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    9.アザーワールド オペレーション    
       
     

  

 (3'')

         

         

 クラバインと入れ違いに陛下の執務室に呼ばれたミナミが戻って来ると、室長室には件のアドオル・ウインとやや緊張気味のクラバインが何かを話し込んでいた。

 根掘り葉掘り先日の「noise」騒ぎを聞き出そうとしているらしいアドオルに対して、調査続行中で、などと非常に答え難そうなクラバインがどうにも可笑しかったが、ミナミは相変わらずの無表情を維持したままそのふたりに軽く会釈し、自分のブースに戻ろうとする。

 と。

「ようやくフェロウ君も秘書を置いたのかい? これは是非、ご紹介願いたいな」

 いきなりそう言って、アドオルがミナミに視線を向けて来たのだ。

 目立って派手な顔をしている訳でもないが、透明なヴェールを被せたような明るい緑色の瞳が異様なまでに印象的な男性だった。色の薄い金髪に整った顔立ち、元衛視だけあって堂々とした感じの紳士なのだが、しかし…………。

 立ち上がったアドオルは、にこにこと朗らかな笑みでミナミを見つめていた。というとミナミがすぐに連想するのは、あのローエンスの捉えどころ無い、人生の楽しい部分をより楽しんでやろうというような皮肉めいた笑いのはずなのに、なぜか彼は、アドオルと視線を合わせた途端、ぎくりと背筋を凍らせてその場に硬直してしまったのだ。

 顔は笑っている。しかし、新緑色の目は全く笑っていない。上辺に貼り付けた笑みでクラバインを安心させ、なのにミナミには…………何か別の視線を向けている。

 跳ね上がった心臓。限界を超える速さで打ち続ける鼓動に、ミナミは息を止め、心臓そのものさえ停まってしまえばいいと思った。

 瞬きは拒否した。目を逸らしたら噛み付かれそうな気がして、いっときも視線を逸らせない。

 知らない男。元衛視だという。

「ミナミ・アイリーです。少々事情がありまして外部から特務室へ取り立てたのですが、仕事の手際も良くとても助かっています」

 大幅に省かれた「事情」を気にするでもなく、アドオルはにこにこと笑い続けたままミナミに…手を差し伸べた。

 咄嗟にミナミが後退さる。今まで何度かこういう風に誰かに握手を求められた事はあるが、ここまであからさまに脅えた行動を取った試しも憶えもミナミにはなく、クラバインも一瞬ぎょっと目を剥いてしまった。

「…申し訳ありませんが、ウイン卿…。彼は…心因性の極度接触恐怖症というので…、握手は…」

「そうか。それは………失礼した」

 意外だ。という声音…。

 なぜかアドオルから目を逸らさずに青ざめて震え出したミナミを見つめる新緑の…毒々しい…瞳に不快が浮かばなかったのを、ミナミはダークブルーの双眸で観察し、絡み付いてくるような視線そのものに、心底脅えた。

 見られているだけなのに。

「済まなかったね、アイリー君。まるで「議事堂の天使みたいに」美しいので、あつかましくもその手を握ってみたかったのだが」

 笑う。

 笑っていない。

 これは、明らかな不愉快を現している声。

 なぜかそう思って、ミナミは…………。

「……………………………」

 悲鳴を飲み込んだ。

 目を逸らされて、ミナミがようやく息を吐く。

 室長室から逃げ出したい衝動を抑えてなんとか平静を保ち、仕事があるから、とクラバインに言い置いて、ようやく部屋を出る。

 出る間際、衝立てに邪魔されて見えなくなったクラバインとアドオルの会話が耳に入って、ミナミはぎくりと足を止めた。

「以前、0-1エリアで爆破騒ぎがあったそうだが、その犯人もまだ見付かっていないのかい? 職務怠慢だとは言わないが、容疑者ひとり挙げられないとは、警備軍も随分腑抜けになったものだな。どうなんだい? フェロウ君…、その時犯行を行える…もっとも怪しい人物でも問い詰めてみては」

