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番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ

   
         
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過去なんてモンがさぁ。と、そわそわとした落ち着かない室内の空気に耐えられなくなった訳でもあるまいが、それまでぴくりとも動かずにソファにだらしなく座り、背凭れに置いた片腕の先端、手首から先をだらりと下げた手の甲に唇を寄せていたベッカーが、低過ぎて聞き取り難いと言われているが思いのほか耳触りの良い声で、ぽつりと呟く。

誰ともなしに掛けられたその声が、室内に居るのは自分だけだから、つまり自分に対するものなのだろうと思い当たったセイルが、戸惑うようにドアを窺っていた視線を、真正面に座す疲れ切った表情の男に向けた。

「過去ってさぁ、この世の中の全ての人間の美しい思い出なんかじゃ、ないんじゃないかねぇ」

独白にも似たその言葉がセイルを慰めようとするものなのか、違うのか、平素と変わらぬ緩い表情からは窺えない。それでも、何か自分がとんでもない間違いを起こしたのではないかと不安げに顔を曇らせていた青年にとって、幾ばくか気を紛らわせるものになったのは、確かか。

青年は、「リリス」というムービースターの顔をやめ、栗色の短髪に琥珀の双眸を持つセイルに戻り、しかし、彼らしからぬ弱々しい空気を纏って、ベッカーの正面で小さくなっている。

今二人が居るのは、意外にもベッカーの私室だった。部屋の広さは普段セイルの通されている応接室と似たようなものだったが、低いセンターテーブルと三人掛けのソファが向かい合う小振りな応接セットはなぜか寝室に近い場所の壁際に追いやられ、室内の半分は暗幕に似た分厚いカーテンで仕切られている。

普段ならば絶対に足を踏み入れる事はないだろう家主の私室でセイルが戸惑うようにしているのには、もちろんちゃんとした理由があった。

「…もしかして、バスクさんにとってクレイは、余り思い出したくない過去だったんでしょうか」

戸惑うように呟いた青年のきちんと揃えた膝の上で固く組まれた両の手に視線だけを当てて、ベッカーは「さぁ、どうだろ」とやる気なく答えた。

空気を読み、気配を読む事に長けたセイルにとって、ベッカー・ラドという男とこうして対面し言葉を交わすと言うのは、酷く居心地の悪い、…正直、「気持ちの悪い」事だった。今もそう。彼は絶対にセイルを真正面に捉えて真摯に話し掛ける事はせず、どこかだれた様子で斜に構え、ソファの背凭れに載せた腕で斜めに傾いだ頭を支えていて顔を向ける事はない。

それなのに、セイルに何か伝えようとする…または普通に会話する、でも良い…時には、ふとその眠たげな暗い金色の双眸をゆるりと動かし、玉虫色に似た瞳でじっと青年を見つめる。今も、そう。

だからセイルはそれを、まるでこちらに関心が無い訳ではないのに、わざと関心が無いと思われるように振る舞っている、と感じる。それがどうにもむず痒く、居心地が悪く、時に苛立ちを覚え、で、気持ちが悪い、となる訳か。

「オレぁドイルじゃないからねぇ」

それはもしかしたら冷たい言葉かもしれないが、口調の緩さのおかげでなのか、ただの事実を述べたという印象をセイルに持たせた。

過去。そう、この場合のクレイ・アルマンドは、ドイル・バスクの「手放さなければならなかった過去」だった。

     

     

砕けた表情で微笑む「リリス」の背後に偶然写り込んでいたドイルの姿を見て、それが本人であると確認した後、暫し、クレイはなんとも言えない難しい表情で黙り込み、モニターに映し出されたままの執事を見つめていた。

名前以外の何かをセイルに訊ねるでもなく、だからと言って「ああそう」と関心を失くすでもなく、むしろ普段のクレイからは考えられないくらいに真剣な表情で食い入るように一点を見つめる様に、だんだんと鬼気迫るものさえ感じ始める。

それでも、セイルとイチイには今日の仕事があったから、様子のおかしいクレイを気に掛けつつも黙々とポスター用の写真を確認し始め、また暫し、突如何かを思い切ったように顔を上げた脚本家は、オーディションの発表を待つ新人俳優みたいに緊張した顔で、ムービースターに身体ごと向き直って、言った。

