務室。

 天国に行ってしまったひとと、今も王政に関与しているひと。

 短い時間ではあったけれど、それでミナミは、浮遊するこの都市の中枢を護る王が代っても、都市の歴史がやり直される訳ではないのだと知る。

 続く。

 いつまでも。

 ファイランという都市が、消えるまで…。

 そんな事を思い出しながらクラバインに連絡を取ると、すぐに戻ると返信があった。

「室長室に通しといていい?」

『……いや、結構です。今行きますから』

 そう答えたモニターの中のクラバインもちょっと苦笑いしているようで、彼もアドオル・ウインという前任者が苦手なのかもしれないと、ミナミは思った。

  

   
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