 言いながらアドオルはきっと笑っている。とミナミは思った。

 にやにやと…。

「続けて「noise」騒ぎなどと来たら、王都民の不安はますます増すばかりではないかな? いっそ見せしめに、その発生源である違法魔導師を公開捜査対象にすればいい」

 笑っている。

 ひとをひととも思わない冷え切った声で言いながら、にやにやと。

「当代国王の側近である特務室は、ちゃんと機能しているのか?」

 にやにや…と。

 ミナミはドアを閉じ、特務室を飛び出した。

 廊下を突っ走って転がるようにトイレに駆け込み、胃の中の物をありったけ吐いた。その間ずっと頭の中で回っていたのはアドオル・ウインという男の声と自分の乱れた鼓動、それから、あのにやにや笑い。

 嘘だ、信じたくない。と頭の片隅では思っていたかもしれないが、ミナミの鮮明過ぎる記憶がそれを拒否し、結果、ミナミ自身がへとへとになるまで吐き切った所で、目の前に突き付けられた現実に膝を折る。

 憶えている。あの声を。

 それから、あの言葉も。

 脳が理解するより先に身体が反応するほどに植え付けられたのは………。

 恐怖と快楽だったのか。

 時間が、ない。

 姿を見られた。向こうはすぐに気付いた。気付かなければおかしい。いや、もうずっと前、ミナミが特務室詰めの衛視になった時から、あの男は知っていたのかもしれない。もしかしたらもっともっと前から知っていたのかもしれない。だからヘスというあの男は殺されたのか? だからその直前、あってはならない通信記録が発見されたのか? だからハルヴァイトが容疑者に仕立てられ、それでも特務室の動きがなかったから「noise」が発生したのか。

 全ては…全て………全部…。

「…………俺のせい…なのか?」

 あの時生き残ったから。

 それからなんとか生きていたから。

 ハルヴァイトの側にいるから。

 特務室にいるから。

 ここにこうしているから。

……………………………。

「時間が…………」

 込み上げてくる吐き気をなんとか抑え付けて、ミナミは特務室に戻ろうと振り返った。

「気分でも悪いのかい? アイリー君」

「!」

 廊下に出た所でいきなり声を掛けられ、ミナミは悲鳴を上げそうになった。

「フェロウは忙しそうだからもうお暇する事にしたよ…。あぁ、どうかしたのかな? そんな……恐ろしいものでも見るよう顔をしたら、折角の美人が台無しだ。それとも…私の顔に…見覚えでもあるのかい?」

 毒々しい瞳が、始めて…笑った。

 ミナミが、いつの間にか近寄って来ていたアドオルから逃げるように後退さりしながら、必死になって首を横に振る。それで結局壁まで追いつめられて、それ以上逃げ場もなくなったミナミは、絶対にアドオルから目を離さず自分の身体を抱き締めてがたがたと震え出した。

「………………だろうね」

 アドオルが、ミナミの耳元で囁く。

 どんなに近寄っても身体には触れない、という器用さはハルヴァイトに似ていたが、ミナミはそれを死んでも「ハルヴァイトと同じ」だとは思いたくなかった。

 違うもの。ハルヴァイトとは決定的に別な生き物。絶対に同じ人種だとは思えない…。

        

 これは、ひとでなし。

       

 間近で囁き、喉の奥で笑い、アドオルはゆっくりとミナミから離れた。

「どうしたのかな? アイリー君。…君は賢いかい? どうして今ここで私が姿を見せたのか、判るかい? 何もかも偶然だと信じているのかい? 何もかも私が仕組んだと思っているのかい? 愚かだな。君は何も、判っていない」

 耳障りな嘲笑を漏らしながら、元衛視長はミナミを置き去りにして歩き去っていく。

 その後ろ姿を脅えた瞳で胡乱に見つめていたミナミは、目茶苦茶に錯乱した脳の中でたった一ヶ所だけ冷え切った部分を手繰り寄せるように腕を伸ばし、両の拳を握り締め、何かを囁いた。