ドイル・バスクに、会わせてくれないか、と。

「クレイ…、バスクさんと知り合い?」

「―――自分勝手で悪いと思う、彼に会わせてくれないか」

いつもはどこか軽薄そうな笑みを浮かべている甘い顔を険しく引き締めたクレイはその後も、何を訊ねてもはっきりした答えを返さず、ただドイルに会わせてくれの一点張り。さすがにそれでは埒が明かないと苛立ったセイルが何を問い質しても、固い表情で彼に会いたいのだと主張するばかりの友人に、結局青年が折れる形になる。

知り合ってから数年、こんなに難しい表情で頭を下げるクレイを、セイルは見た事がなかった。

とにかくその日の仕事を終わらせてラド邸に戻る段階になっても、また一悶着あった。

まず、クレイを上級庭園に招き入れるには入場許可を取らなければならない。だからセイルは一旦ドイルに、貴方に会いたいと言う人が居るから臨時の許可を下ろしてくれと連絡すると主張したのだが、クレイはそれを拒否した。

「本当に、悪いと思う。でも、スタッフを一人連れて行くからとだけ言ってくれ」

本当に、本当に本当に自分勝手な話に、セイルは本気で怒りを覚える。理由が判らない。彼は執事で主人を持つ身なのだから迷惑を掛ける訳には行かない。だから連れて行かない。と相当強い口調で諭した青年の気迫にも、今日のクレイは引き下がらなかった。

「頼むよ、セイル。全ておれの責任でいい。お前はおれに押し切られたんだって、ちゃんと説明もする。だから、頼む」

このままでは土下座するのではないかという勢いで何度も頭を下げられて、ここでもセイルは折れた。

否。折れるしかなかったのか。もう知らない勝手にしろとでも言い放とうものなら、本当に勝手に付いてきそうだ。

それで結局セイルは相当後ろめたい気分でドイルに連絡を入れ、スタッフの一人が同行するので、臨時の入場許可が欲しいと告げた。それに、何も知らないドイルはいつものような清潔な笑顔で構わないと答え、簡単に、クレイは上級庭園への入場を果たす。

確かに、嘘は言っていない。急遽、ではあるが今回のムービーの脚本を任されたクレイは、間違いなくスタッフの一人でもある。それでも隠し事をしているという罪悪感に何度も溜め息を吐きながら上級庭園行のエレベーターに乗り込み、ラド邸に向かう無人のフロートタクシーを拾ってゴールに到達するまでの間、クレイは眉間に皺を刻んで普段は良く動く口を真一文字に結んでいた。

その緊張が伝播してしまったかのように口数少なくラド邸に着き、開錠されていた通用門を潜って玄関の呼び鈴を押し。

「お帰りなさいませ、セイル様」

きぃ、と小さく軋んだドアが開け放たれて。

「あの…」

セイルが口を開くのと、同時。

「ドイル・バスク」

それまで緊張で頬を強張らせていたクレイがその名を呼んだ。

聞き覚えのない声に呼ばれたからだろう怪訝そうな顔を上げたドイルは、セイルの傍らに佇んで少し困ったように小首を傾げたクレイを、「初対面の誰かを見るような」顔で数秒間見つめてから、小さく目を見張った。

「…? ――――――。…。クレイ・アルマンド…」

それは、純粋な驚きに漏れた、呟き。

それは。

再会、と呼ぶにはあまりにも他人行儀で、セイルをますます混乱させた。

     

     

それでなぜセイルがベッカーの私室に連れ込まれているかと言えば、何やら訳の在りそうな微妙な表情で通常の応接室に通された見知らぬ男を迎えた主人が、歯切れの悪い執事の言葉を受け取ってすぐ、青年を促してさっさと部屋を辞してしまったからだった。

もうこの時点で完全に訳も判らず巻き込まれたセイルはそれに抵抗する事もなく、ただ、自分が何か間違いを起こしてしまったのではないかという不安げな表情で、ベッカーの後ろを着いて来た。