 思い出していたのは、啜り泣き。

 失望まみれの懇願。

 しかしミナミはそれを拒否した。

 だから……………………。

「だから、俺は間違ってない」

 ミナミは特務室に駆け戻ってから、ミネラルウォーターのボトルを掴んで再度トイレに篭城。二リットル分きっちり吐いてなんとか気分を戻し、それから私室に飛び込んで冷たいシャワーを浴び身支度を整え、室長室には誰も通さないよう部下に言いつけてクラバインの前に立った。

「室長……………。陛下に、アドオル・ウインの拘束命令と出頭許可を申請します」

「…それは、どういう意味ですか? ミナミさん…」

「あの男が、俺の最初の「客」………。いえ、俺を…造れと命令した張本人だからです」

「………………………。まさか…」

「いいえ。あの男は告発されて罪を認めます。極刑を自ら望みます。あの男は…」

 驚愕のクラバイン。ミナミの紡ぐ言葉の意味さえ理解出来ていないような顔で、目の前で淡々と語る綺麗な青年を見つめる。

 ミナミはそこで、ゆっくりと一度だけ瞬きした。

「議事堂の天使を、心底憎んでいるだけですから」

      

       

 それからミナミのした事は、寝ずに先王時代の資料をひっくり返してアドオル・ウインという男の周辺を調べる事だった。

「…今更時効ですので言いますが、ミナミさん…。実は、先王がウイン卿を側近として特務室に置いていた理由は、彼を…監視するためだったんです」

「監視? なんで?」

「元々ウイン家というのは、貴族院だとか貴族だとかに顔の広い商人だったんですが、どうも……悪い噂ばかりが内々に囁かれているような家柄で、それで先王は、蚊帳(かや)の外でごちゃごちゃ動き回られるよりは子飼いにしてしまえ、みたいに…相当乱暴な方だったんですよ。それで、当時の特務室もあまり信用していなかったんです」

 それで真の側近が電脳魔導師隊だったのか、とミナミが妙に納得する。

「エスト卿やエステル卿は、随分アドオル・ウインの身辺を調査させられたらしいですよ」

「……………そん時の資料って、残ってねぇの?」

「残念ながら、先王が処分なされてしまったようです」

 まるで自分の不手際みたいに済まなそうな顔をしたクラバインに薄く笑って見せ、ミナミはブースの中で短い溜め息を吐いた。

「あいつが特務室詰めだった頃の貴族院議員名簿とか、そういうのって俺のIDで見られるもん?」

「見られますよ。資料室の歴代貴族院名簿程度なら、全く問題ないです」

「程度って…」

 苦笑いしながら立ち上がったミナミの姿を、クラバインがじっと見つめていた。

「…何?」

「ミナミさん、アドオルの件が片付いたら、特務室に正式採用される気はありませんか?」

 真摯な顔つきで。

「陛下がですね、ミナミさんのいう事ならよく利くので衛視たちも喜んでますし、正直、わたしも大変助かってます…。多少耳に痛い噂は立つかもしれませんが、それにしたって…」

「いいよ、考えとく。ただし、俺は約束守んないからね」

 だから、その返事は全て嘘。

「…あのひととの約束いっこも守れなかった俺が、なんで今更、誰かとの約束守れると思う?」

 呆気ないな、とミナミは思った。

 もっと早く気付いていれば誰も傷付かないで済んだし、そもそも、ハルヴァイトがミナミに出逢う事もなかっただろう。

 死んでいればよかった。

 生き残ってしまった事を後悔はしないけれど。

「……………それよりさ、城の天井、いろんなとこに創世神話のフレスコ画ってあんだろ? それ全部見たいんだけど、場所教えてくんねぇ?」

 振り返ったミナミの様子があまりにもいつもと同じで、クラバインは微かに眉を寄せた。

「リストを作っておきましょう。…何があるんですか? 天井画に」

「議事堂の天使と他の天使がどう違うのか、知りたいだけ」

 呟いてミナミは、クラバインから目を逸らした。

  

   
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