そして、二人の会話は冒頭に戻る。

普段はそれなりに気の強そうな顔をしているセイルの当惑した気配に、ベッカーは小さく一つ溜め息を零した。

「きみに取っちゃ不運だったか不幸だったか判らないんだけどもさぁ」

さすがのベッカーですら何も知らされないままのセイルが不憫に思えたのか、相変わらず覇気ともやる気とも縁遠い声音ながら、口を開く。

「ドイルがうちに来るにゃ、ちょっとした不幸な経緯があってね。それが、ドイルが大学院生の頃の話でさぁ。どうやらあの脚本家先生は、その頃の学友だったっぽいんだよねぇ」

傾いだ頭を支えていた手の指先で、いつの間にか、こつこつとこめかみを軽く叩きながら苦笑を漏らすベッカーを、セイルの琥珀が真っ直ぐに見つめる。不安、当惑、純粋な疑問。それらが複雑に混在する視線に、全てを語るつもりはない。

しかし、ここまで巻き込まれた青年には、尋ねる権利くらいはあるんだろうなと、ベッカーは思った。

「不幸な経緯、ですか?」

疑問に疑問を上乗せされたような怪訝な表情を浮かべるセイルに、ベッカーがゆっくりと瞬きながら頷いて見せる。

「そこんとこは、まぁ、うちの執事のプライベートなんで、オレが勝手にお答えするワケにゃ行かんけども。

とにかく、ドイルはうちに来る直前に大学院を辞めなくちゃならん状況に陥ってて、逃げるようにじゃないけどもさ、…それまでの生活とか、そういうモンを、そこに置いて来たんだよ」

そこに。

それまでの平穏な生活を。

置き去りに。

ドイル・バスクが大学院を辞め、それまで居たのだろう一般居住区を出て上級庭園ラド邸に来なければならなかった。というのは、セイルにも判った。そこは、ベッカーの言う通り極個人的な話なのでこれ以上根掘り葉掘り聞くつもりはないが、では、なぜ。

「クレイは、ぼくの後ろに小さく映っていたバスクさんを一目見て、すぐにバスクさんだと気付きましたが、…バスクさんは、クレイを見てもすぐには誰だか判らなかったようでした。知り合いじゃ、なかったんでしょうか」

そんなものには興味もないし、自分はドイルでないから判らない、という常套句を、ベッカーは吐き出さなかった。さすがに、気にならない、というのは苦しい言い訳だろう。

十六年だ。家族の、屋敷の中の「誰にも」本当の意味で気に掛けて貰った試しのないベッカー・ラドに、唯一向き合ったのは、あの見栄えは派手だが内面は真面目で地味な、執事だけだった。

そう、十六年。

「…どうだろねぇ。オレさ、ドイルをうちに紹介して来た大学院時代の恩師…ってぇ教授の関係者以外に、あいつの知り合いの話、聞いた事ないんだよね」

自分に対して呆れ気味に苦笑しながら答えたベッカーに、セイルもちょっと呆れた笑みを返した。それはいくらなんでも、関心無さ過ぎではないだろうか。

「あ。じゃぁ、もしかして、クレイはその教授の関係者の中の、一人だったとか? 彼、随分と色んな研究室に出入りしてたみたいなこと、言ってたし」

ドイルの交友関係が極端に狭いのだとしたら、そうなのでは? という意味を込めて少し声を明るくしたセイルを一時見つめ、ベッカーはだらりとソファに沈み直して、痩せて薄い腹の上に組んだ両手を載せた。

「そりゃぁ、ねぇな。ドイルをうちに紹介して来た教授ってのは…ユーグデルテ大学院の数学者さんで…、研究室は持ってなかったよ」

私立の有名大学で。

研究室はなく。

上級庭園外苑近くの屋敷に家族と住まい…。

「自宅に学生を招いて討論会とかねぇ、しちゃうような、真面目な人でさ、あんな派手な見た目のくせにやたら勉強好きなドイルが、尊敬してたよ。―――ユアソン・ドリー教授をさ」

過去の思い出なんて、美しくもないし懐かしくもない、と、ベッカーは疲れたように肩を竦めた。

「クレイがそんな真面目な生徒だったなんてありえないだろうし、じゃぁ、一方的に知ってただけなのかな…」

正直、その辺りはクレイのプライベートでありドイルのプライベートでもあるから、セイルがあれこれ詮索する事ではないだろう。しかし、このおかしな再会の発端を作ってしまった手前、ぶっちゃけた話、気になる。

「ユーグデルテ大学院つったら、規模はそう大きくはないからねぇ。何度か構内で擦れ違えば、お互い顔くらいは知ってるって位置関係になんじゃないの」

今日は比較的まともに会話出来ているなと、セイルはその時、本当にどうでもいいのだが、なんとなく思った。それでつい、正面にだらりと存在するベッカーをまじまじ見てしまう。

ソファの背凭れに頭を預けて、薄い体を座面に貼り付けた男は、水色のシャツにアイボリーのVネックセーターを合わせていて、ボトムは見慣れたデニムだった。それだけ聞けばなんだか爽やかなイメージを持たれるかもしれないが、適当に撫でつけただけのくすんだ金髪に、眠たげな金色の双眸に、傷だらけのローファーを突っかけているという全体像と、覇気と言うか、生気のない表情が、彼の雰囲気をくたびれたものにしている。

しかしながら、だ。

何を考えているのか、伏せた視線を自分の腹の上で組み合わせた手に据えたベッカーの顔は、実の所、悪くない。くっきりした二重でありながらやや目は細く、鼻は高い。削げた頬に尖った顎と薄い体からは少々痩せぎすな印象を受けるものの、決してひ弱な感じはなかった。

なんか惜しいなぁ。というのが、セイルの率直な感想だ。

あまり熱心に見過ぎたからなのか、金色の虹彩に囲まれた玉虫色がゆるりと動き、無言のセイルにぴたりと据わる。

それで、何か用か? と問わないから、ベッカーか。不思議そうに首を捻るでもなく、疑問の声を上げるでもなく、見つめて来るセイルをだた見つめ返す。

ゆるりと、退けられる。

だからと言ってそれを受け入れて視線を逸らし、また気まずい思いを抱えてそわそわと打開策を探れるくらいならば、セイルももっと楽な人生を送れていただろう。しかし、血の繋がりがあるとかないとか、そんな事が理由にならないくらいに、彼は「家庭環境」に鍛えられて「スレイサー一族」に名を連ねた。

     

血の色なんて関係ないんだよ。志の向いた先、相手との距離、期待信頼信用共有。そういうものこそが最重要なんだよ。ぶっちゃけそれ以外なんてどうでもいいよ。 だってぼくたち、「家族」じゃない!

     

師であり「親」であるフォンソル・スレイサーの能天気な人懐こい猫顔の笑みを思い出し、セイルはゆっくりと小首を傾げた。

訊いてくれないなら、こっちから訊いてやる! と?

「何か?」

外観は少々…よりも変わっているが、世間を魅了するリリスの清潔な笑みと柔らかな声を向けられて、ベッカーはなぜか、ぱちりと瞬きした。

「――――何か、ねぇ」

珍しくセイルの問い掛けを繰り返しながら、ベッカーはゆっくりと姿勢を正してソファに座り直し、細長い脚を持て余すように組み合わせた。肘掛に置いた片腕に体重を掛けて、つまりはやや斜めに傾いだ状態で、今度こそ明らかに、まじまじとセイルの顔を見つめる。

で。

「いや、きみ、面白いわ」

ゆったりと視線を下げて、ゆっくりと口元に笑みを浮かべ、いつもと同じやる気のないだらけた声で呟いた。

「今までの流れではさぁ、どう考えたって、何かあるのはきみの方でしょ」

言われて、気付く。

そもそも、瞬きもせずにベッカーを凝視していたのは、セイルの方だった。

「…そう、でした…」

指摘された青年が弱々しく答え、ソファの中で小さくなると、ベッカーはぴしゃりと額に手を当ててさもおかしそうに吹き出した。

「わ…らわないで下さい!」

「いやいや」

「いやいやじゃなくて!」

「いやいや」

もう! とふくれっ面でそっぽを向いたセイルが、靴を脱ぎ捨ててソファの座面に膝を抱えて座る。からかわれたと言うか、遊ばれたと言うか、決して表情豊かとは言えないベッカーに爆笑されているという事実に少しだけ彼との溝が埋まったような、でもなんだか間抜けで気恥しいような、とにかく各方面に複雑な気持ちで、背凭れに側頭部を預け目一杯縮こまった。

ベッカーは悪びれた風もなく悪いと言いつつも、まだにやにやと笑っている。それで、そもそも短気なきらいのあるセイルがキッと眦を険しくして、手足を伸ばし男に文句の一つも言ってやろうと向き直った、刹那、控えめなノックの音が室内に響き渡った。

「失礼いたします。旦那様…」

主人の応えも待たずに開けられた扉から顔を出したドイルが、笑うベッカーと不穏な空気を発するセイルの間で、怪訝そうな視線を往復させた。

「ああ。何?」

「…お客様が、旦那様にご挨拶差し上げたいと申しておりますが」

ドイルの顔を見て、慌てて脱ぎ捨てた靴に足を突っ込み姿勢よく座り直したセイルは、当惑した表情の執事と、その背後、なんだかまだ緊張した表情で硬くなっている旧知の脚本家を振り向いた。

「―――入って貰え」

ここまで来てしまったのだから追い返すのもおかしいと思ったのか、違うのか、ベッカーは仕方なさそうに溜め息を漏らしてから、セイルに手でソファの端に寄れと示す。

「突然の訪問、申し訳ありませんでした。私は今回こちらのお屋敷をお借りして撮影されているムービーの脚本家で…」

「いや、別に、自己紹介とかいらんし。そもそも、ドイルのお客だろう」

促されて入室したクレイが会釈し、握手を求めると、ベッカーは肘掛椅子から立ち上がってぞんざいな仕草でその手を握り返した。

「オレはここにふんぞり返ってるだけで、アンタをもてなす訳じゃないからねぇ」

だから、クレイ・アルマンドなどというシナリオライターに興味などないのか、ベッカーは普段通りの緩い表情で笑みもなく、さっさと肘掛椅子に腰を落とした。

その覇気のない雰囲気と躱された会話の収集が付かなくて、クレイが途方に暮れたような顔をセイルに向ける。

「…とりあえず、バスクさんとの話は終わったんだよね、クレイ」

「ああ…、まぁ」

勧められて、ではないが、ここは空気を読んでセイルの隣にクレイが腰を据えた。

「それで、ぼくには何か言う事ない?」

意味も分からず巻き込まれた苛立ちを思い出したのか、やや棘を含んだ視線を向けて来たセイルに、クレイが苦笑を返す。そう、これは多分、この屋敷の主人にも、今回の予期せぬ上に性急な再会…で間違いはないだろう…を手助けしてくれた俳優にも伝えておかねばならないと思ったのか、脚本家は未だ緊張の解けぬ表情のまま頷いた。

「今日は、悪かった、セイル」

「そう思うなら、ぼくの納得する説明、してくれるよね」

ソファの中で傍らに身体ごと向き直る青年を、ベッカーの玉虫色が見ている。

「…ドイル・バスクとは、大学院時代の同期生で」

そこでクレイは一旦言葉を切り、ぼんやりとこちらを窺っているらしいベッカーに視線を据えた。

「彼はわたしの名前を知っていたかもしれません。わたしは、在学中に彼の名前を、彼の友人から聞きました。ただ、接点はほとんどなかった」

つまり?

「何それ。それじゃ、友人ですらないよ?」

「セイル、おれはドイル・バスクと友人だって、一言も言ってないんだが」

言われて、そうかも、と思い当たった瞬間、セイルは険しく眉を吊り上げた。

「ただ、会いたかったんだよ、おれは。突然消えてしまったドイル・バスクにもう一度会って、確かめたかったんだ」

あまりにも切実な表情に、食って掛かろうとしていたセイルは言葉に詰まった。

彼らに、何があったのか。

彼に。

静かに言い争うセイルとクレイを、ベッカーはただ無言で見ていた。

  

   
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